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第7話 二人の運命を変えた出来事

今回は、とくにいつもよりもかなり長いです。

細かく分けて投稿するよりも、区切りの数字がある方がしっくりしたのでこのような形で投稿します。

お時間がある時に、読んでいただけると幸いです。

 陽架琉(ひかる)の階段での転落事件から約七年前の話だ。

 陽架琉の父・母・兄・姉が火事でいなくなってしまった()は、彼ら以外の運命を変える出来事でもあった。


 陽架琉の兄の竜輝(りゅうき)は、少し反抗期があっても、弟のことがすごく大好きでその世話をして心を落ち着けていた。

 しかし、受験生でもあったからか、余計に気持ちの波があった。

 せがれとたけしは、竜輝の心のバランスを心配していて、よく話し相手にもなった。それぞれの家にも、お泊まりをしていた。

 

 二人とも受験や反抗期でもあったから、竜輝の気持ちはよくわかった。

 当時のせがれとたけしは、十八歳で性格が違う心友だ。

 竜輝は二人より三つ年下の十五歳で、三人とも小学校から中学まで同じだった。

 竜輝にとっては、せがれとたけしのことは兄のような存在であった。

 

 竜輝が小さい時に、じいちゃんに連れられて、せがれの会社に行った時に二人と出会った。

 それから色々話すようになり、三人は何だか気の合う仲になった。

 

 たけしの両親は海外で仕事をすることが多く、あまり家にいなかった。

 たけしには、四つ年上の兄と二つ年上の人のお姉がいて、親代わりでもあった。

 たけしの両親は連絡もなしに急に帰ってきて、拒否権なく子どもたちを連れ出すことがあった。

 たけしは、あまり家族を優先してくれない両親のことが嫌いだった。

 

 せがれは工務店の社長の一人息子だ。父親からは、会社を継ぐために、高校を卒業してすぐに修行をするように言われていた。

 せがれはまだまだ遊びたいし、家業には専門的なことを大学で学んでから本格的に継ぐことを考えて働こうと思っていた。

 でも、父親からはせがれの頭が悪いので大学に行っても金の無駄になるから、早いうちに現場で勉強したほうがいいと言われていた。

 それに対して、せがれは反発をした。同世代と喧嘩をすることもあった。

 せがれは、自分が大学に進学をしたいという意志を父親に認めてもらうために、たけしに勉強教えてもらった。

 

 せがれは父親と顔を合わせにくくなって、たけしと陽架琉の家や他の友達のところに転々と泊まるようになっていた。

 

2


 あの火事の日は、元々秋原たけしの家に陽架琉の兄の竜輝とせがれが泊まる予定だった。

 でも、その日はたけしの方に急な用事ができた。それは、両親が急に帰ってきたからだった。


 せがれは、他の友達の家に泊まりに行っていた。二人とも受験や年頃で荒れているのもあり、陽架琉の兄のことまで考えれる余裕はなかった。

 

 竜輝は、たけしからの突然のドタキャンの連絡に少し思うことがあるぐらいで、「しょうがないな」とおりあいをつけていた。

 

 三人のグループメッセージでは、他愛もない日常のやり取りだった。

 

『二人とも、ごめんね。両親が急に帰ってきてね。これから、出かけることになって。僕の家でのお泊りは、キャンセルでお願いします』 

 

『おう。たけしも大変だな。俺は他の友達のとこにいくわ』

 

『俺は、自分の家にいるよ。たけしくんも、大変だね。また今度、泊まりに行くね』

 

『二人とも、わかってくれてありがとう。またね』

 

「おう」

 

「またね〜 」  

 

 これが最後のグループメッセージになるとは、誰も思わなかった。

 また、三人で彼らだけの秘密の話ができると思った。


 数時間後に、この三人の中の一人が、もうこの世からいなくなるとは誰も思わなかった。

 

3

 

 せがれは、友達の田中の家で風呂を借りていた時だった。

 せがれのスマホが、何度もけだたましいバイブ音を響かせていた。

 田中はいつものことかと思ったが、それにしてはいつもより何だか緊迫しているように感じた。  

 田中は、スマホを持って慌てて脱衣場の方に走った。

 

「おい、スマホめっちゃなってるぞ」

 

 田中は、脱衣所のドアを乱暴に叩きながら言った。

 

「いつものだろう。放っておけばいいよ」

 

 せがれはドアを開けて、めんどくさそうに言った。

 

「通知見えたんだけど、なんかヤバそうなんだよ」

 

 それは田中の顔を見て、いつもと違うと深刻なことだと思った。

 

「はぁ? 」

 

 せがれは、メッセージの内容を見てそう言った。日本語が書いてるはずなのに、なんでか読めなかった。


 せがれの髪はまだ乾かしてなくて、ポタポタとしずくが流れた。

 そこに、うつむくせがれの涙も混じっていた。まるでパラパラと雨の雫が落ちてスマホの画面を濡らしたようだ。

 

「どうした? 」

 

 田中が心配して、せがれの顔を覗き込んだ。

 

「竜輝の家が……」

 

 せがれが消えそうな声でそう言っていると、スマホは「親父」と表示された通話画面にきり変わった。

 せがれは、震える指で通話ボタンを押した。

 

「……親父」

 

「このアホが! 」

 

 せがれの父親は、声を震わせながら怒鳴った。

 

「お前は、生きてるか?どこにいるんだ! 」

 

 せがれは、メッセージに書かれた受け入れられない言葉に、声がこれ以上出せなくなった。

 

「あ、親父さん。俺です。田中です」

 

 せがれの友達が代わりに、今のせがれがどこにいるのかを説明した。

 

「すいません、親父さん。俺、イマイチ状況が分からないんです。何かあったか教えてもらえませんか?スピーカーにしますんで」

 

「分かった」

 

 田中は、通話をスピーカーに切り替えた。

 

「二人とも、よく聞けよ」

 

「はい」

 

「……おう」

 

「竜輝くんの家が、火事になったんだ。それで家にいたみんなが、亡くなったんだ」

 

「陽架琉は? 」

 

 せがれは、時々じいちゃんの家に陽架琉が預けられていることを知っていた。

 もしかしたら、陽架琉だけでも無事かもしれないと思った。

 

「陽架琉くんは、じっちゃんの家にいたから無事だ」

 

「よかった」

 

 せがれは、父親の言葉を聞いて心底安心をした。それでも、心の中では言葉に出来ない複雑な感情はあった。

 

「今からそっちに迎えに行く。頼むから。今日は家にいてくれ」

 

「おう」

 

 せがれは、田中の家の場所を正確に言って電話を切った

 

「おい、大丈夫か」

 

 田中は、座り込んだせがれを大丈夫じゃないとわかっていてもすごく心配していた。

 

「なんで、竜輝たちが死なないといけないんだよ」

 

 せがれはそう言って泣き叫んだ。

 

「お前が今することは、とにかく髪を乾かせ。風邪をひくから」

 

 田中は、少しでも気持ちを切り替えるために、せがれの前にドライヤーを差し出した。

 

「そうか」

 

 せがれはそう言ったが、身体が思うように動かない。

 

「俺が特別にしてやるから」

 

 田中は、せがれの髪を丁寧に乾かしてやった。

 

「俺、竜輝くんとは何回か会ったけど」

 

 ドライヤーの音があっても、せがれに聞こえるように友達は大きな声で言った。


「家族想いの良い子だって思った。その家族が本当に火事でいなくなったって、さっき親父さんから聞いても信じられない」

 

 せがれが、竜輝とたけしといる時に、何度かと会ったことがあった。

 竜輝の兄が、家族のことを楽しそうに話しているのがすごく印象に残っていた。

 田中は、自分とは正反対だなって、羨ましかった。

 

「竜輝くんとお前は、小さい時からの仲だったから。俺と比べることもできないぐらいに、今は感情がぐちゃぐちゃだよな」

 

 せがれは、手に持っていたタオルで乱暴に涙を拭いた。

 

「親父さんも、心配なんだよ」

 

