30 エピローグ いつかきっと、必ず
風が頬を撫でる。僅かにはらんだ春の気配に、口元が思わず緩んでしまう。
三の月の二十二日。晴天。暖かな日差しがすごく気持ちいい昼下がり。
「ずいぶん、長めの滞在になっちゃいましたね、ルミナさま」
ついに東エルドヴィレッジを発った私たちは今、馬車に揺られ峠道を移動している。
「結局、三ヶ月くらいいたな。あそこに。ホントならもっと先に進めてたハズなのに……まあ、そういうトラブルも旅の醍醐味か」
「ふふっ、ですね」
山賊襲撃事件から二ヶ月。特になんということもなく日々は過ぎていった。
私たちはその間も喫茶エルディオで働き続けた。
コルトスでもそうだったけど、町のみんな、辛い出来事にも負けずに笑って過ごしていて。
……私は、逆に元気づけられる思いだった。そんな中、すごく印象深かったのは。
"――――君は、あのときの"
お母さんを亡くした男の子が、お父さんと一緒にお店に来たことだった。なんでも、ヘンリーさんにお礼を言いたくて来たのだそう。
残念ながら、ヘンリーさんの右目は完全には復元しなかった。眼帯で右目を隠し、だけど"これは自分が受けるべき罰だから"と受け入れていたヘンリーさんが。
"ありがとう、おじちゃん"
笑いながら、泣いていて。眼帯の奥から溢れる涙を拭いもしないで頷き続ける姿はなんだか――赦しを得た罪人のようで。
私もつい、『良かったですねヘンリーさん』と泣きそうになってしまった。
それからヘンリーさんは一ヶ月ほど旅に出た。……亡くなった奥さんと子供の墓参りに行くために。
『酷いこと言っちゃった!』と震える私たちを、笑って許してくれたヘンリーさんが不在となり。調理担当の私がいっぱい頑張らないと! と気合いを入れたのだけど。
"なぜだ……なぜ、こんなに普通なんだ……!?"
"おかしい……こんなに美味しそうなのに、食べても全く印象に残らないなんて……!"
私のビーフシチューは、不評でも好評でもない、なんのネタにもならない味だと評価されました。ちゃんとレシピ通りに作ったんですけどー!!
悶々としつつも営業を続けていたら、ヘンリーさんが帰ってきて。
"はは、彼女の両親にこっぴどく殴られたよ"
その顔は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。
そうして三の月になり、そろそろ私たちも旅を続けよう、とルミナさまと相談して決断した。
「……ミモリさん、大丈夫でしょうか」
「心配ないだろ。みんないるし、なんだかんだでやっていくさ」
私たちが町を出発すると聞いたミモリさんは、
"え? ホントに行っちゃうの? ホントにホント? …………うわーーーん、やだーーー!!"
それはもう駄々をこねまくりました。
この三ヶ月、ずっと同じ屋根の下で暮らしてきたから。いざ独りに戻るとなって、急に寂しくなっちゃったみたい。説得にだいぶ時間がかかってしまった。
一緒に働いていた女の子たちも、
"オーナー、ルミナちゃんとフィオレちゃん困らせちゃダメだよ。……あたしも寂しいけど"
"そうそう。笑顔で見送ってあげないと。……ホントは引き止めたいけど"
"二人も困らせてんじゃん。……泣いて縋れば思い直してくれるかな"
名残惜しい気持ちを押し殺して見送ってくれた。……すごく、いい子たちだった。私なんかと仲良くしてくれて、本当にありがとう。
お店に来てくれていた町の人たちからも惜しまれつつ、私たちは今、馬車の中で思い出話に花を咲かせている、というわけです。
「……ところで、フィオレ?」
「? はい、なんでしょう」
「――――なんで、そんなにくっついてくんの?」
はて? なんで、とはなんのことでしょう。
私は狭い馬車のキャビンの中、ルミナさまにぐももっと体を寄せている。それは当然です。だって狭いんですもの。
――――あー、しょうがないですよねー。こうやって体をくっつけないと、他の人の迷惑になっちゃいますものねー。恥ずかしいけど仕方ない。仕方ないです、うんうん。
「いや他の客なんていないだろ! いいから離れなさいこのハレンチ娘!」
「んなっ!? ひ、酷いですルミナさま……! ……ルミナさまだって嬉しいくせに、巨乳好き(小声)」
「なんか言ったか?」
なんでもありませんよぅ、と仕方なく離れる潔い私。こういうのは押してばかりではダメなのです。時には引くことも大事だと、そういう本に書いてありましたから。私は詳しいのです。
「…………」
……でも私がルミナさまにくっつくのは、私がそうしたいからというのも、もちろんあるけれど。
あの日。山賊のアジトへと向かったルミナさまは、夜になるころには帰ってきた。
『もう山賊は現れない』。それだけをみんなに伝え、何があったのかを語らなかったルミナさま。
殺すつもりはないらしい、とイーガさんたちに聞いた。おそらくそれは真実で、山賊が現れないというのも同じく。なので、ルミナさまは手を汚したわけではない、と思うのだけど。
「ルミナさま」
「ん?」
あれから時折、山の方を見ることがあった。その表情は普段と何一つ変わらないもの。ルミナさまは自身の行動になんの後悔もしていない、というのは、わかっている。でも。
「私、ずっとおそばにいますね」
「は? いきなりどうした?」
――――ルミナさまは、優しいから。
私は、その心に寄り添ってあげたい。そう、思うのです。
「私がそうしたいからです。……ああ、そういえば。――捕まえた山賊の一人、いなくなったんでしたっけ」
「いきなり話変わるな……まあいいけど。確かに牢屋からいつの間にか脱獄してたらしい。もうマトモに動けないはず、だったんだけどな。……意外と根性あるヤツだったのか」
なんでも、憲兵さんが子供に道を教えていた間に、牢屋から忽然と姿を消した、という話。どうやって脱獄したのかも不明なら、その山賊の行方も不明。
ルミナさまによれば、もう悪さを出来るような精神状態ではなかった、とのことなので報復とかは気にしなくていいそうだけど……不思議な話です。
まるで、最初からそこに誰もいなかったかのように消えてしまうなんて。
「まあ終わったことはいいよ。それよりフィオレ、ミティス峠を越えても、王都まではまだまだ遠いんだろう?」
「そうですね。普通に行けば、あと四、五ヶ月くらいかかるはずです」
「……わかってたけど遠いなぁ。地道に進むしかないか」
「はい。頑張りましょうね、ルミナさま」
まずは西エルドヴィレッジで宿をとって、その先の針路を定めて――と、未来のことに思いを馳せながら。
――――あの町で出会った人たちのことを思い返す。
旅に出てから最も長く滞在した場所。
多くの人と出会い。
たくさんの未知を経験し。
辛い出来事もそこにはあった。
だけど最後には、正しい悲しみとともに、そのすべてと別れを告げることが出来た。
――――そう。あの、手を振る優しい人たちとの別れは、悲しみは、正しいもの。
だって、そこには『いつかまた』という、大切な約束が込められているから。
それがいつになるかはわからない。私の旅がいつ終わるのかも。だけど。
いつかコルトスの家に帰るときには、必ず通るから。絶対、絶対にまた、会いに行きますからね。
小さな誓いを一つ。胸の奥に大切に仕舞い込みながら。
――――それじゃあ。私たちの旅をまた、続けるとしましょう。




