3‐1『無慈悲、君のお願い』
山賊の一件の後、僕らは街を抜け、一晩中旅路を急いだ。街として機能を失った場所で宿泊することなんてままならなかったし。長居して、イヴの正体が知られても厄介なことしか起きないだろうと判断したからだ。
次の街についたときには、イヴは眠りと覚醒の狭間を揺蕩っていて、既に足元がふらついていた。宿屋に飛び込み、部屋の扉を乱暴に開く。一目散に彼女はベッドに飛び込んで、三秒も経たないうちに深い眠りについてしまった。僕もその横で荷物も降ろさぬまま、睡魔にのまれた。
もう。未開領域は目と鼻の先にある。明日には、いざ魔王討伐に突入する。できれば、僕らが到着する前に全て丸く収まっていてほしいが、きっと、そんなに都合よく世界は構成されていない。
世界は決して、天秤にかけて皆に等しい幸福をもたらすような慈悲の塊なんかじゃない。いつも、誰かが喜び、その誰かが知らないところで首を絞められている。
【六:未開領域・入口】
「ようやく、ここまで辿り着いたね……」
僕らの目の前には、巌のように立ちはだかる鉄の門。この奥が、未開領域。
最奥に、魔王が眠るという、魔獣の巣窟。
門番に勅令状を見せると、門が僅かに横に開いた。人が一人通り抜けられる隙間。あまり開きすぎると、魔獣が外に漏れだすらしい。近頃の、魔獣騒ぎに際して、門と柵を増築したらしい。道理で、錆がどこにも見当たらなかったわけだ。
僅かな隙間を、僕らは潜っていく。眼前に飛び込んできたのは鬱蒼とした森林。だが、《寂れ廃れた大密林》とは何かが違う。植物の姿が、異様だった。妙に葉だけが大きい雑草が、近くを飛んでいた羽虫に巻きつき、分泌させた不思議な粘液で絡めさせて食っている。花弁の部分が口のように開いた奇妙な花が、近づいてきた小さな魔獣を、あたかも動物のように、丸呑みしてみせた。魔獣はそこら中に跋扈していた。鼠のような、犬のような、猫のような、猿のような、馬のような、獅子のような、熊のようなもの、様々である。中には、他の動物でたとえられないような異形まで。
外の世界からは想像できないような内側の世界。人間を取り除いた、人間では対処できない自然。未開領域とは、まさにそういう場所だった。簡単に人間を送り込んでいいものではない。
整えられた道は存在しない。あるのは、魔獣の通った後に形成された道とも言い難い獣道。無用な戦闘を避けるために僕らは身を潜めながら、中心部へ進んでいった。それでも、未開領域はあり得ないくらいに魔獣が密集していて完全に隠れることは不可能だった。それでも、最低限の戦いで、なんとか中心部に辿り着いた。
王国で事前に手配しておいた未開領域の地図と照らし合わせて、僕とイヴは、高くそびえ立つ目の前の山を見上げた。
「この頂上に……、魔王がいるんだね……」――王の話通りだと、そうなるよ。
登山道なんて設けられていない。僕らは斜面を勢いよく上がっていく。途中途中で態勢を整え、手を取り合いながら、なんとか山の中腹までは、辿り着いた。酸素が若干薄くなったように感じる。宿を抜け出したのは、日の出前だったが、中腹では既に真っ白な陽光が真上から注ぎ込んでいた。
真下に広がる未開領域に目を向ける。地上にいたときには魔獣の咆哮があちらこちらから鳴り響いてきたものだが、今では全く聞こえない。
――それにしても、他の討伐参加者の姿が全く見えないな……。
「もしかして、先に山頂に辿り着いているのかもね! 私達も早く行こうか!」
催促するイヴに手を引っ張られる形で、僕は山頂を目指した。
※ ※ ※ ※ ※
結論を言おう。山頂には、誰も存在しなかった。
魔王なんて、しょせん、夢物語の一部で、紛れもなく虚構だった。
ふと、降り注ぐ天の光が、頭上から落下してくる何かに阻まれた。
見上げようとして――いくつもの銀の光がぎらついて、僕らに殺到する。
次の瞬間、僕とイヴは――無数の剣を向けられていた。
何もかも、僕らが信じたすべてが崩れ去っていく。
【七:未開領域・中心部】
――なんの、真似だ。
声がうまく出なかった。何が起こったのか。理解が停滞している。現実を拒絶して、空想が独り歩きしている。その刃に宿った殺意と戦意はなにゆえのものだ?
理解しえなかった。理解したくなかった。……だから。
――なんの、真似だ。
僕は、もう一度、問うて。そして、その答えを飲み込むことはできなかった。未来永劫、決してそのような残虐な終わり方を僕は認めなかった、いいや、認めない。いつまでも、眼窩に焼き付き、脳裏から離れることのない、報われなかった『答え』に、向き合おうとして、どうやっても、いつになっても世界を、殺したくなる。
『北の魔女・イヴを殺せ』と書かれた、勅令状。僕らに武器を向ける者達が、次々と見せてくるその羊皮紙に書かれた文面を見せてくる。
すべて、謀られていた。誰もが、敵だった。世界は、残酷だった。
「――やっぱり、そういうことだったんだね」ふと、イヴがそんなことを口に出した。まるで何もかもがお見通しだったかのような口ぶり。ゆえに、僕は、絶句していた。
「だってさ、おかしいじゃない。世間から隠れている身の私が、王様からの名声を得るなんてまず不可能だもの。それにさ、私は――誰かに忌み嫌われる運命だったから」
そんな運命を誰が決めた。そんな終わり方を誰が望む。
「だけど、私が忌まれる運命であろうと、その道を貴方に歩ませるわけにはいかない」
――自分勝手じゃないか、そんなの。ふつふつと、怒りがこみ上げる。
「私はね、腐っても英雄になりたかった。だから、今だけは、貴方の英雄でありたい。私の夢を叶えさせて……最後だけ、わがままを聞いてくれない?」
その言い方は、やめてくれ。わざと、断れないような頼み方をしている。――得手勝手過ぎやしないか。だったら、僕だって自分勝手を通させてもらうよ。
――僕に守らせろ。僕に、イヴを守らせてくれ。
「それは、許されない願いだよ」僕の願いは、へし折られた。「英雄っていうのは、自分の願いを叶えることは禁忌なの。あくまで、誰かのために、命をなげうつ覚悟がないと成り立たない」
分からない。僕には、貴女の世界観が分かりえない。家族だった。家族だと思っていた。だけど、僕らには、深い溝のような断絶があったのかもしれない。
「私だって、自分の願いがあるの。それくらい、分かってくれないかな」わがままばっかりだけど、私だって護りたかった未来があった。
――僕だって、そんなことは……、わかって、
声が、ひどく詰まった。僕を見上げて、優しく笑った彼女が浮かべた、大粒の涙。
「私だって……、私だって」
――貴方と、一緒にこれからも家族でいたかったの。
――ねえ、私の願いを聞き入れてよ。
――どうにもならないに貴方を巻き込みたくないの。
――お願いだよ、私の最初で最後の、わがままだから。
――私の孤独を救ってくれて、本当に嬉しかった。
―― だから。ずっと忘れないで、私達の刻んだ時を。
――そして、私っていう英雄を誇れるように、
――――――――――生きて。『アダム』、私の大事な従者様。