26 私の愛しい――
それからの日々は、忙しなくも穏やかなものでした。
朝起きて。シルヴィア様とルミナ様、三人で朝ご飯を食べる。
日中は街の復興に協力し、いろんな人とお話をする。
日が暮れる前には家に帰り、また三人で夕ご飯。その日あったことを、シルヴィア様と三人で楽しくおしゃべり。
夜には本を読んだり、ルミナ様に魔術の講義をしてもらったり。そうして眠くなったら、おやすみなさい。
そんな一日の繰り返し。
忙しくて、満ち足りて。
楽しくて、悲しくて。
そんな、ありふれた日常を私たちは過ごしていく。
街の人々は、突然訪れた悲劇にも負けずに頑張っている。正直、魔人に襲撃されたのは私のせいなのかも、と気に病んでいたのだけれど……
あの時のパン屋さんの家族が、”私たちを逃がすために飛び出してくれてありがとう”と言いに来て。
私は感激してしまった。やっぱり、頑張ってよかった、って。自分を責めるのはやめよう、って思えた。
団長含む五人の犠牲者が出た代行者さんたちは、パーティーを解散してそれぞれの道に進むことにしたらしい。この街に定住したり、はたまた故郷に帰省したり。
……団長が亡くなる寸前、なんて言っていたのかルミナ様に聞いてみた。
「――困ったときは助け合いだ、だってさ」
――――本当に、すごくカッコイイ人だった。
助けられなくてごめんなさい。助けてくれてありがとう。
きっと私は、この先も彼らのことを忘れないと、そう誓った。
シルヴィア様はあの日の無理が祟ったのか、日に日に眠る時間が長くなっていった。
動きも鈍くなって、時々転びそうになる。だからできるだけ、私かルミナ様のどちらかがそばにいるようにした。
「……最近、マイクが会いに来てくれませんねぇ……。代行者の仕事が忙しいのでしょうか……」
………………私は、そうかもしれませんね、としか返せなかった。
そして、翌月。十一の月の十日。シルヴィア様の誕生日。
私はネックレスをプレゼントすることにした。花をモチーフにした、シルヴィア様にふさわしいもの。
”私よりも貴女の方が似合うのでは?”なんて言っていたけれど大丈夫。お揃いで買いましたから。シルヴィア様は可笑しそうに、とても嬉しそうに笑っていた。
ルミナ様はもう一度、星の魔法を見せてくれた。その星々はルミナ様の思い通りに動くらしく、動物だったり、人間だったり、はたまたこの世には存在しない生き物だったり。星を繋いで夜空に描いて、それにまつわる私たちは知らない物語を語って聞かせてくれた。
もう夜中に防寒着もなく出歩けない季節。でも、魔法の中なら寒くない。私とシルヴィア様は寄り添って、不思議な星空観賞を楽しんだ。
「――良かった。アナタとの約束を守れて」
「魔法は、この間見せてもらいましたよ?」
「……いいえ。そちらではなく」
「………………良いのですか?」
「はい。決めました」
二人で内緒話。ちょっと複雑。でも本番はこれから。プレゼントの本命は、まだ私の手の中にある。
ネックレスを買いに、被害を免れていたアクセサリー屋さんに行った時。お店の店主さんが申し訳なさそうに私にくれたもの。なんでも二か月くらい前に、ある人が注文していたものらしい。
”遅くなって済まない。これは君に託すべきだと思った”――とのこと。それを見て私は納得し、少し不満で、だけど絶対シルヴィア様に渡します、と店主さんに告げた。
そうしてそれをシルヴィア様に手渡した時、
「――――あ、ああ、うあぁぁぁぁぁ…………!」
シルヴィア様は号泣した。
「うぅっ……あ、ありがとう…………ありがとう……っ、フィオレ……っ」
もしかしたら、いたずらにシルヴィア様を悲しませるだけなのかもと、最後まで迷っていたけれど。
……たぶん、これで良かったのだと思う。誕生日プレゼントは、大成功に終わった。
