第9話:夢で会えたら
第三章『夢で会えたら』
空気の匂いが、少し違った。
夕暮れの色も、どこか柔らかい。
ここが現実じゃないことは、すぐにわかった。
私は、昔よしきとよく通った公園の前に立っていた。
滑り台の横に植えられた桜の木が、風に揺れている。
「あき」
その声に振り向くと、そこに、よしきがいた。
学生でもなく、あの頃の少年でもない。
でもたしかに、“よしき”だった。
よしきは、何も言わずに微笑んで、私の隣を歩き始めた。
私は少しだけ間を空けて、後をついていった。
「疲れてる?」
ぽつりと、よしきが言った。
「……うん。疲れてるかも」
素直に、そう答えていた。
現実では、誰にも言えなかった言葉だった。
「ちゃんと寝てる?」
「寝てる……けど、ぐっすりは、最近ないかな」
「食べてる?」
「食べてない。食べたくない日が多い」
まるで、診察を受けているみたいだった。
でも、温かかった。どこか懐かしかった。
「昔、“あきは太陽みたい”って言ったの覚えてる?」
「……うん、覚えてる」
私はもう、太陽じゃないかもしれない。
自分では、そう思っていた。
でも、よしきは微笑んだまま、空を見上げて言った。
「あのときは、“明るくて笑ってるあき”が、太陽みたいに見えたんだと思う。
でも今は、“あきの中にあるもの”が、そう感じられる。
雲の向こうにある太陽みたいに、見えなくなっても、ちゃんとあるんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、私は涙がこぼれそうになった。
夢の中でまで泣くなんて、と思ったけど、もう我慢できなかった。
「よしき……わたし、今……なんで医者になったのか、わかんない」
「そっか」
「誰にも言えなかったけど、最近ずっと、自分のことがわからないの」
「……うん」
「よしきはさ、なんで教師になったの?」
彼は少しだけ目を細めて、そして言った。
「好きだったからだよ。子どもと向き合うことも、教えることも。……あと、あきが夢をまっすぐ言ってたの、かっこいいって思ってたから、かな」
風がふっと吹いて、私の髪が揺れた。
「わたし、わかったふりするのが得意で、でも、全然わかってなかったの。ずっと。」
よしきは立ち止まり、私の方を見た。
「じゃあ、わかるまで待ってればいい。自分の気持ちも、時間かけて知ればいいよ」
その言葉に、私は何も返せなかった。
でも、すごくほっとした。
*
目が覚めると、窓の外は、少しだけ朝焼けの気配がした。
心に残った言葉だけが、静かに温かかった。
寝る前に予約した洗濯が終わった音がして、加湿器の音が小さく鳴っていた。
現実は始まっていた。でも、私は確かに、夢の中で救われていた。
私は、夢の中で、初めて本音を言えた気がした。
現実では、誰にも言えなかったことも、
なぜか夢の中では、素直に言葉にできました。
太陽ではなくなったと思っていた私を、
「それでも、あるんだよ」と、
ただそっと肯定してくれた――
それが、あの夢の中での会話が残した温度だと思います。
わからないままでいい。
そう思えた朝は、静かに何かがほどけていく気がしました。
第4章も、引き続きよろしくお願いいたします。