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フェルメリア雑記  作者: 詞乃端
クライドロの話
26/54

ただ、それだけのこと 六

ビミョウに残酷描写があるので、苦手な方は注意です。

「大丈夫か?」

クライドロが問い掛けると、赤子は呆けたように彼を見返した。大きな瞳は、ゆるゆると色を変える翠。クライドロがざっと確認したところ、赤子は怪我を負う事は無かったようだ。もっとも、〈精霊喰い〉は赤子を生け捕りにすることを、不死者は赤子を守ることを優先したのだから、当たり前だろうが。

クライドロは、無造作に赤子を抱いていない腕を振った。

臓腑(ぞうふ)まで響く、低い音。

体液と肉片を()き散らしながら、〈精霊喰い〉の巨体が呆気なく吹き飛ばされた。クライドロが、自らが放出した魔力の塊を叩きつけたせいである。ある種の生命エネルギーである魔力は、魔法の行使に必要とされるが、それ単体でも攻撃手段となり得る。ただしこの場合、魔法を使用するときよりも魔力の消費が激しく威力も下がる、と言う注釈が付く。――先程の行為に莫大な魔力をつぎ込んだにも関わらず、クライドロがケロリとしているのは、驚異的な量の魔力を有しているが故である。

地面にへばり付き、赤黒い傷跡を(さら)した〈精霊喰い〉を見て、クライドロは微かに眉を寄せた。

――白かっただろう肌は、クライドロの攻撃の余波で大半が赤く染まっている。あらゆる大地の色彩を内包したその瞳に、正気の色はない。腰から下は、忌むべき肉塊と一体化してしまっていた。

濁った硝子(がらす)玉の様な目が、クライドロを捉える。

罅割(ひびわ)れた唇が、ゆっくりと動いた。


【 シ ナ セ テ ホ シ イ 】

ドウカ、ヒトトシテ

それが、唯一の救済なれば。

クライドロにも、異存はなかった。


「――せめて、安らかに眠ってくれ」

クライドロは、何も持たない手を前方に突き出した。

歓喜の叫びとも断末魔(だんまつま)絶叫(ぜっきょう)ともつかない、甲高(かんだか)い音が辺りに響く。それは、聞く者にどうしようもない不快感を与える音だった。そして、不可思議な幾多の紋様が、クライドロの腕を包んでいた衣装を食い破る様にして出現し、宙を舞う。異界の文字の様にも見えるそれは、赤黒い光で形作られているようだった。

〈精霊喰い〉がびくりとその巨体を振るわせたのは、異質で異常な生物にも生存本能があったためだろうか。

〈精霊喰い〉は残された触手を必死に動かし、クライドロから逃れようとするが、狩る者がそれを許す筈もない。

クライドロの周囲を舞い踊っていた血色の光達が、不吉な流星と化した。〈精霊喰い〉に降り注ぐ(あか)い雨は、その身を容赦(ようしゃ)なく『喰らった』。獰猛(どうもう)に。貪欲に。跡形も無く。

その文様に触れるだけで、〈精霊喰い〉が『喰い尽くされる』。

見上げるようだった肉塊が、滑稽(こっけい)なほど呆気(あっけ)なく、質量を減らしていく。

〈精霊喰い〉の断末魔と血に濡れた刻印が奏でる異音が、歪んだ不協和音を紡ぎ出していた。

〈精霊喰い〉だった最後の一片の消失を見届け、クライドロは宙を滑る様に移動する紋様達を己が腕へと収めた。

「――で、死ぬ? それとも消滅する?」

問い掛けは、背後の不死者へのもの。

呆然と立ち尽くす不死者は、酷い有様だった。〈精霊喰い〉の攻撃に上位不死者特有の高速治癒が追い付いていなかったのか、『人』と言うよりも、『ヒトガタ』と形容した方が適切な状態である。損傷があまりにも大きいため、気の弱い者なら一目で卒倒するだろう。

