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フェルメリア雑記  作者: 詞乃端
クライドロの話
17/54

届くことのない指先

以前部誌に投稿した作品です。

悲恋系のお話。

「ありがとう、さようなら」

そう言って、彼女は微笑んだ。透明な、朽ちる直前の華の美しさを湛えて。


◆◆◆


「俺って色魔なのか?」

沈黙が、部屋の中を支配する。これほど答えにくい質問は、ないだろう。


久しぶりに会った友人は、ずっと浮かない顔をしていた。少年の稚気(ちき)と年経た者の老獪(ろうかい)さを併せ持ち、常に飄々(ひょうひょう)としている彼には珍しいことである。

「どうした、クライドロ」

アーサーが友人に尋ねると、物憂げな双眸(そうぼう)が彼を見返す。左には、夜空に似た黒曜石の輝きを、右には、緑柱石(エメラルド)翡翠(ひすい)を合わせたような輝きを宿した、odd eyes。クライドロの色違いの瞳を気味悪く思う人間は多いが、アーサーは、純粋にそれを綺麗だと感じる。

「んー、俺にとっては大したことだけど、大したことなのかな?」

クライドロは、自分の、男としてはやや長めの黒髪を(いじ)りながら、首を(ひね)る。一国の主であるアーサーに対して、そのような態度をとっても問題とならないのは、彼らの付き合いが長いことと、なによりクライドロがアーサーと同じ立場にあるためである。

「ちょっと知り合いと喧嘩(けんか)したみたいなんだよな」

「みたいって何だ」

アーサーが呆れたように言うと、クライドロは困ったように眉を寄せた。

「いや、俺が言ったことが、相手の気に障ったみたいなんだよな。それで、口を聞いてもらえなくなったんだよ」

まいってんだよな、とクライドロは溜息をつく。ちなみに彼は酷い放浪癖があり、クライドロが王であることを知らずに、彼と交友関係を結んでいる人間は意外と多い。そして、クライドロに、王にあるまじき放浪癖があるにも関わらず、彼の国が傾かないのは、ひとえに優秀な部下達と、移動時間を大幅に短縮できる転移魔法のおかげである。

「何を言った?」

クライドロは、何と言ったものか、と言いたげに虚空を見上げる。そして(ひね)りだした言葉は。

「俺って色魔なのか?」

アーサーは硬直した。

そして、数十秒にも及ぶ静寂の後。

「……色魔の方が、まだ可愛げがあるだろうな」

「俺は色魔より酷いのか?」

クライドロは(いぶか)しげに、アーサーに問い掛ける。その反応に、アーサーは、片手で顔を覆った。

(ただ)の色魔は、娼婦紛いの間諜に偽の情報を(つか)ませるばかりか、相手に機密を喋らすようなことはせん。それに、そんな人間が、(ねや)に潜り込んできた暗殺者を、情報を抜き出して廃人にしたうえに、暗殺を謀った黒幕まで引きずりだす真似なぞできんだろう?」

一時の欲情に駆られる程度なら、お前はここにいないだろう? そう、アーサーは言外に含ませた。

「あ、それもそうか?」

納得したように手を打ったクライドロを、アーサーは疲れたような目で見つめた。

異端とされる国の王であるクライドロの女性遍歴は、様々な立場の人間達の思惑の為に壮絶の一言に尽きた。来る者拒まず、去る者追わず。まさに色魔の様なクライドロの姿勢だが、()りもせずに寄ってくる花達を利用して、情報操作や情報収集を行う手腕は見事というほかない。それができてしまうクライドロと、彼に喧嘩を売ってくる相手に、アーサーは同情を覚える。

「――それで、女に浮気でもばれたのか?」

「違うから。怒ってんの、男だし。子供だし」

アーサーに胡乱(うろん)な目で見られ、クライドロは慌てた。

「なんでか恋愛話になって、今までの事話したら、色魔って呼ばれて、近付いてくれなくなったんだ」

それはそうだろう。純情な子供なら、その手の話に拒否反応を起こしても仕方がない。けれど、一種の男の浪漫(ろまん)ともいえるクライドロの状況も、裏の事情を知るアーサーからしてみれば、それは人間の醜悪(しゅうあく)さの具現にしか見えない。