「分かってんだよ」

 

「そうだよな」

 

 二人の間には、ドライヤーの音だけが響いた。

 

 せがれが荷造りを終えると、こんなことを言い出した。

 

「親父は、嘘をついてんだ。竜輝たちが死ぬわけねえよ。俺を家に帰らすための嘘だよ」

 

 せがれが信じたくない現実を受け入れずに、言ってはいけない言葉を並べるのを見た。

 田中は、なんて声をかけたらいいのかわからなかった。

 そして、田中はせがれの表情がすごく怖かったと後に言っていた。

 

 田中は、もう火事が嘘じゃないってことを確信していた。

 せがれに隠れて見たいくつかのネットニュースに、竜輝の家が火事になっていると取り上げられていたからだ。

 その中では最近連続放火事件が起こっていた。それと関係があるなら、この町では竜輝の家が初めてだと、恐ろしいことが書かれていた。

 この町の前には、隣町で数件の似たような放火があった。

 

 せがれたちも前にニュースを見て怖いと思ったり、気をつけないとなと言い合ったりしていた。

 

「竜輝たちは、生きてんだよ」

 

 せがれは自分に何度も言い聞かすように、そう何度も言った。

 

「なあ、火事だって嘘だろ」

 

 せがれは、田中がスマホでネットニュースを見ていたのに気がついていた。

 そして、せがれは田中からスマホを乱暴に奪い取って、ニュースを見た。画面には現実が表示されていた。


 せがれはやっと父親からのメッセージやニュースを見て、現実を照らし合わせた。


 運がいいのか悪いのか、竜輝たちは消防が家に突入してから、そんなに時間がかからない間に発見された。

 だか、火の回りが早かったのか家がかなり燃えた後に消火された。

 じいちゃんが事件現場に行ったことで、すぐに身元の確認が取れた。

 

 運ばれた陽架琉の兄と姉たちは、家の近くにある大きな病院で、医師たちによる懸命な治療が行われたが程なくして亡くなった。

 連続放火が起こっていたため、速報でネットニュースが深夜に関わらず報道されていた。

 

4 

 

 また、せがれのスマホがけたたましいバイブ音を響かせた。

 

「たけし」

 

 せがれは、震える声でそう言った。

 

「君は、無事? 」

 

「俺は、のんきに田中のところで風呂に入っていた」

 

「たけしは? 」

 

「僕も、呑気に家族とホテルにいた」

 

「竜輝くんのこと、ニュースで見たよね」

 

「あぁ」

 

 もう、せがれは嫌でも現実を見ないといけないと思った。


「僕は嘘だと思いたくて、竜輝くんのスマホに電話かけちゃった」

 

「えっ、出たのか」

 

「繋がらなかった」

 

 たけしの声は、すごく悲しそうだった。

 

「僕、じっちゃんのところに電話をかけたんだ」

 

「え? 」

 

「じっちゃんの代わりに、ばあちゃんが電話に出てくれたよ」

 

 たけしは、鼻をすすった。

 

『もしもし、夜遅くにすみません。秋原たけしです』


『たけしくん、こんばんは』

 

『こんばんは。遅くにすみません』

 

『いいのよ』

 

『あの……。ニュースを見て』

 

『すぐに、こちらから連絡できなくてごめんなさいね』

 

『いえ、それは別に……』

 

『おじいちゃんも私もそれどころじゃなくてね。今、ちょっとだけ落ち着いたの。陽架琉がいるからね。警察が気を利かせてくれてね。本当ならもう少しかかるらしいけど。早く帰らせてくれたの。それで、さっき家に着いたばかりよ』

 

 たけしは、ばあちゃんの言葉にニュースがフェイクでなく現実だと思ったという。

 

『あの、竜輝くんたちは? 』

 

 たけしは、それでも現実だと思いたくなくて、竜輝たちの安否を聞いた。

 

『みんな、頑張ったんだけどね』

 

 ばあちゃんの声は、だんだんと涙に変わった。

 

『……ごめんなさいね』

 

『……いえ』

 

『まだ警察が、あの子たちを調べることが言っていてね』

 

『はい』

 

『これからのことは、その後に決めるの』

 

『はい』

 

『もし、よかったらでいいんだけどね。明日、たけしくんたちで(うち)に来てくれないかな? 』

 

『え? 』

 

『陽架琉のことが心配でね。あの子と遊んでもいいし、ただ一緒にいてくれると嬉しいの。おじいちゃんや私と陽架琉の三人だけでいると、落ち込みすぎるから来てほしいの』

 

 ばあちゃんの声は震えていても、なんとか今を踏みとどまろうとしていた。

 

『分かりました』

 

『二人で、来ますね』

 

『ありがとうね。何時でもいいから来てね。もう遅いから切るわね。おやすみなさい』

 

『はい。それでは明日の昼前に行きますね。おやすみなさい』

 

 たけしは、この話をせがれに伝えた。


  

「明日は、君も一緒に行こう」

 

「おう」


 ピンポーンと、友達の家のチャイムが鳴った。

 

「誰か来たの? 」

 

 電話の向こうのたけしは、不思議そうに言った。

 

「親父が、迎えに来た」

 

「分かった」

 

「たけし、明日悪いけど。俺の家に来てほしい」

 

「うん、分かった。迎えに行くね。一緒に行こう」

 

「おやすみ。気をつけて帰ってね」

 

「おう。おやすみ」

 

 たけしとの通話が終わった。

 

5

  

 せがれと友達は、玄関に向かった。玄関のドアの覗き窓を見ると、せがれの親父がいた。

 

「田中さんのお宅でしょうか」


 ドア越しに、父親が名乗って言った。


「はい」


「宮本です。息子を迎えに来ました」


 田中がドアチェーンや鍵を外し、ドアを開けた。せがれは、父親を見て少し気まずそうにしていた。

 

「このバカ息子! 」

 

 せがれの父親が、深夜にも関わらず大声を出した。

 

「ごめ……」

 

 せがれがそう言いかけた時に、せがれの父親は息子を抱きしめた。

 

「さっさと電話にでろ。俺は、生きた心地がしなかった」

 

 せがれの父親は、涙ながらにそう言った。

 

「ごめん」

 

 二人は抱きしめあった。

 

「あの……」

 

 田中は、気まずそうにしそうに声をかけた。

 

「あ、悪い」

 

「もしよかったら、中で話しますか?そこ玄関なんで」

 

「こんな時間に玄関で、申しわけない」

 

 せがれの父親は深々と田中に向かって頭を下げた。

 

「あ、頭を下げなくていいんで。俺のことは気にせずに中で話してくれたらいいんで」

 

 田中は、少しおどおどしながら言った。

 

「気遣ってくれてありがとう。いつも息子を泊めてくれてありがとう。今夜は、このまま連れて帰るよ」

 

「分かりました。帰り、気をつけてください」

 

「ありがとう」

 

 せがれの父親はそう言ってから、息子の肩をポンっと叩いた。

 

「おやすみ。また連絡する」

 

「おやすみ。落ち着いてからでいいからな」

 

「おう」

 

 せがれと父親は、田中の家を後にした。二人は、無言のまま駐車場に行って車に乗り込んだ。


 

「お前が、無事でよかった」

 

 せがれの父親は夜道を車で走らせながら、そうポツリと言った。

 

「うん」

 

「お母さんには、電話の後にお前なら他の友達の家にいて無事だからと伝えている。そうしたら、「それだったら心配する必要ないね」って、明るく言っていたが。俺には顔を見せてくれなかった」

 

「うん。親父」

 

「ん? 」

 

「親父がさ。さっき竜輝たちが、亡くなったって言ってたけど。それってやっぱり嘘だろ」

 

 せがれの親父は車を止めた。その顔は赤信号で赤く照らさせていた。

 

「俺が、そういう嘘をつくと思ってんのか」

 

「だって」

 

「信じたくない気持ちもわかる。父さんだって。信じられない」

 

「だよな」

 

 車内に、沈黙が流れた。

 

