5 境界線を引く
迂闊な一言で、予想だにしない試練を課されてしまった。確かに難しいのを……って言いましたけど! ここまでのなんて望んでませんよぉ!
口は災いのもと、とはまさにこのこと。その結果たる一枚の紙を手に、プルプルと震えるしかない私。それを見て少し慌てた様子のルミナ様。右手を軽くひらひらと振りながら、安心させるような声で言う。
「あー……いや。ちょっと意地悪が過ぎたかな。大丈夫、無理にやらせようってわけじゃないから」
「そ、そう……ですか?」
自分で言っておいてなんだけれど、流石にこれは無理――
「ああ。や、なんていうか魔術にはこんなものもあるってこと。フィオレに魔術の才能があるのは確かだからさ。まあちょっと残念「やります」ではあるけど……って、え? やる?」
「はい」
ルミナ様は、突然やる気を出した私に困惑した様子。面食らった顔でこちらを見ている。
別に、私だって確信があるわけじゃない。『出来る』と思ったから声を上げた訳でもない。
ただ単に、ルミナ様にがっかりされたくない。そう思ったら口が勝手に言葉を発していただけ。
ルミナ様に『フィオレはすごい』って、褒めてもらいたいだけ。
これはただの意地。無茶なのはわかり切っている。だけど、
「見ていてください。ルミナ様――」
諦めたくはない。
だって私――――実は結構、負けず嫌いなのです!
「すぅ……はぁ……」
深呼吸を一つ。――さあ。始めましょう。
余計なことをしたか、と心配そうなルミナ様を意識の外に追いやり、手元の紙を見る。
どれだけ長い式だろうと、やることは変わらない。為すべきことは、自らの内にのみ。
じっと、変異式を見つめていると……奇妙な感覚。以前にも確か――そう。あれは……
森でルミナ様の魔術を見た時。あの時も、私では知り得ないような……あの魔術は何かが欠けている、という不完全さを感じ取ってしまった。だけど今回は、もっとはっきりとしている。
術の目的。構成式の意図。必要魔力量及び維持コスト。起動から発生までの所要時間と効果範囲。何から何まで手に取るようにわかる。そして何より奇妙なのは。
――想いが、伝わってくる。
この魔術はきっと、ルミナ様自作のもの。
ルミナ様がどういう想いでこの魔術を組み上げたのか。
この魔術にどういう意志を込めたのか。
私の目が、それを捉える――――
これは境界線。
幾重にも重なる大気の層。不変の蒼穹。落陽は訪れない。
何故ならこの境界は絶対不可侵。あらゆる外敵、外傷を阻む無窮の守り。
――心するといい、世界に蠢く害悪ども。
お前たち闇夜に属するものでは、この境界線を越えることは出来ない。
「――――行きます」
心象を形成。変異式を刻む。
一つ一つ丁寧に、正確に、迅速に。
思考を加速、雑念を切断。
魔術を起動する、ただそれだけを。
「なっ――――!?」
ルミナ様の驚いた声が聞こえ……た気がするけどそれも無視。だって、もうすぐ終わります。あんなに長い式だったのに不思議。
消費魔力量が多い。さっきまでの基礎的な魔術とやらとは比べ物にならない。私が保有する魔力、そのおよそ四分の一が失われてしまった。……でも、これくらいなら大丈夫。
「――っ」
最後の式を刻み終える。後は起動するのみ――と、そこで。
ルミナ様がこの魔術に込めたとっておきの想い。……この魔術の、名前。
本当に不思議だけれど、それも私にはわかってしまった。
そう、この魔術の名は――『蒼天越え得ぬ境界線』!
「速――って、もう起動したーーーーー!?」
きん、と私と世界を隔てる音がした。
魔術を起動した確かな手応えと、ルミナ様の驚愕する声。……どうやらルミナ様から見ても、ちゃんと起動しているみたい。ふう、一安心。
息を吐きだし集中を切る。うーん……今、どれくらいかかったんでしょう? ルミナ様、速いって言いかけてたけど……自分じゃよくわからない。ルミナ様を見てみる。
「……シルヴィアさん、こういうこと……アレが起動出来るくらいの魔力量…………ていうかこれ、オレいらない……」
なにやら顎に手をやり、ぶつぶつと考え込んでしまっている。……むむ、褒めてくれると思ったのに。
とはいえ、自分から『褒めてください!』なんて言えるはずもなく。考え事の邪魔をしてもいけないかな、と遠慮してしまい……なんだか手持ち無沙汰になった。
どうしましょう……あ、そうです。
思い付いた。せっかく起動したんだから、その効果を確かめてみたい。
なにがいいか……あの木にしましょう。小走りで近くの木の側へ。
「――? フィオレ? なにやって……」
すると私の動きに気付いたルミナ様が、声をかけてきたけれど……返事をする前に、
「とりゃー」
目の前の木を、全力でぶん殴ってみた。
「ちょおーー!? なにやってんのこの子ぉーーー!?」
おお、ルミナ様。驚きすぎて普段より可愛い声出ちゃってます。しっかり聞いておけばよかった――ではなく。
ガン! と殴りつけた自分の拳を見てみる……結果は、見るまでもなかった。
素手で殴ったにも関わらず、血が出るどころか赤くすらなっていない。当然、痛みもない。殴った時に少し衝撃があっただけ。
変異式を見た時に把握した通り。この魔術は――
「ルミナ様。これって、防御魔術……なんですよね?」
自らの身を守るもの。どんな攻撃であっても傷一つ負わない、鉄壁の――いえ、境界の鎧。
衝撃は完全には防げないみたいだけれど……それでも、ちょっと意味のわからない強度。……いったい、何から攻撃を受けることを想定してるんでしょう……?
「え……いや、その通り、だけど。――フィオレ」
真剣な顔。ドキリとしてしまう。
ドキドキ。きっと誉めてくださる。だってこんな難しい魔術を起動できたんですし。えへへ。
そうして期待して待つ私に対し、ルミナ様は――
「フィオレって結構、アホの子だな。見た目と行動のギャップが酷いって、よく言われない?」
ジト目で私を見やり、そんな、心外極まるお言葉をくださるのだった。
…………………………あれー?