「何故言った?」

言わなくても、良かったことだろうに。

「嘘は駄目じゃないか」

幼子の様なクライドロの返事に、アーサーは苦笑を禁じ得なかった。敵に対しては恐ろしいほど酷薄なクライドロだが、身内と認識した者にはこの上なく誠実だ。今回は、その誠実さが(あだ)となったらしい。クライドロのことだ、事情を説明せず事実だけ述べて、相手を誤解させてしまったのだろう。

「説明は、省略しない方がいいぞ」

「あ、うん」

心当たりがあったのか、クライドロは、アーサーの言葉に素直に(うなづ)いた。

「――して、まだ伴侶を見つけられていないのか? せめて生きているうちに、お前の伴侶を一目見てみたいのだが」

冗談めかしたアーサーの言葉に、クライドロは微かに(わら)った。

「いるわけないだろう。こんな化け物に」

それは、自嘲(じちょう)と諦観が入り混じったもの。その返答に、アーサーは一瞬、息を詰めた。

「……もし、シファナ殿が生き延びていたら、今のお前は、変わっていたのかな?」

吐息のようなアーサーの(ささや)きは、クライドロの耳にしっかりと届いていた。

「もしそうだったら、なんてことは、分からない。でも、シファナとだったら、ずっと、上手くやっていけたと思う」

そう言って、クライドロは静かに目を伏せた。(まぶた)の裏に映るのは、鮮やかな光をその瞳に宿していた少女の、消えてしまいそうな微笑だ。


◆◆◆


「私を愛しなさい」

初対面にも関わらず、そう言い放ったシファナに、クライドロが出会ったのは、今から数十年ほど前だったか。その頃は、クライドロが先代の国王の伴侶から王権を引き継いでから大して経っておらず、アーサーと出会ったばかりであったと思う。

クライドロが治めるフェルメリアは、神に見捨てられたと言わしめられる程厳しい風土、そして、ほとんどの種族で禁忌とされた、異種族間での婚姻が公然と行われることから、他国から異端視されていた。しかしながら、そのフェルメリアの新たな王となったクライドロは、その異端の国の中にあって、さらに異端であった。

彼が、曾祖母から受け継いだ竜の血の力。そして、死ぬまで王都から動かないフェルメリアの王の因習を拒否し、王の代替品とされる伴侶を持たない、歴代の王達に反する行為。それらは、クライドロの周囲から、味方といえる者達を遠ざける原因にもなっていた。ただし、クライドロ自身は、それを気にしたことはなかったが。孤高の存在とされる竜の血の悪影響なのだろう。彼が守りたいと思う、ほんの少しの人達や、大切な人と交わした約束を、守ることができればクライドロは十分だったのだ。

だから、腹に一物を抱えた人間達が彼を利用しようと自分に群がっても、クライドロに苦痛はなく、むしろ利用できるモノが近付いてきてくれて、ちょうどいいぐらいにしか思わなかった。――シファナのことも、初めは、そんな人間達と同じものだと思っていたのだった。


クライドロを、建国記念の式典の為に、招いた国でのことだった。

「私を愛しなさい」

出会って数秒足らずの発言に、クライドロは目を瞬かせた。このときが初対面の、その国の姫は、瞳に宿る鮮烈な光が、印象的だった。

「なんでまた」

その言葉が逆鱗(げきりん)に触れたらしい。シファナとかいう少女は、真っ赤になって(まく)し立てた。

「私の何が不満よ、この蜥蜴男(とかげおとこ)!! そりゃあ、姉様みたいじゃないけど、胸は人並みにあるわ! これでも、この国でも美人の方なんだからね!!」

「それは別にいいし」

種族間の混血のために、フェルメリアには実に様々な容姿を持つものが多い。そのせいか、美人不美人の基準が曖昧(あいまい)で、フェルメリアの民は容姿に関して鈍感なものが多かった。