 せがれの父親は、信号が青に変わって車を走らせると、口を開いた。

 

「騒ぎを聞いて、竜輝くんたちが運ばれた病院にお父さんとお母さんで行ったんだ。あの辺で、事件や事故で救急を受け入れるのは、あそこしかないからな」

 

「え? 」

 

「病院に行って、じっちゃんを見たら。どうなったのか分かったよ」

 

 せがれの父親は病院に着いて、じっちゃんがいるところに案内されて向かった。じっちゃんは、病院の廊下のベンチで顔を手で覆って座り込んでいた。

 

「じっちゃんが心配してきた俺たちに、みんなを会わせてくれた。たぶん、自分たちだけで受け止めれなくて。親しい人にも、確認をしてほしかったんじゃないかって思うんだ。だから、これが現実なんだって。お父さんは、知っているから」


 せがれの父親は、一度深呼吸をした。


「竜輝くんたちと仲がよくて信じたくないお前に、このことをはやく話したかったんだ」

 

 せがれは泣きながら、うなずいた。

 

「でも、父さんも思うんだよ。まだ小さい陽架琉くんが、無事で生きてくれて良かった」

 

「うん」

 

「お父さんな。もし、お前が竜輝くんの家にいたらと一瞬でも、考えたら本当に生きた心地がしなかった」

 

「うん」

 

 ポタッポタッと、フロントガラスに雨が打ちつけた。

 

「竜輝くんのところは、お前が泊まると必ず連絡をしてくれるから。絶対に、お父さんたちの一人息子は生きてると思った」

 

 ワイパーが、フロントガラスについた雨を拭う。

 

「うん」

 

「それでも、この街で大切な人たちが火事でいなくなった。もし、父さんの大事な息子が、事件や事故で巻き込まれるかもしれないと思ったらな。言葉にしたくないぐらい恐ろしいんだ」


 せがれは、倉西家から離れた田中の家にいて無事だった。それでも、この非常時に家にいない自分の息子の安否が心配でたまらなかった。


 もしも、倉西家にせがれがいて発見が遅れていたらと、そうじゃないと分かっていても父親は恐ろしい感情があった。



「でもな。俺たちがケンカしたり空気が悪かったりしたまま、お前に何かあったらな。俺は、死ぬほど後悔すると思うんだ。母さんは、すごく悲しんで、落ち込むよ」

 

「……俺も」

 

「だから、生きてくれてありがとう。これからはもっとお前の話を聞いて、向き合いたいと思う。許してくれ」


「おう」

 

 せがれは相打ちを打つように短くそう言って、一度下を向いてまた顔を上げた。

 

「親父、やっぱり許すも許さないも何もない。俺が否定されたって、勝手にふてくされて心配をかけたんだ。ごめん」

 

 せがれの父親は、ルームミラー越しに息子を見た。

 

「よし」

 

 せがれの父親は、そうは短く言った。

 

「これからは、もっと向きあっていこう」

 

「おう」

 

「お母さんが、心配してるから。顔を見せて安心させなさい」

 

「分かった」

 

 話している間に、家に着いた。雨はいつの間にか止んでいた。

 

「ただいま」

 

 玄関ドアを開けると、せがれの母親は黙って息子を抱きしめた。

 

6

 

 夜中の火事が鎮火して、日が昇った朝のこと。

 せがれは、洗面所の鏡で自分の顔を見ると、とてもひどかった。

 

 目が覚めても、鏡を見ても、この我が家にいることで、夜中の出来事が夢じゃなく現実なんだと思った。

 

 この日は、久しぶりに親子三人で朝ごはんを食べた。

 せがれは何を食べても味がしないと思っていたのに、自分の母親が作る料理はとても美味しかった。

 

「ほら、これで拭け」


 せがれの父親はタオルを渡した。

 

「あっ……」

 

 せがれは、その時まで自分が涙を流しているのもわからなかった。

 

「ご飯を食べたら、目を冷やさないとね。陽架琉くんがびっくりしちゃうわね」

 

 朝ごはんを食べ終わると、母親がせがれに氷嚢を渡した。

 

「たけしくんが来るまで、目を冷やしているのよ」

 

「おう」

 

「じゃあ、お父さんは仕事に行ってくる。夜に帰ったら、ちゃんとこれからのことを話そう」

 

「おう」

 

 せがれは仰向けになって、目元に氷嚢を乗せてた。


「気をつけて」

  

 そして、氷嚢を少しずらし、チラッと父親見て片手を上げてヒラヒラさせた。

 

「気をつけて行ってくるよ」


 父親は、少し嬉しそうに言って家を出た。


 せがれの母は、スマホを見ていた。何度も、もう届かない人に泣きそうになりながらメッセージを送った。

 せがれには、自分の表情が見えないように背中を向けている。


「母さん」

 

「どうしたの? 」

 

「やっぱり、竜輝たちは」

 

「現実よ」

 

 せがれは、夜中から何度も両親達にそう聞いていた。

 両親はせがれのために決まって、()()という言葉を入れて伝えた。

 その言葉は、まだ信じられない自分たちにも言い聞かせていた。

 

「何度も、ごめん」

 

「いいの。落ち着くまで聞いてね。そうしたら、だんだんと実感するかもね」

 

「おう」

 

「お母さんも、本当はまだ実感できないな」

 

「俺も」

 

「竜輝くんたちのご両親は本当に良い人たちでね。お母さんのすみれちゃんとは、何度も助けあったり笑ったりしてたの」

 

 せがれと竜輝たちは、家族ぐるみでの仲だった。

 

 

「昨日、病院に行った時にね。陽架琉くんは泣き疲れて、おばあちゃんにしがみつくように抱っこをしてもらっててね。言葉にならなかったわ」

 

 せがれの母親は、そのことを思い出して涙を流した。

 

「頑張ったと思うわ。じっちゃんが会わせてくれた時にね。ちゃんとあの子たちだって、はっきり分かったの。すごく熱くて苦しかったと思うけど。必死に逃げようとしていたんだと思う」

 

7 

 

 事件当時、おそらくトイレに起きた陽架琉の父の(じゅん)が最初に家の異変に気がづいた。

 そして、家族を起こして、急いで逃げようとしていたが、火の周りが想像以上に早かった。

 でも、近所の人の発見と通報と消防署が近くにあったから早く人命救助と消火活動ができたのだ。

 

 陽架琉の父と母は、身体の一部が崩れる家財の下敷きになった。

 兄は、妹を連れて逃げようとしたが、二人とも煙を多く吸っていて、玄関までその伸ばした手は届かなかった。

 

 

 この放火は、連続放火事件の手口が同じだった。おそらく家の一箇所から二箇所で火が放たれたと思われるが、どういう仕組みか分かっていない。

 そして、あっという間に炎が広がったとらしい。

 

 これまでも、連続放火事件によって死傷者を出したと、アナウンサーや記事が告げていた。

 

 警察は連続放火事件の関連性を、慎重に調べているという。


8

 

「あっ、そうだ。お母さんね、早く起きてね。たくさん料理を作ったの」

 

「うん」

 

「タッパーに詰めたから。じっちゃんのところに持って行ってくれる? 」

 

「うん」

 

「お母さんが作りすぎたから、お裾分けですってちゃんと言うのよ。ばあちゃんは、私が料理するの好きって知ってるから」

 

「おう」

 

 せがれの母親は、今の自分ができることを必死に考えた。その考えた先に見えたのが、得意な料理だった。

 せがれの母親の料理を、竜輝たちが食べてすごく喜んでくれたから。それがせがれの母親もすごく嬉しかった。

 少しでも食べて、おばあちゃん達が元気になって欲しいと思った。

 

 

「陽架琉くんが、好きでよく食べてくれる料理もあるのと今度渡そうと思っていたお菓子もね。忘れずに一緒に持っていてよ」

 

「おう」

 

 せがれの母親は、自身も今回の出来事にひどくショックを受けていた。

 夕方の買い物で、スーパーに行った時に会った大好きなママ友が、数間以上経って突然この世を去った。

 

