20 死紅纏う石棘の森
大通りを全力で駆け抜ける。後ろを振り返るのも忘れない。
「ふ――――!」
振り返りつつ左にステップを踏む。ズガン! さっきまで私がいた地点に巨大な石柱が突き刺さる。
魔人を視界に収めてバックステップ。今度は立っていた地面から石の槍が三本飛び出してきた。飛び散る大通りの破片。冷えていく心を必死に奮い立たせる。
「その防御魔術。変異式が変わっているナ。……この短時間で書き換えたのカ。人間にしては恐ろしいほどの魔術への適応性ダ。だがいいのカ? それは小生にとって――紙同然だゾ?」
あっさり解析された。でも関係ない。この新しい『境界線』の弱点なんて明白で、私が諦めたら死ぬ、それだけなのだから。
再びアイオーンから視線を切り、一気に距離を引き離すべく走り出す。でもそれは、ほんの刹那の疾走。
すぐにまた振り返って、魔術による攻撃に備える。その繰り返し。
目指すゴールはもちろん街の外。まだ住人の避難は済んでいない。こうしている今も、大通りに面した建物から人々の悲鳴が聞こえてくる。……裏口から逃げられればいいんですけど。
「――――!!」
なんて言ってるそばから、さらなる魔術の猛攻。今度は三連撃。
正面から迫る石柱と、左右上方より回転しながら落ちてくる石斧。しかもほぼ同時。
石柱を左右どちらかに回避しても、ざしゅっ、と石斧の回転に切り刻まれる。――うう、想像しちゃいました。ぐろぐろです。そんな死に方、御免被ります。
なので左右への回避は論外。石柱を迎え撃つのなんかサイアク。なら――――
「っ! こ、んなの――!」
ステップじゃなく、ジャンプです!
全力で地面を蹴る。いつかのように軽くではなく、力の限り、大地よ砕けろとばかりに。あ、石畳にひびが。
私の体は一息に、胸の高さどころか建ち並ぶお店の屋根付近まで舞い上がる。遙か下を魔人の三連撃が通過し、大通りを砕く。なんとか、凌げた。
私は今、強化魔術を起動していない。いえ、正確にはちゃんと強化している。なんの魔術もナシにこんな大跳躍なんて出来ない。というのも――
「ほウ。付け焼き刃の割に、上手く組み込めているではないカ。その防御魔術、強化の変異式を内蔵しているナ?」
そうなのです。新しく生まれ変わった『境界線』の性質。防御と強化、その両方を同時にこなすことが出来る。――あと付け焼刃なんかじゃありません。わざわざ指摘なんてしませんけど。
この数日。ルミナ様に借りた魔術書に加え、シルヴィア様の書斎にあったものもお借りし。私は自発的に、『蒼天越え得ぬ境界線』をもうちょっと使いやすく出来ないか、あれこれ試行錯誤していた。
理由は単純。だってこの魔術――――変異式が長すぎなんですもの! 毎朝起動するの、めんどくさかったんです!
ルミナ様にもナイショの改良だったので、完全にぶっつけ本番だったけれど。……上手く機能してくれて良かった。じゃないともう死んでましたし。
まあ――――今まさに大ピンチですけどね。
「頭が弱いナお姫様。身動き出来ぬ空中に逃げるなド。狙い打ってくれ、と言っているようなものだゾ?」
高く高く舞い上がった私の体。神様は人間に空を飛ぶ機能を付けてくれなかったので、当然落ちる。雁字搦めの自由落下。身動き一つとれやしない。
そしてその隙を、魔人が見逃すはずもなく。
膨大な魔力が膨れ上がる。落ちる私を狙い打つべく、アイオーンはさらなる魔術をこしらえる。
「は――――このあたりカ? せいぜい当たらぬよう」
それはさながら、石で出来た大きな矢。弓もないのに、まるで引き絞るかのように少し後退し――瞬間。
「――――神に祈るといイ」
重力に拘束された私を射抜かんと、大気を穿ち放たれた。
回避は出来ない。神に祈れと言いながら、狙いは正確無比。このままだと確実に、落下途中の私に着弾する。
改良した『境界線』は、消費魔力、起動速度と引き換えにその防御性能を大きく落としている。一応、保険は掛けてあるけど……命を懸けてまで試す気にはなれない。――なら。
「っ! 甘く……見ないでください!」
落ちながら、回避するしかない。
右手を上に掲げもう一つ、魔術を起動する。それは何日か前にルミナ様に教えてもらったもので、その応用方法が面白い、と内心ワクワクしていた魔術。それは。
「――――うっ……!」
「……なニ?」
『対象を拘束する魔術』、だった。
本来であれば、敵の動きを止めるために使うもの。でもこの魔術は『指定した対象』にかかるのではなく、『指定した空間』に作用する、戦闘中にはちょっと使いづらい魔術なのです。要するにものすごく当て難い。少し体をずらせば、避けられてしまうので。だけどルミナ様曰く。
”確かに動き回る戦闘中じゃ当て難い。……でもさ、空間に作用するってことは。空中に拘束することもできるよな?”
