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きっと、貴女の為の英雄譚  作者: 音無蓮
Episode-Ⅰ【Dawn】
2/9

1-1『朱色と僕らのハジマリ』

【二:《寂れ廃れた大密林》最北部】

 白、一切の汚れを排除した純潔な純真なその一色が、僕の精神の深層心理を浸食していた怠惰な日常の記憶容量を消し去った。

 そんな、えも言われぬ不可思議な快感に浸っていたら、一刹那のうちに僕の中から全てがまっさらになって。

 それこそ、自分の名前は勿論、自分が一体何処からやってきて、何処へ還るのかというようなアタリマエをも、総て凡て、些細な塵のような一片の記憶すら驚くほど限りなく、途方もなく無惨に浄化した。

 僕は、遊離していた意識をそっと掴みとり、我に返ろうとした。

 瞼の隙間から差し込む優しい光が、僕を覚醒へと誘った。

 目を開ける。背中に湿り気を帯びた柔らかさと、若干の冷気を感じた。

 僕の寝床はびっしりと大地を覆い尽くしている苔の上だったらしい。

 仰向けになっていた身体で、僕は辺りを一周、見回してみた。

 結論。我に返ろうとして、一段と我を忘れてしまった。

 そこは、無限に広がる鬱蒼とした密林だった。記憶を無くしたとはいえ、知識の欠如はさほど見受けられなかったはずだった。(というのも、僕自身が着ていた服の柄や靴の銘柄は自然に思い浮かんだからだ)

 薔薇が紅の華を実らせ、茨の棘を有していることは知っていたし、人間が空を飛べないこととか、あくまで知っていること(常識というべきだろう)に対しての欠如はなかった。憶えていることは無かったが、覚えていることは無数にあったはずだった。

 だからこそ、だろう。無駄に有していた知識が現状の特異さを裏付けていた。ここは、僕が住んでいた世界ではない、と。僕は、記憶を失う以前に××という天体に住んでいたらしい。記憶として残っていないから「らしい」としか言えないが。

 目の前に広がるその風景は、××の常識からは、明らかに常軌を逸していた。

 眼前にそびえ立つ、全長一〇〇メートルにも届きそうな巨木の連なりが、異常さを物語っている。

 いいや、その二倍や三倍の高さを誇る巨木が悠然と屹立し、無数に連なっている。

 遙か上空に見える木々の隙間からは、青白い光が射し込んでいる。

 太陽……ではないだろう。

 ××の活力だった陽光は、肌に温もりを感じさせていたはずだ。

 頭上から、青白い斜光が降り注ぐ。辺りには、静謐の空気が流動していた。

 光が、闇に沈み。森の奥に静謐の時間が訪れる。空を見上げれば、木々の隙間から、無数に煌めく流星の尾が見えた。さっきの光はあれらの星々が放ったものなのだろう。

 ――ここは、何処だろう。

 至極当然、面白味の欠片もない疑問が僕の中で浮上した。ようやく思考が現状に追いついたのだが、残念ながら理解は未だ追いつけていないようだった。

 だが、そんな些事などいざ知らず。運命様は何の前触れもなく、匙を投げたらしい。

 落ち着きを取り戻しながら、・・・・・・背中に僅かな振動を感じた。一定周期を重ね、その響きは、徐々に重奏をなしていく。紛れもない、地響き。地震とは種の違う律動だ。

 誰かが、何かが、苔の大地を揺らがしていた。

 重い身体を持ち上げるようにして、起きあがってみる。

 もう、そのときには僕の真上をその影が、覆い尽くしていた。

 ――え。

 終わりだ。そう、確信した。

 それは、熊と狼を足して、二乗したような風貌のバケモノだった。ケモノだった。

 目の前で、牙を剥き出しにした巨獣が涎を垂らしながら、その顔貌には狂い嗤いが張り付いているように思えた。

 そして、 僕に向かって、

 禍々しい、銀白の爪が、

「GAAAAAAAAAAARRRRRRRRRR!!」

 猛る咆哮が、炸裂した。

 鋭く、人外たる膂力をもって放たれた五本の刃が、僕の腹を貫通し、内蔵をさも簡単そうに、深く抉っていた。

 脳漿がかき乱されたような、酷い吐き気だった。

 酷く、激しい熱を帯びて。それこそ、僕の身体を融解させてしまうくらいの熱量が迸っていて。

 痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!!!