 突然、大切な人を失ったら、気持ちの整理がそう簡単にできるものでもない。

 

 

9

 

 ピンポーンとチャイムが鳴った。

 

「はーい」

 

 せがれの母親は涙拭いて、いつものように明るくそう言って玄関に向かった。

 

「おはようございます。僕です。秋原たけしです」

 

「あぁ!たけしくん」

 

 せがれの母親は、玄関のドアを開けた。

 

「おはよう。あの子なら居間で寝転がってるから。上がって」

 

「ありがとうございます」

 

 たけしは、居間に向かった。

 

「よっ、たけし」

 

 せがれは、父親を見送った時みたいに寝転がったまま、ヒラヒラと手を振った。


「大丈夫? 」

 

「そう、見えるか」

 

「見えないね」

 

 たけしは、せがれの横に座った。

 

「たけしは? 」

 

「僕が見えるの? 」

 

「物理的に見えないな」

 

「そうだろうね」

 

 たけしは、少し笑いながら言った。

 

「俺の目、どう? 」

 

 せがれは、目元に置いていた氷嚢を外して起き上がって、たけしに聞いた。

 

「なんだか目元、ビチャビチャだね」

 

「えっ?そうじゃなくて」

 

 せがれの目元は、氷嚢の水滴がついていた。

 

「多分、腫れてないと思う」

 

「陽架琉が、びっくりしないといいな」

 

「そうだね」

   

 せがれは、持っていたタオルで顔を拭いた。


「たけし、やっぱり声変だぞ」

 

「さすがに、バレたか」

 

 たけしはあの電話の後たくさん泣いて、家族に当たった。そして、鼻が詰まって口呼吸になって、朝起きると喉を痛めていたと話した。

 

「のど飴をたくさん舐めて、これでもマシになったんだけどな」

 

「はちみつとレモンのでも、それなのか」

 

「うん。何個もなめたんだけどね」

 

「そっ か」

 

 二人では人の間に沈黙が流れた。少し離れたところで、ガチャガチャと音がなっている。

 

「二人とも、机にオレンジジュースを置いておくよ」

 

 せがれの母親が、お盆の上にオレンジジュースとチョコを乗せて持ってきた。

 

「ありがとうございます」

 

「ありがとう」

 

「あっ、さっき言ってた。料理はこのバッグに保冷剤と一緒に入れてるからね。それでお菓子は、これね」

 

「おう」

 

「お母さん、洗濯物干してくるから。家を出る時は一言、言ってから出てね」

 

「分かった」

 

 そう言って、せがれの母親は忙しくしながら、家の奥へと消えた。

 

「君もじっちゃんのところに、色々持って行くんだね」

 

 たけしの横には、大きめのエコバッグに何やら色々と入っているようだ。

 

「おう。たけしは? 」

 

「僕はホテルの売店で買ったお菓子と陽架琉くんに渡すぬいぐるみだよ」

 

「陽架琉は、最近ぬいぐるみにハマっていてるから喜ぶな」

 

「うん」

 

 二人の間に、また沈黙が流れた。

 

「俺さ」

 

「うん」

 

「何度もニュースを見たり、親父や母さんに聞いたりして、これが現実だって分かってても実感しなくて。夢だと思っちまう」

 

「僕もだよ」

 

「だよな」

 

 たけしも、せがれと同じようにニュースを見ても、家族に聞いも、大切な人たちが一夜にして消えてしまったという実感がなかった。


10

 

「さっき、僕が家族にあたったって言ったでしょ」

 

「うん」

 

「僕、何でかわからないけど。今まで家族に対して、溜まっていたものをね。昨日、初めてぶつけたんだよね」

 

 たけしを下を向いた。

 

「家族は、普段の僕から想像もつかなかったのか。後からなんでか少し笑えるぐらいに驚いていた」

 

 たけしは、その時を思い出したのかクスクスと笑った。

 

「でもね。その後に、みんなで泣いたんだ」

 

 たけしの本当の心の底にある言葉を聞いた両親や兄と姉は、言った本人が驚くくらいに泣いた。

 

「ごめんって。みんなは僕のこと考えてるようで……。自分たちのことしか考えてなかったって、言い訳を並べるんだ」

 

 たけしの両親は、兄と姉をよく褒めて、物を好きなだけ買い与えた。

 たけしに対しては、あまり褒めず、あまり好きな物を与えなかった。

 それで、いつも兄と姉のおふるばかりを使わせるようになったり、兄たちと明らかに差をつけたりして冷たい態度をしていた。

 

 たけしの家は貧乏というほど、お金がないわけでもなかった。

 子供には、同世代で流行る物や興味があるものが多く、それらを親にねだって買ってもらったりお小遣いを渡したりする。

 両親は、たけしには学業に必要なものを買って与えるしかなかった。


11


 たけしが生まれたばかりの頃の話だ。両親は共働きをして交代制で育てていた。

 

 たけしの兄と姉は、自分に弟がいるのを分かっていた。

 しかし、たけしが生まれる前のように、父と母に目いっぱい甘えることができなかった。

 たけしが生後半年になると、彼の体に見知らぬあざが増えていった。

 母親は心当たりがなくて、心配で病院に受診をしに行った。

 

「先生、たけしの体にあざができてきて。私や旦那は心当たりを全くないんです」

 

 主治医は、たけしの両親が肉体的な虐待をする人間ではないと信じている。たけしは、定期的に検査をしていてた。

 

「お母さん、今から言うことは、あくまで私の推測です。落ち着いて聞いてください。たけしくんのあざは病気ではありません。誰かによってつけられたものです」

 

「えつ? 」

 

 たけしの母親は医者がなんて言うのか、本当は病院に行く前から分かっていた。

 そして、あざの原因が全くわからないということではなかった。

 嘘をついたのは、現実を見たくなかったからだ。

 

「たけしくんのお兄ちゃんかお姉ちゃんが、つねったり叩いたりしたんだと思います。子供の力は大人が思うよりも強いです」

 

「本当はそうかもしれないと思っていました。でも、そんなことをすると思いたくなかったんです」

 

「もしかしたら、たけしくんは人より痛みに鈍感なところがあるかもしれません。そしてあまり泣くことは少ないので、なかなか発見ができなかったんだと思います」

 

「はい」

 

 たけしの母は、涙を流した。

 

「今までいなかった赤ちゃんが家にやってきて、お父さんとお母さんに今までのように甘えられない。でも、お母さんたちを悲しませたくないって、我慢するお兄ちゃんとお姉ちゃんはいるよ」

 

「はい、長女の時はそんなことなくて、今回も大丈夫って思っていました」

 

 たけしの母親は友人から下の子が生まれたら、上の子の対応を気をつけないと大変なことになると何度も聞いてきた。

 今回も大丈夫と思いながら、たけしの兄と姉と過ごす時間を出来る限りの時間も多く作った。

 

 しかし、たけしの兄には自分の妹の頃から溜まっていたものが爆発した。たけしの姉は、お兄ちゃんの真似っこでつねったり叩いたりしていた。

 

 医者の言う通り、今でもたけしは痛みに鈍感なところがあった。

 両親は、そのことを理解して学校関係者に怪我や様子がおかしいと感じた時は、保健室に連れっていって欲しいとおねがいをしていた。

 

 

 たけしの兄と姉は、自分たちが弟にしたことを成長した今では覚えていなかった。

 でも、両親はたけしの兄と姉に弟を暴行させてしまったと後ろめたさがあった。

 そして、たけしは手がかからない子供だったから。兄と姉の差を簡単につけてしまいやすかった。

 

 兄と姉を構うことで、また危害がたけしに及ばないようにしたかったという考えもあった。兄たちと自分らが距離が離れてるほうが、怪我をしても痛みに鈍感なたけしを守れるとも思った。

 

 昔と違って、今の兄と姉はたけしのことが大好きなことに安心した。手のかかる年でもなくなってきた子どもたちを家に残しても大丈夫だと思った。

 そして、両親は必要最低限にしか家に帰らなかった。

 

