第23章:深淵の鼓動と鋼鉄の亡霊
深い夜の静寂が、ベルンシュタイン邸の重厚な石造りの壁を包み込んでいた。
普段ならば、夜会を終えた貴族たちが優雅に馬車を走らせる時刻だが、今夜のエテルナには不穏な空気が満ちていた。霧が濃く、ガス灯の明かりさえも頼りなく揺れている。
その屋敷の裏口、使用人たちが使う通用門を、三つの影が疾風のように駆け抜けた。
ゼノリス、テオ、そしてガルド・ベルンシュタインである。
「こっちだ。私の書斎に隠し部屋がある」
ガルドが低い声で先導する。
廊下には人の気配がない。使用人たちは皆、すでに休ませているのだろう。静まり返った屋敷の中で、彼らの足音だけがカツカツと響く。
三階の最奥にある書斎。ガルドが扉を開け放つと、そこにはすでに一人の少女が待っていた。
「お兄様!テオ!」
フィリーネだ。
彼女は心配そうに手を組み、部屋の中を歩き回っていたようだが、二人の姿を認めると、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「無事だったのですね……!よかった……!」
「ああ、なんとかな。フィリーネこそ、大丈夫だったか?ライラさんは?」
ゼノリスが問うと、フィリーネは深く頷き、凛とした瞳で答えた。
「はい。ライラさんは、マーサさんとルカ君にお願いしてきました。事情を話したら、『任せな!この宿はエテルナ一番の要塞だよ。ネズミ一匹通しゃしないさ!』って、快く引き受けてくださったんです」
「そうか……あの親子なら安心だ」
ゼノリスは安堵の息を吐いた。
あの宿の女将マーサの豪快な笑顔と、しっかり者の息子ルカの顔が思い浮かぶ。彼らなら、たとえ評議会の手先が来ても、フライパン一つで追い返してくれそうだ。
これで、後顧の憂いはなくなった。
「それに、私も戦います」
フィリーネが、部屋の隅に立てかけてあった自分の杖を強く握りしめた。
普段の彼女は、争いを好まない穏やかな性格だ。だが今の彼女の瞳には、かつてないほど強い意志の光が宿っていた。
「ライラさんの体……あんなひどいこと、同じ魔導士として絶対に許せません。私の魔法で、少しでもお兄様たちの力になれるなら」
「助かるよ、フィリーネ。君の支援魔法があれば百人力だ」
ゼノリスが微笑むと、フィリーネは嬉しそうに、しかし力強く頷き返した。
そこへ、書棚の一部を操作していたガルドが声をかけた。
「準備はいいか。ここからは、エテルナの光が届かない場所だ」
ゴゴゴ……と重い音を立てて、巨大な本棚がスライドする。
その奥に現れたのは、人が一人やっと通れるほどの狭い空洞と、闇の底へと続く螺旋階段だった。長年閉ざされていたためか、埃っぽく乾いた匂いが鼻を突く。
「これは……?」
「かつて、この街が海賊の襲撃に備えて作った緊急避難路の一つだ。今はもう使われていないが、地下水道のメンテナンスルートを経由して、市政庁の真下……地下深層区画まで繋がっている」
ガルドは壁にかかっていた一本の細剣と、古びたランタンを手に取った。
その剣は、貴族が持つような装飾用ではない。使い込まれ、何度も手入れされた形跡のある、実戦用の武具だった。かつて彼が、理想に燃える若き政治家として、自ら街の治安を守るために奔走していた頃の相棒なのだろう。
「行こう。時間が惜しい」
ガルドがランタンに火を灯し、先頭に立つ。
ゼノリス、テオ、フィリーネがそれに続く。
隠し扉が背後で閉まると、世界は完全な闇に閉ざされ、ただランタンの揺れる灯りだけが、彼らの足元を照らす唯一の道標となった。
地下への道は、険しく、そして長かった。
最初は石造りの階段だったが、やがて足元は濡れたレンガ敷きに変わり、周囲の壁からは地下水が滲み出して、パチャパチャと水滴が落ちる音が反響し始めた。
エテルナの繁栄を支える地下水道網。そのさらに下、忘れ去られた旧時代の遺構だ。
「……すまない」
黙々と歩を進めていたガルドが、背中を向けたまま、ぽつりと漏らした。
その声は、地下の湿気を含んで重く沈んでいた。
