北の侵入
ガチムチ系が好きなゲイのホストともやし大学生の友情です
彼と出会ったのはソロシンガーの小さく狭く暗いライブ会場だった。
歌手の男は北欧出身で、デビューしてすぐ日本に呼ばれるほど見込まれた歌手だったらしい。たまたま寄った店で見かけたアルバムの、デザインに惹かれたジャケ買いは当たりだった。インドアの僕が、都内の喧噪の名前だけは聞いたことがある舞台に来させてしまうほどの、惹かれる『インドア』なメロディだった。ただ、都会のセンスが浮かぶ観客たちのなかではもぞもぞと落ちつかず、入場料のオマケにつくジュースを飲んでいたら、目の前の細身で金髪の男がアルコールを零してしまった。
「やべっ、スーツが……」
男は首をふりふり、指で雫を払いながら洒落たスーツの裾を払っていた。散らばった髪が夜職みたいだ。僕と遠い世界の人達。少し気遅れするような。だけど。
「これ、いりますか?」
声をかけてしまった。うっかりハンカチも差し出していた。
今どき男がハンカチかよという感じだけど、子どもの頃から持たされた癖は抜けない。男は僕の顔も見ず、もぎとるようにハンカチを取ると短く礼を言いながらスーツの前面を拭きまくった。あんなにごしごし強く当てたらかえって染みになる気もするが、そこまで言ってやるほど親切でもない。
ようやく満足したと見えて、まだスーツは濡れた跡が残っていたけど男は顔を上げて僕を見た。唇を頬まであげて白い歯を見せた笑顔。
「オニーサン、どーも! 助かった」
「いえ、なんか高価そうなスーツだったから」
「そーなんだよ! これ借りもんでさァ……店長にバレたらコロされる」
「店長?」
男は人差し指で自分を刺しながら笑顔で言った。
「ホスト」
やっぱり。ああ、合わない人種に出くわしたさすが都内。と内心を隠しつつ去ろうとした、が。
「オニーサン、この人好きなの?」
くいっとホストが、貼られたポスターの歌手を指さした。話を続けるのか。
「あ、はい……たまたま聴いて」
「詳しいの?」
「ネットで調べた程度ですけど」
「へえ、ちょっと小ネタ教えてくんない?」
「小ネタ? ファンじゃないんですか?」
「裏方が知り合いで入れてもらったんだ。店が開くまで時間潰し」
僕は口が開いてしまった。意を決してまで田舎もんの僕を上京させたアーティストのライブを「時間潰し」……。
むかむかと腹が立ってきたが、金髪を散らした男性、いやホストがどんな人脈を都会で持ってるか解るはずもなく、無事に帰るためにひねり出すように声を出した。
「北欧の、雨が多い街出身らしいです。まだ見てないけど、グーグルマップなら見れるかもしれません」
「へぇー、ホクオー。フィンランドとか?」
「ではないですけど……」
「フーン。あんま詳しくねえけど、家具がいいんだってな。好みじゃないけどアーロンチェアとか」
「へえ……」
こんな、と言っては失礼だけど、静けさの国とは真逆のハワイみたいな人が北欧のインテリアを知っているとは思わなかった。
「僕も、デンマークの木の椅子使ってます……」
「デンマーク? ってホクオー?」
やっぱり。
一瞬期待してしまったが、その程度の知識もない人なのだ。一瞬もたげた期待がしょげていく。
「この辺で買ったの?」
「い、いや、そんな! 知人が輸入してるのを貰っただけです。この辺は初めてで……」
しまった。田舎もんってばれたらやばいかも。だが男は何の変化も見せることなく話を続ける。
「ここから結構歩くけど、数駅先に家具も置いてるセレクトショップがあるぜ。ライブ終わったら見に行けば? つーか、俺の店。来る?」
男性はニッコリ笑った。これがホストの営業スマイルか?