 たけしの兄と姉は、両親が弟にすることを許せなかった。二人は両親が弟と自分たちに対しての言動の違い、家に帰ることも少ないことも全てが許せなかったのだ。

 なぜなら両親の言動の原因が、自分たちにあるとも知らなかったからだ。


 家にいない両親の代わりに兄と姉は、弟に愛情を注いだという。

 その様子を見て、両親はやっぱり自分たちが家にいない方がいいと思っていた。

 

 たけしは痛みには鈍感だが、自分たちの家族が他の家族との違和感には気がついていた。

 

『僕らみたいな、(いびつ)な家族じゃなくて、仲の良い竜輝くんたちがいなくならないといけないんだ! 』

 

 たけしは家族の前で感情をむき出しにして叫んだ。その言葉を聞いて、たけしの家族は驚いて固まった。

 

 たけしの言ってはいけない言葉よりも、彼がそう感じてしまうことを、気づかないうちにしてしまったという後悔が家族を襲ったのだ。

 

 たけしは、感情がぐちゃぐちゃで面白くないのに、なぜかその時のことを思い出し笑いをしてしまう。

 彼自身も、本当は家族に死んで欲しくないが、自分を家族のように受け入れてくれた竜輝たちがいなくなることの方がおかしく思った。

 たけしはないと思っていた歪んだ心があるのだと知って、自分が馬鹿に思えて笑ったのだろうか。

 

 たけしは、両親や兄と姉が自分にどう思っていたのか知らないかった。

 だから、家族への憎しみの感情がむき出しになってしまった。

 

 その後、たけしに両親や兄と姉が自分たちがどう思っていたのかを、泣いたり謝ったりして想いを伝えた。

 これからは、どうしていけばいいのかを朝が来る少し前まで話し合った。そして、最後には抱きしめあった。

 


「なんでかな?家族以外の人がいなくなって、その時に限って自分の家族にぶつかりに行くんだろうね」

 

 普段、たけしは家族に対して感情をむき出しにするようなことがなかった。

  

「親父が言ってたんだけどな。失った時に後悔をしたくないって思ったからだと思う」

 

 せがれは、たけしが自分の家族に対してどう思っていたのかを知っていた。

 

「親父は、俺と喧嘩したり空気が悪かったりしたまま、俺が死んだら後悔するって言ってたんだ」

 

「うん」

 

「人間って気づくのが、後悔してからは遅いって思ってんだと思う。でも、当たり前の日常が今後も続くって思ってるのもあって。いつか言えばとか面倒だからって、先延ばしにするんだよな」

 

「うん」

 

「でも、先延ばしにするんじゃなくて、どっかで爆発しないと、心がダメになるんだ」

 

「うん」

 

「多分、たけしはそれがわかってる。竜輝たちが亡くなって、無意識でも()言っておかないとダメになる。だから、家族にぶつけたんだと思う」

  

 たけしは、うつむいて涙を何度も拭った。

 

「俺、たけしと違って国語の点数が悪いから。うまく伝えれてないかもしれねぇ」

 

 たけしは、首を何度も首を横に振った。

 

「伝わった」

 

 たけしは、涙声でそう言った。

 

「せっかく声の調子が良くなってきたのに、悪化したな」

 

 せがれは、茶化すように言った。


 

「ありがとう」

 

 たけしは泣くのが落ち着いてからそう言った。

 

「おう」

 

「そろそろ、じっちゃんのところに行こうか」

 

「そうだな」

 

 たけしたちは、せがれの母親に声をかけてから家を出た。

 

12

 

 せがれたちは、じっちゃん家に向かって歩き出した。 

 

 じっちゃん家に行く途中で、昨日の夕方までになかった住宅地に黄色いテープと警察官やその関係車両があった。

 さらにその奥には、ほぼ全焼をした家があった。それらを取り囲むように、取材班がいて残酷にカメラを家に向けたり、記者が近隣にインタビューをしていたりしている。

 そのあたりだけ、日常からかけ離れていた。それが、自分たちと交流のある大切な家族がいなくなったと思わせる現実だった。

 

 二人は泣くのを我慢して、家に向かって手を合わせた。

 

 そして、二人はまた歩き出す。   


 二人は特に会話をしないまま、じっちゃん家にたどり着いた。あの場所からの近さをまた残酷に思う。

 

 たけしは、ピンポーンと玄関のチャイムを鳴らした。

 

「はーい」 

 

 陽架琉のばあちゃんが返事をして、ドアを開けた。

 

「二人とも、来てくれてありがとう」 

 

「こちらこそ、お招きをしてくださりありがとうございます」

 

 たけしは丁寧にそう伝えて、その後ろでせがれはペコリと頭を下げる。 

 

「あっ、ばあちゃん。俺の母さんから作り過ぎたらからって。おすそ分け持ってきた。あと、陽架琉のお菓子だって」

 

「いつも、ありがとう」 

 

 ばあちゃんは、嬉しそうに受け取った。

 

「僕からも、おやつにと思ってお菓子です。あと、陽架琉くんにぬいぐるみです」

 

「たけしくんもいつもありがとう。陽架琉、ぬいぐるみが好きで喜ぶわ。ここには、あまりぬいぐるみを持ってきてなかったからね」

 

 ばあちゃんは、いつもよりも顔色が悪く、少し悲しそうにしていた。

 

「さぁ、あがって」

 

 ばあちゃんの後ろを二人はついて歩いた。居間に行く途中で台所に寄って、せがれから渡された弁当を置いた。

 

「おじいちゃん、ふたりが来てくれました」 

  

「おう」

 

 じいちゃんは、縁側に座って竜輝たちの家がある方を見ていた。

 その横に、座布団を敷いて陽架琉がその上で遊んでいる。

 

「陽架琉。たけしくんたちが来てくれたわよ」  

 

「あっ! 」  

 

 ばあちゃんの声で、陽架琉はたけしたちに気がついた。

 

「陽架琉。おいで」 

 

 せがれの声に、陽架琉は立ち上がってトコトコと歩く。

 

「よし。ゴール! 」 

 

 陽架琉が、せがれの足にタッチをすると、ゴールをしたことになる。

 

「だっ! 」

 

 陽架琉は、せがれにそう言って手を広げて少しつま先になる。

 

「よ〜し」 

 

 せがれは、ゴールしたご褒美に陽架琉を抱っこする。これがいつものお約束だ。

 

 陽架琉は、その当時から発達がゆっくりであまり話さないが、表情と感情が豊かだ。

 

「陽架琉。ゴールできたな。おめでとう! 」 

 

 陽架琉は、嬉しそうにグーサインをする。


「陽架琉くん、頑張ったね。おめでとう! 」 

 

 いつもと変わらずに、陽架琉の喜んでいる様子に二人は安心をした。

 

「おじいちゃん。お菓子とお弁当をもってきてくれましたよ。一緒に食べましょう。今から、お昼ご飯の準備をしますから」

 

「わしは、いらないから。みんなで、食べなさい」

 

 じいちゃんは、背中を向けたままそう言った。

 

「おじいちゃん。そうはいっても朝から食べてないてないでしょ」 

 

「腹は減ってない。水は飲んでるから」 

 

 じいちゃんの左側には、ペットボトルに入った水が置かれていた。五百ミリリットルのペットボトルの半分まで水が減っていた。

 

 せがれに抱っこをされたままの陽架琉の手は、力強くて彼の服の襟元が伸びるぐらいに握っている。

 

 「グゥ〜 」と陽架琉のおなかが鳴った。

 

「もう、お昼だね。陽架琉くん、おなか空いたね」 

 

 たけしは気を取り直すように、明るい声で陽架琉にそう声をかけた。

 

「う〜」 

 

 陽架琉は、恥ずかしそうにしながらも頷いた。

 

「ご飯の準備をしないと」

 

 ばあちゃんは、そう言うと台所がある方に身体を向けた。

 

「ばあちゃん。僕、手伝います」 

 

「ありがとう。助かるわ」 

 

