19 境界線を越える
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――痛っ……」
気がつくと仰向けに倒れていた。
全身が痛い。何が起こったのか、記憶が連続していない。何もわからないまま、何かに急き立てられるように体を起こし、
「………………っ! な――」
周囲の状況を見てさらに困惑した。私が倒れていたのはどこかの建物の中。知らない場所。だけど驚いたのはそんなことではなく――壁に、大穴が開いていたこと。
穴は外に繋がっていて、そこは見慣れた大通りだった。そこでやっと自分が、魔人アイオーンの魔術を受けて吹き飛ばされたことを「君……」思い出す。
たぶん初撃を右に避けたから角度がついていたんでしょう。そのまま大通りに面した建物の壁を突き破って、中に飛び込んでしまったらしい。
急いで立ち上がり、体の痛みに「大丈夫……」顔をしかめる。『境界線』が、解除されていた。
意識を失ったのは恐らく一瞬。建物の壁を突き破った時に意識を喪失して、魔術を維持できなくなり床に思いっきり体を打ち付けたみたい。……もし吹き飛ばされた時に意識を失っていたらと思うと「おい……」ゾッとする。
とにかく治癒魔術を、と思い、そんな場合ではないと焦る。アイオーンがこちらに近づいて来るかもしれないのに、悠長に治療なんてしてられない。すぐに『境界線』と強化魔術を再起動しないと!
強化魔術もそうですけど、『境界線』はまさしく私の生命線。これがないと即死確定。まずはこちらを優先して――魔術の気配! アイオーンが追撃をかけようとしている!
『境界線』は強力な防御魔術だけど「なあ……」、とにかく変異式が長く消費魔力も大きい。……落ち着いて私。大丈夫、大穴からちらりと見えたアイオーンの位置と放とうとしている魔術なら、私の防御のほうが僅かに速い。このままここに待機して――
「おいって! 君、大丈夫なのか!? 何があったんだ!」
「――――え」
だけどそんな思惑は不可能だと打ちのめされる。
私が突き破った建物の中には、人がいた。考えてみればそうです。大通りにはお店がたくさんあって、今はまだ真っ昼間。誰もいないなんて、そうそうないこと。
私が不躾にお邪魔したお店はパン屋さんなのかな。そういえば来たことある。お店の中にいたのは三人。エプロン姿で私を心配して声をかけてきた男性と、少し離れた場所に立って恐怖に顔を歪めている女性。そして。
「――――――――ああ」
そんな女性に、今にも泣きそうな顔でしがみつく、二人の面影を持つ小さな女の子――――
◇
――――さて、ここで問題です。
状況はまさに一触即発。ひとつの判断ミスが生死を分かつ分水嶺。私はどうするべきでしょう?
魔人の魔術の着弾ギリギリで、私の防御魔術は起動する。なら、ここで一撃目を凌いでから粉塵に紛れて逃げればいい。
なんだ、簡単ですね。ここにいる人たちを見殺しにすれば私は逃げられます! 楽勝です!
それじゃあここで、もう一つ問題。
――――私は、いったいどちらを選択するべきでしょう?
このままここで『境界線』の起動を待てば、この親子は死ぬ。お父さんもお母さんも、まだ五歳くらいの娘さんも、ルーリィさんみたいにぐしゃっと潰されて、血肉を撒き散らして死んでしまう。
それなら私が大通りに出る? そうすれば魔人は私に狙いを定めるはず。この親子も、周囲の建物にいる人も、助かる。そして――――私は死ぬ。
魔術の起動は本当にギリギリ。少しでも前に――大通りに出てしまえば、間に合わなくなる。私はアイオーンの石柱にぐしゃっと潰されて死んでしまう。
どちらを選択しても誰かが死ぬ。後悔する。悲しい思いをする。
こんなの選べる訳ない。そもそも前提が間違っている。
だって私は悪くない。何も悪いことをしていない。殺されるような理由なんて、ない。
全部全部、あの、間違いだらけの魔人が間違っている。きっと誰も私を責められないはず。
――なら、しょうがないですよね? 迷う必要なんてないですよね?
