夢の終わりに
以前部誌に投稿した作品。
貴方と過ごした時間。
それと同じくらい、貴方と出会えたことは、幸せでした。
◆◆◆
――どれほどの時間を、待つことに費やしたのだろう。
湿って冷たい影は、緩やかに密やかに、身体を侵食していく。
『竜』は、つれづれと想いを巡らした。
己のことすら知らず、何を待っているのかも、分からずに。
この身体を縛る鎖は、冷たいまま。
人との交わりが絶えて、幾歳か。
この闇の中に、私は孤独。
それでも、待ち続けるのは――
思い出そうとする度に、すり抜けていくものを捕まえたくて、『竜』は静かに、目を閉じた。
◆◆◆
昔々、魔女がいた。
いと美しき歌声を持つ、傾国の娘。
その歌声で、王を惑わし、一国をも滅ぼした。
そして、最後には王を喰らった。
その魔女を倒したのは、愚かな王の、息子。
清く強い心を持った王子には、聖なる竜の加護があった。
魔女を倒した王子に、竜は誓う。
偉大なる王子が新たに治める国に、祝福を与え、末代まで見守る、と。
それが、この国の始まり。
――王子を手助けした聖なる竜は、今も城の近くにある、古びた塔に住んでいるという。
◆◆◆
守護竜を殺す。
それが、彼に与えられた役目。
――終わらないものは、どこにもなく。
竜に守護されるといわれる、その国にも、終焉が近づいていた。
彼は隣国の者だった。
その国と隣国との戦争。
新兵器の投入により圧倒的有利を得た隣国の勝利を、竜の加護が阻んでいたのだ。
王都を囲む、不可視の、且つ、何度破壊しようとも再生する障壁の前に、隣国の軍は成す術もなかった。
王都が陥落しない限り、その国の人々の抵抗が止むことはない。
また新兵器を使おうにも、それは一体しかなく、しかも広範囲の攻撃では無差別すぎ、王都という宝箱に使うには威力がありすぎた。
そして、彼に白羽の矢が立ったのだ。
新兵器の唯一の使い手たる、彼に。
それは、彼が選んだ範囲のもの全てを、滅ぼしつくすものだったので。
◆◆◆
ふと、『竜』の意識はまどろみの海から引き揚げられた。
光を見るのは、いつ以来だろうか。
ぼんやりと思った『竜』は、光の中に人影を見た。
◆◆◆
王都の外れに等しい位置にあるその塔は、守護竜が住んでいるにしては、ずいぶん寂れていた。
奇妙なことに、塔の扉も窓も、厳重に封印されている。
まるで、中のものを閉じ込めているように。
その光景に違和感を覚えたが、彼はそれを頭から振りはらった。自分がやるべきことは、守護竜を殺すことだ。
そうすれば――
たった一人の家族を思い浮かべ、彼は唇を噛みしめる。
迷うことは、許されない。
彼は、本来塔の扉であるべき部分に手を当てる。
そして、歓喜の叫びとも断末魔の絶叫ともつかない、甲高い音が響く。
塔の腹は消失した。
◆◆◆
――もし、…輪廻が、ある…としたら………。
彼はそう言い、微笑んだ。
…必ず、……会いに……行く、から―――。
手の中の温もりは、もはや、失われるのを待つのみ。
泣くしかない彼女へ、彼からの、最期の贈り物。
―――待っていてくれ――――
それは、祈りの様な約束。
◆◆◆
溢れてくるのは、何だろう。
この両目から、溢れるものは。
涙は、ひどく温かい。
それは、この想いと同じ温度だからか。
――『竜』の中で、何かが弾けた。
「…遅いよ……」
無理やりにでも微笑んだのは、貴方は笑顔の方が好きだと言ってくれたから。
「お帰りなさい」
そして、彼女は手を伸ばした。
◆◆◆
塔の中には、『守護竜』なんて、いなかった。
いたのは、黒髪と碧玉の瞳が印象的な娘。
その瞳から流れる涙に、胸の最奥が痛むのは、何故だろう。
「…遅いよ……」
その言葉に、謝らなければいけないと思ったのは?
そして、どうして彼女の微笑に、懐かしい喜びを感じたのか。
「お帰りなさい」
彼女が伸ばした手に、彼の手が触れた。
竜が守護した国の滅亡の後、数多の命を奪いし咎人は、忌まわしき兵器とともに、姿を消した。
◆◆◆
たとえ、どんな結末が待っていようとも、お前の手を取ったことを、後悔したりはしない。
「竜の御話」の章は、これで終わりです。
彼らがどうなったのかは、そのうち別の短編として書くかもしれません。