「俺は、手伝うのパスで」 

 

「えっ。なんで? 」

 

 たけしは、不思議そうに首を傾げる。

 

「陽架琉のおむつが、結構濡れてる」

 

「あら!大変!かえてあげないと」 

 

 ばあちゃんは、せがれの方に身体を向けて、今度は陽架琉のおむつを変える準備をしなきゃと慌て始めた。

 

「ばあちゃん。大丈夫」 

 

「そう? 」 

 

「おむつの替え方を知ってるから。ちゃんとオムツの替え方を教えてもらいながらしたことがあるから」 

 

「えっ、そうなの?変えてくれると助かるわ! 」 

 

「おう! 」 

 

13

 

 せがれは、竜輝たちの家に何度も泊まることがあった。泊まる時のルールとして家の手伝いをすることだった。

 おむつを替えることは強制でなく、せがれが進んで手伝えを申し出た。

 せがれにとって、陽架琉が生まれた時から知っていて身近な尊い命だった。

 竜輝の家に泊まって、陽架琉と過ごす中で一緒に遊んだり昼寝をしたり、それ以外のことをしたくなった。

 ただ、一緒に遊ぶだけじゃなく、ただ一緒に家族のように過ごしたかったのだろうか。

 せがれ自身もよくわかっていない。とにかくこの居心地の良い空間にいたかった。

 

 最初は、もちろん竜輝たちのサポートをしてもらいながら陽架琉のおむつ替えをした。だんだんと自分一人でもできるようになっていた。


 せがれは、陽架琉が生まれる前から時々自暴自棄になり、もうどうでもいいと自分を大切にできないことがあった。

 せがれは、自分から喧嘩を仕掛けることはなかったが、喧嘩に巻き込まれた人を助けた時に初めて人を殴った。

 それから、恨みや生まれもった目つきの悪さと力があると噂で喧嘩を仕掛けられる事が多かった。

 初めて人を殴ってでも助けた人に、せがれは怖がれたのが酷くショック受けたのだった。

 

 せがれの周りは彼を心配し、何度も喧嘩をしてケガをすることに心を痛めていた。

 何度、せがれに喧嘩をしてほしくないと言い続けても、彼は背中を向けたままだった。


 そんな中で、倉西家に陽架琉が生まれた。せがれはそれからというもの、陽架琉という自分よりも小さな命と過ごすことがおおくなった。

 なんだか、自分が思っていたことがバカらしくなった。命の大切さを少しずつ知っていった。

 

 彼は、思春期独特のどうでもいいとか家族なんてうざいって、気持ちがあった。

 なんでうまくできないだというモノを抱えて、早めの受験勉強もして、せがれの心はキャップオーバーだったのだろう。

 なんで、喧嘩をしてケガをすることで、血を見て痛みを感じて生きていると思ったのだろうか。

 

 せがれには、陽架琉がとても大切な存在だった。

 

14

 

 せがれが竜輝の家に泊まっていた時に、何度かばあちゃんが遊びに来ていた。

 ばあちゃんの前でも、せがれは何度も陽架琉のおむつを替えていたことがあった。その時もばあちゃんはせがれをよく褒めた。

 せがれは、なかなか思うようにできない自分が、家族以外の人から褒めてもらうが照れくさかった。

 

 おそらく、ばあちゃん火事のことがショックで、その時のことに記憶が抜け落ちているのだろう。

 元気そうに見せるばあちゃんの心を、せがれたちはすごく心配になった。

 

 

 一方、たけしとばあちゃんが台所で昼ご飯の準備をしていた。タッパーからお皿にせがれの母親が作った料理を取り分けていた。

 

「おじいちゃんね。私が朝の五時に起きる前からあの状態でね」

 

「えっ? 」

 

「私ね、驚いてどうしたの?って聞いたんだけど」

 

『何もできなかった。自分が許せないんだ』

 

 おじいちゃんは背中を向けたまま、ばあちゃんにそう言ったそうだ。

 

「あの時自分が死んだとしても、あの子たちを助けられたんじゃないのか? 」

 

 少しの可能性がないかを考えてしまう。

 

「あの子たちを無理やりでもこの家に泊めていたら、家が燃えるだけで命が無事だったんじゃないのか? 」

 

 もう、過去を変えることが出来ないのに考えてしまう。

 

「あれこれ考えているんだと思うの」

 

 たけしは、静かにばあちゃんの話を相槌を打ちながら聞いていた。


「本当はね。おじいちゃんはすごくお腹が空いてるの。バレてないって思っているけど、お腹が何度も鳴ってたからね」

 

 二人は話をしながら、でも手を動かしていた。

 

「ペットボトルは、今二本目くらいでね。それでお腹が空いてるのをごまかしてるみたい」

 

 ばあちゃんは、さっき居間にいた時の明るい表情ではなくなっていった。

 

「あの子たちは、もうご飯も全然食べれないのに。自分がお腹空いてるのは、うまくいえないけど。嫌なんだと思うの」

 

 ばあちゃんは何でもじいちゃんのことなら見通しだ。

 

「私だって、どうしたらいいのかよくわからないの。こう見えてね」

 

 ばあちゃんの手は、ピッタと止まった。

 

「私には、おじいちゃんと陽架琉がいるから。今は動かないとね。そうじゃないと、すごく落ち込んでしまう気がしてね。それが怖いくてたまらないの」

 

 ばあちゃんの手は、震えていた。

 

「だからね。たけしくんから電話もらった時はなんだかホッとしたの。今日は二人が来てくれて嬉しいわ」

 

「そう言っていただくと、僕らは嬉しいです」

 

 二人は、笑いあった。

 

「陽架琉ね。朝ご飯を食べてからずっとおじいちゃんから離れないの」

 

「陽架琉くんは、じっちゃんのことが大好きだから。心配なんですね」

 

「そうだと思うわ」

 

 ばあちゃんは、ため息をついた。

 

「陽架琉があの子にいつものように抱っこしてもらって、嬉しそうにしているのを見て安心したわ」

 

 ばあちゃんは、ホッとため息をついた。

 

「陽架琉は、あの時何かを感じたのか。なかなか泣き止まなかったの」

 

 火事が起こった夜中に、幼い彼はいつも以上に大泣きをしていたという。

 

「陽架琉は、みんなに愛されてたから。あの子たちが夢の中に出てきたのかな」 

 

「……そうですね」 

 

 たけしは、少し言葉を詰まらせた。

 

 ばあちゃんは、お惣菜の一つをレンジで温めた。

 

「たけしくん。私たちになにかあったら、陽架琉のことをお願いしたいわ」 

 

 たけしが返答をする前に、レンジがチンッと音を鳴らした。

 

「こんなこと、いきなり言われても困るわよね」

 

「ばあちゃんたちに、なにがあっても無くても。僕たちは、今までと変わらずに陽架琉くんのそばにいます」 

 

「ありがとう」 

 

 ばあちゃんの頬には、涙が流れた。

 

15

 

「陽架琉。スッキリしたな」  

  

「う〜」 

 

 せがれが、手早くおむつ替えを終わらしていた。

 

「じっちゃん、大丈夫か? 」 

 

「お前には、どう見える? 」 

 

「じっちゃん、俺は今見えないよ」 

 

「はぁ? 」

 

「だって、じっちゃんも俺も背中を向けてるから見えない」  

 

 じいちゃんとせがれは、お互いに背中を向けたまま話していた。

 

「陽架琉。じっちゃんは、大丈夫だと思う? 」 

 

 せがれは、唯一向かい合っている陽架琉に話しかけた。陽架琉のを座布団の上に座らせていた。

 

「陽架琉に聞いて、どうする? 」 

 

「俺が来るまで、陽架琉はじっちゃんの横にいたんだろう? 」 

 

「おう」 

 

「それって、陽架琉はじっちゃんがすごく心配でさ。大丈夫じゃないって思ったんだろ」 

 

 その時、風がビューと吹いて、風鈴がリーンとなった。

 

