『見守る会』結成秘話
他の作品に比べ、人物の容姿に関する描写が極端に少ないのはわざとです。
どうか、笑っていて下さい。
貴女の笑顔が、俺の幸いですから。
――ただ、その幸を願える相手に巡り合えたことは、彼の僥倖だ。
その女性がとうに誰かのものになっていて、彼が、愛する人を手にかけて、それでも満足して笑ってしまえる人間であっても。
◆◆◆
調停者に、片恋の相手ができたらしい。
それはいいのだが。
「――何故、会話だけで満足するのじゃ……」
目の覚めるような赤毛の少女は、地を這う様な声で呻いた。
「……彼女の笑顔が見れるだけで、十分だって言ってましたからね……」
少女に応える声は、沈痛なものだった。
「……ジャンって不能だったん?」
「不能と言うより、自分の正気を信じてないのでしょうね」
恐る恐る、と言う様な発言に、疲れた様な声が応えた。
「馬鹿な奴だよな。自分がする訳無いことに対して、どうして怯えるんだか」
独り言の様な言葉は、溜息交じりだった。
今話題に上がっている青年は、狂気を制するための狂たることを義務付けられた一族の末裔である。己の狂気を知り尽くしているために、彼は、自分が想いを寄せる相手を傷つけることを酷く恐れていた。――そんなことはあり得ないと、ここに集まった誰もが知っている。人としてのあらゆるものが欠け落ちた青年は、それでも、誰かの幸せを願える優しさを持っていた。
「兎に角」
話を変えるため、少女は声に力を込めた。
「このままでは、ウェインの直系が絶える」
少女はその金色の目で虚空を睨みつけた。
「――そして、あの人格破綻者の毒蛇女と殺戮好きの戦闘狂の子がウェインの名を継ぎ、新たな調停者となろうぞ」
重々しく紡がれた少女の言葉に、沈黙が広がる。
――それは勘弁して下さい。
それが、その場に集まった者達の心の叫びだった。ほぼ満場一致と言ってもよかった。
少女の言葉に出てきた両名の個性は、悪い意味で実に強烈である。たとえ鳶が鷹を生んだとしても、彼等の子供の人格が多少なりともましな方面に発達する可能性は、豚が空を飛ぶのと同じくらい有り得ないだろう。
――あれはない。流石にない。
先に述べた二人は、少なくともこの場に集まった者達が少女の言葉が実現することを想像した時、そんな言葉を心中で繰り返す様な人物達であった。
「……妾は彼奴等なんぞに、金輪際関わりとうない……」
ポツリ、と呟いた少女の身体は微かに震えていた。その目じりに浮かぶものは皆の情けから見ないふりである。――少女にとって、あの二人は人が抱える狂気の具現であり、苦い、苦い記憶達を呼び覚ます元凶であった。
「――だから、どんな手段を使っても、ジャンに子作りをさせるぞっっっっっ!!!!!!!!」
ナニカを振り切る様な少女の目は完全に据わっており、見る者に否を言わせぬ気迫に満ちていた。
「……どんな手段でも、というのは、一体どんな手段を使うつもりですか?」
冷静な突っ込みに、少女が固まった。
「とりあえず、相手を攫って」
「くればジャンは怒ると思いますよ」
何かを諦めた様な目で、数少ない突っ込み役兼暴走防止装置は少女を見ていた。
「あの子が第一に考えているのは、自分ではなく相手の幸福です。それを損なおうとするならば、あの子は貴女であっても容赦しないでしょう」
「……惚れ薬」
「も、駄目です。相手の意思を無視する気ですか」
少女は地団駄を踏んだ。
「主は妾にどうせよというのじゃっ!」
半泣きの少女に対し、その声は何処までも冷静である。
「唯一ジャンが納得するのは、相手の幸せが自分の傍らにあると分かった時でしょうね」
今はまだ、ジャンは相手の幸福が自分の傍にないと思い込んでいる。
「相手がジャンを好きになってくれるのが最上なのですが……」
そこまで言って、言い淀んだ。
現状では、相手がジャンに好意を向けるように仕向けるのは非常に困難なのである。――何せ相手は最下級とはいえ大国の側室だ。王の寵を受けようと受けまいと、後宮の者にはその主に操を立てる義務が生じる。はっきり言ってしまえば不義密通は大罪で、ことが露見すれば身の破滅は避けられないのだ。
