サン=レガリア帝国ソウルベアラー回収記録:22番・25番
サン=レガリア帝国研究区画──地下深くにあるその施設は、
昼も夜もない、永遠に冷たい場所だった。
鉄の扉が開くたび、金属の軋む音が響く。
白衣の研究員たちは、まるで物を見るような目で二人を見下ろした。
「22番、起床。今日も適合率の測定を行う」
「25番、立て。岩殻の進行度を確認する」
番号だけが呼ばれる。
名前は存在しない。
ここでは、彼らは“人間”ではなかった。
22番──黒翼竜バル=ラグナの適合者。
25番──岩殻巨兵ガイア=センチネルの適合者。
だが、二人きりの時だけは違った。
「……リオ、起きてる?」
25番──カイが小声で囁く。
「うん……カイも?」
22番──リオが布団の中で返す。
名前を呼び合うのは、
この地下で許された唯一の“反逆”だった。
リオは十二歳。
背中に黒い痣のような紋様が広がり始めている。
それは黒翼竜の侵食の初期症状だった。
カイは十五歳。
右腕は肘から先が石のように硬くなっている。
岩殻巨兵の力を使った代償だ。
「今日も……痛い?」
「うん。でも……慣れたよ」
リオは笑った。
その笑顔は、まだ人間のものだった。
「カイは?」
「俺も……まあ、平気だ」
カイは嘘をついた。
腕は夜になると激しく軋み、
眠れないほど痛むこともある。
だがリオには言わない。
リオが心配するから。
リオも同じだった。
背中が焼けるように痛むことを、カイには言わない。
二人は互いに嘘をつき、
互いを守ろうとしていた。
──それが、二人に残された唯一の“光”だった。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「外って……どんなところなんだろうね」
リオの声は、少しだけ震えていた。
「……きっと、空が広い」
「空……」
リオは背中の痛みに耐えながら、
天井のない空を想像した。
「飛べたらいいな……」
「飛べるさ。お前なら」
カイはそう言って、
石化した右手でリオの頭をそっと撫でた。
その手は冷たかった。
けれど、リオは安心した。
この地下で、
リオを“人間として扱う”のはカイだけだった。
そしてカイにとっても、
リオだけが“人間”だった。
鉄の扉が開き、研究員が無機質な声で告げる。
「22番、25番。前線への派遣が決まった」
二人は顔を見合わせた。
恐怖よりも先に、
互いの存在を確かめるように。
「……大丈夫だよ、カイ」
「お前こそ……無茶するなよ」
その言葉が、
二人の“光”の始まりだった。
そして──
この光が、後にすべて奪われることを、
まだ誰も知らなかった。
帝国軍の飛空挺は、揺れるたびに金属音を響かせた。
リオとカイは貨物室の隅に座らされ、
手枷も足枷もつけられていないのに、
まるで囚人のように扱われていた。
「22番、25番。任務内容を伝える」
兵士は書類を読み上げるだけで、
二人の顔を一度も見なかった。
「前線にて魔王軍を殲滅。
生存率は低いが、損耗は許容範囲とする」
“損耗”──
それは二人の命のことだった。
リオは小さく肩を震わせた。
背中の黒い紋様が疼き、熱を帯びる。
カイはその様子に気づき、
石化した右手でそっとリオの肩に触れた。
「大丈夫だ。俺がいる」
「……うん」
その一言で、リオの呼吸が少しだけ落ち着いた。
飛空挺から外に出ると、
そこはすでに戦場の匂いが漂う前線だった。
「22番、飛行準備」
「25番、地上制圧に回れ」
命令だけが降る。
リオは背中を押さえながら立ち上がった。
黒翼竜の力が、翼を広げろと囁いてくる。
「カイ……怖いよ」
「俺も怖い。でも……一緒に帰ろう」
カイはそう言って、
石の手でリオの手を握った。
冷たいはずの手が、
リオには温かく感じられた。
「……うん。帰ろう」
二人は互いに頷き、
それぞれの戦場へ向かった。
リオは深呼吸し、背中に力を込めた。
「バル……お願い……」
黒い紋様が光り、