「別にいいって、何よ!!」

自分の言葉が、少女の怒りに火に油を注いだ理由が分からず、クライドロは首を傾げる。

「そもそも、何で俺?」

何故、クライドロという異端の国の王なのか。クライドロの素朴な疑問に、シファナは言葉に詰まった。

「……陛下は、奥方いないじゃない」

「それだったら、アーサーもそうだろ」

クライドロは、親しくなったばかりの王子を想い浮かべる。彼の、髪と同色の濃い目の茶色の瞳の色は、自分の不気味がられる色違いの双眸(そうぼう)と違い、そう珍しいものではない。アーサーの顔の造作が良いと言えるのか、正直クライドロには判別ができなかったが、通り掛かりに耳にした侍女達の噂話で、『凛々(りり)しい』とか『素敵』との評価を(もら)っていたから、そう悪いものでもあるまい。また、親子以上の年の差があるにも関わらず、アーサーの方がクライドロよりも年上に見えるし、人に言わせれば、威厳(いげん)も備えている。よって、結婚相手としては、自分よりもアーサーの方が優良物件ではないのか。そうクライドロは考えたのだが、シファナにとっては、そうでもなかったらしい。

「アーサー殿下じゃ、駄目なの」

地を()うような声で、シファナは言う。尚も訳が分からず、クライドロは眉を寄せた。

「――本当は、私だって人外は御断りよ! だけど、しょうがないじゃない、貴方以外じゃ、嫌がらせにならないんだから!!」

「嫌がらせって……」

あんまり過ぎるシファナの言い(ぐさ)に、クライドロの目は点になった。


これが、他の国の、他の王に向けてのものだったら、間違いなく戦争が起こるな、とクライドロは他人事のように考えた。


***


「父様は、私のことが嫌いなの。いいえ、この国の、皆がそう。私の容姿が、気持ち悪いって理由で」

陽光の如き金の髪をなびかせて、シファナは言う。彼女の髪の色を引き立たせる褐色の肌は、南の大陸の血を引く彼女の母親と同じもの。白い肌を持つ者ばかりの彼女の国では、確かに異質であろう。しかしながら、褐色どころか、緑色だったり、(うろこ)や毛皮が付いていたりする肌を見てきたクライドロには、さっぱり理解できないことであったが。

「さんざん私のことを嫌って、無視して、馬鹿にしてきたくせに、私が適齢期になったら、結婚して姫の役割を果たせ、なんて言ってくるのよ」

ふざけないでよ、と彼女は吐き捨てた。

「――でも、私には、誰かと結婚する以外に、できることがないの。何も、教えてもらえなかったもの」

綺麗な群青色の瞳に、(くら)(かげ)が浮かぶ。

「それでも、皆に言われるままに、会ったこともない相手に嫁ぐのは、まっぴら。それでね、どうせなら、皆が嫌がる相手を選んでやろうって思ったの」

それは、シファナができる、精いっぱいの意趣返しだった。

――彼女の国の人々が嫌がり、尚且つ、彼女が嫁ぐことを否定しない相手。そんな人物は、一人しかいなかった。異端なる王国、フェルメリア。その特異さより、他国から忌み嫌われながら、それでもその国が独立を保ち続けていられる要素の一つに、他国で珍重される、フェルメリア製の魔法具が挙げられる。他の国では手に入らない、良質かつ貴重な材料が豊富にあること、そして、フェルメリア特有の峻厳(しゅんげん)な風土が鍛えに鍛えた、魔法具の技術。それらの要因により、フェルメリアで製造された魔法具の性能は、他国のものと次元を異にする。また、庶民にまで、魔法具が行き渡っている国は、世界広しといえども、フェルメリアぐらいだ。――如何に母国がフェルメリアを(いと)わしく思っていようとも、(のど)から手が出るほど欲する優れた魔法具を手に入れられるなら、シファナとフェルメリアの王との婚姻を反対はしまい。そのような思惑から、シファナはクライドロに近付いたのである。

「一番初めに、俺に、君のことを愛しなさいって言ったのは、どうして?」

クライドロの声に、怒りはない。ただ、純粋な疑問だけがそこにあった。

「それは、私の我儘(わがまま)

シファナの顔に浮かんだ表情は、泣いているとも、笑っているともつかないもの。

「幸せに、なりたいから」

結婚する相手に、愛してほしい。

それまでの勝気な態度とは裏腹の、祈るような、言葉だった。

「そう」

クライドロは、出会ってから初めて、シファナという少女を、正面から見据えた。

「本当に、俺で良い?」

その言葉に驚いたように、シファナは、クライドロの目を見た。

それは好意というより、興味から来るものだった。それまで、クライドロを利用しようとした(やから)は、その心をひた隠して、(こび)を売ってくるものばかりだった。だから興味が湧いた。己の目的も、その心も、クライドロに(さら)け出してきた、シファナに。