翌朝。シルヴィア様は目を覚まさなくなった。
◇
「……………………」
ベッドで眠る横顔を見つめる。その呼吸は深く、静かで、よく見ないと止まっているのでは、と心が潰れそうになるほど、か細かった。
シルヴィア様が目を覚まさなくなってから、今日で二日……いえ、三日目。いつの間にか日付が変わっている。
私はベッドの横で、椅子に座っている。ルミナ様は立ったまま、私とシルヴィア様を見ている。
私がシルヴィア様のそばを離れようとしないから、ルミナ様がご飯を作って持ってきてくれた。お手洗いに行く時も、ルミナ様が代わりにシルヴィア様を見守ってくれた。だけどそれ以外、私はなにもする気が起きなかった。
先生は席を外して、居間にいるはず。
”もう打つ手はない”。シルヴィア様の昔からの友人の女医さんは、私に最期までそばにいるよう言い残して部屋を出ていった。
「……………………」
私は見つめている。真っ白な髪。皺だらけのお顔。枯れ木のような、細い体。そんな、愛しい人の姿を、ただ見つめることしかできない。
と、その時。
「――――――――――――あ……」
葉擦れのような音。ゆっくり、ゆっくりと、シルヴィア様は瞼を開けた。
「――――! シルヴィア様! 目を、覚まされて……」
「――――――――――――」
「シルヴィア、さま?」
うつろな目。今にも光が消えそうな瞳は、きょろきょろと部屋の中を見渡して――――私を、見なかった。
「シルヴィアさん」
「……? ああ、あなたは…………えーー……っと……どなた、だったかしら」
「ルミナです。オレの名前」
「まあ……星のように、きれいなお方…………ごめんなさい、ちょっと……思い出せなくて」
「大丈夫です。気分は、どうですか」
私をよそに、二人は会話をする。私は、どうしていいかわからない。
「きぶん…………なんだか、夢をみるような、夢の中に、まだいるような心地です……」
「苦しくないなら、良かったです」
「ええ…………ああ、そうでした、ルミナ様。おもいだしました。私、あなたに伝えたいことがあったんでした」
「なんですか?」
「――――どうか、幸せに。あの日、初めて出会った縁もゆかりもない私の為に、泣いてくれたこと。……本当に嬉しかった。そんな優しいあなたが、いつかその夢を、優しいものとして終わらせられますように」
「――――――――」
ルミナ様は震えるように深く息を吐き、静かにシルヴィア様へと問いかける。
「……オレも、聞きたいことがあったんです。いいですか?」
「……? はい、なんでしょう……?」
「――――どうしてですか?」
「…………どう、して?」
「どうして、アナタは、そんなに頑張れたんですか?」
真っ直ぐ、シルヴィア様を見つめる金の瞳。水面に映る月のように、ゆらゆら揺れている。
「きっと、息をするのも辛かったはずだ。歩くことなんて地獄のようだったはずだ。なのに、どうしてですか。どうしてそんなに、頑張れたんですか。どうして、そんな――――」
ルミナ様は、一筋。流れ落ちる星を思わせる涙をこぼし、
「髪も白くなって、肌なんて皺だらけで、枯れ木みたいに細い、おばあさんみたいな姿になってまで…………本当は、そんな年齢じゃ、ないのに」
今にも崩れ落ちそうな声で、シルヴィア様の真実を告げた。
「…………ルミナ様」
――――そう。そうです。シルヴィア様は、違うんです。
小さくて。腰も曲がって。歩く時に杖を突いているけど。
おばあちゃんじゃ、ないんです。そんな風に言われる年齢じゃ、ないんです。
小さなころ。マイクおじさんに『シルヴィア様と結婚しないのか』と問いつめた時。マイクおじさんはこう言った。
”違う。俺とシルヴィアの仲がいいのは、幼馴染だからだ”