背中から翼が裂けるように生えた。
「っ……あああああ!」
痛みは鋭く、
骨が軋み、皮膚が裂け、血が滲む。
だが翼は広がり、
リオは空へ舞い上がった。
魔王軍の飛行兵が迫る。
「来る……!」
黒翼竜の力が暴れ、
リオの瞳が一瞬だけ赤く染まった。
黒炎が放たれ、敵を焼き尽くす。
だがそのたびに、
リオの胸の奥で“何か”が削れていく。
「……カイ……」
空の上で、
リオは小さく名前を呼んだ。
それだけが、
自分がまだ人間である証のように思えた。
カイは地面に手をつき、力を解放した。
「ガイア……頼む……!」
大地が震え、
岩の壁が隆起し、
魔王軍の突撃を止める。
だがその瞬間、
カイの腕の石化が肘から肩へと広がった。
「っ……!」
痛みはない。
ただ、身体が“自分のものではなくなる”感覚だけが残る。
それでもカイは前に出た。
「リオが……空で戦ってるんだ……!」
その想いだけが、
カイを人間として繋ぎ止めていた。
戦闘が終わり、
リオはふらふらと地上へ降りてきた。
「カイ……!」
カイは岩の腕を押さえながら、
リオの方へ歩み寄った。
「大丈夫か……?」
「うん……でも、背中が……」
リオは痛みに顔を歪めた。
カイは石の手でそっと背中に触れた。
「……熱いな」
「カイの腕も……」
リオはカイの肩に触れた。
そこはもう、石のように硬かった。
二人は互いの変化を見つめ、
少しだけ笑った。
「……変だよね、僕たち」
「変じゃない。俺たちは……俺たちだ」
その言葉が、
リオの胸に温かく染みた。
兵士たちは二人を見向きもしない。
誰も労わらない。
誰も名前を呼ばない。
だが──
二人だけは、互いを“人間”として見ていた。
それが、
この世界で唯一の光だった。
ゼル=アラドの空は、赤く染まっていた。
魔王軍の炎が街を焼き、
悲鳴と怒号が混ざり合い、
空気そのものが震えている。
帝国軍は混乱していた。
だが、彼らが最初に前線へ投げ込んだのは──
人間ではなかった。
「22番、飛行殲滅を開始しろ」
「25番、地上制圧に移れ」
命令は冷たく、
そこに“生きて帰れ”という願いは一つもなかった。
帝国兵たちは叫んだ。
「22番、もっと上空へ行け!」
「25番、前線が押されている! 早く動け!」
命令だけが降る。
そこに心はない。
リオが血を吐いても、
カイの身体が石に飲まれても、
誰も気にしなかった。
彼らは兵器だから。
壊れても構わない。
死んでも構わない。
帝国にとっては、それだけの存在だった。
ゼル=アラドの戦いに参戦して三日後。
帝国軍は休息を与えることなく、二人を次の戦場へ送った。
「22番、適合率が上昇している。次の任務で限界値を試す」
「25番、岩殻の進行度は問題ない。前線での使用を継続する」
研究員たちの声は、
まるで機械のように冷たかった。
リオは背中を押さえながら、
カイは石化した胸を押さえながら、
互いの姿を探すように視線を向けた。
「……カイ」
「リオ」
名前を呼び合うだけで、
胸の奥が少しだけ温かくなる。
それは、二人に残された唯一の“光”だった。
夜、薄暗い収容室で、
二人は隣同士のベッドに横になっていた。
「……背中、痛む?」
「うん……今日は特に」
リオは布団の上から背中を押さえた。
黒い紋様は肩まで広がり、
皮膚は熱を帯びている。
「カイは……胸、どう?」
「……もう、半分くらい石だ」
カイは苦笑した。
胸の鼓動は、もう“岩の音”に近かった。
「でも……まだ大丈夫だ」
「嘘だよね」
「……ああ。嘘だ」
二人は小さく笑った。
互いに嘘をつき、
互いに嘘を見抜き、
それでも互いを支えようとする。
それが、二人の“人間らしさ”だった。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「僕たち……いつまで人間でいられるのかな」
リオの声は震えていた。
「……分からない。でも」
「でも?」