「私が、愚かだったんだ」
「ガルドさん?」
ゼノリスが問いかけると、ガルドは自嘲気味に言葉を続けた。
「私は、市政評議会の予算委員会に席を持っていた。……『都市防衛強化費』。そして『地下魔力安定化プロジェクト』。……それらの予算案に、私は喜んでサインをしたよ」
ガルドの拳が、ランタンの取っ手をきしませるほど強く握りしめられる。
「議長の説明を鵜呑みにしていたんだ。『これでエテルナはより安全になる』『市民の生活が豊かになる』とね。……まさかその金が、人を攫い、あんな非道な実験を行い、地下の怪物を目覚めさせるための資金だったとは……夢にも思わなかった」
自分が承認したハンコの一つ一つが、罪なき犠牲者を生み出す許可証だったのだという事実。その罪悪感が、この地下道の暗闇よりも深く、彼の心を蝕んでいるのが分かった。
「私は、共犯者だ。……君たちのような真っ直ぐな若者に助けられる資格など、本当はないのかもしれない」
ガルドの声が震えた。
その背中は、昼間に議会場で見た時よりもずっと小さく、脆く見えた。
沈黙が落ちる。ただ、水滴の落ちる音だけが響く。
「……違うよ」
静寂を破ったのは、テオの低い声だった。
「ガルドさんは、知らなかっただけだ。……騙す方が悪いに決まってる」
「しかし、知らなかったということが罪なのだよ、テオ君。政治家とは、結果に責任を持つ仕事だ」
「それでも!」
テオが声を張り上げた。
「ガルドさんは、僕たちを信じてくれた。ライラさんの手帳を見て、一緒に怒ってくれた。……本当に悪い奴なら、そこで僕たちを捕まえて、議長に突き出せばよかったはずだ。でも、あなたはそうしなかった」
「……テオ」
「僕の故郷を奪った役人たちは、最後まで笑っていたよ。『開発のためだ』って。……でも、ガルドさんは今、泣いているみたいに悔しがっている。……それは、あなたが優しい人だからだ」
テオの言葉は、拙ないけれど、本質を突いていた。
ゼノリスも、ガルドの横に並び、その肩に手を置いた。
「テオの言う通りです。過去は変えられませんが、未来は変えられます。……あなたが今ここで、剣を取って共に歩いている。それが、何よりの答えじゃないですか」
「ゼノリス君……」
「行きましょう、ガルドさん。僕たちが暴くんです。あなたの正義が、間違っていなかったことを証明するために」
二人の少年の言葉に、ガルドは目元を拭うように顔を伏せ、そして大きく息を吸い込んだ。
再び顔を上げた時、その表情からは迷いが消えていた。
「……ありがとう。君たちは、本当に眩しいな」
ガルドはランタンを高く掲げ直した。
「急ごう。この先が、地下深層区画への入り口だ」
地下道をさらに進むこと数十分。
周囲の景色が、明らかに変化し始めた。
崩れかけたレンガの壁は、いつしか継ぎ目のない滑らかな金属質の壁へと変わり、足元の地面も硬質な床材へと変化していた。
空気の質も違う。湿気たカビの臭いは消え、代わりに鼻を突くのは、錆びた鉄と油、そして――焦げ付いたような魔力の臭いだ。
「……変です」
最後尾を歩いていたフィリーネが、不安そうに声を上げた。
「魔力の濃度が、異常に高いです。それに、この感じ……ただの魔力じゃありません。もっと、ドロドロとした……不快な波長を感じます」
「うん、僕も感じる。肌がピリピリする」
テオが鼻にシワを寄せ、獣人の本能で警戒を露わにする。
ゼノリスもまた、懐の手帳越しに心臓が早鐘を打つのを感じていた。
ライラの中に巣食っていた「這い寄る鉛糸」。あの銀色の寄生体が放っていた独特の不気味さが、この空間全体に満ちているのだ。
「ライラさんの手帳には、こうありました。『銀色の糸は、魔力を求めて彷徨う。より強い器、より大きな力を求めて』と」
ゼノリスは走り書きされたメモを思い出しながら、嫌な予感を口にした。
「もし、評議会の連中が、その特性を利用しようとしているとしたら……」
「利用する? あの寄生体をか?」
ガルドが眉をひそめる。