「……そノ子、は、ルド、るフ、ハ、無事、ナの、か……」

――それ故に、彼は死んでも死にきれなかったのだ。

クライドロは(つと)めて、平然とした声を出す。

「ああ、無事無事。あとは、俺に任せてくれ。ちゃんとこの子を育てて、力の扱い方も教えるから。――だから、死んでいい。もう、死んでいいんだ」

「……そう、か……」

不死者の男の言葉には、紛れもない安堵(あんど)があった。

ふいに、どさりと倒れた男の身体は、それっきり、動かなくなった。残酷な奇跡を支えていた想いが、報われたためである。

そして、瞬きするほどの時間の後、不死者だった男の身体は(ちり)となり、風に吹かれて(はかな)く散った。それはまた、男に生成されたであろう下位不死者も同様であった。遺骸(いがい)が塵と化したのは、ある意味不死者になったことの代償である。偽りの命の炎が消えた時、後に残る物はないのだ。

クライドロは、赤子の身体をしっかり抱きしめた。

「――よく、頑張ったな」

フェルメリアでは、失われた命を惜しまない。死は、次の瞬間にでも、己に降りかかり得ることだと皆知っているから。その代わりに、生き延びた者を(たた)えるのだ。生き延びた者の罪悪感を誤魔化すために。決して、生き延びてしまったことを呪わぬように。

これも、他国の民には理解されない、異端の王国(フェルメリア)特有の思考だった。


何処かほっとしたように泣き出した赤子の声を聞きながら、クライドロは、やりきれない思いを飲み込む。

もし。

もし、もっと早くクライドロが異変に気付いていたら。

もし、もっと早くクライドロが辿(たど)りついていたら。

無意味な仮定の上で、過ぎ去った可能性の中で、生き延びることができたかもしれない者達。

彼らに謝罪するのは、強者の傲慢(ごうまん)で、未だ捨てきれないクライドロの人としての弱さだ。

現実を見れば、クライドロは間に合わず、辛うじて救えたのはたった一人の赤子。

ただ、それだけ。それだけの、ことなのだけど。

もし、という仮定は、何時だって無力感と共にクライドロに付いて回る。

それでも、最早(もはや)(うしな)われてしまった者達にクライドロができるのは、結局のところ、口約束を果たすことぐらいしかないのだ。

竜の誓約は絶対だ。

そして、その竜の血を色濃く受け継いだクライドロも、約束を破ったことなど無い。

他人は、クライドロの頑なまでの約束の履行は竜の血のせいだと、勘違いしている。本当は、そうではないのに。

クライドロが約束を破らないのは、自分の無力から目を背けるためだ。竜としての精神の作用ではなく、人としての心の動きのせい。――それを、別に悪いことではないと言ってくれた少女は、もういない。

自身の力でもどうしようもないことに出くわしたとき、クライドロは、自分がどうあるべきか分からなくなる。竜の血を引き、人の血を引く。ついでに言えば、『混血どもの国』と呼ばれる故郷の土地柄故に、一体幾つの種族の血を引いているか、クライドロ自身もさっぱり分からない。竜ではあり、人ではあるが、どこまでいっても、どちらにもなりきれない。けれど、己の(いびつ)さも、クライドロが抱えて生きるしかないことなのだ。

ただ、それだけ。それだけのことだから。

自分の中でどうにか折り合いを付けながら、クライドロは生きている。


クライドロは、泣き続ける赤子を不器用にあやす。

羽毛の様に軽い(はず)の赤子の身体を重たく感じるのは、クライドロの気持ちの持ちようだと分かっている。

クライドロは、正直子供が苦手だ。酷く(もろ)く、壊れやすいから。

「俺、もう少しぐらい頑張(がんば)るからさ」

なかなか泣き止まない赤子に、クライドは苦笑した。

「後でいいから、笑ってほしいな」

赤子の頬を()でるように、温かく柔らかな風が吹いた。


「ただ、それだけのこと」はこれで終わりです。

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