「あたりまえよ」

そう言って、シファナは、クライドロが差し出した手を握った。その瞳に宿る光と同じく、鮮やかな笑みを浮かべて。


後から思えば、クライドロは、もう少し考えて行動するべきだった。

――竜と人との恋の後には、悲劇しか残らない。

それは一体、誰の言葉だったのか。


***


ごめんなさいと、彼女は泣いた。

産んでやれなくて、ごめんなさい、と。

「シファナのせいじゃないよ。俺の、せいだ」

クライドロの言葉に、シファナはただ、首を振る。

気紛れから始まった、夫婦ごっこの、(たわむ)れは、シファナの身の内に、新たな命を与えた。けれど、その命はシファナにとって、彼女を侵す猛毒と同意義であった。

異種族間の婚姻の禁忌は、妊娠・出産の危険性や、生まれた子が障害を抱える確率が跳ね上がることから生まれたものだ。実際、フェルメリアの流産・死産や、出産時の母親の死の確率は、その優れた生活や医療の水準とは裏腹に、未だ迷信が蔓延(はびこ)る地域と大して変わらないのだ。特に、母親より父親の魔力の方が高いとき、母体が胎児の魔力に耐えられず、母子共々死亡することが多い。クライドロとシファナの場合は、まさにこれだった。クライドロは竜の血を引き、さらに、先祖返りの為に、その魔力は竜の中でも巨大な魔力を有する古竜と遜色(そんしょく)なかった。一方、シファナは、魔力など欠片もなく、魔力に対する耐性も決して高くはなかった。だから、運命は、初めから定まっていたのだろうか。

クライドロは、生の営みの裏に潜む死を、甘く見るべきではなかった。悲劇を回避するための薬はあったけれども、それを服用しても、半竜の子を産んだ彼の祖母は死を覚悟したし、娘を産んで以降、子を産めぬ身体になってしまったのだから。

ごめん、と、何度も謝るクライドロに、いいの、と、シファナは弱々しく微笑んだ。医師に堕胎(だたい)を進められてなお、(はら)に宿った子を産もうと決めたのは、シファナ自身だ。悔むことがあるとしたら、小さな命を、この世に送り出せなかったこと。

クライドロは、握りしめた手から、徐々に温もりが消えていくのに気づいて、(うめ)いた。何かしたくても、クライドロにその(すべ)はない。いくら、魔力があったとしても、肝心な時にそれは役に立ってくれない。

シファナも、自分の体の事は、分かっていた。

「あのね、ディーリアス」

シファナは、信ずるに足る者以外には秘された、クライドロの竜としての真名を、唇に乗せた。

――嗚呼(ああ)、できることなら、この幸せな夢を、まだ見続けたかった。

「私の事を見てくれたのは、母様以外で、貴方が初めてだったんだよ」

シファナの想いに反して、体の感覚は、どんどん鈍っていく。

「ありがとう、さようなら」

事切れる間際、シファナはそう言って、微笑んだ。それはとても綺麗だったけれど、常にその双眸に宿っていた光とは、正反対の、酷く(はかな)げな微笑だった。


◆◆◆


竜であった、クライドロの曾祖母は、(かつ)て人間であった恋人を亡くしたらしい。その恋人は、死の直前に曾祖母にこう言い残したという。――もし輪廻(りんね)があるのなら、必ず会いに行くから、待っていてくれ、と。それを信じた曾祖母は、待って待って、待ち続けて、そして、一人の人間と出会った。その男は、後にクライドロの曾祖父となる、人間だった。

馬鹿馬鹿しい、御伽(おとぎ)(ばなし)じみた、本当の話。


「アーサーは、生まれかわりって信じてる?」

「どうした、いきなり」

クライドロは、恋を知らない。だから、狂おしいほどの想いで、恋人を待ち続けた曾祖母の気持ちが、分からない。彼とシファナとの間に在ったのは、恋ではなく、強いて言えば家族に対する、温かな感情だったから。

シファナは、曾祖母にとっての曽祖父のように、クライドロにとっての唯一無二では、なかったけれど。

「本当に生まれかわりがあったらさ、いつかまた、シファナに会えるかな」

もう、届くことのない指先を見て、そう祈るほどには、好きだったと、知っている。


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