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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第1巻 運命の種火

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第2章:名もなき血統(ルーツ)の証明

 あの大嵐の夜から、四つの実りの季節が静かに通り過ぎていった。春には雪解け水が小川を歌わせ、夏には力強い日差しが大地を焼き、秋にはすべてを黄金色に染め上げる風が吹き、冬には真っ白な沈黙が村を包み込む。そんな巡る季節の中で、ふたつの小さな命は、驚くほどまぶしく、たくましく育っていた。

「にいに、待って! フィリーも行くの!」

 大人たちの背丈ほどもある麦の穂をかき分けて、鈴を転がしたような明るい声が響く。声の主は、四歳になったフィリーネだ。ふわふわとした銀色の髪をなびかせ、短い足で一生懸命に土を蹴る。その瞳は、雨上がりの空の色をそのまま映したような、透き通った青色をしていた。

 彼女がひたむきに追いかけているのは、七歳になったゼノリスだ。少年らしい引き締まった体つきになり、その足取りは以前よりもずっと力強い。彼はふと立ち止まると、振り返って優しく目を細めた。

「こら、フィリー。あんまり走ると転んじゃうよ。今日は地面が少し湿っているんだから」

 ゼノリスが大きな手を差し出すと、フィリーネは嬉しそうにその手に飛び込んだ。血のつながりはないはずなのに、ふたりが並ぶ姿は、まるで神様が描いた一枚の美しい絵画のようだった。ゼノリスの左右で色の違う不思議な瞳と、フィリーネの混じりけのない純真な瞳。そこには、この小さな村には収まりきらないほどの、凛とした気品が満ちている。

 ゼノリスは、妹の小さな手をぎゅっと握り直した。以前の彼は、自分の中に眠る「ふたつの鼓動」に怯えていた。けれど今は違う。この温かい、壊れそうなほど小さな手を守るためなら、どんな力でも自分のものにしてみせる。七歳の少年の胸には、すでにそんな静かな覚悟が宿っていた。


 そこは、村の誰もが立ち入らない、麦畑の一番奥まった場所だった。ゼノリスが立ち止まり、空いた方の手をそっと横に振る。すると、まるで意思を持っているかのように、高く伸びた麦の穂がさらさらと左右に分かれ、ふたりのための道を作り出した。

「わあ……っ!」

 フィリーネが驚きに目を見開く。辿り着いたのは、麦の穂が円を描くようにやさしく倒され、まるでふかふかの絨毯を敷き詰めたような、小さなお部屋だった。見上げれば、倒れなかった麦の穂が上の方で幾重にも重なり合い、天然の屋根を作っている。その隙間からは、お日さまの光が細い糸のようになって差し込み、まるできらきらとした天の川の粒が、お部屋の中にこぼれ落ちているようだった。

「これ、にいに、作ったの……?」

「うん。フィリーが、お昼寝をするときに、お日さまが眩しくないようにね」

 ゼノリスがそう言って地面に指を触れると、さらに不思議なことが起きた。ふかふかの麦の絨毯の間から、この季節には咲くはずのない、白やピンクの小さな花たちが、命を吹き込まれたように一斉に顔を出したのだ。さらに、その花々の周りには、黄金色の光をまとった不思議な蝶たちが、追いかけっこをするようにゆったりと舞い始める。

「きれい……! にいに、魔法使いさんみたい!」

 フィリーネは夢中で蝶を追いかけ、やがて疲れるとゼノリスの膝にちょこんと頭を乗せて、そのまま横になった


「ねえ、にいに。約束して?」

フィリーネが、ひたむきな瞳で彼を見上げた。

「大人になっても、ずっとフィリーのそばにいてくれる? どこか遠くへ行っちゃったりしない?」

 ゼノリスは一瞬だけ、言葉に詰まった。彼は時折、遠くの山を越えた先から、自分を呼ぶ「ざわめき」を感じることがある。自分の運命が、いつまでもこの黄金の麦畑の中に留まってはいられないことを、彼の本能は悟り始めていた。けれど、ゼノリスは迷いを振り払うように微笑み、彼女の手を力強く握り返した。

「約束するよ。何があっても、僕はフィリーを置いていったりしない。ずっとずっと、一緒だ」

 二人の小さな指が絡まり、指切りを交わす。その瞬間、麦の壁を通り抜けてくる風が、ふっと氷のように冷たくなった。


 その村に、見慣れない影が落ちたのは、それから数日後のことだった。村の外れから、一台の荷馬車がやってきた。車輪がガタゴトと鳴るたびに、荷台に積まれた色とりどりの布や、聞き慣れない不思議な香辛料の香りが、土の匂いに満ちた村の空気にわずかな違和感を混じらせていく。

 馬車を操っていたのは、ガズという名の旅商人だった。彼は金になりそうなものなら、地面に落ちた石ころひとつでも逃さない、鋭い勘の持ち主だった。その瞳は、長い旅で培われた、どろりと濁った欲に染まっている。

「やれやれ、馬もわしも、もう喉がからからだ」

 ガズは汗を拭いながら、村の入り口にある井戸のそばで足を止めた。ふと見ると、麦畑のそばで二人の子供が遊んでいる。彼は二人をじっと観察し始めた。泥にまみれてはいるが、どこか高貴な生まれを思わせる、凛とした佇まい。それは、彼が王都で見かけるような、高い身分の者たちが持つ独特の節度と同じものを感じさせた。