その結果が右手を空中に『拘束』し、宙ぶらりんの状態で攻撃を回避する私の姿、というわけです。自分自身を拘束するなら、狙いをつける必要なんてない。
私が同時起動できる魔術は二つ。防御と強化を一つにまとめたのは、『もう一つ別の魔術を使用できるようにする』という目論見もあった。大成功です。
制止した私の足下ギリギリを、巨大な石の矢が通過していく。――魔人よ見るがいいです。これこそが私のお師匠様から教わった、身動きの取れない空中での姿勢制御、落下軌道をコントロールする魔術の応用って痛ったーーーーい!
「う、ぐぐ……」
右肩、痛い! 落ちてる途中で急に止まったから、肩がすっぽ抜けそうなくらい痛いです! うう……次から拘束する場所、よく考えよう……
涙目になりつつも通り過ぎていった矢の行方を確認――って、北門をズガンと破壊しちゃってます。――ああっ! 門番さん! どうか逃げててください……!
祈りつつも視線をアイオーンへ。異形の羽根を背負う神父は、必殺の一撃を回避され驚きの表情を浮かべている。どうですか、ふふん。……あ、早く下りないと! ワンピースの裾を押さえつつ地面に着地。次なる攻撃に備える。
『境界線』による防御と強化、『拘束』による擬似的な空中浮遊。この二つに加え、むしろそれら以上に私の命を繋いでいるのが――私の、『目』です。
何故こんな能力があるのか、さっぱりわからない。わからないけど、どんな魔術でも一目見れば変異式を読み解き、それが初見の物であっても、いっそ暴力的なまでに理解できる。強制的に頭の中に叩き込まれるんです。
だからこそ戦闘のド素人である私がここまで回避できている。事前にどこに、どんな、どれくらいの規模の魔術が飛んでくるかわかっているのだから、あとはそこを通らないようにすればいい。後出しじゃんけんみたいなものです。そしてアイオーンの次の魔術は……
「……なるほど、そういう使い方ガ。いや、やるものダ。素直に驚いタ。しかし――宙吊りとはナ。……なかなか象徴的じゃないカ?」
なにやら訳の分からないことを言っているので、とっとと逃げましょう。踵を返し脱兎のごとく駆け出す。うさぎさんは弱くても逃げるのが速いのです。簡単には捕まえられません。――狩る側が、普通の獣なら。
「少し、侮っていたカ。……あまり時間もなイ。そろそろ本気で――――殺しに行くゾ」
ぞくり、と。致命的なまでに、世界がズレるのを感じた。
「……っ!?」
アイオーンから溢れ出した魔力は、先ほどまでの比じゃない。喉が塞がれそうなほどの膨大な魔力。血液が沸騰しそうなほどの強烈な殺意。気がつけばここは、平和な街の大通りではなく――
「小生は慈悲深イ。悍ましき仔羊よ、どうか迷うことなく――――死に給エ」
私の、処刑場。
「――!!!」
弾かれるようにアイオーンを見て――戦慄する。
今まさに起動する寸前の魔術。その効果範囲は……この大通り、全て……?
ほとんど反射的に飛び退き、足元から生えてきた石槍をかろうじて回避する。――かと思えば。
「えっ!?」
飛び退いた先にさらなる追撃。それは下でも上でも正面でもなく、真横!?
「くうっ!」
瞬間的に伸ばした右手を魔術で拘束。それを支えに体を引っ張り、ギリギリで、私を左右からぺちゃんこにせんと迫る石柱から逃れた。そしてそれで終わるはずもなく。
「――――」
ガン! とぶつかり合った石柱の真ん中辺り、つまり私の胸の高さ付近から、怖気が走るほど鋭い石の棘が心臓めがけて飛び出してきた。
これは――――避けられない!
恐怖から、両手を交差し防御態勢を取る。あの攻撃の威力は『境界線』の強度を超えている。思わず目を閉じそうになり、
「こ、の――――!」
自分を信じて、恐怖を噛み殺した。
石の棘は交差した私の腕に当たり、パリン、と。あっけなく『境界線』が割られてしまう。そして。
もう一つの保険が発動する。
ポキン!
