18 凶星、墜落
「――――ンっ、アーア、アぁ、んっんん、アー、あーあー」
歩いてくる。異形の羽根を背負う男が、ノイズを撒き散らして歩いてくる。
歌ってるみたい。滑稽なくらい調子っぱずれ。可笑しすぎて気が狂いそう。
ギチギチ。ギチギチ。耳朶を掻き毟る不協和音。ひとつ音がズレるたび、世界も一緒にズレていく。軋んでいく。
大地はすでに狂死寸前。もう立っていられないくらい。だからみんな―――脚が震えてる。
その場の誰もが動けずにいる中、ルーリィさんを右手に携えた男は大広場の真ん中で立ち止まった。
「……ふむ。まあ、こんなものカ」
少し不満げに頷く、アイオーンと名乗った魔人。まだ少し喉のつかえが取れないのか、声を出しにくそうにしている。
「――――な、七枚、だと……」
へたり込む私を庇うように立つ団長さんが、呆けたように呟く。
「馬鹿な……有り得ない! そんな魔人など存在するはずが……!」
「お前たちの基準など知らんガ。その目に映るものが全てダ。たとえガラス玉が嵌まっているのだとしても、光を宿すくらいは出来るだろウ?」
そんな団長さんの様子を魔人は嘲笑う。お前たちが見ている世界は、情けないほどに欠けているのだと。
聞いたことがある。人間とほぼ同じ容姿を持つ魔人が、人間とは決定的に違う点があるということを。
それが、あの羽根。実際に背中から生えている訳じゃない。魔人が持つ膨大な魔力が溢れ出し世界を歪め、見たものに、まるで羽根が生えているようなイメージを叩き込む。
つまりは幻想の羽根。鉱石、というか水晶のように見えているのは、あの魔人の魔力の特性がそれなのでしょう。三対片翼のうち、三枚がくすんだように色褪せていることが気になるけど……
「……どう……して……」
そんなこと、どうだっていい。羽根の枚数がその魔人の強さを示すこととか、最も強い魔人は六枚羽根であることとか、今の私にはどうでもいいこと。
今は何としても、この魔人に答えてもらわなくては。
「どうして、ルーリィさんを……」
「ン?」
「ばっ……! いいから早く逃げろ!」
こちらに歩いてきたことで、魔人は団長さんの後ろに隠れていた私を認識したらしい。首を傾げへたり込む私を見つめて、
「お前――」
にやり、とまるで待ち望んでいた相手に出くわしたかのように口元を歪めた。
怖気が走る。あの魔人は私に何らかの感情を叩きつけている。一瞬逃げ出したくなるけれど、それでも私は問わずにはいられない。
「答えてください……! どうして、ルーリィさんを、こ……殺し……たんですか……!」
「……ルー……なニ? なんだそれハ。……人間の名前……カ? 知らんナ。……と言いたいところだガ。もしやそれは――これのことを言っているのカ?」
魔人は右手に絡みつく髪の毛を、鬱陶しいとばかりに払って見せる。振り子のように揺れるルーリィさん。びちゃりと飛び散る赤黒い血が、石畳に惨たらしいアートを描き出す。揺れた時に、光を映さぬ目と視線が合った。
「…………ぅ……ぐ……」
吐き気を必死に堪える。もうどうにもならない。ルーリィさんは死んでしまった。
当然です。首を捩じり切られて生きている命なんて存在しない。助ける助けない以前の問題。だけど……
それを成したのがこの魔人なら、話は別です。
「どうして、と聞かれてもナ。ただ単に、この人間が小生を殺そうとしたから殺し返しただけだガ?」
「――――え?」
「不思議なことカ? それともお前は、何者かに殺されようとする時。大人しく神の御許に旅立つのが信仰であるとするクチなのカ? 小生の信仰とは相容れんナ。狂信は結構だが、まさか魔人にまで説くとは思いもしなかったゾ」
そんなこと言ってない。というかこの魔人、そのズタボロの神父服姿はなんちゃってじゃなかったんですか。魔人のくせに神を信じているらしい。
だけど……ルーリィさんが先に攻撃を? いったいどうして……
「ふざけんな! テメェが、”この街にはヒトを殺しに来た”とか言うからじゃねえかよ!!」
「な……!?」
「――――――詭弁を語るな……! 悍ましき魔の物よ……!」
「詭弁なド。事実を語っただけダ。小生には目的があっタ。お前たちには用はなかっタ。だというのに小生の邪魔をしたから排除しタ。……当然の帰結だろウ? なにか間違っているカ?」
魔人はうんざりしたように首を振ると、いまだ自分がルーリィさんを持っていることが不快だったのか。
「……小生は何故こんなものをいつまでモ。ああそうダ、お前たちが喚き散らすから、捨てるタイミングを逸したんだったナ。――そら」
