傾国の娘
以前部誌に投稿した作品です。
今回シリアス気味。
昔々、あるところに、姫君と騎士がいた。
姫君は歌の名手であった。そして、その歌声は、聴いた者を魅了せずにはいられなかった。ただ、姫君は大変美しい声を持っていたが、人前で歌うことを好まなかった。しかし、騎士だけは、姫君の歌を聴くことを許されていた。
姫君の騎士は、彼女に忠実であった。その心は、ただ、姫君だけのものであった。
ある時、偶然、高名な魔法使いが姫君の歌を聴いた。
魔法使いは、姫君に心奪われた。
そして、魔法使いは姫君を欲するようになった。
けれど、姫君の心は騎士に向けられ、彼女が魔法使いを見る事はなかった。
姫君を諦める事が出来なかった魔法使いは、騎士を殺めた。
そして、姫君は魔法使いに攫われ、とある塔に囚われたという。
―――だが結局、魔法使いは、最も欲しかったものを手に入れる事は叶わなかった。
◆◆◆
――もし、…輪廻が、ある…としたら………。
彼はそう言い、微笑んだ。
…必ず、……会いに……行く、から―――。
手の中の温もりは、もはや、失われるのを待つのみ。
泣くしかない彼女へ、彼からの、最期の贈り物。
―――待っていてくれ――――
それは、祈りの様な約束。
限りなく永遠に等しい時を旅するモノへ、限りある時を生きる者は、その変わらざる心を贈った。
◆◆◆
流れる涙で、目を覚ます。
夢を見た。
それは淡雪の如く、目を覚ました瞬間に、掌から溶けて消えた。
喪失感。
胸にぽっかりと穴があいたような。
思い出したい。
思い出せない。
けれど、それでも。
それが何だったのかも、分からず、願い。
ただただ、涙だけが溢れて、零れる。
いつしか、娘は歌を口ずさんでいた。
――日が昇り
小鳥が囀り
風が歌う
それでも
愛しいあなたは、戻らない――
それは、亡き人を想う歌。
その歌を誰に教わったか、娘は覚えていなかった。
◆◆◆
時に、女の皮を被った魔性がいる。
其処に在るだけで、人心を惑わし、国をも滅ぼす。
――其れを、傾国の美女、と人は言う。
王がそこを訪れたのは、ほんの気まぐれであった。
己が統べる国を離れ、隣国の慶事を祝いに来た。そしてその折、『竜が住む塔がある』という話を聞き、興味をそそられたのだった。仮にも一国の王とはいえ、実際に竜を見る機会など持たなかったからだ。
その塔は、森の中に埋もれるようにひっそりと佇んでいた。酷く古びた塔で、入るには勇気が要りそうなほどだった。
王が入るかどうか、しばし迷っていると、塔の中から妙なる歌声が聞こえてきた。
――日が昇り
小鳥が囀り
風が歌う
それでも
愛しいあなたは、戻らない――
込められていたのは、慟哭で、哀愁で、――そして、贈る者への愛情で。
それは、聞いている者まで切なくなるような歌だった。
船乗りを破滅へと誘う、鳥乙女の歌声の如く。
その歌は、王の心を捕えてしまった。
そして、王は迷うことなく、塔に入っていった。
塔の一階の中央に、『竜』はいた。
――正確にいえば、『竜』と呼ばれる娘。
黒絹の如き長い髪、最上の宝石の様な緑色の瞳。その姿は、『竜』と呼ばれるにはあまりにも美しく、たおやかで。
しかし、娘は無骨な鎖によって、囚われていた。
その鎖が、娘が『竜』であるという証。娘自身は勿論、誰にも断つことが出来ない代物だった。
無垢なる囚人の様な娘は、戸惑ったように王を見ていた。
王は『竜』を見て、心惹かれた。
――『竜』が知らないのは、己のことだけ。
そのことを聞いていた王は、歌声の主について『竜』に尋ねた。
すると娘は、少し困ったように微笑み、自分が歌っていたと答えた。
その微笑みは、まるで微風の様に優しく、穏やかで。
王は、胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。
「一緒に私の国に来ないか」
王は思わずそう言った。
けれど娘は、すぐに首を横に振った。
「待っているから……」
娘が浮かべたのは、酷く複雑な笑み。誰かに向けた愛おしさと、悲哀と、諦観と――。さまざまな感情が入り混じり、絡み合う。それは、王が嫉妬を抱くような、とても綺麗な微笑みだった。
それでも、王は娘を諦めがたく、娘を捕らえる鎖を壊そうとした。
しかし、非情な鎖を破壊することは叶わず。
結局、王は己の国に帰るしかなかった。
王は仕方なく国へ帰ったが、娘を諦める事はできなかった。
夜な夜な娘の夢を見、遠き者を想っては、その心を焦がした。
いつしか、王は狂気にも等しい想いに取り付かれるようになった。
その感情の前では、どんな忠臣の言葉も、羽虫が飛び回る音同然であった。
王は戦争によって『竜』がいる国を奪い取り、娘がいる塔を隠すように城を建てた。このとき、塔の周りに住んでいた人々は皆殺しにされてしまった。
《――――――――――――――――――――――――――――――っっっっ》
それは断末魔の叫び。
『竜』には、全て聞こえていた。
村人達が、――何の罪もない人々が、振り絞る末期の声。
今まで出会ってきた人々の顔が、脳裏をよぎる。
『竜』は、どんなに遠くにあるものでも見る事が出来たが、その時ばかりは、見るのが恐ろしかった。
――どうして――
……見えていたとしても、助ける事は出来ない。
この身を縛る鎖が、こんなにも恨めしかったことはない。
「…止めて………」
耳を塞いでも、聞かずにはいられない。
「止めて―――――――――――――――っっっっ」
娘は絶叫した。
しかし、その願いは、誰にも届かず。
――涙が、止まらなかった。
そして、娘は王に怒った。彼女は、無辜の者たちの血が流れたのを、許さなかった。王は『竜』の逆鱗に触れたのだった。
どんな愛の言葉を囁こうとも、どんな贈り物をしようとも、娘が王に振り向くことはなかった。
そんな娘に王は逆上したが、王には彼女を傷つけることも、辱める事もできず。
そして、決して叶うことのない恋に身を焼かれた王は、ほどなくして狂い死んだという。
それを知る者たちは、娘を《魔女》と呼び、厭うた。