4-1『真実、そして君と共に』
【一〇】
さて、事の顛末を話そうか。過去の物語は、変遷され、現在へ帰還する。僕と対面で座る少女は既に、用意していたシチューを平らげて、話に没頭していた。
――イヴは死んだ。僕は、目が覚めたら、森の奥の小屋の前に立ち尽くしていた。背中に背負っていたのは、既に冷たくなった彼女。僕は、もう泣かないと決めていた。彼女の物語を語るのに、涙は必要ない。彼女の短い人生を語るのに必要なのは、人の心を動かす語りだけだった。僕は、小屋に帰ってきた日、裏庭の薬草畑の真ん中にイヴを埋めて簡素な墓碑を築いた。地面に突き刺した木の板に、『僕の永遠の家族にして、最高の英雄 イヴ』と刻んで花を手向けた。今も、安らかに、僕のことを見守っていることだろう。
彼女の物語を紙に記していく少女。燃えるような赤髪は、どこかイヴの面影がある。
――イヴを墓に埋めた後、僕は急いで彼女の物語を作り始めた。初めは紙に記していたが、何故か書き終えた途端に、紙に焔がついて、記録をすべて焼き尽くしてしまう。だから、僕は情報を文字に置き換えることをやめた。口伝でしか伝えられないというのは、こうした理由も含まれている。だからと言って、他人に口伝の物語を紙に写させようとすると、最初の二、三文を書いた途端に、激しい動悸や吐き気に襲われるらしい。中には、丸一日失神した者もいたくらいだ。
シチューの皿を片付けながら、なお、僕の語りは続いている。台所に、汲み上げた地下水がせんせん、と流れる音があった。
――今、君が物語をほとんど書き写ししたことは、実はとても恐ろしいことだ。よく、ぶっ倒れないものだよ。ともあれ、物語は、語っている内に、徐々に整合性を帯びてくる。その頃になると、王国では、無慈悲に死んだイヴのことが話題になったらしい。話題が大きくなるにつれて、小屋に訪れる人は増えていった。彼女の話を聞いて、涙を流さない者はいなかったよ。君だって、ほら――記した文字が水滴で滲んでいる。
慌てた様子で、涙を拭った少女。仕草さえも、在りし日のイヴそのものだった。
――さて。物語は、ここでお終いだよ。彼女の物語を聞いてくれて、ありがとう。
「……、いいえ。私の方こそ、ありがとうございました」涙を拭いながら、少女は、イヴの物語を記した本をぱたり、と閉じた。「ようやく、私も未練が拭いきれたような気がします。……私の、お姉ちゃんになるはずだった人の、話を聞けて」
――そういうことか。君は……、山賊の人質に取られていた……、
「はい。あのときは、本当にありがとうございました。貴方に助けてもらっていなかったら、私は姉の存在を知らないまま、この世界を後にしていたと思います」
――君も、姉譲りで正義感がある強い子だね。君が知らない過去において、イヴはあの街から迫害されていた。だけど、そんな背景があるにかかわらず、君はこの場所に足を踏み入れてくれた。きっと、イヴも喜んでいるよ。
「そう、でしょうか。……仮に、私が引き起こしたことではないとしても、両親が犯した罪は私も背負わねばならなかった。せめてもの、罪滅ぼしです」
両親は、三年前に続くようにして他界したらしい。まだ、幼い少女は、家計を切り盛りするだけで精一杯らしい。姉妹揃って、報われていない。
いつか、どこかで彼女が残した台詞を思い出す。――もう、私と同じような目に遭う子供達は見たくない。自分の命が削られていく中で、苦しむ誰かに手を差し伸べようとしたイヴ。僕は、その背中を追わねばならない。
――なあ、イヴの妹さんよ。
僕は、正義感の強い少女へと手を差し伸べる。いつか、彼女にしてもらったように。
「よかったら、僕とイヴの家族になってくれないか。そして、永久に彼女の英雄譚を語り継いではくれないか?」
一瞬、はっと驚いた少女は、だけど、にっこりと僕に向かって、微笑を見せた。
その夜は、いつか、僕とイヴが出会った夜のように、
白い尾を引く流星が、夜闇の舞踏会で煌めき踊っていた。
今日も、僕は、貴方の物語を語り継ぎます。
いつか、ふたたび君と巡り合ったときに、僕の英雄の自慢ができるように。
【?:まどろみの底で】
いつか、どこかなんて僕に分かったことじゃない。彼女は死んだはずで、僕は永久に物語を語り継ぐはずだった。だが、たゆたう意識を放り投げると、僕の魂は、水底に沈んでいった。とても、心地よい冷たさだった。
「おかえりなさい」
それは、きっと彼女の声だったと思う。しわだらけになった手で僕は水をすくおうとした。彼女が死んでから、一体どれくらいに物語を語っただろうか。まだ、語らなければならない。僕は、永久に彼女の物語を語り継がなければいけない。そういう呪い、いいや――願いを引き受けた。僕はまだその願いをまっとうできていない。だから、生かしてくれよ――。
「いいや、もう大丈夫だよ。貴方は充分に私の願いを叶えてくれた」
もう、あの世界に未練はない、彼女の声はそう言った。後ろから、優しく抱きしめられたような気がした。
「……もう、待つのは嫌だよ」
――僕だって、待ったんだよ。待って、待って、待ち続けた。
僕より先に、命の灯を燃やし尽くしてしまった君は、もう、帰ってこなかった。
「やっと、君に、逢えた。ずっと家族でいようって約束を、今度こそ」
僕らの、小さな幸せが。目の前にある。手の届く位置にある。
気が付けば、僕の手に刻まれていたしわが無くなり、肌に若さが戻っていた。彼女と出逢った頃の僕がそこにいた。
後ろから、抱きしめてくる、彼女、イヴ。振り返って、重ねるように彼女を抱きしめた。もう、絶対に離さない。君が一人の少女として、生きる世界を僕は所望する。
瞬間、黒で塗りつぶされた世界が、音を立てて、崩れ落ちた。彼女と、僕だけの世界を、穢れなき白が包み込む。僕らは、雲の上から世界を見おろしていた。森の奥、僕らの過ごした小さな小屋が徐々に遠くなっていく。
空は、無際限に青だった。僕らの魂を吸い込んでいくような、そんな青天霹靂。
「行こうか」胸にうずくまっていたイヴが、僕の顔を覗き込んで、はにかんだ。「これからは、ずっと、ずっと家族でいようね」
「当然だよ。僕らは、いつまでも家族だよ。もう、絶対に一人きりにさせない」
彼女の手を取り、僕は笑う。
「改めて。――ただいま。僕の愛した英雄様」
「おかえりなさい。私のかけがえのない従者様」
※ ※ ※ ※ ※
寂れ廃れた大密林、その最奥部には今も、あの小屋が佇んでいます。報われなかった英雄と、ただ一人の少女のための英雄になりたかった従者が住んでいた木組みの小屋。その裏庭に並ぶようにして、英雄の少女『イヴ』、そして、従者の少年『アダム』の墓、二つの墓碑が、寄り添うように並んでいます。いつまでも、二人は永久に廻る蒼穹の上でいつまでも、世界を見守っています。