「はい。この手帳によると、地下に眠る『古代機甲兵』は強力ですが、動かすには莫大な魔力が必要だそうです。そして、それを補うために魔導士を使い捨てにしていたと」
ゼノリスの中で、最悪のパズルが組み上がっていく。
魔導士を襲う鉛糸。
魔力を喰らい尽くし、宿主を操る性質。
そして、莫大な魔力を必要とする古代の機械兵器。
「……まさか、彼らは『融合』させようとしているんじゃないでしょうか。魔導士から抽出した『鉛糸』を、制御中枢として機甲兵に埋め込むことで……無限に魔力を生み出す『永久機関』として利用しようと」
その推測に、全員が息を呑んだ。
「馬鹿な……! そんなことをすればどうなるか……!」
フィリーネが顔を青ざめて口元を押さえる。
生物の悪意と、機械の破壊力。
その二つが混ざり合えば、それはもはや兵器ですらない。制御不能の災厄だ。
「……急ぎましょう。実験が始まる前に止めないと、取り返しのつかないことになります!」
ゼノリスの声に弾かれたように、四人は走った。
足音が金属の床を叩く。
行く手に現れたのは、巨大な隔壁扉。その隙間からは、まばゆい光と、地響きのような機械の駆動音が漏れ出していた。
ここだ。
この向こうに、エテルナの闇の根源がある。
「……行くぞ」
ガルドが剣を構え、合図を送る。
テオが、その怪力で重い鉄扉のハンドルを回し、ゆっくりと押し開けた。
プシューッ……!
圧縮された空気が抜ける音と共に、扉が開く。
その瞬間、彼らの目に飛び込んできた光景は、想像を絶するものだった。
「……嘘、でしょう……?」
フィリーネが絶句し、その場に立ち尽くす。
そこは、まるで地底に築かれた巨大なドームだった。天井は見えないほど高く、壁面には無数の魔導ランプが埋め込まれ、人工的な昼を演出している。
だが、彼らを圧倒したのはその広さではない。
その空間を埋め尽くす、鋼鉄の巨像たちだった。
身長三メートルはあろうかという人型の機械兵器。
全身を鈍色の重装甲で覆い、右腕には巨大なパイルバンカーのような突撃槍、左腕には大口径の魔導砲を装備している。かつて大陸を焦土に変えたと言われる、アドラスティア帝国の遺産――『古代機甲兵』だ。
その数は、百や二百ではない。
整然と並ぶ鋼鉄の列は地平の果てまで続き、優に千体を超えていた。
「これほどの数が……眠っていたというのか」
ガルドの声が震える。
八ヵ国連合の正規軍ですら、これほどの戦力を一箇所に保有してはいない。もしこれが地上に出て動き出せば、エテルナどころか、周辺諸国など一夜にして火の海となるだろう。
「おい、あれを見ろよ!」
テオが指差した先、無数の機甲兵に囲まれた中央広場に、一段高くなった制御壇があった。
そこには数十人の魔導技術者たちが忙しなく動き回り、その中心で、豪奢な椅子に座る老人がワイングラスを片手に指示を飛ばしている。
エテルナ市政評議会議長、ヴァルター・フォン・エテルナだ。
そして、その制御壇の周囲には、ガラス張りのカプセルが数本設置され、中には意識を失った魔導士たちが閉じ込められていた。彼らの身体からは無数のチューブが伸び、それが数体の機甲兵の背中へと直接繋がれている。
「あいつら……人を部品扱いしやがって!」
テオの喉から、獣のような低い唸り声が漏れる。
その時、議長ヴァルターが立ち上がり、両手を広げて高らかに叫んだ声が、拡声魔法によってドーム内に響き渡った。
『諸君!長きにわたる苦労が、今夜ついに報われる時が来た!』
その顔は、狂気じみた歓喜に歪んでいる。
『魔石では動かぬ古代の巨神。だが我々は発見したのだ!彼らが欲していたのは、電気でも蒸気でもない。生き血のごとき鮮度を持つ、生体魔力そのものであると!』
議長が合図を送ると、技術者がレバーを押し込んだ。
「やめろッ!!」
ガルドが叫び、飛び出そうとする。だが、遅かった。
カプセル内の魔導士たちが、声にならない悲鳴を上げて仰け反る。チューブを通して、彼らの命そのものである魔力が、強引に吸い上げられていく。
ブォンッ……!
