地獄の釜の蓋が開く
以前部誌に投稿した作品です。
「……もう、ダ、メ……」
がくり、と娘の頭が落ちる。
「!! メティー!しっかりするんやっ!!」
「い、イファ……あと……よろ、…しく……」
「メティー!? メティ―――――――――!!」
甲高い、子供の様な声が、悲痛に叫ぶ。
その光景を、アルは、涙でかすむ目で見ていた。
◆◆◆
この度、町内の飲食店が合同で「辛いもんラリー」なる企画を行うことになったそうだ。「辛いもんラリー」とは、各店がそれぞれ独自に提供するスペシャルメニュー(もちろん辛いやつ)を食べる度にスタンプが貰え、スタンプの数に応じて景品がもらえる、というイベントである。ちなみに、完走賞(つまり、参加した店のすべてのメニューを制覇した人への景品)は、な、なんと、町内のどの店舗でも使えるプレミアム商品券!!だそうな。お店にも、参加者にも、ウハウハな企画らしい。
アルとティナは、しげしげと宣伝チラシを見ていた。
彼らが勤務する食堂、【銀鱗亭】も参加するようで、店の主であるマスターはオリジナルメニューの開発に余念がない。
「どんなメニューになるのかな」
給仕係であるティナは、無邪気に顔を輝かせていた。
マスターが作る料理は、どれもおいしいので、新メニューの味見は二人の密かな楽しみであったりする。
「うーん、でも、今回のメニューって、すごく嫌な予感がするんだけど……」
アルは、渋い顔で厨房の方を見る。……何やら不気味な音がするのは、果たして気のせいだろうか………。
「……まあ、マスターが【赤竜亭】の人に対抗意識を持っているのは、確かだよね」
先日の彼らのやり取りを思い出したのか、ティナは若干引きつった笑顔を浮かべた。
と、突然、二人に凄まじいまでの刺激臭が襲いかかった。
「――――っ!!」
「んがっ!! わっ、なんだ!?これっ!!」
アルもティナも、咳き込む。喉や目や鼻の奥、皮膚よりも弱く敏感であろう粘膜の部分に、激痛が走った。
「フッフッフッフ」
マスターの、不気味すぎる笑い声が響き渡る。
――マスターにイファとメティーがうつった。
その光景をかすむ目で見たアルの背に、戦慄が走った。
ところで、イファとメティーとは、六十センチの特大ハムスターと金髪娘という、変わった、且つ、はた迷惑なコンビのことである。
毒ガスの中でも動き回れそうな重装備のマスターは、刺激臭の発生源を持っていた。
――いつも【銀鱗亭】で使われている、深皿に盛られたそれは、世にも不吉な赤色をしていた。
「……マスター、それ、何?」
喉の痛みのせいで、質問はとぎれとぎれになった。
「イベント用ノメニューダ。名前ハ地獄ノ釜とイウ」
いっそ清々(すがすが)しいほどに、マスターが言い切る。
「げほっ。…食べ物の、名前、じゃ、ないよね……」
咳をしながら、ティナが控えめに指摘した。
あの料理を通り越した存在のせいで、ティナは涙が止まらなくなっている。
「えー、そんなの、出すの?」
客が来なくなるよ、という、アルの言外の主張は、マスターに気づいてもらえなかった。
「フフン。【赤竜亭】ノメニューよりモ断然辛いゾ」
マスターは、妙な対抗意識に囚われてしまっているらしい。もう、メニューの客受けなど、度外視している。
「……辛いのもここまできたら、凶器に近いね……」
ティナが、泣きながらメニューについての感想を漏らした。
◆◆◆
「辛いものラリー」なんて大っ嫌いだ。
イベントが始まり、一週間。
アルの心の中の愚痴の頻度は、ウナギ登りであった。
もちろん元凶は、『地獄の釜』と名付けられた、スペシャルメニュー。
最早、凶器どころか兵器になるのではないか、といわれる辛さである。
ただ運ぶだけでも大変負担になるらしく、ティナが寝込んでしまった。
だから、アルがティナの仕事を兼任する羽目になってしまっている。正直、あれを運ぶぐらいなら、アルもいっそ寝込んでしまいたかった。それなのに、さっさと彼の刺激臭に適応してしまった自分の身体が恨めしい……。倒れたいのに、倒れられない。
アルは、憂鬱な溜息をついていた。
下手をしなくても、辛さのあまり、食べる前から悶絶しかねない料理なのに、注文する者が絶えない。物好きが多すぎだろ、とアルは胸の内でぼやく。
実は、完走賞のプレミアム商品券はかなりの額であり、それを目当てに『地獄の釜』注文する者が多く出ていた。しかしながら、それを完食できた者は、未だにいない。
「やっほー!」
「アルー、久しぶりやーん」
能天気な、そして、よく知った声がした。見ると、金髪の娘が店に入ってきていた。彼女は、パタパタと前足を動かす、大きなハムスターを抱えていた。
「げ。イファとメティーじゃん」
アルは、条件反射的に嫌そうな声を出していた。今まで、このコンビによる数々の被害にあってきたが故である。ちなみに、金髪娘はメイティアといい、ハムスターの方がイファルドという。
「その反応はなんやねん!」
びしっとイファが突っ込むその横で、
「ラリーのスペシャルメニューお願い!!」
メティーは『地獄の釜』を頼んだ。
「……やめといた方いいよ」
アルの顔が引きつる。
近くのテーブルでは、『地獄の釜』を一口食べた客が轟沈していた。また違うテーブルでは、驚異の激辛料理を前に、客が食べる前から打ち臥している。