「お、男でも行っていいんですか……」
「当然! うちの店はそういう方針」
「お金もってないですけど……」
「いーよ! お客がいたほうが映えるから」
そうこうしているうちにライブが始まった。ホストに店に連れてかれる若干の恐怖が起きていたが、歌手が登場して青いスポットライトに当りながらギターで歌い始めると、しん……と店は静かになった。誰もが聴いていた。わからない北欧のことばを、耳に通して。歌手の口もとを、目に映して。
歌手は幕間で話し始めたが、みんな英語がわからないのか聴き惚れていたのか、ずっと無言だった。歌手が却って戸惑っていたのが悪いと思った。英語、発音は苦手なんだ。
二時間程度の初めてのライブ体験は、浮遊したみたいに暗闇の中で終っていった。客はそぞろに歩いてゆっくり会場を出て行ったが、僕はまだぼんやりと名残惜しく、とぼとぼと入口へと向きを変えた。
「あ、待った!」
さっきのホストだった。
「えっと……どうも」
「さっきのホクオーさん、良かったな!」
「ホクオーって名前じゃないですけど……」
「悪りぃな! エーゴ読めねえから。じゃ、行くか」
「え?」
「店」
僕はさっきの約束(?)を思い出していた。
「いえいえいえいえ! 悪いですよ! それに終電すぎると泊るとこないし……」
「朝までいれば問題ねーって!」
「そんなに起きてられないです」
「オニーサン、まだ二十代だろ? いけそーだけどなァ」
「それに、賑やかなところは苦手で……」
そこまでいうと、男性ははた、と考えてしまったようだった。
「そっか……近場のセレクトショップ案内しようと思ったんだけど」
「えっ」
「さっきの、ホクオーの歌手。よかったな。あいつの話してーわ。とりあえず、アンタで」
と言って、ホストは右腕を後ろから僕の右肩にのせて、胸に寄せてきた。北欧の、あの歌の感動を誰かと話しあえる。僕は、その誘惑にさからえなかった。
「……僕、鶴谷です」
「え? ツルヤ? 俺はルト!」
「ルト? 源氏名ですか?」
「そ! 好きな漫画の主役からとった。よろしくツルヤ君!」
そうして僕は、なかば強引にルトに肩を抱かれてライブ会場を出て行った。
正直、ルトが勤務している店でのことは覚えていない。緊張しながらちびちび酒を飲んでいたのだが、近くで起きたシャンパンタワーのおこぼれに預かり余計に呑んでしまった。そのうち大酔いして、いつの間にか寝ていたらしい、誰かどこかの他人の部屋で。朝陽がカーテンの越しに窓から射してて眩しいことに気がついた。
「……はッ⁉」
ダブルベッドから起きてあたりを見回すと見覚えのない部屋だった。フローリングで狭くはないが眼が飛び出るほど広くもない。
「起きたかーツルヤ」
そういってキッチンの調理場から出てきたのは首からエプロンを引っかけた全裸の男だった。と思って仰天したら、手の水分をぐしゃぐしゃと腿の辺りの布地で拭いてボクサーパンツが見えた。良かった、全裸ではない。……良かった?
「ルっ……ルトさん⁉」
「ツルヤ、昨日酔って爆睡しちまったんだわ。先輩の部屋が近かったから泊まらせてもらった。汚すなよ」
僕は慌てて自分の身体を見下ろした。上半身裸、かろうじてパンツは履いているが、まさか――さあっと顔から意識が下がって行くのを感じていく。ここはK町。男も女も同性も愛しあう町。視線が横にぶれてゆくのを感じる。頭が揺らいでいるような気がする。上半身もゆらゆら揺れているような気がして来る。
「お――いツルヤ? 眼鏡なら横のチェストの上」
ぼんやりした視界で言われた先のぼんやりした形状に触れると、確かに自分の眼鏡だった。コンマ一秒の速さで装着して辺りを見回した。僕の服が――、ない。
「ル、ルト君……? 僕の服は……?」
恐る恐る聞きながら、身体に違和感がないか意識だけで探ってみる。ルトはなんの気もなしに「洗濯した。お前ゲロったんだぞ。先輩のベッド汚せねぇから脱がした」と言いながら、小型紙パックのヨーグルトを飲みだした。ホストなのに健康的だな。とにかく何事も、た、多分……無いようだった。
「そっか……ごめん、迷惑かけた」
「おーおー迷惑、迷惑ついでに」
「つ……ついでに?」
「セレクトショップ行こうぜ」
「はっ?」
「昨日のライブでホクオーに興味出てきた。今日はオフだし付き合ってくれよ。時間ある?」
「あ……あります」
ルトは声を出さずに笑顔を見せると、スマホで『インテリアショップまとめサイト』の画面を見せてきた。
目的地の駅はk町から数駅程度で、乗り換えがあっても一時間もかからずたどり着いた。けれどサイトで紹介されていた店に向かう途中で、すでに立派な建物が見えてきた。三階建てではあるのだけど、マンションに例えると四、五階はありそうな高さで前面がガラス。内装には商品だろうランプや食卓や知育用具みたいなおもちゃが騒がず静かに置かれている。『お店ですよ』と主張せずとも客を呼び込む、そんな照明が玄関を照らして白いペンキでやさしく撫でていた。
「おー早速あるじゃん。さすが本場」
ルトは僕を振り返りもせずに、ずんずん店の玄関に向かっていく。
