21 ここは任せて先に行け
―――――――雨が、降っているかのよう。
ぱらぱらと。なにか固いものが、地面を打ち付ける音が街に響く。
「っ!?」
ガガガガ、と大通りに面した建物の窓が、一斉に落ちて轟音を立てた。全て、灰色になっている。石のように、重々しく砕け散っている。
……いえ、ように、ではなく。
――――窓ガラスも。羽根を広げたままの鳥も。雨のように落ちる、元は埃だったものも。元からそうだったものさえも。
全て――――石化していた。灰色になって、止まっていた。
「そ、そんな……」
信じられない。たった一瞬でこれほどの現象を引き起こすなんて。
アイオーンの魔術は全力じゃなかった。手加減どころか、本当に、その力の切れ端を顕しただけ。それで……この威力。
手加減した理由はわからないけれど、もしも。あの魔人が全力で今の魔術を放ったなら。
「この街は……全部……!」
急がないと。早くアイオーンを街の外に――いえ、それ以前に今の魔術を連発されたら逃げようがない! 今、アイオーンはどこに……
でも遅かった。判断を間違えた。街に被害が出ることを恐れ過ぎた。
隠れた路地から大通りを窺うのではなく、すぐさま路地の奥側へ走って逃げるべきだった。
「お前。――見えているナ?」
「え……きゃあ!?」
後ろに、アイオーンが突如として現れる。いつの間に!?
魔人はその長い脚で私を思い切り蹴り飛ばす。人間の頭部さえ容易く粉砕する人外の身体能力。当然、反転が発動するかと思いきや……本当にふざけてる。
なんと『境界線』が割られないギリギリの力で、ふんわりと、私を大通り側へ押し出して見せた。……嘘でしょう!?
驚きのあまり着地に失敗。背中から石畳の上に落ちてしまうけど、これくらいの衝撃なら『境界線』は耐えられる。大丈夫、残り二回の防御はまだ――――二、回?
逃げている時はがむしゃらで気づかなかった。あと、二回攻撃を受けたら、私は……もう……?
「まさか全くの初見で回避されるとハ。その目。……本当に余計なことをしてくれル。――だガ」
「う!?」
またしても路地にいたはずの魔人が正面に出現した。なんなんですかこの瞬間移動!
何がしたいのか、もう一度私を北門側へと蹴り出すアイオーン。せっかく近づいたのに、どういうつもり……いえ、逆に好都合です。
北門はもうすぐそこ。破壊されてしまっているけど、出る分には問題なさそう。この勢いを利用して一気に駆け抜け――
「こちらも解析を終えタ。その癖の悪い足を断罪しようカ」
「な……」
ることは出来なかった。着地した地面から、高速で迫るもの。
それは設置型の、魔術!
「あっ! う、こ、こんなの……」
がちり。右足に噛みつく石で出来たトラバサミ。がりがりと『境界線』に阻まれながらも、その獰猛な歯を食い込ませていく。動けない。このままだと、いえ、だ、大丈夫。割られても反転が発動する。その後に走り出せば……なんて。
――本当に、私は魔人を甘く見ていた。
「ぎっ!? あ、ああああああああ!!!」
トラバサミが境界線を砕く。反転し、その口が大きく開き――ほぼ同時に。
ゼロコンマ一秒の間隙。その空白を縫うように、地面から生えた石の棘が、私の靴ごと足の甲を貫き。
「――――――――――」
反転して開いた牙が巻き戻り。今度こそ私の脚にがぶりと食らいついた。
「あ、ぐぅぅ、い、いた、痛いぃぃ……!」
生きてきた中で初めての大怪我。とんでもない激痛に心臓が踊り狂ってる。現実感のない景色と、とめどなく溢れる赤色に脳が焼き切れそう。
「う、あああああ……っ!!」
もう私は恐慌状態に陥ってしまって、ほとんど無意識のうちに右足に魔力を集中、爆発させ、石の棘を折りトラバサミを粉砕した。あまりの衝撃に私自身の体も吹き飛ばされてしまう。
もんどりうって地面に倒れ込み、私はそのまま動けなくなってしまった。
――いたい、いたい……! 棘、棘が、まだ刺さって……!