だからと言って、ジャンに他の女性に目を向けろなどとは絶対に言えない。多分、ジャンは真竜や竜の眷属と同じように、生涯唯一人しか愛せない人間だろうから。
「……未亡人になれば」
「本当に止めてください」
色恋沙汰で国王暗殺計画を起てないでほしい。
「う~」
少女は唸る。彼女にとっては、もはや打つ手なし、と言った状況だ。
「それじゃ、できることから始めたら?」
割り込んできた言葉に、周囲の者達は首を傾げた。
「ジャンは相手と話できるんでしょ? だったらさ、好きになってもらえる可能性はあるわけじゃない」
「具体的に何をするのじゃ」
少女が胡乱気に尋ねた。
「えっとね、ジャンとお相手が話をするときに雰囲気を出すようにこっそり手助けするとか?」
「ん~、ついでに旦那とイチャイチャするのも妨害した方がええんやない? 相手には悪いんやけど、子供ができたら余計にジャンとくっつくの難しくなるやんけ」
「その前に、相手の身の安全を確保することが先ではないですか? 情報によると、王の寵愛をうけたことが無いようですし、子供云々よりも彼女が害されないよう気を付けた方が良いと思います」
「旦那以外の悪い虫がいたら、追い払うべきだろうな」
他の者達も、口々に自分の意見を口にする。
突っ込み役が手を叩いて、周囲の注意を己に向けた。
「基本方針を決めておいた方が良いでしょう。まずは私たちの行動で、彼女が笑えなくなるような事態に陥るのは避けるべきね。――ジャンが怒り狂うわ」
確かに。
その場にいた者達は一様に頷いた。手助けしたいと思う当の本人に妨害されたら、目も当てられない。
それどころか、恐らくその時が太陽を拝める最後の機会になるだろう。
調停者。それは王剣の鞘たるウェインのもう一つの役割だ。
ヒトと人外との橋渡し。そして、ヒトと人外の境界の番人たる存在。――調停者とは、時にヒトでないモノ達を狩るために、人であることを半ば放棄した者達だ。
今代の調停者であるジャンが敵に回ったら、彼等の目的を遂行する前に、自分の命の心配をしなければならなくなるのである。
「あと、ジャンには絶対に知られないようにしないと駄目だよね」
「サクリファスの変態共にもじゃ」
前者は彼等を妨害し、後者は嬉々として引っかき回すだろう。
知るべきことは、知るべき者が知っていれば十分だ。敵を騙すにはまず味方からだと、皆の意見は一致した。
「今までの話をまとめると、できることは三つじゃな」
少女は言って、人差し指を立てた。
「まずは、ジャンの片恋相手の安全確保及び虫の排除」
次いで、少女は中指を立てる。
「次に、片恋相手の王との逢瀬の妨害」
少女は薬指を立てた。
「最後に、ジャンと片恋相手を恋仲にすること」
これが一番大切で、最も困難なことだろう。諸々の高い壁が立ちはだかっているが、為せば成る。恐らく。
少なくとも、ジャンがその気になれば様々な手段が解禁されるので、相手が他国の側妃であろうが、ウェインに迎え入れることは難しくなくなる。ただし、ジャンは頑固極まりないので、解禁条件を達成するのがまた大変なのだが。
少女は不敵に笑った。
「青二才の分際で、地神と古竜相手にどこまで我を通せるか見物じゃな」
「――でも、このままだと人足らなくない?」
冷や水を差すような言葉に、少女は仮初の胸を張る。
「何を言っている。妾が幾年地神であったと思うておるのじゃ。人手など、幾らでも集められるわ。――彼奴等も、サクリファスがウェインにとって代わるのは、死活問題じゃからな」
独り言のように付け加えられた言葉は、酷く小さかった。
「まずは、大まかな計画を立てる必要があるわね。あと、定期的に情報交換をする場を設けない? 勝手に暴走されても困るから」
「おおっ、なんかそれっぱくなってきたねん!」
「バッチ! バッチ作ろうよ! 仲間内の証みたいな感じでさ」
「なんだそりゃ」
「ついでにバッチに通信機能も付けたらええんやない? 秘密結社みたいやん」
「遊びではないのじゃぞ、貴様等」
「それでは、どうやって後宮内に監視網を構築するか、考えましょうか――」
かくして、『ジャンと相手をくっつけるために尽力し、ついでにジャンの恋の行方を見守る会』が結成された。
暴走集団の突っ込み役に、スルースキルは必須です。