異世界に行く機械
前回から二週間近く経ってしまった。
その間……大したことは何もなしてない(汗)。ここでない場所で文章書いたり、隙間時間に本読んだり、本読んだりもしてたけど……記憶に残っているのは机周りを掃除したこと。
要するに個々の作業に悪影響を及ぼしかねない、ダメな状態だったという恥ずかしい話。
そういえば整理整頓という言葉では「整理=捨てること(物を減らすこと)」で、よく使う「乱れた状態にあるものを整えて、きちんとすること」という意味は「整頓」が担当している。
かたづけ士の言葉によると、整頓よりも整理に比重を置くのがセオリーのようで、確かに捨てればその分のスペース確保ができるので、捨てる方が良い。「一気に片付け」はダメな性格なのだが、同じような人はやはり一定数いるようで、こういう場合はこまめに小規模掃討戦を重ねていくのが良い。目につく場所から減らしていき、置いてた書類やら何やらを取り払った後には机の木目が(久々に)見えてくる。意外とイケメンな机(当社比)だ。
文章を書くときと、大体同じでもあった。推敲してそぎ落として、ようやく読みやすそうな文章になる。経験が増えてくると最初からややそぎ落とせた文章を書ける人もいるそうだが、どうにもその域に到達するにはまだまだ遠い。
遠いと言えば、オーバーラップには無理そうな気がしてきた。
元の世界も、練りきれてない面はあるのだけど、異世界というのがやはり難しい。政治なり宗教なり、歴史なり地理的事情なり、バックグラウンドがどうも今一つピンとこない。
たとえば複雑にするだけなら、前々回の信奉されてる神が十ある~みたいなもので十分で、そうなると対立または共存できる信者集団が大まかに十できる。そのひとつひとつに対して教義から習慣など考えていくと、身がもたない。たぶん小出しで考えながら進めるか、限定状況下でストーリーを動かして、明確に信者に遭うまで時間を稼ぐか……。そもそも信者と会う必要があるのか。でも仲良くなった一般市民が敬虔でなくても何かしらの信者だったという可能性は普通にあるわけで。ううむ。
そういえば無宗教の世界なんてあるのだろうか。日本人の多くはやや揶揄されるように、無宗教と(あるいは多宗教?)言える。または学歴信奉の一神教とか、独裁者の一神教とか。ファンタジー色が強くても、たとえば森の神とか精霊にうんたらかんたら、たとえば自然災害に等しい龍をあがめたてまつってうんたらかんたら……。グイン・サーガなどは多数の神と信者を書いてた気がするが、あそこまでやり込む作品というわけでも、ない(きっと詰めたことの八割は書かないで終わるだろう)。
乱文になってきたので、この話は置いておこう。
もっとキャラ主体、ストーリー主体に考えてみるべきなのだろう。整理整頓中に見つけた昔の話のネタなどを漁って、ヒントが見つかればいいのだが。
(現在決まっていること:サルベージ・コール)
・主人公は現状に不満(不安)を持っている。同じく各自の思惑や状況に置かれたクラスメイトたち。彼らは現在一致団結していないが、当面の目的を達成するという共通の意識があり、ともにいる(と思われていた)。その目的達成に都合が良い道具が、仮想現実の世界と、それを作り上げる機械である。或る日、主人公以外のメンバーは魔法現象に巻き込まれ、異世界に「転移」してしまう。原因究明が進められる一方、クラスメイトが転移した世界は仮想現実としてシミュレートしていた世界に酷似していると分かる(このあたりに明確な理由と納得できる内容が必要)。この世界に転移魔術などない。しかし仮想現実を構築する機械を使って、転移の原因とクラスメイトの救助ができるかもしれない。現状機械に登録しまともに動かせるのは主人公のみ。主人公はクラスメイトを救助するため、単身仮想現実(しかし実際にある異世界)へと向かう。
詳細はおおむね省いたが、これが現状の骨子。
今回ストーリーを考えるにあたりやりたかったのが「仮想現実の機械を使って、異世界に疑似トリップ」すること。
課題は主人公が異世界に行くまで時間がかかる可能性があるため、どれだけ無駄を省けるか、どれだけ異世界に行くまで読んだ人を引き寄せる「何か」を書けるかということ。
主人公の立ち位置については、約20年前「天才てれびくん」で放送していたバーチャル三部作のひとつ、「ジーン・ダイバー」にヒントを得ている(パクリではない)。仮想現実を使う主人公たちが一般的な立場でないこと、そのため救助に向かえるのが「経験や実力もある年配者」ではなく主人公にしかできないという必然性を出す必要があったからだ。
