第4話:硬い肉よ、跪け!トロトロの魔法
「……おい、今日の肉もこれか」
「ああ。あだ名は『靴の裏』だ。噛み切る前に顎が壊れるぜ」
食堂に集まった騎士たちが、皿の上の黒ずんだ肉の塊を見て溜息をつく。
騎士団に支給されるのは、老いた家畜の筋張った赤身肉ばかり。
今までは「ただ煮るだけ」か「炭になるまで焼く」かの二択で、彼らにとって食事は「苦行」だった。
だが、今日の厨房はいつもと違っていた。
朝からずっと、重厚なワインと果実、そして炒めた香味野菜の、たまらなく甘やかで濃厚な香りが食堂まで漂ってきているのだ。
「姐さん……もう我慢の限界っす。その鍋、開けてもいいっすか?」
バルカスがよだれを拭いながら厨房を覗き込む。
私は彼をしゃもじで追い払い、じっくりと大きな土鍋の蓋を開けた。
「まだよ。この『野生のパイナップル』の果汁に一晩漬け込んで、肉の繊維を魔法みたいに解したんだから。そこから表面を焼き固めて、赤ワインとたっぷりの野菜で……三時間。ゆっくり、ゆっくり火を通すのがコツなの」
鍋の中では、真っ黒だった肉が、艶やかな琥珀色のソースに包まれて宝石のように輝いている。
仕上げに少しの冷たいバターを落とし、ソースにコクと照りを出せば――。
「みんな、お待たせ! 今日からこの『靴の裏』はメニューから消去よ。名付けて――『とろける果実の琥珀シチュー』! さあ、食べてみて! 添えてあるパンは、いつもの『石パン』を薄く切ってカリカリにトーストしてあるから、シチューにつけて食べてみてね!」
ざわつく騎士たち。
バルカスが先頭を切って、期待に目を輝かせながら皿を受け取る。
その瞬間、食堂に衝撃が走った。
「なっ……!? ナイフがいらねえ! スプーンを置いただけで、肉が勝手に割れていくぞ……!?」
バルカスが震える手で、ソースをたっぷり纏った肉を口に運ぶ。
「――っ!! なんじゃこりゃあぁぁ! 噛んでない、これ、舌の上で勝手に溶けて消えたぞ!? 脂の甘みと、奥深いソースのコク……俺は今、王宮の空高いあの雲を食べているのか!? 姐さん、これ、本当にあの『靴の裏』っすか!?」
「ふふん! 秘密はさっきの果実と、あとはこの『じっくりコトコト』っていう魔法よ。手間暇をかけた分だけ、料理は優しくなるんだから!」
続いて、バルカスがシチューにトーストを浸して口へ運ぶ。その瞬間、彼の目がこれまでにないほど見開かれた。
「……っ!! このパン、こいつ本当にいつもの石パンか!? カリッと香ばしいのに、シチューを吸った瞬間、じゅわっと旨味が溢れ出して……あんなに忌々しかったパンが、今はソースを運ぶ最高の相棒じゃねえか!!」
次々と騎士たちがシチューとパンを口にし、その場に固まる。
「旨すぎる……」「俺、生きててよかった……」「石パンをトーストするだけでこんなに化けるのか……!?」
静まり返った食堂に、カチカチとスプーンが皿をさらう音だけが響き、やがて――。
「おかわりだ! おかわりをくれぇぇ!!」
「アンジェリカ様! 俺、あんたのためならドラゴンの群れにだって突っ込める!!」
野太い歓声が爆発し、屈強な男たちが涙を流しながら私を囲む。
一瞬にして、私は騎士団の「絶対的なアイドル」へと昇格した。
「……っ、おい。あまり彼女に近づくな」
その喧騒を割って入ったのは、誰よりも早く一皿を完食していたカイル様だった。
彼は無表情を装っているが、その耳は真っ赤だ。
「カイル様、お味はどうでした?」
「……驚いた。……君の言う通り、世界が変わって見える。……だが」
カイル様は、私を拝み倒そうとする部下たちを冷たい眼光で牽制しながら、私の耳元で小さく、独占欲の滲む声で囁いた。
「……これほど美味いと、あまり他の奴らには食わせたくなくなるな。……俺だけの、専属にはなれないか?」
「ええっ!? そ、それは……困ります! みんなに食べてもらわないと!」
私が慌てて答えると、カイル様は少しだけ寂しそうに眉を下げて、「……そうだな。分かっている」と自分に言い聞かせるように呟いた。
ネガティブ全開で「自分だけを見てほしい」という彼の心の声が、ダダ漏れである。
「姐さーん! 次のレシピは何っすか!? 俺たち、皿洗いでも何でもしますぜ!」
バルカス率いる「アンジェリカ騎士団」が、今や本物の騎士団以上の結束力を見せ始めている。
私のレシピ一つで、この国で一番堅物な組織が、胃袋から塗り替えられていく――。
その光景を、食堂の入り口から忌々しげに見つめる影があることには、まだ誰も気づいていなかった。




