2-2『二人だけの時間、旅路へ』
そして、三日で用意を済ませて、僕達は小屋から旅立った。
自給自足の生活だったゆえ、銭貨や貨幣に頼る必要が無かったから、勿論、宿に泊まるような金なんてなかった。野宿の三日間はすんなり受け入れられた。小屋での生活自体が野性的なものだったからだろう。小屋から持ってきた獣の皮を継ぎ接ぎした毛布に二人で包まって夜を明かした。
狩人ですら立ち入らないくらいに人里からは遠く離れている森の中だったので、人間からの奇襲はなかった、一応それを考慮して、地面の色に溶けるような保護色の毛皮を持ってきたのだが杞憂に終わってしまった。獣に至っては、さすがは大密林、歩いていれば視界に入る距離に子連れの熊や、猪とその後ろに付いていくウリボウの微笑ましい光景が散見している。季節は颯爽と、春から初夏へ通り過ぎていく。
長い、長い旅路を追えて、王国の市街地に出てきたのが出発してから三日目の夕方。羊皮紙には、明日、王宮まで出向くようにと記されてあった。僅かな猶予が与えられた、だが、森の奥で仮と採集の原始的な暮らしを営んでいた僕らは、美味い飯を頬張るための金がない。だから、僕とイヴで考えた。――薬草を調合して、薬を作って売り払えば少しのはした金くらいにはなるのではないか、と。
結果、はした金どころか、大儲けしてしまった。通りかかった旅の薬売りに交渉して調合薬を何本か買ってもらったら、意外なことにその薬が近年稀に見る良質なモノとして扱われ、街行く他の薬売りへとその話が広がり、しまいには、薬に困っている都の住民達が僕らを囲んで薬をねだっていた。
高い金でボッタくる気はさらさらなかったから、薬売りの間で定められている定価の半額で薬を売り捌いた。手持ちの背負い鞄にありったけの薬を詰め込んできたことが功を為し、すぐに完売。
儲けた金でたらふく夕食を食べた。たまにはこういうのも悪くはないな、と微睡みながら、御馳走を如何にも美味しそうに頬張るイヴの姿に微笑ましさを感じながら、いつもとは違った幸せを噛み締めた。
儲けた金は夕食代を差っ引いてもまだまだ余りあった。とりあえず安めの宿で部屋をとっておいて、二人で夜の王国に繰り出した。闇が蒼穹を覆い尽くしているにかかわらず地上は、ぼんやりと燃える橙の街灯が林立して街の中心部、すなわち王宮へと伸びている。大路の両側には何軒もの個性的な店が立ち並ぶ。僕とイヴはまず、呉服店に潜り込んだ。さすがに獣の毛皮を継ぎ接ぎした野蛮な服装で王国をまわる気にはなれない。
「んー。ねえねえ、どっちがいいと思う、従者様?」うんうんと唸りながら、衣装選びに絶賛お困り中の英雄さんを助太刀することにした。とはいえ、僕には服選びのセンスなんてないし、あくまで直観である。白のブラウスに、黒のゴアードスカート、もしくは黒一色の軍服ワンピース。さて、どちらの方が彼女に似合うだろうか。というかどうして、軍服ワンピースが選択肢に入ってくるんだよ。いや、センスあると思うけど。むしろセンスの塊だと賞賛するけど。
試着の必要は無かった。軍服ワンピース一択でした。異論は認めない。
ちなみに僕は、イヴの判断でワイシャツの上に仕立屋調のジャケット、ボトムズとしてスラックスという選択で落ち着いた。あれ……、辺境の小屋で自給自足の生活をしているだけで、全く外の世界を知らないはずなのに、イヴの服の選び方はなんでこんなに理に適っているのかしらん。
「それはきっと、女の勘よ。だけど、そう言っている割には、軍服ワンピースっていう選択もなかなか慧眼なものよね」――そりゃ、どうも。
※ ※ ※ ※ ※
呉服店を出て、僕らは宿屋へと向かっていた。辺りは店じまいを終えて、朱色の電飾が消されていく。一つ、二つ……と、店の灯りが消えていく。そして、夕方の騒がしさが嘘みたいに、街に静けさが宿っていた。大路を照らす街灯だけが僕らの行く道を優しく照らしている。ふと。闇に染まった天を見上げた。光条を放つ星々が、闇夜の上で煌めき踊る。天空の舞踏会にしばし、目を奪われていると、横にいたイヴが、いきなり空を指差して、
「あっ! ……流れ星」彼女の人差し指の方向に僕は目を向けた。一瞬だけ一条、二条と尾を引く光が視界を通り過ぎたような気がしたが、まばたきした後にはもう、流星の尾は舞台の裾に隠れてしまっていた。「ね!? 見えたでしょ!」
――うーん。僕にはよく、分からなかったな。
「えー? おかしいな。私なんかもう、二つぐらい見つけたんだけど」
空に光る綺羅星が笑っている。僕は、必死になって流星の光を探していた。
だけど、結局見つからなかった。内心、拗ねるのは仕方なかろう。
「そういえば」思い出したようにイヴが呟いた。「あの夜も、流れ星がたくさん降っていたよね」――うん、確かにそうだった。
あの夜。僕とイヴの出逢った日。僕という不確定な何かが生まれて、彼女という孤独な少女と初めて遭遇した大切な記憶。僕らの始まり。
「昔ね、お爺様にこんな話をしてもらったんだ。――流れ星の降る夜に、森の奥に足を踏み入れてみなさい。きっと、貴方を助けてくれる精霊さんが、貴方の来訪を心待ちにしているからって。ふふ、まさかだけど……、貴方は森の精霊さんなのかもしれないね?」――そうだったら、お爺様はとってもロマンチシストな方なんだね。
