つがいの双竜:『陽光の竜皇』
以前投稿した作品です。
三話ぐらい続きます。
シリアス気味です。
『――そして竜皇と竜帝は決断した。 その礎となる、初代王とその後継者達に、国が続く限りの守護を与えることを――』
――『フェルメリア国記』より
◆◆◆
何時、運命を手にしたか、と問われれば、彼女と自分のための指輪を探そうと思い立った時だと答える。――恐らく、偶然のように、この指輪を手に取る前、目に留める前に、全ては決していたのだ。
◆◆◆
最後の書類を決裁し、アシュは体を伸ばす。
しばらく前から溜まりに溜まっていた書類は、ようやく全て捌き終えることができた。
印鑑代わりの指輪を指にはめ直し、アシュは席を立った。
「アシュ様」
玲瓏な声は、彼の秘書官のもの。
「これからは、体調にもお気を付け下さいますようお願いします」
淡々とした口調に、アシュは苦笑を洩らす。
常に冷静さを崩さない秘書官の態度と話の内容が、妙にかみ合っていない。――秘書官が心配しているのは『彼自身』ではないと、アシュは知っている。
それでも、そもそも仕事が溜まったのは、彼が根を詰めすぎて寝込んだせいなので、反論しようにもできなかった。
「気を付ける」
そうアシュが言うと、秘書官は黙って頷いた。
夜の散歩は、アシュの数少ない息抜きの一つである。
彼の自由になるわずかな時間を利用して、星や夜風を楽しむのだ。
しかしながら、いつも共に散歩をしている妻が不在では、その楽しみもやや減衰する。
今宵は満月。
女神が座すという銀の円盤の前では、夜空に散らされた星屑達も、その輝きが色あせてしまう。
ふと、天とは別の場所に、銀の輝きを見る。それは、月の光とは異なる、どこか硬質な色。
「よっ」
片手をあげてアシュに挨拶をしたのは、しばらくぶりに見る友人だった。
「久しぶりだな、ジルバ」
「そうでもないんじゃないか?」
互いに笑いあう。
それでもアシュは、笑っている友人の金属めいた色の瞳に、酷く暗い濁りを見た。
鞘に無理やり納められた凶刃の如き、不吉な翳。
何時からであったろうか。無二の友ともいうべき存在が、そのような色を浮かべるようになったのは。
燻り続ける不安を覆い隠し、アシュは笑おうとする。
「何か飲もう。いい酒があるから」
「おう」
ただ、互いに笑っていられれば、それでいいと祈りながら。
初めて出会ったのがいつであったか、それはとうに曖昧になってしまっている。何故だかふとした拍子に再会することが続き、何時の間にやら、ジルバの方からアシュに会いに来るようになっていた。彼らが会うときは大概、いつもそこら辺をふらついている、ジルバの旅の話を肴に酒を酌み交わしている。その危険性故に、なかなか旅というものを経験することができなかったアシュは、ジルバの話を聞きながら、遠い異国のことを夢想してみたものである。
それは、アシュがどこにも行けなくなった今でも、変わることはない。
どこか物憂げに、ジルバは手にした杯の中の液体を揺らす。光を弾いて輝くそれは、命を表す赤に似ている。
他愛もない談笑の中にふと落ちた沈黙は、けれど不快なものではない。静寂すらも楽しみながら、密やかな酒宴は続けられる。
「――そういやあ、アナはどこに行っているんだ?」
ジルバの問いに、アシュは答える。
「東の森の方。 魔獣が暴れているらしいから、その討伐に」
アシュが担うのは文であるが、彼の妻が担うのは武。それ故、この国の最大の脅威といえる魔物の排除も、彼女が責任を持つことになっている。
「わー、ご愁傷さま」
勿論、魔物の方が。
「なんだか、アナにはいつも迷惑かけてばかりだな」
「またか。 なーに凹んでんだ」
苦笑を洩らすアシュに、ジルバは呆れた目を向ける。