「えっ、えっ、ルト君、目的地はあっちだけど……」
「急ぎじゃねえし見てこうぜ」
まるで猫みたいだ。
ルトは店内をあちこち回り、人がいないからと二階まで軽く駆けあがって椅子を引いたり木のおもちゃを持ち上げて眺めたり、顎に手をあてて「これがホクオーってやつか」などと彼なりの納得をしているらしかった。
「ルト君。店はたくさんあるんだろ? 次、行かない?」
ルトに声をかけて二人で広くもない路地を歩いていると、すぐまた別のセレクトショップが見えてきた。本当にオシャレな店の集合地なんだな。都会ってすごい。だがルトは驚くでもなく、ずんずんと入っていき、へえーフーンなどと言って出てくるのだった。
「なんか面白いな」
「そう? すぐ次に行くから飽きてるのかと思った」
「探検みたいでさ。でも腹減ってきたな……見ろよ、ちょうどよかった」
ルトが顎で示した先にはキッチンカーが有った。人がひとりふたりと並んでいるが、今なら待たずに買えそうだ。並んでいるなら人気なのだろうか? 近づいてみれば、ドーナツを売っていた。
「昼飯には足りねえけど、上手そうだな。いけるクチ?」
「おいしそうだね」
手に手にドーナツを持ちながら、僕らは散策を続けた。夏になりかけの季節は少し汗ばんで、晴れの日の木の葉は日差しを透かしてグレーに揺れる。静かな街の壁に描かれる葉っぱの影は、見るだけで風が通る涼しさを思い出させて気持ちいい。
「ルト君。気に入ったもの、有った?」
「ん。一個な、でも高ぇし……金はあるけど、同僚と住んでるから。家具は勝手に買えねえんだよな」
「へえ。何があったの」
「デンマークのセブンチェアー」
「……」
「なんだよ」
「昨日までホクオーって言ってたのにデンマークって言った」
「俺の仕事覚えてる? お客様の名前は忘れないんだよ」
「椅子は客じゃない……」
「お迎えします、って意味では客だ」
なんだその理屈と思ったが、ルトが相当セブンチェアーを気に入ったのはわかった。確かに一つの椅子だけ妙に撫でてて、見た目にもすべらかな触感と曲線を楽しんでいる風だった。僕はスマートフォンを取り出して、SNSでデンマークを検索してみた。写真が並ぶ画面は赤や黄や色とりどりの家が並んでいて、北欧家具のイメージに似あう風景がある。ルトに見せると「面白いなー」と画面をスクロールしながら眺めていたが、不意に指をとめてタップして、何かの写真に見入っているようだった。
「面白いものあった?」
ルトが画面を見せてきた。雪景色。
「デンマークも雪が降るんだな」
「……まぁ、北欧だしね」
「懐かしいな……」
「ルトは、どこ出身なの?」
「北海道」
2
「もう帰んのか」
「うん、時間はあるけど大学の課題の予習したいから」
「ツルヤは頭よさそうだもんなー」
「そんなことないよ」
僕らはY線のホームで話しながら電車を待っていた。都会の乗換は数駅だから、改札口でルトとは別れることになるだろう。妙な縁での休日だった。これからまた僕は田舎へ戻るのだ。
「LINE交換しよーぜ」
「えっ」
「また来んだろ?」
「いや、僕はライブに来たかっただけで……普段は他県にも行かないんだよ」
「あーそーなん? 北欧の話でもしたかったのに」
……そう言って貰えるのは、なんだか嬉しかった。普段は勉強につぐ勉強、内向的な性格のせいで大学で友人と呼べる人も少ない。せいぜい同じ講義の学生と、必修課程で課題を分担するくらいだ。飲み会も新歓だけで、以降出たことがない。だから先日のホストクラブなんて場所で酒を呑むこと自体が僕の人生でありえないことだった。そんなホストと、北欧家具の話を共有するなんて展開も。
「……じゃあ、また時間ある時にでも来ようかな。今日みたいな散歩なら。ホストクラブは遠慮しとく」
「じゃ、またな。今度は俺んち来いよ。同僚もいるけどオフが被らない日もあるし。K町の小さいバーなんかも面白いぜ」
「たぶん、呑み過ぎなければ行けると思う」
じゃーなと別れてその日は終った。
しばらくは学業と期末テストで多忙だったが、ルトとは連絡を取っていた。そこから分かった事は、ルトは高校卒業後、すぐ北海道を出て上京したこと。頼りになる親戚もいないから一人で働いていたこと、限界を感じて夜職を始めたこと。まだ一年程度しか経っていないが、案外水が合っていること……。僕が北欧家具のお気に入りをだせば、ルトは感想を言う。逆にルトが好きな家具のリンクを見せれば「高価すぎる」と僕が言う。主にそんなやりとりだった。そして、再度僕が上京できる頃合いが出来た――。
夕方から暮れなずむK町で、僕とルトは待ち合わせた。今度はライブを聴くというような共通点もないから、単に会おうぜというだけの理由で元俳優が経営する小さいバーに入っていった。そこは四、五人で満席と言った程度の裏路の店でルトは常連のようだった。ルトにアルコール弱めの酒を見繕ってもらっていたら、そばの席で男性同士が友情とは思えないような……親密な空気を出していた。鈍感な僕でも傍目にわかる……恋人同士?