まるで、魔法使いのような人だなあ、と思う。いや、魔法使いだったのかもしれないけれど。
「お爺様は、魔法が使えなかったの」その話は、いつかイヴの口から聞いた。お爺様は流れ星の降る夜に森の奥で生まれたらしい。魔法は、『師匠』とやらに教わったらしいけれど、全く身につかなかった。だけど、代わりに魔法とは似て非なる、構造が違う力を使えたらしい。「星の恩恵っていう力。魔法は太陽の魔力が根源だけど、星の恩恵は月や星の魔力が根源なの。本当に微々たる違いなんだけどね。お爺様の師匠はむしろ魔法よりも『星の恩恵』の方が好きだったらしいよ。理由は忘れちゃったけど」
太陽の光、星や月の光は魔力を含んでいる。魔法使いは晴天の日に日光浴をして魔力を蓄えるらしい。お爺様の場合は、月光浴だったらしいけれど。
――確か、いつかイヴが言っていた話かな。流星が降る夜に生まれた赤子には特別な力が宿るんだっけ。
「あくまで、伝説だけどね。だけど……案外、本当の話だったりするのかもね」僕の方を向いて彼女が、優しげに微笑んだ。満月の夜だった。宙から降りそそぐ銀の紗幕が王国の静まり返った街を優しく包みあげていた。その慈悲の光に何故か、親近感が湧いたのは、きっと僕が星から生まれたからなのだろう。
……なんて気障ったらしい台詞をうっかり漏らさないように。僕は、ただただ星を見上げていた。あの星々だって、横に並んでいるように見えて、縦で見てしまえば、久遠の距離があるのだろう。何光年という隔絶の中、星々は連なっているようで、絶対的に孤独だった。天蓋を一筋の流星が流れていく。願い事をする間なんて無かった。
どうせ、僕が詩的なことを言ったって、イヴが腹を捩じらせて僕を馬鹿にするだけだから。言葉に魔法を込めることが、僕にはまだできていない。
※ ※ ※ ※ ※
夜が明けて、僕らは王宮へと出向いた。羊皮紙の勅令状を門番に見せて中に入っていく。整った紺色のスーツを着た使用人に案内され、王室へ。そこで僕らは、魔王討伐の内容を聞いた。
この世界の中心には、人が侵入したらいけない『未開領域』なる地域が存在する。禍々しい姿の魔獣がその領域には無数に生息しているらしいが、普段は人里まで降りてくることなんてほとんどないらしい。だが、その未開領域の周辺にて近年、頻繁に魔獣の被害が多発しているとのこと。この現象は、一〇〇〇年前の『魔王討伐』の歴史と全く同じらしい。それで、未開領域の近辺に魔法使いを何人か派遣して、詳しく調査してみたら、未開領域の中心部に巨大な生命反応が見られたという。
それが、魔王かもしれない、ということか。
出来過ぎた話である可能性を加味した。だが、疑り過ぎて、時間を浪費してしまえば、それこそ『この話』が真実だったと仮定したら、取り返しのつかないことになる。
彼女の意志は、固かった。だから、僕は彼女を信じることにした。そうと決まれば、明日にでも出発せねばならない。
魔王討伐に先陣切って出向くのは、四つの大国から全部で三〇人。それも、人知を超える、世界的に名の知れた剣士や、魔法使いがほとんどだという。まあ、森の奥に住んでいれば、情報社会についていけなくなるのも当然であって、結局、他の討伐参加者で知っている顔はいなかった。
それにしても、謎が深すぎる。どうして、わざわざ名が知れている者達が連なっているのに、無名に等しいはずのイヴが参加することになったのか。お爺様が事前にイヴの存在を王、或いは王直属の部下に伝えていたならまだしも。もしかして、イヴの故郷での噂が果てしない誇張を経て世界を巡り巡って王の耳まで届いたのだろうか。
いや、まさか。考え過ぎだろうか。曖昧模糊な不安だけが、心の奥で渦を巻いていた。まあ、何にせよ。今の僕は、イヴを信じ尽すしかないのだろう。
王との相対から、また一つ夜を明かして、僕らは魔王討伐に出向くことになった。
王国からは、他に六、七人討伐に参加しているらしいが、基本的に集団で活動するという規定はないらしい。わざわざ多人数で行っても、逆に連携が取れずに共倒れ、っていうこともあり得るからだ。僕とイヴは、日が昇るよりも前に出発した。王国中心部から、世界の中心、未開領域まで、早くても五日は掛かる。
新調した衣服を馴染ませながら、旅路を急ぐ。とはいえ、基本的に魔獣が生息するのは、未開領域だけだと聞くし、旅の道において、弊害になるものは少なさそうだった。旅の途中にいくつかの街を通る。さすがに野宿は危険だから、道中では宿屋を使うことにした。唯一、危険視することは、盗賊あたりか。
最初二日間は、なんとか無事に進むことができた。だが、歩き続けて三日目だったか、何故だかイヴの様子が変だった。いや、思い出してみれば、彼女は昨日の夕食後から何か変だった。彼女らしい笑顔が見られなくなっていた。僕が気にかけても、何でもないと、寂しさを誤魔化すように笑ってみせるのだ。……イヴが、作り笑いをすることが大の苦手っていうのは、一緒に過ごしてきた半年間で何となく察していた。
彼女が無理して笑うときは、絶対に何か、隠し事をしていると相場が決まっている。
だが、結局僕は何も聞きだすことができず、三日目を迎えてしまったのだ。