17 崩壊する日常(後)
シルヴィア様に見送られ、聖教会を後にする。
来るときには二人だったのに、今は、一人きり。
「………………」
聞いたばかりのシルヴィア様の話を思い返す。どうして、ただの薬師が魔人に魔術をかけられてしまったのか。……その理由は、私にとっては青天の霹靂と呼ぶべきものでした。
"私は王都にいたころ、魔機技研に所属していたのです。こう見えて昔は神童と呼ばれたこともある、凄腕の魔術師だったのですよ"
貴女たち二人の前ではとてもそんなこと言えませんけど、なんて恥ずかしそうに笑うシルヴィア様。
――魔機技研。王都に本部を置き、国の各地に支部があるという魔機具の研究所。
研究職だけではなく、魔獣や魔人と戦える優秀な人材が集った、この国最強の戦闘部隊を有していると聞いたことがある。なんとシルