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2 穏やかな朝に巻き起こるラッキーなんとか

 はじまりにあったのは、優しく包まれた手の温もりでした。


 ゆっくり、目蓋を開けます。

 するとそこは知らない場所でした。

 知らない匂いがしました。知らない光を見ました。

 知らない『私』がベッドに寝ていて。

 知らない人が、私の左手を握り、嬉しそうに私を見つめていました。


 "ああ、目が覚めたのですね。良かった……本当に"


 その人は本当に、心の底から安心したように言いました。

 そして私も、その声を聞いてひどく安心したのを覚えています。

 ――ああ、この人は、私を見間違えたりしないのかな。

 そんな風に、よくわからないことを考えていた気がします。


 近くにいた若い女の人が、"お医者様を呼んで来ます"と慌てたように部屋を出て行きました。

 そこで、自分の体がうまく動かせないことに気づいて。まるで大切なナカミがすべて抜け出てしまったかのような感覚に、死にそうなくらい心細くなって。

 縋るように、私の手を握っていた白髪混じりの女の人に問いかけました。


 "――――――、――……?"


 するとその女の人は一瞬、不思議な表情を浮かべた後ニッコリと笑い、名前を名乗りました。


 "(わたくし)はシルヴィアといいます。貴女のお名前はなんですか?"

 "………………? ……わた、し……は?"


 そうして、フィオレ(わたし)は。

 シルヴィア様に引き取られ、育ててもらうことになったのです。

 これが、一番最初の記憶。

 一生消えない後悔を刻んだ、私の始まりです。 

 


      ◇



「――――――――――――ん」


 朝の光に目が覚める。

 懐かしくて、悲しい夢を見ていたようです。


「……? ……えーっと……」


 目元が濡れていた。寝間着の袖で拭い、起き上がる。

 ほう、と息をつく。

 秋の乾いた空気は心地いい。少し前まで、融けるような夏だったのが嘘みたい。

 カーテンを開け放ち、窓の外を見る。暖かな朝の日差し。……今日も、いい天気です。

 服を着替える。鏡は……あとでいいかな。


 ――――今はとにかく、大切な家族の顔が見たい。


「それでは。今日も、恥ずかしくないよう頑張りましょう」


 お決まりの呪文(ことば)。いつもの儀式(やくそく)。気分一新、気合十分。

 フィオレ・バニングス、十五歳くらい。朝食の準備に出動です。



      ◇



 大昔にあったという『星の災厄』により、地表の大半が海に沈んだ世界――アースティルト。

 ここは唯一残された大陸の上にある国の、東の端っこにある街。いわゆる『辺境の』という言葉が付く、まあ、田舎ですね。


 私が長年暮らすこの街の名はコルトス。

 田舎といえども、この辺りでは一番大きく賑やかな場所。だけど私の家の周囲はそんな喧騒とは無縁の、どこか祈るような静寂に満ちていた。


 それもそのはず、私の家は街の中ではなく。街を円形上にぐるっと囲う街壁(がいへき)のちょうど北西辺り、壁に接するように広がる小さな森の中に建っている。要するに、街の外ですね。


 なんでもこの家を建てた人は大の人間嫌いだったそうで。わざわざこんな()()()()()()()()()に居を構えたらしい。覚悟決まりすぎでは?

 まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。八年、かな。ずっとここで暮らしていて危ない目にあったことなんて皆無と言っていい。防護柵(セキュリティ)はきちんとその勤めを果たしている。いつもお疲れ様です。


 自分の部屋を出て廊下を歩く。きい、と。慣れた床板の鳴き声。思わずくすり、と笑みが零れる。

 私に血のつながった家族が()()()()()()()()()()が、一緒に暮らしている人はいる。それが、シルヴィア様。

 身寄りのない私を拾い育ててくれた、命の恩人。とてもお体が弱く、(とこ)に臥せることも多いので……私に出来る限りのことをして差し上げたいと、思うのだけれど。……いつも空回りばかり。


 ――――昨日なんて。

 もう少しで死ぬところでしたし。


「……ルミナ様は、まだ寝てるでしょうか」


 お客様の部屋を通り過ぎ、たんたん、と階段を下りていく。軽快なリズムを刻んでいく。いつもと同じ日常に、なんだか心が安らいでいく。ああ、そして。

 二人で暮らすにはちょっと大きい、いずれ三人で暮らすはずだった木造二階建ての家屋のキッチンに。

 トントントン、と胸に染み込むような音が響いている。――さあ、気合を入れて挨拶をしよう。


「お――――……おはようございます。シルヴィア様」


 キッチンへと足を踏み入れた私の目に映る、後ろ姿。

 白い髪。最近特に曲がってきた気がする背中。服の袖から覗く、折れてしまいそうなほど細い腕。

 私の声に振り向いたお顔は、皺だらけ。……過ごしてきた年月の悲しい重さを感じさせる。

 窓から差し込む朝の光とともに、消えてしまいそうな儚さを湛えながらも。

 その内に秘めた強さを確信させる、そのお方こそが。


「――? ああ、おはようございます。フィオレ」


 私がこの世で一番大好きな人。今はもう、この世でたった一人の家族。

 シルヴィア・バニングス様、その人です。


「今朝は早いですね――おや、どうしました、そんな顔をして」

「え、えっと、変な顔をしているでしょうか」

「ええ、とても。……もしかして、悲しい夢でも見ていましたか?」


 握っていた包丁をまな板の上に置き、シルヴィア様は私に近づいて来る。そして。


「――――大丈夫です。(わたくし)は、ここにいますよ」


 まるで泣きじゃくる子供をあやすかのように、優しく、私の手を握った。


「も、もうシルヴィア様。私、そんな子供じゃないです……」

「まあ。そうでしたか? (わたくし)にはまだまだ頼りないお子様に見えるのですが」

「ひ、酷いです」


 かつて幾度となく繰り返した、悲しくなくなるおまじない。その皺だらけの手の温もりが離しがたいほど嬉しく、同時に、目を逸らしたくなるほど気恥ずかしい。

 ……あれ。なんだろう……シルヴィア様のお姿が。

 ちょっとだけ、胸の辺りがぼやけて……朝の光が目に入っちゃったかな。まあいいか。


「そ、そんなことより。お体はもう、大丈夫なのですか? あまり無理はなさらないほうが……」


 やんわりと手を離しながら、誤魔化すように問い掛ける。

 シルヴィア様は昨日まで高熱にうなされ、ベッドから起き上がれないでいた。驚くことに熱はもう下がっているみたい、なのだけど。

 ……やっぱりまだ、安静にしていた方が……


「ふふ……先ほども、ルミナ様に同じことを言われました。そんなに心配しなくても、自分の体のことは自分が一番わかっています。見ての通り、ですよ」


 むん、と力こぶを作る仕草をする。……こぶなんて、どこにも見えないのが少し悲しい。

 それに、とシルヴィア様は少し照れくさそうに言葉を続ける。


「ずっと寝ていましたので。なんだか、体を動かしたい気分なのです。……大丈夫、無理をするつもりはありませんよ。また貴女が、勝手に走り出してしまったら困りますので」


 くすくすと、悪戯っぽく笑うシルヴィア様。

 もう……! 私、そんなに無鉄砲ではないんですけど!

 まるで私が猪みたいな物言いをされて、心外だった。シルヴィア様を困らせるほどの暴走なんて、した記憶は……あるような、ないような――いえ、ないですね!

 よく思い出せない、ということは、大したことではなかったのです。きっとそう。私は過去に囚われない女の子なのです。

 ……とにかく、元気になったのなら、良かった。


「朝ご飯、私も作るの手伝います。……それくらいは、いいですよね?」

「……そう、ですね。それでは、久しぶりに一緒に作りましょうか」


 普段は当番制になっている食事の準備。一緒に作るなんていつぶりだろう。

 よし、と気合を入れる私だったけれど、しかし。

 シルヴィア様が、あまりにも迂闊な私にとても大事な忠告をした。


「……ですが、その前にフィオレ? まさかそんな顔で、ルミナ様の前に立つつもりではありませんよね?」


 …………………………え。


「~~~~~~~~~~!?!?」


 いまだかつてないほどの速度で洗面所に向かう私。

 危なかった……! さっき、部屋にルミナ様がいなくてほんっとうに、良かった……!

 普段、ほぼシルヴィア様にしか会わないから、といっても油断しすぎです。……昨夜あんなに緊張していたのに。


「あ、ちょっとお待ちなさい! 今は……――――」


 後ろでシルヴィア様が慌てたように呼び止めてきたけれど、今は気にしてられない。後で聞きます、シルヴィア様!

 そう、今は一刻も早く。


 ――――微かに残る、(ゆめ)の跡を洗い落とさなくては。


 急ぎながらも、どたどたと床を踏み鳴らすようなことはしない。あくまでお淑やかに、洗面所までの距離を軽やかに縮めていく。……だってルミナ様に聞かれたら恥ずかしいですし!

 廊下の左手側にある、洗面所とお風呂へと繋がるドアを視界に収める。長年暮らした家。目を閉じていても辿り着けるでしょう。嘘です。たぶん壁に激突します。目を開けててもぶつかったことあるので。


 洗面所のドアの前で華麗にターン。ドアノブを捻り、ドアを手前に開きつつ、止まることなく洗面所の中へと飛び込んで――


「――へ?」

「………………え」


 ――――そこには、目を奪われるほど美しい少女の姿があった。


 えっとえっと。この家には今、私とシルヴィア様とお客様であるルミナ様の三人だけ。シルヴィア様が台所にいるので……えーっと、目の前の人物はルミナ様のはず。うん、そのはず。

 思考が再起動。おはようございます私。そう、私は今、ルミナ様を見つめている。


 明らかにお風呂上がりと思しき、一糸纏わぬ裸体を晒すこのお方はルミナ様。

 昨日、魔獣に追い詰められて死にそうだった私を助けてくれた命の恩人。お礼がしたくて少し強引に連れてきて、昨夜ウチに泊まってもらったお客様。

 

「――――――――あ」


 室内なのに、艶やかな深く暗い青色(ミッドナイトブルー)の髪が風に踊っていた。

 どうやら風の魔術で髪を乾かしていたらしい。タオルを首にかけ、飛び込んで来た私をポカーンと見ている。

 煌めくような金色の瞳。お月さまみたい。夜色の髪は室内の明かりを反射して、お星さまが瞬くよう。

 陶磁器みたいに滑らかな白い肌。胸は薄いけど……どこからどう見ても、絶世の美少女と言っていい、私の命の恩人のあられもない姿。…………なの、だけど。


 私の視線の先。具体的に言うとルミナ様のお体の一部。もっと言うと……い、言えるわけないです!

 とにかく! ……その、なんというか…………女の子には、無いはずのものが、ある、というか……


 要するに。


「ぎゃーーーーーーーーーーーー!!!」

「ひああああああああああああ!?!?!?」


 魔獣どころか、広大な森すらもズタボロに粉砕する強さと。

 どこか神秘的とすら言える美貌を持つ、このお方は――


「なんっ、このっ……おバカ! ()()()()()()()()()()()()()()()! さっさと出ていけぇーー!」

「は、はいぃぃぃぃ!!」


 ――――紛れもなく。

 めちゃくちゃ可愛い――――れっきとした男の子だったのです。

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