重苦しい駆動音が響き、ケーブルで接続された三体の機甲兵が、ゆっくりと顔を上げた。
カメラアイに光が灯る。
成功か――そう思われた瞬間だった。
「……な、なんだこの光は?」
議長が怪訝な声を上げる。
機甲兵の瞳に灯ったのは、通常の起動色である赤色ではなかった。
それは、冷たく、どこまでも無機質で、それでいて粘着質な輝きを放つ――銀色だった。
バチバチバチッ!!
突然、接続ケーブルが内側から破裂したように弾け飛んだ。
カプセルの中の魔導士たちが、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。彼らの身体からは、魔力だけでなく、「何か」が抜け出した後だった。
代わって、機甲兵の装甲の隙間から、銀色の粘液のようなものが溢れ出し、鋼鉄のボディを侵食するように這い回る。
「おい、数値がおかしいぞ!魔力供給が止まらない!いや、逆流している!?」
「制御不能!リンクが切断されました!」
技術者たちが悲鳴を上げる。
ゼノリスは、その光景を見て戦慄した。
「やっぱりだ……!あいつらは、電池として繋がれた魔導士を見限って、もっと強くて頑丈な『器』に乗り移ったんだ!」
這い寄る鉛糸。
魔導士の命を啜る寄生体は、目の前に現れた「古代機甲兵」という最強の宿主を見つけ、歓喜と共に転移したのだ。
『狼狽えるな!私が主人だぞ!止まれ、止まらんか!』
議長が杖を振り回して叫ぶ。
だが、銀色の瞳を輝かせた機甲兵は、ゆっくりと首を巡らせ、自らを縛り付けていた拘束具を紙切れのように引きちぎった。
ギギギ……ガシャァッ!!
三メートルの巨体が、制御壇の上に降り立つ。
その動きには、機械特有の硬さはなく、まるで生物のような滑らかさと悪意が宿っていた。
「ひっ……!」
目の前に立った技術者が、腰を抜かして後ずさる。
機甲兵は無造作に右腕を振り上げた。
次の瞬間。
濡れた雑巾を叩きつけるような音と共に、技術者の上半身が弾け飛び、肉塊となって壁にへばりついた。
「な……」
議長が言葉を失う。
目の前で起きた殺戮。それを理解するよりも早く、機甲兵の巨大な手が、議長の身体を鷲掴みにした。
『ぐああああッ!?は、離せ!私はエテルナの王に……!』
グチャリ。
トマトを潰すような軽い音と共に、議長の野望は永遠に沈黙した。
鮮血が鋼鉄の指を伝って滴り落ちる。
「議長を守れッ!……チッ、もう遅いか!総員、迎撃せよ!」
護衛についていた暗殺部隊「掃除屋」たちが、一斉に武器を抜く。
彼らは手練れだった。魔力で強化されたダガーや毒針が、正確無比に機甲兵の関節やセンサーを狙って放たれる。
だが。
キンッ! カカンッ!