「あんま見んなよ」
ルトに釘を刺された。そんなバレバレだっただろうか――静かなバーの中でも響かないように、ルトの耳に僕は口を寄せた。
「僕の近所は田舎だから、すぐ噂になるんだよ。堂々としてられるの、すごい」
「まあ、この辺はそういう奴らが集まる場所だからな」
僕は静かに口をつぐんでしまった。ルトは北海道出身で、K町勤務のホスト。もしかして。
「俺も似たような感じ。北海道は広くても場所は限られてるからな」
――! 僕は息を呑んだ。初対面の翌日の朝、違和感はなかったけどもしかして。そんな気配を察してか、ルトは僕を横目で制した。
「勘違いすんなよ。お前は俺の対象外」
「対象外?」
「俺はガチムチ派。もやしみてーなお前はちげーから」
そう言ってルトは僕の額をでこピンした。少し痛みを感じながらも、少し安心したような、対象外と言われて人として未熟として言われたような……もやっとした気持ちになった。
「ルトは誰にでも言ってるの」
ルトは友人……と、もう言っていいと思うけど、カッコイイと思う。私服のセンスとか、鼻筋が通った顔立ちとか。だがルトは鼻にもかけずにこう言った。
「なわけねーだろ面倒くさい。K町だと普通だから、男に寄って来られても面倒なんだよ。ホストで客寄せにはなっても色恋になるとストーカーも出るからな」
「ストーカー……」
どうもピンと来ない。こんな話をしていいのだろうか?
「……聴いて良いなら、ストーカーってどんな感じ?」
ルトは何気ない風で言ってきた。
「俺の場合はネットだったけど。悪口書きまくればカイジセーキューってできんだろ? だから俺の弱み握ったつもりで、ゲイってばらすって書いて来た」
「え……それって脅迫じゃん……普通に捕まる」
「捕まりにくいように『匂わせ』てくんだよ。俺にしかわかんねぇように揺さぶりかけて弱らせるんだってさ」
舐めてんな、と、ルトは言って一口あおった。
「……じゃ、じゃあ警察に言っても聞いてもらえない……?」
「別にゲイバレしたってここじゃ困んねーし。言われて困る生き方もしてねぇつもり」
ルトはどうどうと言って流し目を僕にくれた。僕に流し目くれても意味がない。
「じゃあ、どうしたの……?」
「客に弁護士がいて、先に相談窓口へ残しとけってアドバイス貰った」
「弁護士もお客さんにいるんだ」
「男が好きなやつが弁護士になっただけだろ」
それもそうか。
「で、ツルヤは大学で何の勉強してんだっけ」
「僕は、まあ……文学部」
「って?」
「安直に言えば外国の勉強」
ルトはカッカッと大声で笑い始め……て、静けさを壊さないように声を潜めた。
「それ、K町に向いてるぜ。外国の客も多いからな。こないだの北欧のMCは解んなかった」
「あぁ……言ってることは解ったよ」
話すのは苦手だけど。とは言いにくかった。
「へぇーいいな。俺はノリと自力でコミュ取ってるから、難しい話はできねーんだよな。好みの男だともっと話したいんだけど。最近は日本語ちょっといける客もいるけどな」
出身とか好物とか、とルトは言った。へぇ。実地で異文化コミュニケーション取ってるんだ。
「ルトは、すごいな……僕も大学生だけど、机上の勉強より実際に現地の人と話してるんだ」
「キジョウ。何それSM?」
「机の上の学問ってことだよ。受験して入ったけど、どっちかって言うと将来のためかも」
「出世とか? 起業して社長さん?」
「そこまでは……でも就職はできないと困る」
言いながらハッとした。ルトは高校を出たあと上京して、そのままホストになったんだ。これからも続くならともかく、辞めたら……再就職はどうなるんだろう? 沈黙した僕を尻目に、ルトが「そろそろ行くか」と言った。
K町を出て電車に乗って、僕たちが出会ったライブ会場の近くまでふらついた。酔いを冷ますのと、今度は芸人がいる演芸場に行くためだった。ルトと歩いてると、僕はどんどん都会を知っていく。今夜は当たり回でひとしきり笑っていたら時間を忘れ、いつの間にか深夜十一時をまわっていた。そう、終電はとっくに逃してしまった。明日は休講だけど、朝帰りなんて親が何ていうか知れたもんじゃない。特に、ホストの友人と遊んでいたなんて言えるはずがない。早速言い訳を考え始めると、ルトが茶化してきた。
「おぅおぅ、お坊ちゃまは大変だなあ。夜遊びもできねーのか」
バカにするなよ。マジでうるさいんだ……と言ってる間にスマホがなった。親からだ。気が進まないながらもタップした。