 言語領域から放たれた単純な単語の羅列。一瞬だけ意識が飛んでいた。――思えば、永遠に意識を失っていたら、苦しみを味わうことなくまだ、幸福だったかもしれない。         

 ――意識が戻った瞬間、地獄の苦しみを味わうこととなったのだ。

 右腕が、ない。あったはずの僕の片腕は、化け物の牙で蹂躙され、噛み尽くされ、骨の髄までしゃぶられ果てた挙げ句、強烈な胃酸をしとどに溢れさせているだろう、飢えを満たせる喜びに満ちているはずの胃袋へと放り込まれた。

「あ、あ・・・・・・」突然の出来事。頭は刹那、真っ白になっていた。だが、腕がない事実に気付いてしまったが為に。地面に溢れかえった自身の血溜まりに目を向けてしまったばかりに。――――――痛みは遅れてやってきた。

「あっあ、あっあううああああああああああああああぁぁぁっ! ああっ!!」

 無意識という名の痛み止めはあっさりと途切れてしまっていた。残るのは、無数に無惨に無慈悲に絶叫をあげて地面を這いずり回り、痛みに悶え苦しむしかない、虫けらのように惨めな僕だけだった。

「GAAAAAAAAAAARRRRRRRRRR!!」――、がっばっ、げごぼふっ!?!?

 狂いに狂った、言語領域から吐き出される不協和音。

 あるいは、歯車を奪われた人形の、慈悲を求める叫び。

 あるいは、暴食なる、狂乱の獣による嘲笑的な絶叫。

 あるいは、それらを併せ持った二重奏。絶叫と嘲笑の二重奏。

 助けはない。何せ、深く鬱蒼とした森の中だ。人里から果てしなく離れているような、自然の自然による自然の為の不可侵領域。

 きっと、誰も助けなんか来ない。過度の期待は、超過した絶望を引き起こす。

 ただただ、空虚に絶叫が木霊する。

 ここが、死に場所なんだろうな、とふと、そんな弱気な考えが頭をよぎった。だからといって、その発言を否定する気力もなく、僕はたゆたう意識へと、今度こそ自我を放り込んだ。

 そして世界が、暗転した。

 瞼の奥の漆黒を徐々に緋色が浸食する。

 風化していく、自分の骨と髄と血と肉と魂と存在と。

 死、一色に塗りたくられる生のキャンバス。

 極彩色に塗れ、汚れきった生命の色。

 ふと、痛みの波が徐々に収まる感覚を覚える。

 瞼の鉄錆び臭い体液を鉛のような腕で拭う。重く閉じていた瞳の隙間から僅かに虹色が差し込んでくる。そして、僕は目を開いた。

 ぼんやりとした視界に、焦点補正がなされていく。幻想的な光源が僕の周りを囲み、揺らいでいた。光。見紛うことなき、七色の。半球状の膜の中で僕の身体は一命を取り留めていた。いいや、それよりも。

 痛みが緩和していく……? 感覚が無くなっていくのではなくて、痛みが癒えていく。噛み砕かれ、獣に丸飲みにされたはずの腕を見やれば、急速に光の礫が収束していた。傷口に付着したそれらは、徐々に縫合されていく。僕の身体が、再構築されている。ああ、まるで、魔法みたいだ。と無味乾燥な、何の捻りもない感想が、渇いた口からこぼれそうになって。その直前だった。

「安心しなさいよ。ここからは、英雄の領分だからね」

 硝子のように透き通っていて、鋼鉄の如く、揺らがぬ意志が込められた、少女の声。

 ……そんな可憐な声の一押しで、不思議と瞼が重くなっていった。意識が遮断される直前、膜の向こう側で剣を握る影が、僕に背中を向けていたような気がした。小柄で華奢な影。両手で握っているのは、細身の両手剣。――きっと、夢なのだろう。だって、その声は、人間のそれとは思えないほどに清く、高らかで何より、無尽蔵の意志、正義が込められていたから。

 ――いいや、そうじゃない。そうじゃない!! あの体躯で、先の巨獣を仕留めるなんて、『常識的に』不可能だ! 今すぐ逃げてもらわないと、僕はおろか、目の前で剣を構えている少女まで黄泉の世界へ道連れだ……!?

「に、げ……て、くれ」喉は潰れていた。右腕が喰い千切られたときに叫び過ぎたのだろう。だが、この声を届けなかったら僕は、きっと天に召されない。赤の他人を巻き込むだけは御免だった。

 ふと。眼前で臨戦態勢にあった少女が僅かに振り向く。視線が衝突する。蒼玉のような瞳が見下ろしてくる。いいや、睨んでいた。自尊心を削られた戦士のような、力の籠った、威嚇のための睥睨。「いいから、怪我人はさっさと眠りなさい!」

 怒気が放出され、直後。――ガゴンッ、と頭に鈍痛が響く。勢いよく蹴りを入れてきた右足。年季モノのブーツの靴底がだんだん視界から遠ざかっていく。元々、意識が朦朧としていたから、そんな軽い一蹴で僕の意識はぷっつりと途切れてしまった。

 ちなみに、そんな一騒動が僕と彼女の馴れ初めだったとする。自分で言うのも何だが、印象最悪のハジマリだと思う。

 

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