酒を飲んでも呑まれるな、という話
以前部誌に投稿した作品です。まだまだ要修行という感じですが、お楽しみいただけたら幸いです。
「マスター、何毒薬仕入れてるんだよ!」
雑用の少年に突っ込まれて、店主は苦笑した。
「違ウ。コレは『Go To Heaven』ってイウ銘柄の酒ダ」
店主の口調には、異国の訛りがある。
「……『あの世に逝け』って名前の酒って、どうなんだ?」
少年が首をひねる。そもそも、食堂で毒薬を扱う訳がない。
川で流された後遺症かどうかは不明だが、この少年はやけにどこかが抜けていた。
「『楽園の味』って意味ダ。これを飲めバ、楽園に行っタ気分になれるってコトダヨ。まあ、飲み過ぎれバ、死んダりスルけどナ」
「やっぱり、毒じゃないか」
少年が口を尖らせる。
店主は笑った。
「何だって、過ぎれバ体に毒なんダヨ。ソレは、飲む奴の責任ダナ。飲み過ぎナイ限り、酒ハ良いもんダゾ」
「ふーん」
少年は、適当な返事を返した。彼は酒を飲んだことがなかったので、その良さがいまいちわからなかった。
「そう言えバ、アルもティナも酒を飲んダことがナカッタカ?じゃあ、今夜仕事が終わったら、二人に酒をおごるカ。慣れるのは、早い方が良いしナ」
少年と彼らの同僚の少女の名前を出して、店主が提案した。彼らが住む国では、飲酒に年齢制限がなかった。
――後に店主は、この提案を深く後悔することになる。
◆◆◆
その夜。
小さな食堂には、明かりが灯っていた。
その周りで動く影達があったが、店の中にいる者達は、それらに気づいていない。
と、言うより、気づく余裕がない……。
「あははははははははははははははは」
「グスッ……。あたしってダメな子だぁ……ヒック………」
アルはひどい躁状態に、ティナは深刻な鬱状態に陥っていた。
汗が一筋、マスターの頬を流れる。
「麦酒一杯デ、こんなに酔うカ?普通……」
その上、二人が麦酒を飲んだのは、店で一番小さなコップだ。ウイスキーをちびちびと飲むときに使うものである。
マスターは、瓶に残っていた麦酒を飲んでみた。
何も起きない。ただの麦酒のようだ……。
「何も変なもんが入ってないってコトハ、アルもティナも酔っテいるノカ……?」
マスターは、二人を見た。
「ううっ……。皆に迷惑ばっかり掛けてるし……うええぇぇぇん……」
「あはははははは。なんか知らないけど、ダイジョブだって。ははははは」
落ち込んで泣いているティナを、アルが笑いながら慰めていた。
酔っ払いにはいろいろいる。酒が入ると、人が変わる人間も少なくない。
「それにしても、ヒド過ぎナイカ……?」
マスターは呟く。
酒が弱いにも程がある。何がどうなって、こんなことになったのか……。
ワライタケでも食べたのか?と聞きたくなる程笑いまくっていたアルが、いきなり立ち上がった。
「…ッテ、店の酒を飲むナ!アルっ!」
アルが、店のカウンター裏にあった酒を、ラッパ飲みし始めたのだ。しかも、麦酒より値段が高いウォッカ。
「コノ馬鹿給料から酒代引くゾ!」
マスターがアルを取り押さえた時には既に遅く、酒瓶は空になっていた。
「あははははますたーにゃまひゃってひゅ~」
呂律が回っていない。割とマズイ状態かもしれない……。
突然、店の扉が乱暴にこじ開けられ、覆面集団がなだれ込んできた。
「金出せやコラァ!!」
覆面集団の一人が怒鳴った。どう見ても、強盗だ。
マスターは頭を抱えた。悪いことは重なるらしい。
「そう言えバ、最近強盗が多発しているッテ聞いてタナ……」
聞いていただけで、実際に自分が被害に遭うとは、夢にも思っていなかったマスターであった。
一応、マスターは腕っ節に自信がある。客に酒を提供しているうちに、いつの間にか喧嘩慣れしてしまったのだ。
しかし流石のマスターも、酔っ払い二人を抱えて強盗達と渡り合うのは、分が悪過ぎる。
「早くしろ!!」
強盗の一人が叫んで、マスター達に刃物を向けてきた。
マスターは腹をくくった。こうなったら、命あっての物種だ。そして、店のカウンターの方を見た。
「まだ飲む気カ!コノドアホッ!!」
思わず突っ込んだ。
「あははははは、ひょっとだへはよ、マフハ―。あははははは」
どさくさに紛れて、アルがまた酒を飲もうとしていた。今度持っているのは、『Go To Heaven』だった……。
「待テ待テ、アル!!『Go To Heaven』ハ高かっタンダゾ!アル中になってイイカラ、違ウのを飲メ!!」
酔っ払いに、制止の言葉が届くはずもない。
アルは水でも飲むように、『Go To Heaven』を飲み始めた。
――余談であるが、『Go To Heaven』は、度数の高さにおいて酒の中でもトップクラスの逸品である。その味の良さも手伝い、『Go To Heaven』によって、本当に天国に逝ってしまう人もいたりする……。
アルの手から、酒瓶が滑り落ちた。
(一周しテまともにナッタ――!!)
マスターは驚愕した。
「何だ?お前等?」
強盗達を睥睨する者は、先程まで笑いまくっていた少年と同一人物だとは思えなかった。
笑いまくっていた時には顔が真っ赤だったのに、今は普段の顔色と変わらない。
『Go To Heaven』を飲む前と比べれば、まともに見えた。
が、しかし。
アルの緑色の瞳は爛々と輝き、妙な威圧感がある。
(……コノ迫力は一体何ナンダ…?)
素面では天然ボケが目立つため、アルのこの豹変ぶりに、マスターは呆気にとられるばかりだった。
アルの迫力に怯んだのか、侵入者たちも当初の勢いをやや失っていた。
アルが、少しばかり目を細めた。
「用がないなら、とっと帰れ」
強盗達は、この言葉を侮辱と受け取ったらしい。マスターが止める間もなく、一人がアルに襲いかかった。
――アルがいたことが、強盗達にとって最大の不運だったかもしれない。
◆◆◆
「…これ、俺がやったのか?」
アルが呆然と呟いた。記憶には、全く残っていない。
アルの手には、請求書の束があった。内訳は、酒代と店の修理代である。
「ちゃんト払えヨ」
マスターが不機嫌そうに言う。
その後、アルは、強盗達を一人残らず返り討ちにした。
のは良かったが。
全く手加減をしなかったため、強盗達と一緒に、店の中もめちゃくちゃにしてしまったのだ。
当然、修理代は壊したアル持ちになる。
「……記憶にないんだけど……」
「オレの記憶ニハあるゾ」
「…………お金がないんだけど………」
「給料カラ引いといテやるカラ、働ケ」
「……」
ひどい。とアルは思った。
――生まれて初めての二日酔いで、一週間寝込んだのに……。
恐ろしく高い防御力に対し、アルの中身がひどい虚弱体質であることを考えれば、あの大量のアルコールを摂取して、生きているだけでも奇跡に近い。
ある意味、自業自得ではある。
そうしてアルは、若くして借金を背負うことになり、もう決して酒を飲まないと、マスターに誓わされたのであった