「あぁ、ちょっと大学の友達の相談に乗ってたら遅くなっちゃって……うん、わかってる。始発で帰るよ」
そう言いながら徐々に声が小さくなっていくのが自分で解る。そうしていたら、ルトがちょっと貸せとスマホに手を差し伸べて来た。
「お母さまですか? 僕は鶴谷君の友人の山田と言います。大学の後輩なんですが、鶴谷先輩に学校の勉強で相談に乗って貰っていて……えぇ、進路のことで。お引き留めしてしまって申し訳ありません。先輩が頼りになるので、つい」
そうして丸で別人みたいなルトを眺めていたら、どうどうと嘘をついてあの親に朝帰りを許させてしまった。何者だ、こいつ。
「ホストは話し方が命だからな」
しれっとしてルトは僕の手を引いた。
「え……どこ行くの」
「M町」
「なんで」
「ラブホ」
「は……はぁあっ⁉」
素っ頓狂な声が出た。
「おまっ……僕はタイプじゃないって」
「言っただろ。寝るには丁度いいんだよ」
ビジホより警戒されねーしな。とルトが言った。ぐいぐい手首を引かれて急な坂道を昇っていくと、確かに『ホテル』が道に立ち並び始めて来た。馴染みらしいホテルの部屋を取ると、ルトはどっかとベッドの端に座ってスマートフォンを眺め始めた。僕は放置。手持ちぶさたで、部屋をすみずみまで見渡した。
「ツルヤ」
「えっ」
ルトがスマートフォンから眼をはなさずに声を出した。
「スウェーデンって氷のホテルあんのな」
「えっ……そうなんだ」
初耳だ。ルトは情報に聡いところがある。
「氷漬けのホテルでシーツ? はトナカイの毛皮だってさ。水色の氷の上に茶色い毛皮って、面白ぇな」
そういってルトが見せてきた画面には、氷が削られて出来た部屋の中で氷を削ったベッドがあり、確かに大きな動物の毛皮が広がっている写真があった。
「北欧って感じだね……」
「ん。あのライブで興味出てきた」
「あの人はノルウェーなのに……」
「北欧は北欧だろ」
ひとくくりかよ。
「ツルヤ。今度いかねぇ?」
「東京―大阪間みたいに言うな」
演芸場で芸人をみてきたばかりだからか、思わず突っ込んでしまった。構わずルトはベッドに仰向けに寝転んで、スマホをなぞってはスクロールしている。
「ノルウェーとスウエーデンってバックパックでも列車でも行きやすいってよ。金なら俺が出すし。代わりに通訳してくれよ」
うっ……僕はライブで何も声をかけられなかったのを思い出した。ヒアリングは得意だけど、発音はいつも英会話教室でネイティブ講師に指摘されていたのだった。でも外国。学生の僕には手が届かない旅費がかかる。ホストにおごられるのは気が引けるけど、ちょっと興味が湧いて来た。なにより、あの歌手が育った国を見てみたい。雨が降る街の雨に降られてみたい。
「仕事は大丈夫なの?」
そこが一番の懸念点だった。
「今度店が改装するんだ。一週間くらいは休みとれるし十分だろ」
本気で考えているようだった。さすが北海道から上京した男。旅慣れているのか気おくれがない。僕も英語力を鍛えたい。
「いいよ……学校も長期休みだし」
「っし! 決まった」
そう言うとルトは上半身を起こして肩肘をついて、両腕で横にしたスマホを操作し始めた。小さく音楽が流れてくる。あの歌。
「その曲……ライブのやつじゃん」
「ん。良いよな」
僕もそばによってベッドの上に両腕を伸ばして覗き込むと、あの歌手のPⅤが流れていた。
「それ……違法じゃん? あの人の公式チャンネルないはずだけど」
僕はとっくに調べていた。
「あー、そうなの? 動画編集やってる奴が言ってたけど、音楽は権利元に行くって聞いたぜ」
「そういう、ことはわからないけど……その人配信してるの?」
「撮影とかスタッフやってるらしい」
ライブ会場であった時もそうだったけど、ルトは結構裏方スタッフとの顔見知りが多いみたいだ。そう言ったら「ちょっとだけ読モやってた」とあまり意外性がない返事が来た。ルトの顔とスタイルなら、確かに声かけられそうだ……僕に服のセンスはわからないけど。
「やめたの?」
「ホストの方が儲かるし、早く都内で暮らしたかったしな」
同僚と住んでるけどよ、とルトは続けた。ヒモの話も客からされたが、仕事以外でのご機嫌とりは面倒らしかった。ルトの行動を見ていると、なんだか解る気がした――と、ルトが僕を見て隣の空いたベッドのスペースを左腕でポンポンと軽くたたいた。
「……なんだよ。好みじゃなかったんだろ?」
安心しきっていた僕は、急にドキドキしてきた。この鼓動は胸騒ぎか、それとも緊張?