涙が溢れる。自分の脚がズタズタで、そのうえ異物が刺さっている。まっすぐ伸びたそれは、なんだか鉢に立てた支柱のよう。ぬらり、と絡む血は蔓みたい。そこから私という花が咲いていて――あ、はは、は……私、なにをバカなことを。
現実逃避しかけながらも、とにかく逃げなくてはという一心で、這いずるように体を魔人から遠ざける。
「やっと止まったカ。……圧縮した魔力を炸裂させ逃れるとはナ。足を貫かれながら大した反応ダ。意識的にか無意識的にかはわからんガ――解せんナ。なぜ、反撃をしてこなイ?」
魔人の訝る声。私にそれを気にする余裕なんかない。
「まさかとは思うガ。……素人、なのカ? 戦うすべもなく攻撃魔術も使えない、ただの人間だト? ただ才能のみで――小生から五分間も逃げ延びたというのカ」
嘲るようなため息。恐らくそれは私にではなく。
ただの人間に過大すぎる評価を下していた自分自身に向けたもの。そして、
「……無駄な時間だった、とは言うまイ。長ずればどれほどの力をつけるか。お前はここで、排除しておくべき人間に変わりはなイ」
いきなり。
空が、暗くなった。
恐る恐る上に視線を向ければ、そこには。
私の体なんかゆうに超える、巨大すぎる、岩の塊が――――
「ふン。稚拙な舞踏会もこれにて閉幕。では告解の刻ダ。なに、神に許しを請う必要はないとモ。ただ、速やかニ――――」
魔人の手が、邪悪なるものに裁きを下すように振り下ろされる。
「地の底に、墜ちて行ケ」
間に合わない。こんな、這いずる速度じゃ絶対に。
だけど諦めたくなくて、必死で前へ進むけど。
――あ、これ。私、押し花になっちゃいますね。
やっぱり無理だと、目を閉じそうになった時。
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
「!?」
真横の路地から、誰かが飛び出して来た。
謎の人物は駆け抜けながら、倒れる私をガシッと拾うと、
「くそがあああああああああ!!!」
空から落ちる大岩の範囲外へ、全力で跳んだ。
ズガシャァァァァァァァ!!!!
耳がおかしくなりそうな轟音と粉塵を巻き上げ、大岩は街を砕く。その衝撃で私たちはさらに吹き飛ばされるけれど、間一髪、押しつぶされるのだけは回避できた。
呆然とする。落ちてきた大岩はまだ形を保っていて、その向こう側にいるだろうアイオーンの姿は見えない。そして私を窮地から救い出したのは、
「だ、団長さん……?」
住人の避難とルミナ様を呼びにいったはずの、ミゲール団長だった。
「ど、どうして……」
「おーい、嬢ちゃん! 無事か!」
「!? は、ハインツさん!? それに……」
ハインツさんだけじゃない。オスカーさんとビクトールさんも、屋根の上から飛び降りてきた。どうやら大通りを避けつつ、屋根の上を移動してここまで来たみたい。
「み、みなさん。街の人の避難は? ルミナ様は……」
「話は後だ! とにかく逃げ……って、その足!?」
団長さんは私のズタズタの足と、刺さった棘を見て顔をしかめる。
「フィオレ、治癒魔術使えただろう! 早く治せ!」
「で、でも、この状態じゃ……」
そう、棘が刺さったままでは治療できない。これを抜かないと――あれ、なんか嫌な予感。
「わかった。なら、歯を食いしばれ!」
「え、いや、ちょっと待――――いぎっ!?!?」
なんということでしょう。団長さんったら、私の足に刺さった棘を、力任せに抜いてくれやがりました。
目の奥で火花が飛び散る。あまりの激痛に意識飛びそう。っていうか吐きそう。そして『境界線』の再起動を確認。……あ、あれ? もしかして、さっきまで起動してなかった?
まさか棘が――異物が、私の体に刺さっていたから。『境界線』の機能に不具合が生じていた? そんな弱点が……
「これでいいか!? 早く治療して逃げるぞ!」
「~~~~~~っ! わ、わか、り、ました……」
なんとか耐えきって治療を開始。助かりましたけど恨みます団長さん。
「……ああくそ、まじかよ。団長! 早くずらかったほうが良さそうですぜ!」
「な、なに?」
治癒魔術を使いながらも、ハインツさんの焦る声に顔を上げる。そこには。
「――――な」
ぴし、と。私たちと魔人を隔てる大岩に、縦に線が走ったかと思うと。
バキバキ。バキン。見上げるような大岩が真っ二つに裂け、そのただ中を、神父服の魔人が悠々と歩いてきた。
まるで神に祝福された聖者の行進を、阻めるものなどないと示すように。
「……! ……フィオレ、俺が抱えて走るから治療を続けてろ」
「え? きゃっ!」
言うが早いか、団長さんは私を小脇に抱えて走り出した。ハインツさんたち三人もアイオーンを警戒しつつ、私たちに続いて、
「へっ、そんなトロトロ歩いてちゃ追いつけ」
どぐしゃ。何かが固いものに押しつぶされる音がした。
「…………ハイン、ツさん?」
団長さんに抱えられているので後ろが見えない。団長さんは足を止めない。また声が聞こえる。
「テメエ……! よくもダチを……! ぶっ殺してやグボッ!?」