彼の友人は、自分のことを過小評価しがちであるのが、玉に瑕だ。
言いたい奴には、好き勝手言わせておけばいい。ジルバは、アシュがアシュであるから、力を貸すというのに。
――彼の王だけが無自覚だ。
その片翼が、彼なしでは存在できないことを。
その手にある、銀竜に繋がった鎖を。――己の狂気を止められるのは、双子の片割れでも、愛した女でもなく、唯一、この友たる王だけであることを、ジルバは知っている。
真綿でできた檻の様だ、と嘗て、この王の伴侶は言った。
出るのは酷く簡単だ。しかし、心地が良くて、いつまでも囚われて居たくなる。自由になるのが、惜しくなる。
「いや、当然だと思ったら、その途端、あっさり失いそうな気がしてな」
アシュは淡く笑った。
妻も、友人も、昔と変わらず隣にいてくれることが、何よりの僥倖で。気を抜いたら、それに寄り掛かってしまったら、すぐにどちらもいなくなってしましそうな気分になるのだ。
杯を持つ左手に、竜を模した金色の指輪が光る。書類の決裁のとき、印鑑代わりに使っていたものだ。
「ばーか」
ジルバの口調は、温かい。
――どうして、友でなければいけなかったのか。
今でもまだ、ジルバはそう思うことがある。
彼らの故郷でもある、フェルメリアという国。
そこは、【神に見捨てられた地】と呼ばれる。
他国より変化に富んだ、豊かだが、あまりに厳しい大地。そこは自然が容赦なく牙をむき、強力な魔物が跋扈する土地である。また、その環境の苛酷さにより、フェルメリアでは種族間での交配が当たり前の様に行われ、【混血の国】とも呼ばれるようになっている。
フェルメリアがフェルメリアになる前、この地に住まう者達に、安息のときはなかった。魔物の脅威に怯えながら、人々は手を取り合って生きていた。ヒトの国から迫害されてきた者が多かったから、彼等には、フェルメリア以外、行くあても帰る場所もなかったのだ。
そして、現れたのがフェルメリアの初代国王。彼は、国旗の紋章の題材ともなっている、皇帝竜――皇帝竜は、金と銀のつがいの竜だった――の力を借りながら、人々に仇をなす魔物の討伐を行い、フェルメリアを建国したのである。
そして、彼の行った今にも続く偉業の一つが、王都の建設。王が在る限り、決して魔物を侵入させることのない難攻不落の都。たとえ一か所だけであれど、何の憂いもなく日々を過ごせる場所があることは、過酷なフェルメリアに生きる民にとって悲願ともいうべきものだった。
そして、初代王の後、王都の守りは彼の後継者へと継がれていく。
ここで付け加える点は、歴代のフェルメリアの王は、全て初代王の血を引くとされているが、この王位が必ずしも王の子に引き継がれることはないということだ。
それは、フェルメリア特有の、王の選定方法が原因になっている。フェルメリアでの、王になるための資格は二つ。それは、初代王の血を引くことと、【双竜の指輪】という王の証の所有者であることだ。【双竜の指輪】とは、皇帝竜の牙と鱗から作られた指輪で、王の選定に深くかかわる魔法具である。【双竜の指輪】は二つで一つ。ちょうど、つがいであった竜皇と竜帝のように。これは、王とその伴侶に、代々受け継がれてきた物であった。そして、王を選定するのが、この【双竜の指輪】。王で在らざる者には、決してはめることができない指輪だ。実質、【双竜の指輪】を手にすることができれば、王になるに等しい。けれど、この指輪に選ばれたから王になれるのではなく、王たる故に選ばれるのである。
さて、フェルメリアの王とその伴侶には、ほとんど公になることのない、しかし重要で、あまりに重い役目が存在する。
それが、王都を守護し続ける、結界の人柱。