 そのとき、小さな悲鳴が上がった。フィリーネが、井戸のそばに突き出した鋭い岩の角に、足をひどくぶつけてしまったのだ。

「いたっ……! にいに、痛いよ……」

 彼女の白い足首に痛々しいほど鮮やかな赤色がにじみ、零れ落ちた。駆け寄ったゼノリスは、真っ青な顔をして、震える手で彼女の傷口をそっと覆った。

「フィリー! 待って、今すぐ治してあげるから……!」

 このとき、ゼノリスは確かに感じていた。麦の穂の隙間から、自分たちをじっと見つめる「冷たい視線」があることを。けれど、目の前の妹を救いたい一心で、彼はその視線を無視し、心の底から強く願った。

 ゼノリスの両手から、まばゆい黄金の光が溢れ出した。光が引いたあと、ゼノリスがそっと手を離すと、そこにはさっきまであったはずの深い傷も、血の跡さえも、あとかたもなく消え去っていた。

「……なんだ、ありゃあ」

 物陰で見聞きしていたガズは、あまりの衝撃に、持っていた水袋を地面に落とした。祈りも道具もなしに、ただの子供が、ひどい怪我をまばたきする間に消したのだ。

 ガズの心の中に、醜い欲望の炎が燃え上がった。この情報を、魔法の研究に必死になっている北の鉄鋼王国の役人に売り飛ばせば、一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入る。  商人は、気付かれないように静かに馬車へと戻り、馬に鞭を当てた。


 その日の夕食は、いつになく静かだった。空になった器が並ぶ食卓で、ゼノリスはさっきから自分の手元をじっと見つめている。母さんのミリアがよそってくれたあたたかなスープも、すっかり冷めてしまっていた。

「……ゼノリス。どうしたんだい? 何か心配事でもあるのか」

 父さんのロランが問いかけると、ゼノリスは絞り出すように話し始めた。

「父さん……今日、知らない男の人が僕たちを見てたんだ。フィリーが怪我をして、僕、光を使った。そしたら、その人がすごく怖い目をして僕たちを見てたんだ」

 ロランとミリアの顔から、さっと血の気が引いていく。隠し通せる日はいつか終わると分かっていた。けれど、こんなにも早くその時が来るとは。

「ロラン……」

「分かっている、ミリア。……荷物をまとめよう。今すぐだ。残せるものはすべて、思い出と一緒に置いていくんだ」

 ロランは立ち上がり、壁に掛かった古い剣を手に取った。それは農夫として土を耕してきた四年の間に、一度も鞘から抜いたことのない、鉄の掟。けれど今、彼は大切な家族を守るため、再び帝国最高位の『書架騎士』としての、鋭く冷徹なまでに冴え渡った表情を取り戻していた。

「父さん、どこかに行くの? 僕が光を使ったから……僕のせいなの?」

 不安で泣き出しそうなゼノリスの肩を、ロランは強く、けれど折れることのない芯のある優しさで抱き寄せた。

「お前が悪いんじゃない、ゼノリス。心配はいらない。父さんと母さんが、お前たちを必ず守り抜く。……約束だ」


 深夜、月が厚い雲に隠れた隙に、四人は住み慣れた家をあとにした。きれいに平らげられた器が残る食卓と、ゼノリスが大切にしていた木彫りのおもちゃ。それらをすべて残したまま、ただ暗い森の奥へと足を踏み入れる。


 家族が家を捨ててから、三日が過ぎた。朝霧が立ち込める黄金の麦畑の静寂を、不快な金属音と馬のいななきが切り裂いた。

 村の入り口に現れたのは、十数騎の重装騎兵たちだった。彼らが纏う鎧は、北の鉄鋼王国ヴェルンドの象徴である重厚な黒鉄。胸当てには冷たくかみ合う「歯車」の紋章が刻まれ、馬が吐き出す息には、どこか油の匂いが混じっていた。

「ここか。商人が報告してきた、奇跡の子がいるという村は」

 先頭に立つ小隊長のカイルが、兜の隙間から冷たい視線を村に走らせた。

「……家を改めろ。逆らう者は容赦するな」

 騎士たちが冷淡で素早い動きで家々を調べ上げ、やがて村の外れの一軒家に辿り着いた。カイルが鉄の籠手で扉を蹴り開けるが、そこには主を失った冷たい空気が漂っているだけだった。

「……逃げたか」

 食卓には、きれいに平らげられた器がそのまま残されている。カイルは窓際に落ちていた、ゼノリスの木彫りのおもちゃを手に取ると、鉄の掌でミシミシと握りつぶした。

「跡を消し、最短の道を選んで山へ入っている。……相手は素人ではない。かつて帝国を捨てた最高位の『書架騎士』だ。並の騎士では返り討ちに遭うぞ」

 カイルは家をあとにし、連峰の向こう側を指差した。

「追うぞ。子供の足だ、そう遠くへは行けまい。……黄金の光を放つガキを、生きたまま王のもとへ連れて行く。それが我らの任務だ」


 そのころ、ゼノリスたちは深い森の暗闇の中、道なき急斜面を必死に登っていた。父ロランは、眠ってしまったフィリーネを背負い、母ミリアは、ゼノリスの手をしっかりと引いて歩く。七歳の少年は、自分の足で土を噛みしめながら、背後に迫る鉄の足音を、その不思議な左右の瞳で、確かに感じ取っていた。


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