「何ゆ―てんねんっ!! ここで辛いもんラリーコンプリートやねん!」
「ここの食べたら、商品券ゲットなんだよ! タダ食いし放題だよっ!!」
殊、食べ物に関することになると、見境のなくなるこのコンビを止める術は、アルにはなかった。
「……知らないからな………」
アルは溜息交じりにいった。
◆◆◆
皿の中の赤い液体から出る湯気は、嫌になるほど涙を誘う。
目と鼻の奥の痛みに耐えながら、アルはスペシャルメニューをメイティアとイファルドが座るテーブルに運んだ。
「うっわー、すごい色―――、むはぁっ!?」
メティーが、その刺激臭をうっかり深々(ふかぶか)と吸い込んでしまい、鼻を押さえた。
「き、強烈だね~……」
すでに涙目になっている。
「――ふっ、相手にとって不足なしや!!」
イファは勇ましくスプーンを突き上げた。
それからは、双方ともしばらく無言だった。
イファもメティーも、紅き地獄をせっせと口に入れていた。ただし、彼らの顔には苦悶の表情がありありと浮かんでいる。しかしながら、今まで二口目を食べることができた客がいなかったことを考えれば、充分快挙である。
どちらも水をがぶ飲みしていたため、アルは、水差しを何度も変える羽目になった。
沈黙は、突如破られた。
「……もう、ダ、メ……」
がくり、とメティーの頭が落ちる。
「!! メティー!しっかりするんやっ!!」
「い、イファ……あと……よろ、…しく……」
「メティー!? メティ―――――――――!!」
イファの悲痛な叫びが、店内に響き渡った。
「いや、そんな無理してまで食べなくてもいいだろっ!」
アルの突っ込みは、最早メティーの耳には届かない。
「くっそー、メティーの敵や!!」
イファは、勢いよく、半分ほどに嵩を減らしたそれに向かっていった。
そして―――、
「ふっ、ひょろいもんひゃ」
イファルドの皿は、空になった。
ちょろいもんや、と言おうとしたようだが、舌が馬鹿になって呂律が回らなかったらしい。
「そんな無理しなくても……」
アルは、呆れ半分感心半分に溜息をつきつつ、イファの応募用紙にスタンプをついた。
イファは、ぐったりとテーブルにうつ伏せになっている。
「チッ、完食されたカ」
「完食できるの作ろうよ、マスター。ここ、食堂なんだし」
悔しそうなマスターに、アルは突っ込む。
と、火が燃えるような音と共に、焦げくさい臭いが広がった。
「へ?」
顔を向けると、何故かテーブルの半分と店の床の一部がなくなっていて、床の上に転がったイファルドが、口から炎を吹いていた。
「!!」
アルは咄嗟に、イファルドの頭と顎を押さえつけた。
「な、なんでこんなことに?!」
アルは狼狽して叫ぶ。
ちなみに、こんなとき一番騒ぐはずのメティーは、未だに撃沈したままである。
「タブン、隠し味ノ火竜草だナ」
「マスター、食べるの入れようよ!!ここ、食堂なんだから!」
火竜草とは、超が何個もつくような辛さで知られる植物だ。そして、この草は不思議な効能があり、一定量を食すとしばらくの間口から火を吐くことができるようになるのである。その火炎は相当な威力で、火竜草の名の由来ともなっている。つまり火竜草は、いろんな意味で必殺アイテムといえる。
無論、食用などではない。
イファルドが食べた料理の中に、その効果が表れるくらいの火竜草が入っていたらしい。
――マスター、どんだけ入れたんだよ……。
今まで『地獄の釜』を完食できた者がいなかったのは、当然と言える。
「? イファ、熱くなってない?」
ふと、アルは眉を寄せた。
気のせいではない。両腕で抱え込んだハムスターの温度は、確実に上がっていた。
溢れそうなものを押さえつけて、止めようとすれば、無理が生じる。
これは、火竜草の奇天烈な作用にしても、同じである。
「! 熱いっ」
イファルドの熱は、耐えきれなくなりそうなほどに、上がっていた。
アルは思案する。
このままでは、火傷してしまう。かといって、店の中でイファルドを放したら、火事どころか、大惨事になること請け合いだ。
「川!」
アルは店の外に飛び出した。
【銀鱗亭】の近くには、大きな川がある。そこは、幅も深さもあるので、火竜草の効果を打ち消せる、水が足りなくなるということはあるまい。
走るうちに、熱は限界を超えた。
川までは、あと少し。 アルは、抱えていたものを川に向かって放り投げた。
――ところで、水というものは、その状態によって体積が変わってくる。具体的にいえば、同じ質量の水の体積を一とすると、水蒸気の体積は千七百倍にも達する。
当たり前のことだが、これは条件によっては存外に危険をもたらす。
水蒸気爆発、という現象がある。火山などで、地下水が熱せられ水蒸気となったとき、それは急激に膨張して圧力を増し、遂には爆発を引き起こす。
その威力は、岩盤を容易く吹き飛ばすという。
その日、とある川で起こった謎の大爆発の轟音は、近隣の町や村まで届いたという。しかし、その割には爆発の被害は大層少なく、怪我人が一人と一匹出ただけだった。
失敗作の兵器の暴走、竜、もしくは精霊の悪戯、などなど、様々な憶測や噂が飛び交ったものの、真相は謎のままである。
※余談であるが、【銀鱗亭】の『辛いもんラリー』限定スペシャルメニューは、謎の爆発後、すぐに変更となった。
勉強中なので、何か感想を頂けるとありがたいです。