そうです、自分から死ににいくなんて愚かしいこと。生き物として間違っていること。自分の生存を優先するのは、当然のこと。なら、考えるまでもないことですね。やっぱり楽勝です。
――――そうして、私は。
考えるまでもなく、足を前に踏み出した。
◇
「――大通りを避けて南へ逃げてください。私がなんとかします」
後ろを振り向かず早口で男性に告げる。ちゃんと聞こえたか自信はないけれど、確認している余裕なんてない。
だってもう一秒たりとも時間はない。今すぐ、するべきことをしなくては。
……だけど、ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、間延びした時間の中、自問自答してみる。
――どうして私はいつもこうなんでしょう。いつだって全力で、空回りして。シルヴィア様やマイクおじさん、街の人にもいろんな迷惑をかけてきた。
その理由はどうしてなのかな、と考えてみたけれど。やっぱりそんなの、考えるまでもないことだった。
――――私はただ、生きたいだけ。
私には昔の記憶がない。両親も、故郷も、きっとあったハズの当たり前の日々の思い出も、なにもかも失ってしまっている。ルミナ様には何でもないことのように話したけど。本当は――――すごく、すごく、悲しかった。
記憶がないことが、じゃなくて。そんな失くしちゃいけないものを失くした、不甲斐ない自分が。
たぶん私は、生きるのが下手なんでしょう。だから大切なものがすべて零れ落ちてしまったんです。この手に何も、残っていないんです。
本当はそれがとても悲しくて。やるせなくて。……忘れてしまった人々に、申し訳なくて。
だからこそ――全力で。この今を力の限り生きないといけないんです。そうしないと、きっと私はどこにも辿り着けないから。
「――――――心象形成」
それだけなんです。
私はただ、全力で今を生きて行きたいだけ。
"恥ずかしくないよう、頑張ろう"
私を産んでくれた人々に恥じない生き方をしたい。
私はシルヴィア様とマイクおじさんの、世界一素敵な愛情で育ったんだって、胸を張って生きたいだけなんです!
「――――――変異式刻印」
だからこの無謀は、死に向かうものじゃない。
この数日ルミナ様に読ませてもらったものや、シルヴィア様の書斎から借りた魔術書の数々。それらに記載された変異式を見て、思い付いたこと。
たぶん出来ると確信していたことを今、ここで成し遂げる。
単純な話。『蒼天越え得ぬ境界線』の変異式が長すぎて間に合わないなら、短くしちゃえばいいんです。
起動までの時間を五秒から一秒に短縮。消費魔力を私の総魔力の四分の一から、十分の一に削減。
それにかかる防御性能の低下を、ある変異式を組み込むことで解決する。
「――――――心象変異」
そうして私はその一歩を踏み出す。
踏み越えるのはまさしく境界線。まるで先の見えない闇夜のよう。その冷たさに、足が震えてしまうけれど……大丈夫。
死ぬためじゃなく、生きるために。
それならいつもみたいに胸を張って、全力で、飛び越えていこう!
――って、あ、そうです。一つ、ルミナ様に謝らないと。
今から使う魔術は、もう『蒼天』は似つかわしくない。この身はすでに、自分の意志で闇夜に踏み込んでしまった。
だからごめんなさいルミナ様。魔術の名前、勝手に変えちゃいますね。事後承諾、ですけど。
そう、これは終わらぬ夜にあって境界を目指すもの。夜明けを信じて駆け抜けるもの。
この世でただ一つの、全力で生きるための、私だけの魔術!
その名は――――『極夜越え征く境界線』!!
壁の大穴から大通りへと飛び出す。瞬間、私を視認したアイオーンは狙いを修正しつつ、間髪入れず魔術を放った。
先ほどと同じく石柱の魔術。だけど速度はさらに上昇し、放たれてから避けたのでは間に合わないほど。
でも問題ない。飛び出しながらちゃんと見ていた。
――あなたこそ、私を甘くみないでください。アイオーン。
魔人の目が、魔術を解析するように。
私の目は、あなたの殺意を暴き立てる――!
大通りのど真ん中、着地と同時に迫り来る石柱をクルッと回りながら回避する。事前にその地点を通過するとわかっていたから。
通り過ぎた石柱は大通りの石畳を粉砕するけれど、そこには誰もいない。誰も、犠牲になっていない。
くるり、と回りながら、まるで踊っているみたい、なんてしょうもないことを考える。――ああ、それいいですね。せっかくだから、煽るだけ煽ってしまいましょう。
「――――それでは。私と踊っていただけますか、魔人さん」
石畳の粉塵が降り注ぐ中、片足を後ろに引き精一杯のカーテシー。纏うドレスは、最愛の人に贈られたお気にの黒いワンピース。愛らしく裾を持ち上げ、邪聖の信徒を誘う。
「でもそれは、あなたが私に追いつけたら、の話。……ああ、ご安心ください。私、生きるのが下手なので。ノロマなあなたでも、もしかしたら――――追いつけるかもしれませんね?」
もう私しか目に入らないくらいの挑発的な招待を受け、アイオーンは埒外の魔力を漲らせる。そうして心底、苦々し気に呟いた。
「――――やはり、お前は危険ダ。お姫様」
――――さあ。命を懸けた、舞踏会を始めましょう。