「そーだよ。ツルヤも疲れてんだろ? お坊っちゃん。『山田』は友達思いだから寝かせてやるっつってんだよ」
さすがホスト、眼もぱっちりしていて眠気などないみたいだ。反して僕は、まだ若いはずなのにとろとろと瞼が重くなり始めていた。体力がないのに歩きすぎた。肩掛け鞄を床に置くと、僕は履物を脱いで靴下になり、こころもちベッドの端に身体を仰向けて寝た。ツルヤが流す歌手の声はまだ聴こえていたが、それすら子守歌みたいに聴こえて僕は眠りに落ちていった。
3
残念ながら僕は北欧には行けなかった。季節外れの夏風邪とルトの休日がかぶってしまい、旅立つ直前にくしゃみが止まらなくなってしまった。見送りにも行けなかったが、ルトはデンマークの空港に着いた時から、夕方の街までの様子をつぶさに写真で送ってくれた。熱っぽくてだるい身体でも、まるで僕も隣にいるみたいだった。自室のベッドの上だったけど……でも時差は考えてほしい。日本は午前一時をまわっていて、この調子じゃ朝まで送ってくる勢いだ。
『ルト、こっちは深夜なんだよ』タップ。
『写真、明日見せて』タップ。
ルトが返信してきた。
『わりぃ、風邪だったな』
『七時間差だからこっちの深夜二時過ぎ?』
『俺は起きてるし』
さすがホスト。
『楽しんできて』
そう指でタップしながら僕は眠りに落ちていった。
翌日、起床して枕に頭をのせたままスマートフォンを見てみたら、通知がルトからたくさん来ていた。港のそばの赤い家、黄色い家、クラブの派手なライトと陰になった人達の動画、夜のバーで呑む人達……ルト、意外と写真うまいな。こんな写真なら日本で個展でもやれるかも。そしたらルトが、ホストの格好して通りがかりの人に「いらっしゃいませ!」なんていうのかな。
そう思ったらつい微笑してしまった……が、ある一枚の写真で手が止まった。白い吹き出しに『俺のダーリン♡』と書いてある。隣に映っているのはサングラスをしていて、顔立ちは解らないけれど金髪で肩幅もごつく、服を着てても半袖から覗けるガチムチの腕。二人は右手と左手を半分丸めてハート型にしている。話が早い。さすがホスト。いや、北欧男性? ルトの身長を考えると一九十センチはあるんじゃないか? 写真が送られてきたのは三時だから、僕が寝てから少しして出来上がったのだろうか。今頃ルトは……いや、考えるのはやめておく。
せっかく北欧の土産話なんかを期待していたのに、筋肉男との色恋を聞かされても解るはずもない。ちぇ、と子供じみた拗ねまで出る始末だった。案の定というか、それ以降ぱったり通知は途絶えてしまい、今頃ダーリンと楽しくデンマーク旅行をしているのか……と思うと、よけい彼の国が遠く想えてしまう。
さほど丈夫でもない僕の身体から風邪を追い散らすには時間がかかり、ぐずぐずと寝ているうちにルトの帰国日になってしまった。初日以降連絡がなかったルトの通知が、飛行機の到着時間が近づくうちにまた始まった。
『生きてる? ただいま!』
なぜかレゴ仕様のアメコミヒーロースタンプ。ああそっか、レゴ社はデンマークだっけ?