「……ビクトールさん?」
ずぶり。怒声が途中で止まり、湿り気を帯びた音が響いた。団長さんは足を止めない。また声が聞こえる。
「――――――団長! ここは、俺達に任せて先に行け……!」
「……!! だ、団長さん! 止まって下さい!」
それでもやっぱり止まらない。小脇に抱えられている私は後ろが見えない。必死に体をよじって、なんとか視線を後ろに向けると。そこには。
ハインツさんはいなくて。建物の壁にめり込んだ、ピクピクと震える赤い何かがあって。
ビクトールさんもいなくて。大きな槍に高く高く吊り上げられ、赤いものを滴らせる何かがあって。
だけどオスカーさんはいて。背中をこちらに向けていて……
「!!! 団長さん、止まって下さい! 戻って……!」
「――――それは、出来ない」
「お願いします! お願いだから……」
「オスカーが言ったろう。俺達に任せろと」
確かに言っていた。いつもみたいにカッコつけて。でもそれは。
「……っ、でもオスカーさん―――足が、震えてました! 怖いって! 死にたくないって! いつもみたいに、ただカッコつけてただけなんですっ!」
「……わかっている」
団長さんの唇から血が流れ落ちている。自分で噛んでいる。振り向かないよう、必死に耐えている。でも私は耐えられなくて、またしてもわがままを言ってしまう。なにも出来ないって、わかってるのに。
「お願いですから……戻ってください……戻って……」
そしてそんな私の耳に。
「―――ありがとな親友たち。カッコつけてないと戦えもしない、こんな臆病者といてくれて」
命の終わる、悲しい音が届いた。
◇
破壊された北門を抜け、街の外へ出る。
私の足は血も止まって、痛みもマシになったけど、まだ治療は完全じゃない。団長さんに抱えられたまま街壁沿いを西側へ走っていく。
どうやら団長さんたちは、ルミナ様がどこにいるかわからなかったようです。なので他のメンバーに住人の避難を任せ、私を追いかけてきたらしい。
そういえば確かに、ルミナ様は私の家にいるとも、私の家がどこかも伝えていなかった。
もしかしたら騒ぎを聞きつけて、ルミナ様は街に出たかもしれないけど……他に目指す場所はない。
街の北西部に面した森へ行き、ルミナ様を呼ぶ。そんなに大きな森じゃないから、大声で叫べば私の家まで届くはず。もしルミナ様が家にいなくても、森の木々に紛れて逃げれば時間を稼げるはず。そう、楽観していた。
「!? な――!?」
「え!?」
私を抱えて走る団長さんの足元。何の変哲もない地面が、大きく口を開けた。
さっきのトラバサミの比じゃない。もはや人間なんて丸呑みにできるほどの大地の顎が、まるで生きているかのように私たちに噛みついてきた。
「ぐ――お、オオオオオオオッ!!」
咆哮。団長さんは抱えた私を思いっきり――放り投げた。
「きゃあっ!?」
私は驚いて、受け身も取れずに体を地面に打ちつける。あと一回分の『境界線』は消費されずに、怪我もしていない。治りきっていない右足は痛むけど。
倒れた私のそばに団長さんも倒れ込んだ。良かった……団長さんも逃れることができ、
「――――団長、さん?」
…………小さくなっていた。
私よりもずっと背が高かったのに。倒れる団長さんは、なんだか小さくて、それは単に。
「団長さんっ!!!」
下半身が、なくなっていたからだった。
「ああ、ああ……!」
仰向けに倒れた団長さんは、ごぼり、と血を吐いて、びくびくと体を痙攣させている。視線は虚ろで、胴体の断面からは夥しい血と、内蔵が零れて、つまり。
もう――どうしようもなかった。
「――――――」
「っ! な、なんですか!?」
きっともう、何も見えていない。そんな団長さんが何か言った気がして、口もとに耳を寄せる。視界の端に、アイオーンが歩いてくるのが見えたけど無視する。
「――――――すまな、かった、な」
「…………え?」
「あの日。助け、てやれな、くて」
…………あの日? それって、私が薬草を取ってきてほしいと、お願いしたときのこと? そんなの……
「いいん、です……! いいんです、そんなの、全然……!」
ずっと、気にしていたんですか? こんな、世間知らずな小娘のわがままを、聞かなかったことを。
「ありがとうございます……! こんな私を、助けてくれて……優しく、してくれて……!」
アイオーンが左手を掲げるのが見える。私の足は完治していない。一撃目で『境界線』を割られ、二撃目で死ぬ。もう、打つ手なしです。でもそんな絶望的な状況で。
団長さんがかすかに、口を動かして。
「――――ああ、しかし。本当に美しいな、あの星は――――」
――――真昼の空から、お星さまが落ちてきた。
「――!? ガァッ!?」
魔術を放とうと掲げていた、アイオーンの左腕が千切れ飛んだ。瞬間見えたのは、あの日と同じ一条の光。
私と団長さんのそばに誰かが降り立つ。街の壁の上から飛び降りてきたであろう、その人物こそ。
「――ごめん。遅くなった」
待ち望んだ、私のお師匠様だった。