全ての攻撃は、古代の合金装甲に弾かれ、傷一つつけられない。
それどころか、傷ついたそばから、装甲の隙間から銀色の糸が湧き出し、瞬時に修復してしまう。
「ば、化け物か……!?」
恐怖に駆られた暗殺者の一人が逃げ出そうと背を向けた。
その背中に、機甲兵の左腕――魔導砲の銃口が向けられる。
銀色の閃光。
音もなく放たれた光弾は、暗殺者たちを制御壇ごと消し飛ばし、黒焦げのクレーターだけを残した。
静寂が空間を包み込んだ。
圧倒的な暴力の前に、人の命などあまりに脆かった。
評議会も、技術者も、暗殺者も。エテルナを裏から支配していた者たちは、自らが起こした悪夢によって、ほんの数分で食らい尽くされたのだ。
「……なんてこと……」
フィリーネが口元を押さえる。
あまりの惨劇に、吐き気を催しているようだ。
だが、悪夢は終わらない。
血の海と化した制御壇の上で、三体の機甲兵が、ゆっくりとこちらを振り向いたのだ。
その銀色の瞳が、入り口に立つゼノリスたちを新たな「餌」として認識する。
さらに悪いことに、彼らの背後――格納庫の奥に並ぶ千体の機甲兵たちもまた、共鳴するように身震いを始めていた。
「来るぞッ!」
ゼノリスが剣を抜き、前に出る。
先頭の機甲兵が、地面を砕く勢いで跳躍した。巨体に見合わぬ爆発的な加速。一瞬で距離を詰め、パイルバンカーのような槍を突き出してくる。
「くっ!」
ゼノリスは紙一重で回避するが、衝撃波だけで身体が吹き飛ばされそうになる。
続く二体目が、フィリーネを狙って魔導砲を構えた。
「させるかよッ!!」
その射線上に、一人の男が割り込んだ。
テオだ。
だが、その姿は普段の気弱な彼ではない。
バキバキバキッ……!
骨が軋む音と共に、テオの身体が一回り大きく膨れ上がる。
シャツが弾け飛び、逞しい筋肉が鎧のように隆起する。丸かった耳は鋭く尖り、優しかった瞳は黄金色の獣の光を帯びていた。
獣人族の本能解放――獣化。
「オラァッ!!」
ドォォォォンッ!!
テオは放たれた魔導砲の閃光を、巨大化した腕に展開した魔力障壁で強引に殴り消した。
爆煙を切り裂き、野太い声が轟く。
「俺の連れに、指一本触れさせねぇぞ、鉄屑野郎ども!!」
頼れる前衛、獣戦士テオの咆哮が、地下空洞を震わせる。
「テオ……!」
ゼノリスは体勢を立て直し、ニヤリと笑った。
敵は古代の殺戮兵器。しかも鉛糸に乗っ取られた最悪の怪物。
だが、怯む理由はない。
最強の盾が、ここにいるのだから。
「行くぞ、みんな!ここが正念場だ!」
「グルルルゥ……ッ!」
獣化したテオの喉から、低い唸り声が漏れる。
彼の全身を覆う黄金色の体毛は逆立ち、丸太のように太くなった腕の筋肉が、脈打つ血管と共に熱を発していた。
だが、対峙する敵は、生物としての恐怖を感じない鋼鉄の亡霊だ。
ギィィィンッ!
先頭の機甲兵が、不快な駆動音と共に再び突進を開始した。
右腕のパイルバンカーが射出され、空気を切り裂いてテオの胸板へと迫る。
「させるかよッ!」
テオは正面から受け止めた。
魔力を纏わせた両腕を交差させ、鋼鉄の槍をガッチリと挟み込む。
ズドォォンッ!
