全ての始まりは些末な出来事
西暦2014年最先端科学技術研究所 冬眠カプセルプロジェクト室
「う~ん・・・・やっぱ、この電源ユニットじゃ300年は無理だな・・」
俺は、目の前に展開するディスプレイに表示された電源ユニットの
諸元表を見つめながらそう呟いた。
「坂井さん、まだやってたんですか? もう終電無くなっちゃう時間ですよ?
また泊まり込むつもりですかぁ? 奥さん大丈夫なんです?」
そう声をかけてきたのは、この研究所のウィルス駆逐プロジェクトで働く
若きエリート草場君だ。
某電機メーカーからこの研究所に引き抜かれたのは1年前。それ以降、俺は
政府が推し進める長距離星間飛行用冬眠カプセルの研究を続けている。
しかし現状は、まだ未知の分野である事もあり遅々と進んでいない。
55歳の俺に対して彼は28歳。秀才とも言える彼は、その才能を自慢するでも
なく、気さくな好青年という印象をうける。
「ああ、このユニットの改良の目処が立たないと、他のセクションも
進まないからさぁ・・・そっちはどうなんだい?」
「うちの方は、少し希望が見えてきたって感じですかね でも遺伝子操作
とか、時間のかかる作業な物ですから結果が出るのはまだ先でしょうねぇ。先日、
ロシアの奥地で発見された新種のウィルス株が運ばれてきたんですけど、こいつが
厄介な代物で、いままで見つかっているウィルスとは、何か違うんですよ。
もしかしたら地球外の物では無いかという意見も出てましてね。ほら、一瞬にして
ロシア帝国が消滅した事件があったじゃないですか、あれはこのウィルスによる
ものじゃないかってもっぱらの噂なんですよ」
首を回し肩の凝りをほぐすような仕草をしながら草場君は笑う。
「まじか!一国を消滅させる地球外ウィルスってか? そりゃまた大変な代物だね。
間違ってもバイオハザードとか起こさないように頼むよ」
「もちろん、レベル5の厳重な隔離室で作業してますから大丈夫ですよ。それより
僕の方はともかく、坂井さん、余り寝てないでしょう? そんな頭で考えたって
良い物は浮かびませんって、それに奥さんも心配してるでしょうから、今日は、
もう帰ってください。私からのお願いです。」
「う、うん。まあ、そうだね・・・ 君がそういうなら今夜は、帰ると
しようかな。 ああ、ところでこのところ見知らぬ業者の出入りや機材の
搬入が続いているようだけど、きみ、何か知ってる?」
「ああ、あれですか、何かねぇ政府から新しいシステムの研究開発がうちに
委託されたみたいで所長が『そんな納期で出来るか!』って叫んでいたのを
聞いてます」
「ふ~ん まあ、こっちの作業にしわ寄せが来ないなら構わないけどさ。んじゃ
そろそろ帰るわ。君も無理しないようにね」
「ええ、そうしてください。奥様によろしく」
「わかったよ」
アタッシュケースにノートパソコン、資料などを詰め込むと俺は
タイムカードを押しながら、草場君に手を振ってプロジェクト室を
あとにした。
確かにここ数ヶ月、メールで泊まり込むことを連絡しただけで
麻美とは、話もしていなかったな。今夜はもう遅いから、明日の朝に
少し話でもしよう。そうだ、ずっとほったらかしだったし、明日は、
夕食を外で一緒に食おうとか言ってみるか
そんなことを考えている内に八王子駅に着く。自宅のある駅は荻窪だ
この時間、中央線の上りは、そんなに混んでいない。俺は、
ドアの横に立ってぼんやりとドアの上にある、液晶パネルに表示される
ニュースを眺めていた。
【また北米で森林火災が発生。南アメリカで地殻変動、大地震の前触れか。
ハルマゲドン信仰団体が世紀末を新宿都庁前で演説、機動隊と衝突。NASA
火星探査成功】・・・
世紀末ね・・確かに最近の異常気象なんか見てるとそう思えてくるよな。
ニュースを眺めそんなことを考え、荻窪のホームに降り立つ。
自宅マンションまで駅から数分。
当然、窓から明かりは見えない、麻美はもう寝ているのだろう。
麻美を起こさないように静かにドアの鍵を開け、キッチンへ向かう。
電気は点けずにカアタッシュケースを食卓の椅子に置くと冷蔵庫から缶ビールを
取り出そうとして、扉にマグネットクリップで数枚の紙が留められている
事に気がついた。多分、麻美が俺が帰ってきたらまずは、冷蔵庫のビールを
取り出すと読んでここに張りつけたのだろう。さすが俺のことをよく分かってる
だけのことはあるな。 俺は苦笑しながら、缶ビールを取り出すと、
留めてあった紙と一緒に食卓に置くと、プルトップを引き
ビールをあおる。一息ついてから、あらためて紙を見ると麻美からの伝言
だった、いや、そんな優しい物では無い絶縁状だった。
『弘幸おじさん、もう私は限界。一人でいつ帰ってくるか分からない
おじさんを待つなんて馬鹿らしいし、って、いうかやっぱりひと周り以上
年上の夫って・・色んな意味でダメダメだしw わたし、休学していた大学に
戻ってキャンパスライフをエンジョイするからさ! じゃ、さようなら。
あ、慰謝料代わりに通帳と印鑑はもらっていくわ。離婚届の必要箇所に
記入して役所に提出しておいてねぇ。お・じ・さ・ん』
最初は自分がこのところずっと帰らなかった俺が悪いと思っていたが・・
なんなんだ! この・・この馬鹿にした文章は! くっそぉ~~
俺は、缶ビールをあおって残りを全部飲み干し、空き缶を
くずかごに投げ入れると、冷蔵庫からもう一本取りだし、
椅子に座るとぼんやりと離婚届を眺めながら、飲み干した。
「んっ・・・あ・・朝か・・」
昨夜、あれから何本か缶ビールを呑み、そのままテーブルに
突っ伏して寝てしまったようだ。
「んん~ 身体が痛い・・・」
椅子に腰掛けたまま身体をストレッチしているといやでも
昨日散々眺めた離婚届が目に入ってくる。
ま、とにかくこれはこれとして時間の有るときに区役所に
行くとしてだ・・・研究所に行くか・・・
俺は、まだ少し酒の残った身体に鞭打つようにして駅へ向かう。
途中の国道にかかる歩道橋を登ったとき、歩道橋の真ん中。
その手摺りの上に立つ女子高校生の姿が。真下の道路を見つめ
るように手摺りに立つその姿は・・・
「おいおい、飛び降りかぁ おーい、君、ちょっと待つんだ!!
そんな若さで何考えてるんだ!! やめろぉぉ!」
俺は、その女の子に叫びながら走り寄り、飛びかかるように
その腕を掴んだ・・・と、思ったとき・・・
「さぁて、学校行かなきゃあ。 あれ、今、誰か? ま、いっか」
その女の子は、手摺りから飛び降り、そう呟いた。
そして空を切った俺の手と身体は、その勢いのままに手摺りを
越えて・・・
「ま、マジかぁぁ そんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
俺は、歩道橋からその下の道路へ落下するわずかな時間に己の
情けなさを痛感しながらその死を覚悟した。
『マスターキー資格者確認。転送開始』
意識が薄れる中でそんな声が聞こえた気がした・・・