ぽい、っと。ルーリィさんをこちらに向かって投げ捨てて――――
「――っ! やめてっ!!!」
瞬間。ずがん、ぐしゃり。
突如空から落ちてきた、高さ二メートルを優に超えるだろう、私の身長くらいの太さの石の柱に圧し潰されて、ルーリィさんはぺしゃんこになってしまった。
「――――――う、ぐ……うえぇぇ……!」
魔人の魔術。ほんの一瞬、ルーリィさんの顔が粉砕される様を見てしまって。私は堪えきれなくなって嘔吐した。……ごめんなさい、ルーリィさん……
巨大な石柱が落ちてきたことで石畳は砕け、辺りに粉塵が舞い上がる。その中でも鮮烈に網膜にこびりつく赤色と、飛び散った肉の破片。団長さん含め、周りの代行者さんたちは完全に及び腰になっていた。
「ま、魔術……! くそ、気をしっかり持てフィオレ! 早く立って逃げ――!」
「ああ、お前たちには用はないガ。そこの人間は別ダ」
こんな姿、ルミナ様には見せられないと思いつつ胃の中の物を吐き出していると、なにか理解したくない言葉が聞こえてきた。そこの、人間。
魔人の目的。ヒトを殺しに来た。嘔吐感を必死に堪えつつ顔を上げると、アイオーンが一人の人間を指差していて、それはまさしく。
「けほっけほっ、ふ、くうぅ……――――――わ、わた、し……?」
「そうダ。小生はお前を殺しに来タ」
信じたくないことだけれど。どうやらこの魔人は、私を殺しに来たらしい。
「な、なん、で……」
「正確にはお前たちだがナ。何にせよ、時間はあまりなイ。……少し厄介そうではあるが……今すぐ死んでもらウ」
わからない。全然まったくなんにもわからない。
どうしてこの魔人は私を殺そうとするのか。何を語られても納得なんか出来ないでしょうけど、とにかく意味もわからず殺されるなんてごめんです。急いで立ち上がり逃げようと――
「……う……あ……」
逃げられない。足が、体が、ぶるぶると震えて走り出せない。
怖い。怖い。怖い。早く逃げないと死んじゃうのに。森で魔獣に追われた時にはちゃんと逃げられたのに。
なのに怖くて怖くて、震えが止まらない。
アイオーンから向けられる感情の正体。心臓が凍るような、肌が焼け付くような、視界が闇に閉ざされるような、いっそ快楽的なまでに終わっていく感覚。
……ああ、私勘違いしてた。
魔獣に向けられたものがそれだと思っていた。でも本当は、これがそうなんだ。
あの時はただ冷たいだけだった。当然です、だって魔獣に感情なんてないんだから。
心無い魔獣には欠けた熱量。自動的な存在には到底持ち得ない情動。――――殺意。
これこそが本当の、お前の存在を許さぬという、絶対的な否定の意思……!
「て、テメェ! 嬢ちゃんには手出しさせねえぞ!!」
「よせ!! グレッグ!!」
屈強な代行者、グレッグさんが奮起し、巨大な戦斧――の魔機具を振りかぶる。刻まれた破壊力を増す魔術を起動させつつアイオーンへと叩きつけて、
「――――は?」
その左手に、あっさり防がれた。
目を疑った。アイオーンは間違いなく素手。いえ、防具を身に付けていたとしても、あんなに大きな戦斧、しかも魔術で強化された一撃を受けるなんて不可能のはず。なのに。
ばきん。アイオーンは傷を負うどころか、鋼鉄で出来た戦斧を握り砕いてしまった。
「お前たちに用は無いと言っタ。だが――」
「え、あ、ちょっタンマタンマ待って――!」
「小生を殺そうとするならば、殺される覚悟は十分ということだナ?」
バチュン。聞いたことがない音がして、グレッグさんの頭部は魔人の裏拳で弾け飛んだ。頭がなくなった体は勢い良く血を吹き上げる。大広場はあっという間に噴水広場に早変わり。
砕けた戦斧も、誰だかわからなくなった体も、諸共に血の海に沈んでいった。
「グレッグゥゥゥゥゥ!!!」
「あ……ああ……」
また一人死んだ。私を守ろうとしてくれた人が。なのに私はまだ動けないでいる。
先ほどから起こる悪夢みたいな現実に、私の意識はブラックアウト寸前。いっそ夢だと現実逃避できたらよかったのに。――魔人の存在感がそれを許さない。
「さテ」
「え?」
いつの間にか、アイオーンは目の前に立っていた。私を庇おうとしていた団長さんをすり抜けて。瞬間移動でもしたのかと笑いそうになる。
もう私はまともに思考なんか出来なくて、ただぼんやりと、アイオーンの右の貫手が私の胸に吸い込まれていくのを眺めていた。
「――――――――――――」
衝撃。きっと積み荷をたくさん載せた馬車が、全速力でぶつかってきたらこれくらいの威力になるかも、というくらいの。だから私は有り得ないくらいに弾き飛ばされて――――弾き、飛ばされて?
