炎竜姫と傭兵の攻防 その2
この話はビミョウに男女の立場逆じゃね?という場面があります。
競売の目玉商品は、酷く美しかった。
背を覆う、黄昏の光に似た色の髪。赤褐色の肌は、ジャワードに、夕日に染まる故郷の乾いた大地を思い出させた。滑らかな肌を所々覆っているのは、紅玉に似た鱗。均整のとれた身体は、豊かな曲線を描いていた。そしてなにより、その紅蓮の双眸は、鎖に戒められようとも屈せぬ孤高の威を宿して、辺りを睥睨しているのであった。
この異種族の女は他の商品と違い、絶望に俯くのでもなく、悲嘆に泣き喚くのでもなく、ただ前を見据えて立っていた。
ジャワードはこのとき、会場の片隅で警護をしていた。そして、異種族の女の様子を見ることもなしに見ていた。ジャワードと女を隔てる距離は、それなりに開いている。しかし、視線に気付いたのだろうか。女が、ジャワードの方に顔を向けたのだ。
女と目が合った、気がした。
ジャワードは、虚を突かれた。それは、会場の中にいる他の人間達にしても同じこと。
女は、笑った。奴隷という、暗い未来しかない筈の立場で。無二の僥倖に巡り合えたと、言わんばかりに。美しく、幸せそうに。
引き千切られた、金属の音。
会場の人間達の、驚愕と怯えの声。
それらを認識する暇もなく、ジャワードは、衝撃に押し倒された。
混乱するジャワードの目に映ったのは、何処か焔を連想させる、黄昏色。
「見つけた」
耳元に掛ったのは、女の歓喜の声とその吐息。触れてきた感触は、恐ろしいほど柔らかかった。
口の中に広がる、血の味。それは、唐突で、強引な口付けの味でもあった。初めて会った筈の異種族の女の行動に、ジャワードは瞠目した。
唇に、痛みが走る。ジャワードは、女に唇の皮を軽く噛み切られたのだ。ジャワードの唇に滲んだ血を、女は丁寧に舐めとった。
ジャワードにとって、理解できない一連の女の行動。しかし、女にとっては、なによりも重要な行為であった。
ジャワードは、抱きついてきた女を振り払うことはできなかった。それは、驚きのあまり体が動かないというものではなく、単純な種族間での差異によるもの。異種族の中には、人間より優れた身体能力を有する者達がいる。この女はまさしくそのような者達に当たり、今までさしたる問題もなく商品達を拘束し続けた鎖を容易く引き千切った彼女の腕力は、ジャワードより遥かに強かったのである。
「――! 離せっ!」
ジャワードが女の腕の中でもがいたのは、他の警備員が女に斬りかかってきたのを見たからだった。このままでは、ジャワードも巻き添えになりかねない。
ジャワードの首筋に幸せそうに顔を埋めていた女は、不快気に眉を寄せた。
警備員の剣が、二人に向かって振り落とされた瞬間、ジャワードの視界が紅く染まる。
絶叫。
それは、警備員のもの。彼は握っていた剣ごと、女に腕を斬り落とされたのだ。
のたうちまわる警備員を、女は冷やかに見ていた。無手だった筈の彼女の手には、警備員の腕を切り落とした剣が握られていた。その剣は、女に合わせたかのように紅かった。まるで、炎を封じ込めたかのような深紅の刀身。その長さも剣の型も、ジャワードが佩いている様なこの国の一般的な長剣と大差ない。ただ、その刀身に施された複雑かつ繊細な装飾のせいだろうか、何処か華奢な印象を抱かせる剣だった。ジャワードは、女の手の甲に剣の装飾の一部とそっくり同じ紋章が刻まれていることに気付いた。
周囲のざわめきなど知らぬ様に、女は平然として、唇に指を当てた。
高く長い、指笛の音。
それが合図だったのだろう。応えるように、辺りに低い咆哮が轟いた。ジャワードがよく聞く獣のものとは、明らかに違う鳴き声。鳥類には在りえぬ、力強い羽音が聞こえた。
舞い降りた巨体。その重みのせいか、着地の際には地面に衝撃が走った。赤茶けた煉瓦色の鱗。蝙蝠に似た翼。逞しい身体。口元からは、灼熱の吐息が零れる。――ファイヤードレイク。この世界の生態系の頂点を占める、竜の眷属の一種である。世間一般で竜と認識されている真竜より力が劣る亜竜であるが、それでも下手な魔物よりはよっぽど手強い存在だ。そして、基本的に誇り高い亜竜を手名付けることは、困難を極める。何故なら、彼等は己より力ある者にしか従うことはないからだ。
まるで当然の様にファイヤードレイクを従えている女に、ジャワードは驚いた。
「――は?」
突如視界が高くなり、ジャワードは間の抜けた声を漏らした。女が、ジャワードを担ぎあげたのである。ジャワードは、女に担がれるのは男としてどうなのだろうかと一瞬思ったが、今はそれどころではない。
「ちょ、まっ! こら、離せっ!!」
ジャワードは暴れるも、哀しいかな、彼を担いだ女には全く効果が無かった。そして女は、ジャワードを担いだまま、呼び出したファイヤードレイクの背に乗り込む。
「ヴァルド」
女の短い呼び掛けに、ファイヤードレイクは咆哮を以て応えた。その翼が大きく広がり、空を掴む。
その場にいた者達は、呆気にとられて飛び去る亜竜の影を見送った。その後、さらなる混乱がそこで巻き起こったのは、また別の話である。