「お前が名前を呼んでくれる限り、俺は人間だ」
リオは目を見開き、
そして小さく笑った。
「じゃあ……ずっと呼ぶよ」
「俺もだ。お前がどんな姿になっても、リオはリオだ」
その言葉は、
リオの胸に深く刻まれた。
背中の痛みも、
翼が生えかけている恐怖も、
その瞬間だけは消えていった。
翌朝。
輸送馬車が再び二人を乗せ、前線へ向かった。
兵士たちは二人を見ようともしない。
「22番、背中の変質が進んでいる。飛行能力は向上している」
「25番、胸部の石化が安定。防御性能が上昇」
“変質”
“石化”
“性能”
どれも、人間に使う言葉ではなかった。
リオは小さく息を吐いた。
「……ねえ、カイ」
「どうした」
「僕たち……帰れるのかな」
カイは少しだけ考え、
そして静かに答えた。
「帰る場所なんて、最初からなかった」
「……そっか」
「でも──」
カイはリオの手を握った。
石の手は冷たいはずなのに、
リオには温かく感じられた。
「お前がいるなら、それでいい」
リオは目を伏せ、
小さく笑った。
「……うん。僕もだよ」
その瞬間だけ、
馬車の中に“光”が灯った。
だがその光は、
確実に弱くなっていた。
侵食は止まらない。
二人の身体も心も、
ゆっくりと“召喚獣”へと近づいていく。
それでも──
二人は互いの手を離さなかった。
ゼル=アラドの戦いに参戦して一週間が経っていた。
帝国軍は二人を休ませることなく、
次々と戦場へ送り続けた。
リオの背中の黒い紋様は肩を越え、
胸元にまで広がっていた。
カイの石化は胸から腹部へ進み、
呼吸のたびに岩が軋む音がした。
それでも──
二人は互いの名前を呼び合い、
互いを“人間”として繋ぎ止めていた。
その夜、収容室の灯りが落ち、
薄暗い静寂が訪れた。
リオはベッドから起き上がり、
隣のカイのベッドへ歩み寄った。
「……カイ、起きてる?」
「起きてるよ」
カイはゆっくりと身体を起こした。
石化した胸が重く、呼吸が苦しい。
「背中……また痛むのか?」
「うん……でも、カイの方が辛そう」
「俺は……大丈夫だ」
嘘だった。
胸の奥はもう、ほとんど石になっている。
リオはカイの隣に座り、
そっと肩にもたれかかった。
「ねえ……カイ」
「なんだ」
「僕たち……どうなるのかな」
カイは答えられなかった。
リオの背中からは、
すでに“翼の形”が浮かび上がっている。
カイの胸は岩に覆われ、
心臓の鼓動は“岩の音”に変わっている。
人間としての時間は、
もう残りわずかだった。
「……リオ」
「うん?」
「お前が……人間じゃなくなっても……俺は、お前をリオって呼ぶ」
リオは目を見開き、
そして小さく笑った。
「僕も……カイがどんな姿になっても……カイだよ」
その言葉は、
二人の胸に深く刻まれた。
この世界で唯一の光だった。
翌朝。
輸送馬車が二人を乗せ、いつものように前線へ向かった。
リオは小さく息を吐いた。
「……カイ」
「どうした」
「僕……怖いよ」
カイは石の手でリオの手を握った。
「大丈夫だ。俺がいる」
その言葉だけが、
リオを人間として繋ぎ止めていた。
だが──
その光は、確実に弱くなっていた。
戦場に降り立った瞬間、
魔王軍の本隊が姿を現した。
空を覆う黒い影。
地を揺らす巨兵。
炎と咆哮が混ざり合う地獄。
「22番、飛行し殲滅を開始しろ」
「25番、前線を死守しろ」
命令だけが降る。
リオは背中に力を込めた。
「バル……!」
黒い翼が裂けるように広がり、
リオは空へ舞い上がった。
「っ……あああアァァァ!」
痛みはもう悲鳴ではなく、
竜の咆哮へと変わっていた。
カイは地面に手をつき、
岩殻巨兵の力を解放した。
「ガイア……!」
大地が震え、
岩の巨壁が立ち上がる。
だがその瞬間──
カイの胸の石化が首へと迫った。
「っ……!」
呼吸が苦しい。
視界が揺れる。
それでもカイは前に出た。
「リオ......一緒に生き残るんだ……!」
その想いだけが、