『お粥ばっかだったけど、治ってきた』
『体力ねえなあ。スポーツしろスポーツ』
『不健康生活のホストに言われたくない』
『ヨーグルトは飲んでる』
『酒控えれば?』
『俺の仕事だっての』
今度はビールのスタンプ。
『なんか怒ってる?』
三分ほど間が空いた。
『デンマーク楽しかった?』
『まあなー土産もあるぜ』
『ガチで? 何?』
『渡すとき見せるわ』
『何それ?』
ひみつ、と女児向けキャラがポーズをとったスタンプが返ってきた。
4
風邪もすっかり治って、僕は慣れてきた都会の駅でルトと再会した。北欧だからと言って灼けることもなく、日常に馴染んだ彼が私服で待ち合わせ場所に立っていた。今日がルトの最後の休日だった。二人でカフェに入り、SMSに上がっていた写真の話を聞かせて貰った。初日の筋肉男はなんと家具職人で、工房で働いているのだという。だから二人で話が盛り上がり――と言ってもルトは身振り手振りと写真と同時通訳アプリを介してなのだが、なんとか意志の疎通をしたらしかった。なんだ、今の時代に僕の通訳なんて不要じゃないか? と、またぶすくれてしまいそうでもだもだする。
でさ、とルトが言った。
「ベアくん(という愛称らしい)にお願いして、予約取って工房体験させてもらったんだ。日本と違ってあんま無ぇみたいでさ――貴重なんだぞ。ほら」
ルトが鞄から出したのは、布に包まれた木のスプーンだった。
「え……これ、手造り?」
「ああ。さすがに椅子とかは何日もかかるけど、これくらいなら数時間だっていうからやってみた」
どーよ、とルトは笑顔で僕の顔を覗き込んできた。さすがに素人のルトがセブンチェアーのような滑らかさの再現は無理だったが、紙やすりだろうか? 丁寧に撫ぜて心地がよい滑らかさに仕上げようとした『素人のやさしさ』が嬉しかった。
「草。ルトにしちゃ可愛いな」
「お前、風邪ひいてたからさー」
「え……うん」
「粥に使えるかと思ったんだよ。治って良かったな」
「そんなこと考えてたの⁉」
思わず大声が出てしまった。なんだこいつ。なんだこいつ。面倒見良すぎだろ。
「ベアくんに手取り足取り教えてもらった」
前言撤回。
「ベアくんとは……続いてるの?」
「いや。さすがに遠いし。でも職人に向いてるって言われた」
「へーお世辞じゃなくて?」
「興味持ったらまた来いって言われたから、悪くないんじゃね」
ルトが家具職人かぁ……最初はホクオーなんて言ってたのに、あの日を境に変わっていった。あのライブ、北欧出身の歌手が導いたルトの道。
「いいじゃん。酒で身体壊すより、家具職人なら今から目指せばいけるんじゃないの?」
「えっ、でも俺エーゴできねえ――」
「すぐデンマークじゃなくても。修行させてもらえるとことか国内でもあるんじゃない?」
詳しくないけど。あんなに滑らかな木の椅子を、ホストの磨き上げたネイルで愛おしそうに撫でるルトには似あう気がした。
「ベアさんって知人? 友人? が出来たのも強いじゃん。ホストって一生続く仕事でもないんだろ?」
「ま――そうだな。人によっては店もったりするけど、俺は流れで来ただけだしな……」
「そういえば北海道だっけ? 出身。あんがい北欧も合うかもよ」
「それな! 思ったわ。空気の匂い、ちょっと違うけど懐かしいって……なにニヤニヤしてんだよ」
「え?」
僕はいつのまにか機嫌がなおっていたようだった。このゆらゆらと不安定だった友人の行く道が、少し拓けてきた気がしたからだ。
「ツルヤはどうなんだよ」
「え?」
「俺はどうにだってなるけど、お前はシューカツあるんだろ? 大変だってよくキャバ嬢が言ってんよ」
「キャバ嬢が? なんで?」
「一応シューカツのためらしいぜ」
「えぇ!」
「高級なとこだからお偉いさんとか来て勉強になるってさ。引き抜き狙ってんのかはわかんねーけど」
「引き抜き……ってキャバ嬢から社員になるってこと⁉」
「さぁ? でも新聞三紙、ケーザイ紙、できればエーゴもなんてとこらしいから、顔と接客とスキルがウリになるんじゃねーの」
「そんなに……レベルが高い大学なのかな」
「俺らの仕事って『夜』の匂いがつくからなー。でも芸能界とか業界によっちゃいけるのかもな。で、お前はどーなの」
うう……。
