the opening of the war 4
僕はいつもビクビクしていた。
誰に対して?
僕の周りにいる人全員にだ。
クラスのみんなに、担任の先生に、道行く人に。
そしてあの人に。
僕はみんなが怖い。
みんな、あの人みたいに突然僕に暴力を振るうようになるかもしれない。
だから僕は、誰とも遊ばず、話もせず、目も合わせず、ずっとうつむいている。
昼間、僕はずっと一人。学校でも、家でも。
夜になると、あの人が仕事から帰ってくる。
普通は僕と一言も話さずそのまま寝てしまうけれど、時々お酒の匂いをさせて帰って来て、僕に暴力を振るう。
どうしてあの人が僕を叩くのか、僕には分からない。
だから叩かれている間、僕はただうずくまって「ごめんなさい」を繰り返すことしかできない。
だんだんあの人がお酒を飲んで帰ってくることが多くなって、僕の体には常に傷や痣があるようになった。
それを隠すために、僕は夏でも長袖を着た。
何度も誰かに言おうとした、でも言えなかった。
誰かに言えば、きっとこんな日々を終わらせられる。
でもそうしたらきっと、僕はあの人ともう一緒には暮らせない。
僕はお父さんだけじゃなくて、あの人まで失ってしまう。
だから僕は目を伏せてじっと我慢する。あの人がまた優しい『お母さん』に戻ってくれる日まで。
あの人は、僕がお母さんと呼ぶと叩くから、お母さんとは呼べない。でもいつかきっと、またあの人のことをお母さんと呼べる日が来ると、僕は信じてる。
朝起きると、あの人はもう家を出て仕事に行っている。
自分でパンを一枚焼いて食べて、学校に行く。
学校では、クラスメイトも先生も、みんな僕を変な子だと言って笑う。
(………違う。)
学校からの帰り道、長袖を着て手や足が痣だらけな僕を見て、大人たちは僕を変な目でじろじろ見ながら、ひそひそと話をする。
(…違う。)
学校から帰って、夜ご飯はコンビニで買ってきた弁当で済まして、あの人を待つ。
今晩も、あの人はお酒のにおいを纏って帰ってきた。あの人は僕を見ると、ニタリと笑って近寄ってくる。
(違う。)
あの人は何度も僕を叩いて、蹴る。蹲り、ひたすら震えて謝る僕を見て、あの人は喜びでさらに顔を歪めて手を振り上げて…。
「違う!」
僕は…いや、俺は振り下ろされた手を片手で受け止めた。
「あの人はそんな顔していなかった。あの人はいつも俺を見ては親父を思い出して苦しんで、おびえる俺を見ては苦しんでいた。苦しみで顔が歪んでいたんだ。俺を叩いて喜んでなんかいなかった。
あの人の平手はもっと痛かった。あの人が苦痛で顔を歪めるたびに、俺は体よりも心が痛かった。
今なら分かる。あの人だけじゃない。クラスメイトも、先生も、周囲の大人も、みんな僕を心配して、でもどうしていいのか分からなくて、何もしない自分を責めて苦しんでいた。
あの頃の俺は、それに気付かなかっただけなんだよ!」
もっとも、今更気付いたところでどうしようもない。あの日々はもう終わった、最悪な形で終わってしまった。
またあの人を「お母さん」と呼べる日は、来なかった。
「俺が全部壊しちまったんだよ。俺はもう、二度とあの人には会えない。
だから目の前にいるあんたは、あの人の『偽物』だ。」
ピキリ、と音を立てて偽物のあの人の顔にヒビが入る。
「あの人の顔で…。」
俺は右の拳を握りしめて。
「そんな顔で笑うんじゃねえよ偽物がぁ!」
思いっきり偽物の顔を殴りつけた。
顔が割れ、剥がれ落ち、真っ黒な顔を露わにしながら偽物、黒いマネキンは飛んでいって壁に叩き付けられて、粉々に割れた。