激しい衝撃音が響き、テオの足元の床が蜘蛛の巣状にひび割れる。
凄まじい推進力だ。並の魔導士なら上半身が弾け飛んでいる威力だが、獣化したテオの筋力と防御力はそれを拮抗させていた。
「ぐ、ううぅぅぅッ!!」
テオが歯を食いしばり、足を踏ん張って押し返す。
しかし、敵は一体ではない。
「テオ!左右から来るぞ!」
ゼノリスの叫びと同時に、残る二体の機甲兵が側面へと回り込んでいた。
一体はガルドへ、もう一体は後衛のフィリーネへと狙いを定めている。鉛糸に乗っ取られた彼らは、狡猾にも「守るべき弱い箇所」を本能的に理解しているのだ。
「私の街で、好き勝手はさせん!」
ガルドが吠え、レイピアを閃かせる。
彼の剣技は錆びついてはいなかった。切っ先が蛇のようにうねり、機甲兵の関節やセンサーの隙間を正確に突く。
キンッ! カカンッ!
だが、硬い。
古代の合金装甲は、細剣の一撃を容易く弾き返した。
「くっ、硬すぎる……!これほどとは!」
ガルドが舌打ちをする。
その隙に、機甲兵の巨大な腕が裏拳のように振るわれた。
ガルドは咄嗟に身を屈めて回避したが、風圧だけで体勢を崩される。
一方、フィリーネの方にも危機が迫っていた。
「ウィンド・カッター!」
彼女が杖を振り、鋭い風の刃を放つ。
だが、魔法が機甲兵の装甲に触れた瞬間、銀色の波紋が広がり、風の刃は霧のように拡散して消えてしまった。
「魔法が……霧散した!?」
フィリーネが驚愕に目を見開く。
鉛糸の特性――魔力の吸収と拡散。それが機甲兵の装甲全体に防護膜として展開されているのだ。
物理攻撃は弾かれ、魔法攻撃は無効化される。
まさに、無敵の要塞。
「フィリー、危ない!」
魔法を無効化した機甲兵が、無慈悲に腕を振り上げる。
その影が、少女の華奢な身体を覆い尽くす。
フィリーネは動けない。恐怖で足が竦んだのではない。あまりにも圧倒的な「死」の気配に、生存本能が麻痺してしまったのだ。
「フィリィィーッ!!」
テオが叫んだ。
彼は目の前の敵を強引に振りほどき、背中を見せてフィリーネの元へと跳んだ。
間に合うか。いや、間に合わせる。
「うおおおおぉぉッ!!」
ドゴォォォッ!!
機甲兵の鉄拳が、フィリーネを庇うように立ち塞がったテオの背中に直撃した。
骨が砕けるような鈍い音が響く。
「テオ!!」
フィリーネの悲鳴。
だが、テオは倒れなかった。
口から鮮血を吐きながらも、彼は仁王立ちで耐えていた。その背中は、黄金色の光を放ち始め、次第にその輝きを増していく。
「……痛てぇな……この野郎……」
テオが、血に濡れた口元を歪めてニヤリと笑う。
彼の心の中にあったのは、痛みへの恐怖ではない。かつて故郷を守れなかった無力感への怒りと、今度こそは絶対に守り抜くという、鋼鉄よりも硬い決意だった。
(俺は……盾だ。みんなを守る、最強の盾になるんだ!)
その想いが臨界点を超えた時、テオの身体から眩い黄金のオーラが爆発した。
「もう二度と、俺の後ろで誰も死なせねぇッ!!」
『不屈の聖盾』。
テオを中心に、六角形の光の障壁が展開される。
それは従来の魔法障壁とは異なり、物理的な衝撃も、鉛糸による魔力干渉さえも、すべてを拒絶する絶対不可侵の領域だった。
ガンッ!!
追撃を加えようとした機甲兵の拳が、光の盾に触れた瞬間、強烈な反発を受けて弾き返された。機甲兵自身がバランスを崩し、たたらを踏む。
「今だ、ゼノリス!」
テオが叫ぶ。
その声は、相棒への絶対的な信頼に満ちていた。自分が耐えれば、必ず彼が決めてくれると信じている声だ。
「ああ、任せろッ!」
ゼノリスは既に動いていた。
テオが作った一瞬の隙。そして、機甲兵の装甲が「攻め」に転じてわずかに開いた瞬間。
彼は深く踏み込み、長剣を構える。
(硬い装甲。魔法を拡散する被膜。……なら、どうする?)