正直、痛いところをつかれていた。まだ二年生だけど、だからって就職活動はのんびりしていられない。三年生で既に内定もらっているところもあるのだ。僕はなんとなしに薦められるがまま大学受験をし、なんとなく興味があった勉強をしただけだった。だからルトの進路、なんて偉そうに心配するのは正直おこがましいのだ。英語も勉強してはいるけど、先日のルトのようにアプリやAIで瞬時に翻訳できる時代になると、どう動いたらいいのか頭を抱える。
もちろん僕もそんなAIの恩恵を受けているし、日常のくだらない悩みを相談したりもしてる。先輩などは、アルバイト先から引き抜かれてそのまま就職することもあるらしい。でも僕は、忙しくてアルバイトは難しいし部活は合わなくてどこも入ってない。詰んだ。
「公務員……かなあ……」
無難すぎる。そして競争率が高い。でも、一番自分に合ってる気がする。
「公務員ねェ……」
ルトもなんだか遠い目をしている。
そうだ、公務員なんてなったら夜職のルトとは会いにくくなるだろうな。なんたって『お固い』仕事なんだから、疑惑や不祥事を起こしたら――どうなるんだろう? 夜職。大金。税金。納税。脱税。国民の義務。逮捕……ルト、大丈夫か? なんだか心配になってきた。かといってそんなセンシティブな話を訊ねるわけにもいかず――はッ。
「……弁護士……」
「弁護士?」
ルトもなんだか怪訝な顔をしている。大学で弁護士の話にひどく感銘を受けたことだけは覚えているのだ――。
「うん、まだ二年生だから今なら転向していけるかも。司法試験に学歴フィルターないって聞いた気がする」
「あー、弁護士さんっていると助かるよなぁ。俺もストーカーの時強かったし……」
「完ッ全に思いつき……だけど。公務員みたいに毎日定時で一生食べてくの、なんだか想像がつかないんだ……」
贅沢な悩みだけど、と呟きながら僕はルトと出会ったライブを思い出していた。田舎もんの僕には遠い世界だった都会のライブ。そこで出会ったホストのルト。あちこち連れまわされて、僕はこんな世界があるのかと眼が眩むような日々だった。公務員の世界……職種によるのだろうけれど、義務教育時代のようなスケジュールなのか? 前の僕ならともかく、今の僕には物足りないかもしれない……なんて……。
ルトと観た単館映画。二人で歩き回った路地で見つけた、儲かってるのか謎なアクセサリー屋。道路を走るだけが仕事の箱型広告トラック。平日は普通に歩けるのに、土日は祭の混雑になる街。全部、ルトと出会って都会に来るようになってから知った事だ。今までの僕だったら、迷わず公務員を選んでいただろう。いいか悪いかしれないが、染まってしまったのかもしれない。そして、そんな自分が嫌じゃないと思っている自分もここにいるのだ。ルトみたいな人を助けられたら――。金銭関係で水商売を扱うのは難しいかもしれないけど、さっき聴いたストーカー被害みたいに、警察と連携して動く方向ならいけるかも……?
「ちょっと、固まったかも」
「あっそ。何?」
「秘密」
「お前さぁー、そういうとこあるよなー。ハズカシーって言えねーんだろ?」
「何でわかんだよ! 違うよ!」
ルトがきっかけで弁護士目指すだなんて言ってたまるか。ルトはそんな僕を気にも留めず、暗くなってきた空を見て「ラーメン食いに行く?」と指で空を指して言った。
ルトが働く店の近くに構えているラーメン屋は、これもまた席が少ないけどお気に入りの店のようだった。待っている間に初めて来た場所の内装を眺めていると、読み古された漫画が並ぶカラーボックスがあった。客の暇つぶし用だ。僕の視線を感じて、ルトは棚を見、僕を見た。
「読む?」
「いや、いい」
ルトが源氏名を漫画から取ったと思い出しただけだった。
他の客が麺をすする音と、じゅうじゅうと湯気が立つ音と、店内の雑多な音と、適度に劣化した調度品を眺めていると、なんだか和んだ気持ちになってくる。遅すぎず早すぎず、店員さんがやってきた。
「どうぞ、醤油ラーメンと塩ラーメンです」
ルトがこれまでのルーティンで、れんげで汁をすするのかと思っていたら。
「ツルヤ」
「何」
にかーっと白い歯を見せながら、ルトがナルトを箸で挟んで突き出してきた。ひらひらさせて汁が飛ぶ。
「汚いって」
「これ、なーーんだ」
「ナルトだろ」
「俺の源氏名」
「ん、……ああ、ナルト? で、何?」
「はあ? お前わっかんねぇの? 忍者のナ・ル・トだ、よ!」
ルトは心底呆れた顔をした。
あっそ。
僕は黙ってスープをすすった。
了
※AI小説ではありません
・カクヨム様にも投稿しております