マイクおじさんは、おじいちゃんじゃない。不愛想だけど、れっきとした若い男の人。おばあちゃんみたいなシルヴィア様と、マイクおじさんが、幼馴染なんておかしいんです。
それまでずっと私は、シルヴィア様はおばあちゃんだと思っていた。だから、年の差なんて関係なく想い合っている二人を、素敵だなぁ、なんて勘違いしていた。
……そう、勘違い。二人は幼馴染だから。
年の差なんて、なかったんです。
おばあちゃんみたいなシルヴィア様と、若いマイクおじさんは、同い年だったんです。
「…………どうして、ですか…………ふふ、ルミナ様ったら…………そんな、わかり切ったことを聞くなんて」
少しずつ、うわごとのようになっていく声。だけどその口調は穏やかだった。シルヴィア様はきょろきょろと視線を動かす。まるで、誰かを探しているように。
「そんなの――――あの子が、いたからです」
「――――」
「いつも、気にしていないふうを装って……本当は"誰か"を忘れてしまったことを気に病んでいる……あの子。……だから、なのでしょうか……いつも一生懸命……なのです……」
「――――」
「きっと……自らの人生を精いっぱい、頑張ることで……失くしたものへの償いになると、思っているのでしょうね……なんて、誠実な子。
自分の……人生に真っ直ぐ向き合って……どれほどの悲しみの中にあっても……幸せになることを、諦めていない。そんな、あの子を見ていると……いつも勇気づけられて……ああ、そうです、知っていますか……?」
その瞳からどんどん、光が失われていく。
「あの子。実はとっても……恥ずかしがり屋さんなんですよ……。朝、起きたとき……いつも、私をそう呼ぼうとしてくれるんですけど……恥ずかしがって、やめてしまうんです。それが……とってもかわいくて……いとおしくて……つい、きづかないふりを……」
「シルヴィア、さま――」
「明日は、呼んでくれるかな……それとも、恥ずかしがってしまうかな。そう……思ったら……夜、眠るのが怖くても……明日、めざめないかも、と震えてしまいそうでも……」
――――自分も頑張って、あの子におはようを言おう。
「それだけなのです……あの子が、元気に笑ってくれている。あの子が私を、母として愛してくれている」
「……う、うぅ……」
「それだけで、よかったのです。
それだけで――私の人生は――報われるのです――――」
涙が、零れて……零れて……止まらない。
想いが、溢れて……溢れて……止まらない。
だけどどうすればいいか、わからない。今にも眠りについてしまいそうな、大切な人に、私はどうしたら――
「…………あ……あーー~~……」
「!? シル――」
急に、シルヴィア様がうめき声のような、微かに残ったものを絞り出すかのような声を上げ、左手でなにもない空を掻き出した。……何かを、掴もうとしている。
「あぁ……だけど、し、しんぱい、です……あの子はまだ、ちいさいから……」
「――!!」
「どこかで、まいごになっていないでしょうか……ひとりで、さみしいおもいを……していないでしょうか……ああ、まってください……ひとりで、はしっていっては……」
……やっと、気づく。
そのうつろな目が探していたのは、小さな私。まだ幼くて、頼りなくて……そんな少女を守ろうと、その小さな手を握ろうとしている。
「フィオレ」
ルミナ様の優しい声が聞こえる。まるで私の背を押すかのような声に導かれ、私は空を掻く手を握る。
そしてやっと、シルヴィア様は私のことを見た。
「……? ああ、そんなところに、いたのですか……フィオレ? どうしたのですか、そんな、かおをして……」
だけどその瞳に映るのは、小さな私で。
「なにか、かなしいことがあったのですか……?」
いつまでも頼りない、守られるだけの子供で。
「なにか、こわいゆめでも、みたのですか……?」
どうして、私は……!