「陽架琉、じっちゃんのことが大好きだよな〜 」 

 

「な〜! 」 

 

 陽架琉は、嬉しそうに言った。

 

「陽架琉、じっちゃんは大丈夫じゃないない? 」 

 

「ないない」 

 

「おい、ワシのかわいい孫の陽架琉を誘導するな」 

 

「じゃあ、こっちに向いてじっちゃんのかわいい孫を見ろよ」 

 

 じいちゃんは、雑に腕で目元を拭ってから後ろにふりかえった。

 

「わぁっ」 

 

 じっちゃんのまっすぐ目の前に、陽架琉の顔があった。せがれが、瞬時に陽架琉を抱きかかえてくるりと身体の向きを変えたのだ。

 

「じー、いーこいーこ」 


 陽架琉は、小さな手を伸ばしてじいちゃんの頭を撫でた。

 

「えっ? 」 

 

「じー、いた〜のないない」 

 

「陽架琉は、泣いてるじいちゃんを励まして偉いな」 

 

 せがれが、陽架琉をじいちゃんの頭まで持ち上げていた。

 

「じー、だーじょ? 」 

 

 陽架琉は、珍しくよく喋った。それがうれしくて、せがれはそっと涙を流した。

 

「じー、だーじょ? 」 

 

 じいちゃんは、陽架琉に手が当たらないように涙を拭った。

 

「陽架琉。おいで」  

 

 せがれからじいちゃんへと交代して抱きしめた。

 

「陽架琉」 

 

「う〜? 」 

 

「ワシには、陽架琉やばあちゃんたちがいるから大丈夫だ。よしよししてくれてありがとうな」 

 

 じいちゃんは、めいっぱいの笑顔で陽架琉にそう言った。そして、陽架琉も嬉しそうにわらった。

 

「じっちゃん。俺も、まだまだ現実は受けとめれん。でも、俺たちは一人じゃないから。自分だけを責めないでくれ」 

 

「おう。ありがとうな。せがれ」 

 

 せがれは、照れて頭をかいた。

 

「俺はまだ子供で、俺の親父がやってる工務店の一人息子なのに、アホでバカなんだ。こんな半人前がなんかそれっぽいことを言ってんのも変だよな」 

 

「何いってんだ。ワシから見れば、お前は確かにワルガキだ。お前が、半人前って思うなら一人前になるまでせがれって言う」 

 

「えっ?俺の名前じゃなくて、親父の息子っていう意味ってことか? 」 

 

「ややこしいがな」

 

「せがれって、失礼な意味があるかもってネットに書いてる」

 

 せがれは、スマホで言葉の意味を調べた。


「お前は、人に不器用なりに、よく見て人に寄り添える器がある。不器用なのは若いからってのもあるがな。ワシからみれば、お前が言うようにまだまだ未熟だ」 

 

 せがれは黙って、じいちゃんの話を聞いた。

 

「お前は、まだまだ社長とは比べることはできん。自分の今までを振り返って、今以上に人として一人前になって後継ぎになれ。親父を超えろ。親は、子が肩を並べたり飛び越えたりしてくれるのが嬉しいもんだ」 

 

「おう」

 

「社長の息子って、ずっと言われるよりも親につけてもらった名前で呼ばれるほうが嬉しいし、良いだろ」 

 

 せがれは、少し考えて頷いた。

 

「俺、頑張るわ」 

 

「おう。ワシが生きてる間に一人前になれよ」 

 

「じっちゃんが、長生きしてくれてる間に一人前になるから」 

 

「そこで、甘えるな」 

 

「俺は、じっちゃんには長生きをしてほしいんだ」 

 

「そうか」 

 

 じいちゃんは、嬉しそうに言った。

 

16

 

 せがれとじいちゃんの様子を、居間の出口で見つめる二人がいた。

 

「あれ?陽架琉がいない」  

 

 せがれのじいちゃんの間にいた陽架琉がいつの間にかいなかった。

 二人が話に夢中の間に、どうやら抜け出したようだ。

 

「二人とも、陽架琉くんはここだよ」  

 

「えっ? 」 

 

 声の主のたけしの方に見た。陽架琉は、器用にたけしのスボンでつかまり立ちをしていた。

 

「陽架琉くん。おなかすいた? 」 

 

「すうた! 」 

 

 陽架琉は、すいたがうまく言えずに「すうた」と言ってしまう。

 

「陽架琉、おなかすいたんだね」 


「すうた! 」  

 

「陽架琉、たけしから離れないと食べれないよ」 

 

 せがれは小走りをして、陽架琉をたけしの足から素早く離してから抱き上げる。

 

「ありがとう。陽架琉くんの上に料理が落ちそうでハラハラした」 

 

 たけしの手には、温めた料理が乗った皿があった。


「陽架琉、おなか空いてたし、余計に食べ物の誘惑には負けたんだろうな」 

 

「うん」 

 

 食卓には、せがれの母親の手料理が並んでいた。ばあちゃんが、朝から炊いていた白ご飯やお味噌汁もあった。

 

「「「「いただきます」」」」 


「いたーます」

 

 みんなで、昼ごはんを食べた。

  

「おじいちゃん、おなかは空いていないんじゃなかったんですか? 」 

 

 少し意地悪そうに、ばあちゃんが聞いた。

 

「そんなこと言ったか? 」

 

 じいちゃんのおとぼけに、みんなでクスクスと笑う。

 

「社長の奥さんの料理は、いつ食べても美味しいな」 

 

「そうだろ。母さんに言っとく」 

 

「おう」 

 

「あれ、いつもこの子に名前で呼ぶのにせがれって、今言いませんでしたか? 」 

 

「あぁ、ワシはコイツが人として一人前になるまでせがれって呼ぶことにした」 

 

「ばあちゃん、さっき聞いてなかったか? 」 

 

 たけしとばあちゃんは、せがれたちの話しを途中から聞いていた。たけしは、陽架琉しか目に入ってなかった。

 

「長生きしてほしいって言われて、ニコニコしてたおじいちゃんと陽架琉が二人にバレないようにこっちにくる姿がかわいくてね。それ以外覚えてないわ」 

 

 せがれとじいちゃんは、二人して恥ずかしそうに頭をかいた。


「おいち〜 」  

 

 陽架琉は、美味しそうにニコニコしながらハンバーグを食べていた。せがれの母親が、陽架琉の好物を食べやすい大きさで作っていた。

 

「おいしいね。よかったわね」 

 

 ばあちゃんは、嬉しそうに陽架琉を見ていた。

 

「陽架琉の顔と手がソースだらけだな」 

 

「あらあら」 

 

 ばあちゃんは、慌ててティッシュで陽架琉の顔を拭いてやる。

 

「最近、ひとりで食べれるようになったから。任せたら、いつもこうなるんだ」 

 

 じいちゃんは、少しだけため息をついた。

 

「なぁ、たけし」 

 

「どうしたの? 」 

 

「俺のこと、名前で呼ぶのやめてくれん? 」 

 

「えっ? 」 

 

「もちろん。必要時は呼んでいいから」 

 

「いや、ちょっと待って。どうして、そうなったかをまず教えて」 

 

 味噌汁の美味しさに浸っているたけしは、せがれが唐突に名前を呼ぶな宣言に慌てた。

 

「じっちゃんみたいに、一人前になるまで名前を呼んでほしくない」 

 

「それって、願掛け? 」 

 

「そんな感じ」 

 

「わかった。せがれと君の名前に入ってるから『せーくん』か『せっちゃん』って呼ぶね」 

 

「お、おう」 

 

 まさか、そういう呼び方になると思っていなくて、せがれは少し戸惑った。

 

「じゃあ、私はせーちゃんって呼ぶわね」 

 

「やっぱりちゃん付けは、恥ずかしい」 

 

「わがままは、言わない」 

 

「じっちゃん…… 」 

 

 みんなでクスクスと笑った。

 

17

 

 昼ご飯のあとに、せがれとたけしが陽架琉にプレゼントを渡した。

 

「あ〜と! 」   

 