「うぐっ、うあぁ……!」
ごろごろと大通りを転がっていく。だけど痛くない。痛くないけど、凄い勢いで景色が回っていて気持ち悪い。どっちが上かも分からなくなる。
次第に回転は止まり、うつ伏せの状態で私は、
「う……げほっ! げほっ!」
大きく咳き込んだ。呼吸が苦しい。あれだけの衝撃を受けたのだから当然、肺の中の空気が全部絞り出されてしまった。喘ぎながら、肺を空気で満たしていく。――つまり、生きている。
「はあっ、はあっ、あ……あれ……」
恐る恐る立ち上がる。無傷。貫かれたと確信した胸にも傷一つない。
「やはり、カ。大層な魔術ダ。不愉快なこと極まりなイ。――いったいどこでそんなもの覚えタ?」
「あ……」
そうです。ルミナ様の『境界線』。例によってこの魔術を起動したまま生活していた私は、九死に一生を得たらしい。ルミナ様々、私の承認欲求様々です。
だけど驚いた。まさか魔人の一撃すら無傷で凌げるなんて。でも、これなら……!
「団長さんっ!!!」
「!?」
「街のみんなを避難させてください!! 私はこのまま大通りを北へ、魔人を引きつけます!!」
「ま、待てフィオレ! 無茶だ! 俺たちが――」
「お願いですっ!! このままだとみんな死んでしまいます!! だから――私のお願いを、聞いてくださいっ!!」
「っ!」
いつか似たようなことを口にした気がする。その時は上手くいかなかった気も。だけど、今は。
「~~~~っ、ああくそっ! お前ら急げ! 住人達を避難させるんだ! そして一刻も早く――ルミナを探せ!」
「わ、わかりやした団長! 嬢ちゃん、急いでルミナのダンナを連れてくるからな! 死ぬんじゃねえぞ!」
良かった。言葉足らずだったけど、私のお願いを理解してくれた。
ルミナ様ならきっと、この魔人をなんとかしてくれる。異変に気づいた時、すぐにルミナ様を呼びにいかなかったことを悔やむけれど……それはこれから、命懸けで償いをしよう。
アイオーンを見る。思いっきり弾き飛ばされたおかげで、彼我の距離は四、五十メートルほど。……こんなに飛ばされたんですか、私。強化魔術も起動し、逃走の機会を窺う。後ろから魔術を叩き込まれたら為すすべがない。
「……こうしてまじまじと見れバ。お前まさか――」
だけどアイオーンは追撃をかけることなく、私を見てなにやら思案している。そうして心底不快そうに、
「――まあ。そういうことも、あるのだろうナ」
起こるはずのない偶然を受け入れるように、深く深く、溜め息をついた。
「――? なんですか……?」
「なに、こちらの話ダ。出来損ないの尻拭いをするようで業腹だが、それでも小生の願いは変わらなイ。目指すものはただ一つ。すべては信仰の導くままに、ダ。……それにお前。何やら安心しているようだガ。――少し、魔人に対する認識が甘いナ」
「!!!」
魔術の気配。アイオーンの心象に変異式が刻まれていくのが見える。あれはさっきルーリィさんをぺしゃんこにした、石柱を放つ魔術!
何もない空間から突如出現する石の柱。それを可能にするほど膨大な、魔人の魔力の具現化。
だけど大丈夫。私には見えてるんだから。強化した身体能力なら問題なく避けられ――
「!?」
高速で射出された石柱を右にステップを踏んで避けると――狙いすましたように、もう一つの魔術。
着地した足の裏から石の棘が生えてくる。『境界線』に守られた私に刺さることはない。そのまま私の体を空中に押し上げて――しまっ!?
「その防御魔術。恐るべき強度ダ。それを抜くのは、文字通りこちらの骨が折れル。だが――衝撃は、完全に殺せないのだろウ?」
魔人の目は変異式を解析する。魔力を帯びた攻撃でなければ傷一つつかず、だというのに、有効打たる魔術は解析され、容易く避けられてしまう。
そして、今回のケース。『境界線』の弱点を見抜かれ、空を飛べない人間の弱点を突かれ。
空中で身動き出来なくなった飛べない私を、同時に起動した三つの魔術、その最後の石柱が狙い違わず私を打ち据え、吹き飛ばした。
さっきの貫手なんかとは比べ物にならない衝撃。辺り一帯の建物の窓ガラスが、一斉に弾け飛ぶほどの剛撃。吹き飛ばされながら、私の意識は次第に薄れてい、ズガン。