「だいじょうぶ、です……母は、ここにいますよ」
「う、ああああああ…………!!!」
許せなかった。
これまでの自分のあまりの愚かさが。今すぐにでも昨日までの私を殴ってやりたいと思いながらも、ついに、私は。
「おか、おかあ、さん……」
今まで何度も何度も呼びたくて、でも……怖くて。
「お母さん……お母さん、お母さん!!」
躊躇ってしまった言葉を、今までの分まで、何度も何度も口にした。
「ごめんなさい……ごめんなさいお母さん……! いままで呼べなくてごめんなさい! ……怖かったんです! いまさらお母さんって呼んでいいのかわからなくて怖かったんです! こんな私が、あなたの娘でいいのかって、ずっと自信がなかったんです……! う、うぅぅぅ……!」
細い手に縋りつく。
「いっぱい迷惑をかけてごめんなさい……こんな馬鹿な私でごめんなさい……お母さんって、呼んであげられなくてごめんなさい!」
「……フィオレ……?」
「初めて会ったとき、"おばあちゃん"って呼んじゃって、ごめんなさいぃ……!」
……それが、私の始まりの後悔。
あの日。何もかも無くした私を優しく見つめるお母さんに。
"おばあちゃん、だれ?"
幼い私は、そう問いかけた。その時の私には、そういう風に見えていた。
だけど当然、今から十年も前のお母さんは、おばあちゃんなんかじゃなくて。
あの時は理解出来なかった、不思議な表情。お母さんの真実を知った日に、理解出来たこと。
小さな私からおばあちゃんと問い掛けられたお母さんは。
……すごく、傷ついた表情をしていたんだって。
だから、怖かった。
この人を傷つけた私に、娘を名乗る資格があるのかわからなくて。
「ごめんなさい……ごめんなさい……やだ、いなく、いなくならないで……死なないでお母さん! 私を置いて、いかないでぇ……!」
縋りつく手に力を込める。どこにも行かないように。そのか細い熱が、消えてしまわないように。
「――――フィオレ」
またルミナ様の声。今度は私を諫めるような。今にも崩れそうな私の背を、支えるような。
はっとする。お母さんは泣きじゃくる私を見て、すごく、困った顔をしている。すごく、心配している。
「――――、っ」
ダメ。これじゃ、全然言い張れない。
お母さんの娘だって、私は胸を張って生きていけない。
もう時間がない。今を逃したら、私はもう幸せになることなんて絶対出来ない。
――――そう、今こそ。
お母さんが注いでくれた愛に、報いるとき。
「……っ、ね、ねえ、お母さん? 私、こんなに大きくなったよ。お母さんがたくさん、たくさん愛情を注いでくれたから。私、一人でも歩いていけるくらいになったんだよ。これからも色んな人に迷惑をかけちゃうかもしれないけど……一生懸命、頑張るから」
笑顔を作る。涙でぐしゃぐしゃで、とても笑っているようには見えないだろうけど。
「ありがとう、お母さん。いっぱい愛してくれて本当にありがとう。だから、大丈夫。私は、もう大丈夫だから。もう、思い出がいっぱいあるから、悲しくない。ちゃんと、前を向いて歩いていける」
今の私の全力で。受け取ったもの、すべてを込めて。
「だって、私は――」
――――いつかの奇跡の未来を。
大好きなお母さんに、ちゃんと、見せてあげないと。
「私は。――――お母さんの、娘だから」
その、ただの強がりが、ちゃんと聞こえていたのかはわからない。だけど。
「――――なんだ。やっぱり、愛情をたっぷり注いだ方が、よく育つではないですか――――」
お母さんは、ふっ……っと、その表情を変えて……
「こんなに、立派に――――私の、愛しい娘――――……」
◇
その日。
十一の月、十三日。冴え冴えとした、星が瞬く、麗らかな夜のこと。
先日、三十五の誕生日を迎えたばかりの、私の愛しい母は。
……静かに、息を引き取りました。
全てを失い、何一つ持っていなかった少女に、抱えきれないほどたくさんの愛情と。
まるで救いを得たかのような、穏やかな微笑みを残して――――