私を貫かんとした棘は、一瞬止まったかと思うと――逆に、折れてしまった。
「ハハ――! 反転カ! いい発想ダ! 再起動も速イ!」
魔人に解説されるのは不愉快だけれどその通り。
防御性能を落とした『境界線』。その対策のために組み込んだのが、シルヴィア様が持っていた魔術書に記載されていた変異式、『反転』。
『境界線』を割られた時に限り、受けた攻撃の威力を相手に反転させ、こちらのダメージをゼロにする。そして、再起動はゼロコンマ一秒。さらなる追撃にも備えることができる。
防御と強化。変異式と消費魔力の削減。攻撃の反転と再起動。
これがここ数日、ルミナ様に誉めてもらうために寝る間も惜しんで考えた、私だけの魔術。私が生きるのを諦めたら全てが終わる、『極夜越え征く境界線』の全容です。
……だけど、どうにもならない事実が一つ。
「やはり危険だなお前ハ。だが――そのままでは、すぐに魔力が底をつくゾ!」
削減したと言っても消費魔力はやっぱり重い。私の総魔力の四分の一を使用していた『蒼天』。なのでこの逃走劇を開始した時点で、私の魔力は八割に満たないくらいだった。たった今、総魔力の十分の一を消費する『極夜』を再起動したので、残りの魔力から考えると六回。攻撃を受けられるのは、それが限界となる。
だから。なんとしても、攻撃は回避し続けなくてはならない――!
決死の逃走を再開する。次から次へと放たれるアイオーンの魔術。それらを時にはステップ、時にはジャンプ。空中で体を拘束し落下軌道を制御し、なんなら魔人の石柱を足場に死に物狂いで駆け抜けていく。パリン。
乱立する灰色の石柱は、まるで枯渇した樹木のよう。生命の緑ではなく、死の赤を宿さんと鋭いイバラがその腕を伸ばしてくる。
嵐に散り荒ぶ花びらになった気分。命を奪う石棘の森、街を侵食する災害の中を私はただ翻弄されていく。パリン。
「ハハハハハハハ! よく避けるものダ! なんだ、それがウワサに聞く人間の大道芸とやらカ! 近頃のお姫様は曲芸も嗜むらしイ!」
パリン。
「……さっきから姫、姫って。私、ただの街娘なんですけど。ああ、その寝ぼけた目じゃよく見えないですよね。家に帰って、百年くらい寝てきたらどうですか――!」
パリン。
「――ハ。口が悪いナ。どうやら礼儀作法は身に付かなかったと見えル。それに……」
進行方向を塞ぐ巨大な壁が出現する。シンプルですね。だけどそれも想定内。力の限り、思いっきり壁を蹴り飛ばす。すると。
ドガァァァァッ! 強化しているとはいえ、ただの女の子である私が蹴ったとは思えない破壊の音が響き渡った。これが、攻撃魔術の代わりにルミナ様に教えてもらった――魔力放出による打撃強化。
足に魔力を集中させ、インパクトの瞬間に一気に解放する。タイミングが結構シビアなので、実はちょっとヒヤヒヤしていたり。
だけど上手くいった。このままさらに距離を――あれ?
「足癖も悪イ。教育が必要だナ……ム?」
――おかしい。気のせいかと思っていたけど、やっぱりおかしい!
アイオーンは出現以来、一度も走っていない。悠々と歩くだけ。なのに。
全然距離が変わらない。飛んだり跳ねたり、逃走を阻害されていると言っても、私は全力で走っているのに。
引き離した、と思って視線を外し、またアイオーンを見やれば、ほぼ同じ距離にいる。歩いている。全く、引き離せていない。……いったい、どうして!?
「……いささか時をかけ過ぎたカ。…………仕方なイ。合流されては本末転倒。――まあ、一度くらいならバ」
なぜか西の空を見ていたアイオーンは、謎の現象に困惑しながらも走る私に、右手を向ける。まるで、救いを求めるものに手を差し伸べるように。そこには。
「あ――――ぐ――――っ!?」
ノイズ。ザザザ、と視界が割れる。
目が、焼け落ちそう。頭が砕け散るかと思った。
――――わからない。
わからない。わからない。わからない。
あの、ただ一つの想いをひたすらに凝縮した、人間には理解不能の魔術はいったい……!?
「う、うう……!」
アイオーンはいつの間にか、石の塊を右手に乗せていた。それはよく見ると、眼球、のようにも。
その物体に魔力が収束していく。間違いなく、アイオーンは切り札となる一撃を放とうとしている。
――――それは七つの幻想を背負う魔人が持つ超克魔術。その、一端。
なにそれ意味がわからない。全く知らない言葉です。だけど唯一わかることは。
あの魔術を食らえば。――『境界線』があろうと、私は即死するということ。
生存の可能性を探る。周囲を見渡せば、石の樹木の隙間に見える路地。あそこに逃げ込めば。どうか、間に合って……!
必死に体を滑り込ませる。安心するのも束の間、ついに放たれた魔人の魔術。……あの、魔術の、名前は――――
『永劫墜落果てなき停滞』――――!!
ぴしり。世界が悲鳴をあげた気がした。




