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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第1巻 運命の種火

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序章:星を穿つ産声

 その夜、世界の時計が止まった。空を巡る星たちが、まるで深い眠りにつくように、その瞬きを止めてしまったのだ。


 北の果て、一年中冷たい雪と黒い煙に包まれたヴェルンド王国。城の奥深く、誰も寄せ付けないような高い玉座に座っていたヴァルガルド王は、窓の外に広がる銀色の景色を見つめ、苦しげに眉を寄せた。城壁に並んだ巨大な鉄の歯車が、悲鳴を上げるのを止めている。暖炉の中でパチパチと踊っていた火も、まるで絵画の中の出来事のように、その形を変えるのをやめていた。王が握りしめた古い剣のつかが、目に見えない震えとなって、彼の手のひらに冷たい汗をにじませる。

「……鋼のことわりさえも、空の気まぐれには勝てぬというのか」

王がため息とともに吐き出した白い息は、空中で小さな氷の粒となって、静かに砕け散った。


 西の海に抱かれた国、ルサルカ海洋公国では、夜の闇に響いていた波の音がふっと消えていた。深い夜のしじまの中、机に向かって筆を走らせていたマリエーヌ大公妃は、テラスから吹き込む海風が急にその勢いを失ったことに気づき、顔を上げた。彼女の手から、音もなく純銀の羽ペンがこぼれ落ちる。真っ白な羊皮紙の上に落ちたインクのしずくが、まるで不吉なあざのように、じわりと、ゆっくりと広がっていく。テラスへ歩み寄り、海を見下ろせば、いつもなら白銀の月光を跳ね返して輝いているはずの海面が、鏡のようにいでいた。一点のさざ波も立たず、ただそこにあるだけの、命を失った水。

「海さえも息を潜めている……。これは世界の終わりかしら。それとも――」

彼女の美しい指先が、何かに怯えるように胸元を強く握りしめた。


 東の森に守られた国では、数千年も生き続けているという巨木の葉が、いっせいにその揺らめきを止めていた。森を覆う深い霧が、まるで命を持った重い幕のように、全てを包み込んで離さない。南の砂漠の国では、夜風に舞っていたはずの砂粒が、重力を忘れたかのように、空中にふわりと浮いたまま静止した。宝石を散りばめた衣装に身を包む王が、金の杯を握りしめたまま、微動だにしない夜空を見上げて喉を鳴らす。


 八つの国に分かたれた大陸。そのどこにいても、王たちはそれぞれの場所で、ただならぬ気配に戦慄せんりつしていた。

「不吉な。星がその歩みを止めるなど、聞いたこともない」

「いや、これは誰かを迎えるための準備だろうか。天が、新たなあるじのためにひざまずいているというのか」

「三百年前、我ら八王の祖先がバラバラに引き裂き、土の底に沈めたはずの帝国……。その亡霊が、今さら土を撥ね退けて這い出そうとしているのか…」

 王たちの不安なつぶやきは、冷たく凍りついた夜の闇に吸い込まれていった。だが、彼らの背中を走り抜ける冷たい震えは、本能が告げる真実を捉えていた。魔王の消滅とともに八つに引き裂かれ、ようやく手にしたこの危うい平和。そのもろい舞台が、今、遠く地の果てで芽吹いた「未知なる星の胎動」によって、根底から崩れ去ろうとしていることを、彼らは魂で悟っていた。


 同じ時、大陸のちょうど真ん中に位置する、聖都エテルナ。そのさらに深い、深い地下。誰の記憶からも消え去り、光さえ届かなくなった「忘却の聖域」の静まり返った空気が、不意に、目に見えない力によって引き裂かれた。

「……ようやく、か。この果てしない待ちぼうけも、ようやく終わるのだな」

 独り言を漏らしたのは、岩山のように大きな体をした、一人の老人だった。彼の名はバアルガンド。その髪は雪よりも白く、顔に刻まれた深いしわは、三百年という気の遠くなるような時間の流れを物語っている。彼はかつて世界を火の海に変えようとした魔王の父親であり、そして、暴走してしまった愛しい我が子を、この手で虚空へと封じ込めた、哀れな番人であった。

 老人の目の前で、空間が粘土のようにぐにゃりと歪み、まばゆい光が溢れ出した。透き通るような黄金色の輝きと、全てを飲み込んでしまいそうな漆黒の闇。決して混じり合うはずのない二つの力が、激しく火花を散らしながら、ひとつの「形」へと集まっていく。それは、本来ひとつの器に収まるはずのない、神々しい救いと恐ろしい破壊が、ひとつに溶け合おうとする不思議な光景だった。