普通の剣技では通じない。単一の魔法でも弾かれる。
ならば――混ぜ合わせるしかない。
ゼノリスの脳裏に、かつて学園でガント教官が語った言葉が蘇る。『魔法とはイメージだ。既存の枠に囚われるな』。
彼は意識を研ぎ澄ます。
右手に宿る「風」の鋭さと、左手から大地を通して汲み上げる「土」の重さ。
相反する二つの属性を、剣身の上で強制的に衝突させ、融合させる。
(風の回転で、砂の粒子を極限まで加速させる。……イメージしろ、全てを削り取る嵐の刃を!)
キィィィィィィンッ!!
ゼノリスの剣が、高周波の振動音を立て始めた。
剣の周りに渦巻くのは、ただの風ではない。ダイヤモンドのように硬質な砂の粒子を含んだ、超高速回転する研磨の嵐だ。
合体魔法『砂塵』。
「そこだァッ!!」
ゼノリスが地を蹴り、機甲兵の懐へと飛び込む。
横薙ぎの一閃。
砂塵を纏った刃が、機甲兵の胴体を捉える。
ギャリギャリギャリギャリッ!!
金属が悲鳴を上げるような凄まじい切断音が響いた。
物理的な硬度と、魔法的な干渉。その両方を、超高速の粒子振動が強引に削り取り、食い破っていく。
「断ち切れぇぇッ!!」
ゼノリスが渾身の力を込めて振り抜く。
ズバンッ!!
硬質な手応えが消え、剣が虚空を走り抜けた。
一瞬の静寂。
直後、機甲兵の上半身が斜めにずり落ち、轟音と共に地面に崩れ落ちた。
切断面からは、火花と共に、切断された銀色の鉛糸が、苦悶するようにのたうち回りながら溶けていく。
「はぁ……はぁ……!」
ゼノリスは残心を取りながら、荒い息を吐いた。
手には痺れが残っている。だが、確かな手応えがあった。
倒せる。この怪物たちは、無敵ではない。
「やったか……!」
ガルドが驚嘆の声を上げる。
テオも獣化を解き、元の姿に戻りながらへたり込んだ。
「へへっ……さすがだ、ゼノリス」
「テオのおかげだ。あそこで守ってくれなきゃ、打てなかった」
フィリーネが駆け寄り、テオの背中に治癒魔法をかける。
「テオ、無茶をして……!でも、ありがとう。本当にすごかったわ」
「いいってことよ。……フィリーネが無事でよかった」
四人の間に、僅かな勝利の余韻が流れる。
だが、それはすぐに絶望によって塗り替えられた。
ゴゴゴゴゴゴ……。
地底全体が揺れ始めたのだ。
倒した機甲兵の残骸。そこから這い出した銀色の鉛糸が、床を這って逃げていく先――格納庫の奥。
そこに並ぶ、千体の機甲兵たちの瞳に、次々と銀色の光が灯り始めていた。
「……嘘だろ」
テオが顔を引きつらせる。
一体倒すのに、これだけ消耗したのだ。それが、千体。
しかも、それらが一斉に動き出し、大地を踏みしめる音が、死の行進曲のように近づいてくる。
「……まだだ。まだ終わってない」
ゼノリスは剣を握り直した。その瞳に絶望の色はない。
彼は知っていた。この扉の向こうにこそ、エテルナを救うための真実があることを。ここで退けば、街は終わる。
「道を開くぞ。……この先にある制御中枢を叩くしか、止める方法はない!」
ガルドが覚悟を決めたように頷き、フィリーネが震える足で立ち上がり、テオが再び拳を握る。
眼前に迫る鋼鉄の軍勢。
圧倒的な闇に対し、四つの小さな光が、それでも消えまいと強く輝き始めた。