 陽架琉は、嬉しそうにお菓子とぬいぐるみを抱きしめた。

 

「陽架琉くん、ぬいぐるみを抱きしめるのはいいけど。お菓子は、潰れてしまうよ」  

 

「たけし、陽架琉の耳には声が届いてないぞ」 

 

 数十分後に、家中に陽架琉の泣き叫ぶ声が響いた。

 

「おかし、ないない〜! 」  

 

 陽架琉が、お菓子も込で抱きしめたせいで潰れてしまった。

 

「お菓子、ないないだな」 

 

 せがれが、陽架琉を抱っこして、歩きながらあやしていた。

 陽架琉が潰したのは、せがれの母親が用意したもので、たけしからのはまだ無事だった。 

 

「お菓子、なんでないないしたの? 」 

 

「ひーが、ぎゅうした」 

 

「陽架琉が、お菓子とぬいぐるみもらってぎゅうしたんだな〜 」 

 

「う〜」 

 

「ひー、わるこ」 

 

「陽架琉は、悪くないよ」 

 

 陽架琉は、せがれの服で涙を拭うように首を振る。

 

「陽架琉は、お菓子が嫌でぎゅうした? 」 

 

「ない」 

 

「ないよな〜 」

 

「う〜 」 

 

「お菓子、もらえて嬉しかった人〜」 

 

「は~い」 

 

 陽架琉の気持ちに寄り添いながら、話すようにするという教育方針で育てている。

 せがれとたけしも、陽架琉の母親にそう教えられていた。

 

「陽架琉は、悪くないから誰も怒ってないよ」 

 

「う〜? 」 

 

「お菓子が、潰れてもおいしいからな」 

 

 せがれは、陽架琉を安心させる。

 

 たけしは、陽架琉が見えやすい位置に移動をして、ニコニコと笑顔を向けた。

 

「陽架琉くん。僕がプレゼントをしたぬいぐるみをすごく気にってくれたんだよね」 

 

「う〜! 」 

 

「僕は、(せーくんからのお菓子に勝てて)嬉しいよ」

 

「たけし、なんか別の意味もいれて言ってないだろうな」 

 

「気の所為だよ」  

 

「ふ〜ん」 

 

「た〜にい、あ〜と! 」 

 

「えっ? 」 

 

 陽架琉は、この時初めて聞き取れる言い方でたけしを呼んだ。

 

「せ〜にい、あ〜と! 」 

 

 いつもなら喜びそうなのに、せがれの顔は曇った。

 

「せーくん、大丈夫〜? 」 

 

 せがれは、しゃがんで陽架琉を座布団の上に座らした。

 

「陽架琉。今から俺が言うのは難しいと思うけど、聞いて」 

 

 陽架琉は一度首を傾げたが、元気に頷いた。

 

「陽架琉は、竜輝っていう『にいー』がいるだろ」 

 

「う!」 

 

「陽架琉にとっての『にいー』は、竜輝だけだ」 

 

「う? 」 

 

「俺やたけしは、『にいーちゃん』のお友達で『にいーちゃん』の代わりにはなってやれるから」 

 

「う? 」 

 

「俺やたけしには、『にいー』をつけて呼ばないでくれ」 

 

「おい、せがれ。陽架琉に、難しいことを言うな」 

 

 じいちゃんが、低い声でせがれの気持ちをわかった上で言った。

 

「分かってるよ。でも、俺やたけしを陽架琉の中で本当の兄貴にしてほしくねぇーんだ。陽架琉の兄貴は、竜輝だけにしてほしいんだよ! 」 

 

「うわぁ〜! 」 

 

 せがれの低く大きい声に、陽架琉は驚いてまた泣き出した。

 

「陽架琉くん、おいで」 

 

 今度はたけしが、陽架琉を抱っこした。

 

「陽架琉、びっくりさせてごめんな。でもな、陽架琉には、早いうちに教えたかったんだ」 

 

 せがれは、夜中から考えていた。陽架琉が、自分やたけしを兄ちゃん呼びにされた時はどうしたら良いのかを必死に考えて導き出した答えが出た。

 

 陽架琉には、自分たちに対して兄ちゃん呼びを徹底的にさせないことだ。

 陽架琉にとっての兄の竜輝については、これから先よく覚えれてないかもしれない。

 

 これから先の未来で、陽架琉にとって彼らが本当の兄になってしまうかもしれない。それをせがれは、避けたいことなのだ。

 

 陽架琉の中では、写真があっても記憶の中で朧げになっても、竜輝だけが兄でいてほしかった。

 

 本当は、自分たちを兄だと思ってくれるのも嬉しい。

 でも、自分たちは何事もなければこの先も陽架琉と生きて、あくまでも兄代わりになりたいという強い想いがあったから。自分たちのことは、兄に近い存在でいい。

 

 まだ、今の状況を理解しきれてない小さな陽架琉に言うのが酷だというのは分かっている。

 ゆっくりと理解をする陽架琉には、今のうちに言わないといけないと思った。

 

「陽架琉。俺のことはせーくんって呼んで」 

 

「せーくん? 」 

 

 陽架琉は、泣きながらでも言った。

 

「陽架琉。たけしのことは……」 

 

「たーくんって、呼んでくれるかな」 

 

「たあくん」 

 

「うん!ありがとう」 

 

 陽架琉は、その後に泣きつかれて寝た。

 

「せがれ。お前の気持ちも分かるが、さっきのは強引だったぞ」

  

「うん」 

 

「たけしも、せがれの意志と同じか? 」 


「えっ 」  

 

「さっきのは、せがれと話を合わせたとかじゃなく、そこに自分の意志がちゃんとあったのかを知りたい。たけしも陽架琉に兄貴呼びをしてほしくないのか? 」 

 

 たけしは、下を向いて少しの間考えていた。そして、顔をあげて真っすぐとじいちゃんを見た。

  

「僕も、せーくんと同じです。陽架琉くんにとっては、竜輝くんだけが血のつながりがあるとかないとか関係なく、たったひとりの兄としていて欲しいです。僕らは、大好きな陽架琉くんを見守る竜輝くんという兄の代わりで充分です」 

 

「よし、二人の意志がわかった。ワシたち、大人がそれをサポートしてやる」 

 

「じっちゃん、ありがとう」 

 

「ありがとうございます」 

 

「陽架琉やお前たちは、まだまだ子供だからいっぱい失敗したり悪いことををしたりしても良い。そうなったら、大人たちが、寄り添って一緒にたくさん考えたり、怒ったりするから」 

 

「おう」 

 

「はい」 

 

 じいちゃんが、フーと深呼吸をした。

 

「そういっても、さっき情けない姿をワシは見せたな」 

 

「そうなことない」 

 

「大人だって、子供だって、関係なくひどく落ち込むことがある。その時は、お互いが支えていこう」 

 

「おう」 

 

「はい」 

 

「二人にこうやって生きて会えることが、嬉しいんだ」 

 

 じいちゃんは、ゴツゴツした手で目元を押さえてた。

 

「ワシから、もう一つ言うことがあるとしたらな」 

 

 また、じいちゃんはフーと深呼吸をした。

 

 

「二人は、誰かをとてつもなく悲しませる死にかたするな」 

 

「「えっ? 」」 

 

「竜輝たちが居なくなったように、こうやって誰かを悲しませるな。事故や事件や災害に巻き込まれずに、寿命で眠るような死にかたをしろ」 

 

 せがれとたけしは、顔を見合わせたあとに力強く頷いた。

 

 この日は、せがれとたけしが運命を変えた出来事の話だった。

読んでいただきありがとうございます。


【補足】

 実際に兄がいなくても、この人が自分にとっての兄だと言う人もいます。

 でも陽架琉にとっての兄は、竜輝だけでいて欲しい。それが、せがれとたけしの願いです。

 せがれとたけしは、一人しかいない兄の代わりに陽架琉の側に存在して支えて守る人になることを誓ったのです。

 自分たちの中にいる竜輝が、陽架琉を見てくれるのを信じて。

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