Waiting anything
とあるところに、塔があった。
そこには、『竜』がいた。
鎖に縛められた、娘。
娘は、自らを竜と称していた。
濡羽色の長い髪。緑玉石の如き瞳。彼女の美貌は、人々が思い描く竜の姿から、かけ離れたものだった。
だが、塔の周りに住む者達は、彼女が竜であると信じていた。
なぜなら、娘は年を取らず、様々な知識を持っていたからだ。
幾年を経ても、その姿は変わることなく、その知恵は人々に恩恵をもたらした。
それゆえ娘は、尊敬と畏怖を以て『竜』と呼ばれた。
あらゆる事柄を知る『竜』にも、知らないことがあった。
それは、『自分』。
『竜』は、己の名を知らなかった。
それどころか、どうして塔にいて、鎖に繋がれているかも、分からないという。
もしかしたら、知っていたかもしれない。
しかし、その記憶は、己のほぼ全ての事柄と共に、娘から失われていた。
『竜』は、どんなに遠くで起こった事も知ることができた。その彼女も、過去に起きたことだけは、知ることができなかった。
そんな『竜』は、唯一つだけ、覚えていることがあった。
待っていること。
誰を。何を。
それすら、分からず。
ただ、待っていることだけを、覚えていた。
ある時、誰かが彼女に、記憶を探しに行けばどうかと尋ねた。
しかし、『竜』の力を以てしても、その身体を束縛する鎖を断つことはできない。
だから、娘は待つことにした。
記憶にあるように、いつかやって来るだろう、誰か、あるいは、何かを。
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