戦闘描写、戦闘シーン、バトル に関する考察(仮考察)
そろそろ一年になる。
元々戦闘シーンを書きたいがために文筆始めたというのに、なかなか自分なりの理論が構築できない。
考えたところ、戦闘描写というのは結局その物語に対して、どのような立ち位置にあるかから始めなければいけないのだろう。戦闘は主に主人公の意志、主張、力、そういったものが作品中で迸る部分であり、作品内における主人公の成長を分かりやすい形で見せる部分である。弁論なり、武器で直接戦うなり(あるいは兵器で戦うなり)、なけなしの勇気を出して立ち向かうなり、試合をするなりは結局は戦闘シーンであり、物語の山場である。当然こういった戦闘シーンを書き始める時は、その戦闘でどんな変化がもたらされたのか(または変化を見せるのか)を見せないといけない。ただ戦闘を書くにしても、勝利によって主人公の目的が達成されなければいけない――そう考えると、戦闘シーンにおける準備はすべからくその物語を書き始めた時から始まっている。戦闘シーンの戦いはシーンのずっと前から始まっているのだ。
以上の観点から言えば、戦闘シーンそのものをとって「スピード感がある」「緊迫感がある」というのは一概に言えない。戦闘が始まる前には(もちろん途中から行うパターンもあるが)スピード感や緊迫感を出せるよう、物語の流れそのものに気を配るべきであろう。それをして始めて、戦闘シーン自体の描写や、書き方の問題になってくるだろう。
……と、思うよ多分な今日このごろ!
実際戦闘描写は非常にデリケートで、どんな内容をどのくらいの密度で書けばいいかという問題は常にある。私なんぞは去年ようやくまともにこちらに登録して書き始めた程度で、先達が考えて分からなかったことを理論化できると思う時点でまだ青い。気がする。
そして実際、戦闘の文章が上手いとも言えない(去年書いた「Element」を見直して自己嫌悪になった。あれを書く前は10年以上前に手書きで1作書いたことがあるキリで、中間の時期は何も書いていない。なのでほぼ初心者レベルでセオリーとか注意するべき法則がまったく分かってない。最終的に戦闘がダラダラ長引いてエタったため、今リライトできるよう修行中である)。
(ほんの少しで良いから、もっと上手く書けるようになりたい)
その上で、今まで読んで学んできた本の内容を元に、戦闘描写に対する法則を自分なりにつづれたら良いと思う。(ただ勉強中なので後のち変更、取り消しは多々あると思う)
まず、文章には二つの面がある。
一つは伝達性、もう一つは表現性だ。
伝達性とは文章の平明さ、分かりやすさ。表現性とは主に、自分の中にある思想や感情を外に出すことを言う(「例解 文章ハンドブック」より)。
文章とは、この二つの面のバランスにより成り立っている。
伝達性によりウェートが置かれれば報告書や論文といった傾向が強くなるだろう。逆に表現性のウェートが大きければ、より小説に近い形態と言える。
小説はもちろん表現性寄りで、純文学とライトノベルを比較した場合、個人的なイメージとしてはより純文学が表現性のウェートがあると思われる。これはライトノベルが読者層を十代にターゲットとしてる点から考えている。
そして、これまたイメージ的な考え方になるが、表現性によりウェートが置かれる小説内で、特に剣などの武器同士でぶつかりあう戦闘は、その描写レベルが上がれば上がるほど、作品内の伝達性ウェートが増すように思われる。
特に激しい攻防を描きたいときは、何が起きているのか分からないではNG。それまでの文体がどうであれ、本格的な戦闘を書く場合はより分かりやすく表現に気を付けるのが良いと思われる(あくまでその作品内に置いての、匙加減レベル)。
続いて、分かりやすさを意識した上で文の調子のパターンを考える。私は主に二つあると考える。流麗な調子と、簡潔な調子、二つのスタイルだろう。この二つの調子の文を使い分けて、戦闘描写を織りなす。
ここで言う流麗な調子とは、言いかえれば長いセンテンスになりやすい文章のこと。文章内における単語同士のつながり、センテンス同士のつながりが目立たないようにすることで、文章を続けていく(意味合いは若干違うが、谷崎潤一郎著の「文章読本」より説明している)。反対に簡潔な調子とは流麗な調子とは反対で、一語一語をはっきりとし、センテンスの短い文章にする。
要は、長文と短文を考え、その二種類を組み合わせで構成しろという話だ。
流麗な調子の場合は、接続語に気を付ける。接続詞よりも接続助詞、接続助詞よりもより接続の役割をしない語を用いて、なだらかに文を続ける意識を持つことが重要だ。接続の役割を本来もたず、しかも文を続ける方法としては何種類か方法がある(指示後を使ったり、接続詞の省略形、上の文の語句を重ねて次の文を書くなど等……)が、流麗な文の調子に最も合い、安心して使えるのは連用形の中止形だろう。ただ接続助詞でも十分使えるし、例えばその意味合いとしての並行関係、因果関係の仮定と確定、さらには順節と逆接などにも気を付けて使えば、問題ないと思われる。
反対に簡潔な調子で気を付けることは、文末に対してだろう。文末に「た」とすることは響きが強く、歯切れがよい。連続で文末「た」とすると、内容次第だが調子も生まれる。体言止めや倒置法も文を強く切る印象が強い。そうして文の流れを作らず、切るように印象付けるのが簡潔な調子である(文末ではなく文頭に「それは」として強調する方法もある)。
かなりはしょったが、流麗、簡潔という二タイプの調子があるということにする。戦闘描写は基本的に、この二タイプの使い分けを、組合せを意識すれば大抵のものは書けそうな気がする。気がするというのは、私自身が今この辺りに入ったばかりで、思考錯誤しながらいろいろ試し、効果を測ってもいるところだからだ。どのような組合せがいいのかは、まだ見当がつかない。さらに発展するには、たとえば芥川龍之介「羅生門」の冒頭付近で見られたような現在完了時制を利用したスピード感の確立。読者が予想した出来事を文章中でわずかに遅延させることで緊迫感を増す焦らしの方法。あるいは改行や修辞技法を用いたり、(「文章読本」で谷崎氏が述べていたが)字面や音調の美を取り入れることで、読者の記憶を助けたり理解を補うテクニックが効果があるのではないかと感じている。
映画的なカメラ目線を考えることで緊迫感を創出する一助にもなるだろう。
長々と、そして分かりづらく書いてしまったが、どちらかといえば自分の構想用メモなので、このような分かりにくさ(あるいは独りよがりの意味不明文)という形で良いかなと、思う。
真剣にやるとしたら、それこそ「戦闘描写の書き方」講座みたいになってしまうので、それはまずい気がする。そんな権威も経験もない(ただバトル系のものは、ちゃんとしたものがない印象があるが)。