カイを人間として繋ぎ止めていた。
だが──
その想いすら、侵食に飲まれ始めていた。
空でリオが咆哮した。
地上でカイが吠えた。
その声は、
もう人間のものではなかった。
「リオ……!」
「カイ……!」
互いの名前を呼ぼうとした。
だが声は、竜の咆哮と岩の軋む音に飲まれた。
互いの姿を探そうとした。
だが視界は、敵と味方の区別すら曖昧になっていた。
リオの瞳は完全に赤く染まり、
カイの心臓は完全に岩の鼓動へと変わった。
──そして。
リオは空で翼を広げ、
カイは地上で巨壁を生み出し、
二人は最後の力を振り絞った。
その瞬間──
リオの背中の翼が完全に融合し、
カイの身体は首まで岩に覆われた。
互いを呼ぶ声は、
もう届かない。
互いを探す瞳は、
もう人間ではない。
──完全召喚獣化。
黒翼竜バル=ラグナ。
岩殻巨兵ガイア=センチネル。
二人の少年は、
この瞬間に消えた。
ゼル=アラドの戦いは終わっていた。
街は焼け落ち、瓦礫が積み重なり、
人々は泣きながら家族の名を呼んでいた。
だが──
その中心に立つ二つの影に、
誰も近づこうとはしなかった。
一つは、空を彷徨う黒い影。
翼を広げ、ゆっくりと旋回しながら、
まるで何かを探すように空を見下ろしている。
──黒翼竜バル=ラグナ。
もう一つは、街の外で動きを止めた巨影。
岩の身体はひび割れ、
風に削られながらも、
まるで誰かを待つように佇んでいた。
──岩殻巨兵ガイア=センチネル。
二人の少年の姿は、
もうどこにもなかった。
「対象22番、飛行型兵器。状態は安定」
「対象25番、地上型兵器。損傷率は高いが回収可能」
帝国の回収部隊が、
黒翼竜と岩殻巨兵を無表情に見上げていた。
「……人間の痕跡は?」
「完全消失。人格データは回収不能」
「なら問題ない。
生体兵器として使える」
その言葉に、
誰も疑問を抱かなかった。
彼らは兵器だから。
人間ではないから。
名前を呼ぶ者は、
もう誰もいなかった。
「飛行兵器22番、拘束開始」
黒翼竜の周囲に、
魔力鎖が展開される。
翼が軋み、
竜が低く唸った。
その瞳の奥には、
かすかな光が揺れていた。
まるで──
誰かを探しているように。
だが兵士たちは気づかない。
「抵抗反応、微弱。問題なし」
「鎖を強化しろ。暴走の可能性がある」
黒翼竜は鎖に絡め取られ、
ゆっくりと地上へ引きずり降ろされた。
「地上兵器25番、拘束準備に入れ」
岩殻巨兵の身体に、
魔力杭が次々と打ち込まれる。
胸の岩がひび割れ、
内部から微かな音が響いた。
ゴ……ゴ……ゴ……
それは、
カイの心臓が最後に残した“鼓動の名残”だった。
「内部反応あり。まだ動く可能性が──」
「問題ない。どうせ兵器だ。壊れても構わん」
兵士たちは淡々と作業を続けた。
黒翼竜が、拘束されたまま地上へ降りてきた。
岩殻巨兵の前に、
ゆっくりと翼を畳んで降り立つ。
互いを見つめる。
そこに言葉はない。
声もない。
名前もない。
だが──
ほんの一瞬だけ、
風が二人の間を通り抜けた。
その風は、
まるで二人が最後に交わした言葉のように優しかった。
──リオ。
──カイ。
誰も呼ばない名前が、
風の中に静かに溶けていった。
「よし、回収完了だ。
基地へ運べ」
黒翼竜は鎖に引かれ、
岩殻巨兵は分解用の台車に乗せられ、
無機質な兵器として運ばれていく。
光は消えた。
だが、
確かにそこに“光があった”ことだけは、
誰にも知られないまま、世界に刻まれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この物語に登場した二人は、本編に登場する存在の過去になります。
本編ではすでに人としての姿は失われていますが、
彼らにとってはこの物語が確かに「人間だった時間」でした。
もし興味があれば、
守れなかった俺はもう一度戦場に立つ〜二十年の時を越え、忘れられた英雄の戦い〜
の方も読んでいただけると嬉しいです。