 激しい雷鳴のような音が収まり、再びしんとした静寂が戻ったとき。冷たい石畳の上に、ひとりの赤ん坊が横たわっていた。

 バアルガンドは、古木のように節くれだった指を震わせながら、その小さな命をそっと拾い上げた。赤ん坊の肌は驚くほど白く、そして生きた温かさに満ちている。小さな胸に耳を当てれば、そこには不思議な「二重の調べ」が刻まれていた。ドクン、ドクン。地響きのように低く重く響く、魔王の脈動。トクン、トクン。晴れ渡った空のように清らかに澄んだ、勇者の脈動。二つの心臓が、ひとつの体の中で、まるでお互いを確認し合うように共鳴し合っている。

「……すまぬな。お前に、これほどの荷物を背負わせてしまった」

 老人の目から、熱いしずくが赤ん坊の頬にこぼれ落ちた。この子は、バアルガンドがかつて封じ込めた息子の「半身」であり、同時に、その息子を止めるために命を燃やし尽くし、封印のいしずえとなった勇者の「魂の片割れ」でもある。世界を救うべき光と、世界を焼くべき闇。そのどちらが勝つのか、あるいはその先に、まだ誰も見たことがない別の道があるのか。老いた番人には、それを知る術はなかった。

 バアルガンドは赤ん坊を柔らかな布で包むと、かつての輝きを失い、八つに切り刻まれた大陸の夜へと歩み出した。この強大すぎる「鍵」を、王たちの欲深い手の中に置いておくわけにはいかない。今のこの子に必要なのは、厳しい帝王の教えではない。ただ、この不思議な命を、一人の「人間」として愛してくれる場所であった。


 それから数時間後のこと。八星諸国の版図からこぼれ落ち、地図からも忘れ去られた大陸の最果て。幾重もの峻険な連峰に守られたその地には、地平の彼方まで波打つ黄金の穂波と、静謐なる集落がひっそりと息づいていた。村の外れに夜風に揺れる麦の海に囲まれた一軒の家があった。窓から漏れるあたたかな灯火ともしびを目指し、バアルガンドはその扉を、拳で三度、静かに叩いた。扉を開けたのは、一人の男だった。使い古された粗末な麻の服を着て、手には農具を持っている。けれど、その立ち姿には、隠しきれない気品と、研ぎ澄まされた知性の名残があった。

「……どなたでしょうか。こんな夜更けに」

 男―ロランの瞳は、招かれざる客を警戒して鋭く光っていた。その背後では、若き妻のミリアが、いつでも護身用の魔導具を手に取れるように身を潜めている。ロランとミリアは、かつて、王宮の地下深く、誰も知らない暗闇の中で眠る大切な記録を守り続ける『書架騎士しょかきし』という、特別な務めを果たしていた。一冊の本を守るため、その身に知恵と剣を宿した、帝国でも数少ない選び抜かれた者たちだった。しかし、王たちのどこまでも黒い欲望に愛想を尽かし、世界の真実を抱えたまま、追っ手から逃れてこの地まで辿り着いた「逃亡者」たちである。

「名は問うな。ただ、この子を預かってほしい」

 バアルガンドが差し出した腕の中から、赤ん坊が初めて、その瞳を開いた。右の瞳には、夜明けを告げる黄金の星。左の瞳には、万物を静寂に引き込む漆黒の深淵。

「これは……」

 ロランは息を呑んだ。世界中の不思議な記録を読み解いてきた彼には、すぐに理解できた。  この目の前の赤ん坊に宿っているのは、かつて大陸をひとつに束ねた始祖の、さらにその奥にある「星の意志」そのものである。ミリアが震える手で赤ん坊を受け取った。赤ん坊は彼女の指をぎゅっと握り、無邪気に笑ってみせた。その瞬間、夫婦の間に流れていた張り詰めた緊張が、春の陽光に溶ける雪のように消え去った。

「今日から、この子は私たちが守ります」

ロランは静かに、けれど折れることのない剣のような決意を込めて言った。

「王宮の連中には、一生見つけさせはしません。この子はただの農家の息子として、私たちが、命を懸けて愛しましょう」

 バアルガンドは深く頷き、夜霧の向こうへと背を向けた。去りゆくその背中に、ミリアの透き通った声が届く。

「この子に、名前を授けていただけますか?」

 老人は一度だけ立ち止まり、振り返らずに答えた。

「――ゼノリス。古い言葉で、異質な石を意味する。決して混ざり合わぬ二つの魂を宿す、この世界で唯一の存在だ」

 老人の姿が闇に消えると同時に、空で凍りついていた星々が、何事もなかったかのように再びゆっくりと巡り始めた。こうして、後に「星帝」と呼ばれる少年の物語は、黄金色の麦畑に囲まれた名もなき家から、静かに、けれど力強く幕を開けたのである。

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