上記の事を、できれば通常ライトノベルの一章分(予想三十ページくらい。二万~二万五千文字内くらい?)以内に納めたい。そのため六人いるクラスメイトのうち、まともに描写できるのは多くて二、三人。それ以外の関係者も重要な人物一名+αくらいだろう。
とりあえずここ書いていこう。もう間に合わなそうだけど。
話を変えて、「バーチャルの世界に入る」行為を媒介する機械について。
今年のたしか6月10日ぐらいだったろうか。ソニーが「プレイステーション4で仮想現実」という新聞記事があった。写真には試作品の「ヘッドマウントディスプレー」があり、体を左右に動かして操作するというもの。
俗になろうサイトで「VRMMOマシン」というのは、こういうのか、「卵型の機械」というものが多い気がする。「卵型の機械」は名探偵コナンの映画「ベイカー街の亡霊」にでてきた仮想体感ゲーム機「コクーン」などがあるだろう(ストーリーとしては、ゲーム内入った直後に人工頭脳に乗っ取られれ、子どもたちは人質にされてしまう)。
あるいは「ジーン・ダイバー」では部屋に巨大装置があり、仮想現実に行く際は装置にいる主人公ユイは消えたように(量子分解されたように)見える。
せっかくなので、最近読んだ「水を打つ」(堂場瞬一著)から得たヒントを元に、以上の二つとは違う仮想現実の機械を考えてみようと思う(ちなみに「水を打つ」はオリンピック競泳の話)。
仮想現実に関わる人間は特殊な立場とした。なぜなら以上のような専用の機械を装着、あるいは専用機械に入る場合は、その機械を作れる科学水準が相応に高いことが予想され、自然と社会も我々のいる現実世界より進んだ時代を想定することになるからだ。
VRMMO系マシンを使ってたらゲームの世界に来てしまった(あるいは戻れなくなってしまった)という場合、元の世界が描かれる事が少ない原因の一つとして「発展した社会を描くのは難しい」というのがあると思われる。主人公がどこにでもいる高校生だと、書きこむほど違和感を感じてしまう可能性が高くなる。発展した社会をそつなく書かないといけないから。
反面、特殊な立ち位置だと、少し書きやすいと思う。
新技術のゲームといっても、「ヘッドマウントディスプレー」のように体感が現実世界にあるのならともかく、「本当に別の世界に自分がいる」という体感を得られる機械があれば、それはもちろん高価格であろうが、同時に心身に与える影響を度外視できない。一般に出回る前に確実、医療か軍事の分野で真っ先に利用されるのではないだろうか。
一人の兵士を育てるには、弾丸が沢山必要だ。演習する広大な場所も必要だ。現実と同じ体感がえられるのなら、弾丸の実際消費もなく訓練地も必要ない(そして自前で何度でもミッションのシミュレートができる)仮想現実を使うのがより現実的だろう。機械のコストパフォーマンスはさておき。
同様にリハビリなどの社会復帰活動。手術のシミュレートによる医療従事者の技術育成など。植物状態や記憶喪失の人の治療に使われたり、終末期医療などにも利用できそうな気さえする。その他の方面でも寝たきりの人の世界旅行や、教育ならテレビ授業よりはるかに効果的だとか……稚拙な発想しか浮かばないが、「最新のゲーム」ですよと世にでる前に、先端技術として各方面で使い回されることが十分予想される。少なくとも逆の現象はないというか、書かれても嘘くさく感じてしまう。リリースする企業だってその方が儲かると考えるだろうし、気付かないはずがない。
私はたとえば川原礫氏の作品はまだ見たことがないが、世に出回っている仮想現実の作品は、主人公が一般人であるならば社会など、上記の内容をなにかしらクリアできるよう書いてあるはずだ、と考えている。
というか今回の作品作成にあたって、有名どころは目を通さないとまずいか……(汗)
話を戻して、逆に特殊な立ち位置(軍人だとか、重度の病人だけど親に科学者の知り合いがいるとか)だと、そういう問題も解決できる場合があるのでは、ということです(日本語がめちゃくちゃだ)。
そして特殊な立ち位置を利用することで、より有能な人物にバトンタッチすることなく、問題を解決するため主人公が動くしかない必然性を生ませることもまた、やりやすいと感じます。
そんなことをつらつら考えながら、今日はこの辺りで。
※毎度日本語や話の流れが変ですが、構想メモというタイトルの威を借りて、このまま書き殴る形でいきます。本来エッセイの括りなので、そのへんはちゃんとせねばならないのですが。興味を持って読んで下さった方には、本文のぐだりぶり申し訳ありません(汗)。