王都周辺に張られた結界は、建設された当初から魔物の脅威を阻み続けている。そしてそれは、王の存在を糧として組まれたものであった。
神に見捨てられた地で、それでも人々の平穏を保つには、それ相応の対価が要求された。
王は、王都の守護神であると同時に、王都に展開された結界の、最も重要な部品でもあるのだ。それ故に、王は、王となったときから、王都から一歩たりとも出ることが叶わなくなる。王都を離れると、結界の柱がなくなるからというのが、理由の一つ。――そして、王は、王都以外で生きられなくなるからという理由が存在した。王座を継承するその時に、王は結界を支える呪式に自動的に組みこまれるのだ。その呪式は、それに組み込まれた者がそれから逃れようとすると、その者が自壊していくという、呪詛の如き副作用を持っていた。ちなみに、ここでの逃れるという行為は、王都から出ることを意味する。実際に、玉座を放棄しようとしたある王が王都を離れた際、結局、彼は一日も経たずに死に至ったという。その遺体は、完膚なきまで破壊しつくされ、見るも無残な有様であったということだ。また、死を以てその任から逃れようとすれば、結界の人柱の役目は、次の王が決まるまでの間は王の伴侶に移る。だから、歴代の王達は、逃げることも許されなかったのだ。――一体誰が望もうか、愛する者が、自分の代わりに犠牲になることを。
歴代のフェルメリアの王にとって王都とは、実は巨大な牢獄にも等しい場所であった。
しかし、そのことを知るものは酷く少ない。民は知らない。知らされていない。それは、王とその伴侶が知っていれば十分なことだから。
王の犠牲と孤独の上に、希有なこの国は成り立っている。
アシュが、全く意図しないながらも、【双竜の指輪】を手に入れたと知ったとき、ジルバは運命の皮肉に嗤った。
己の父母が一端を担う呪いを、よりにもよって、親友が継ぐことになったから。
――何を思って、両親が初代国王に手を貸したのかは、ジルバは知らない。その時、彼は双子の片割れと共に、生まれて間もない雛だったから。皇帝竜は、王都建設の折に王と共に結界の礎となり、今はもういない。全てを見てきた竜公達――初代国王に手を貸した竜は、皇帝竜だけではなかった――は、沈黙を保ったままだ。
ジルバには、親友を解放することは叶わなかった。
何より、それをアシュは選んでしまったので。
親友の重責を減らすことは叶わないけれど、それでも何かがしたくて、ジルバはアシュの元を訪れる。自分の本性を知ってもなお、竜としてのジルバの力を借りようとしない、アシュの姿が嬉しく、歯痒い。何でもできる力を持ちながら、何もすることを許されないのは、酷く辛いと初めて知った。
ジルバは、杯の中の酒を舐めた。
彼には嗜好品という物の良さは分からない。けれど、友と一緒にそれを楽しむことは、素直に面白いと思えたし、好きだった。
アシュの方を見ると、さも旨そうに杯の中のものを飲んでいる。公では決して見せないだろう姿に、何となく笑えた。
「? 何笑ってるんだ?」
怪訝な顔をする友人に、ジルバは笑い返す。
「いーや、お前がアナに告白するしないで大騒ぎしてたのを思い出したら、笑えてきてな」
「忘れてくれ……」
かつて、現在の妻であるアナに一目惚れしたアシュは、ジルバに泣きついたことがあるのだ。アナを想うあまりに、アシュは頓珍漢な事をしでかし、ジルバを呆れさせたり、大笑いさせたりしたものだ。ひとえに、彼にそれ以前の恋愛経験が皆無だった故の失態である。
「そう言えば、東方の国で面白いもん見たんだよな」
「どんなやつだ?」
「どこだっけな~、確か海沿いの――」
他愛もない会話を肴に、二人だけの宴は続く。
銀の月が世界を見降ろす中、夜は静かに更けていった。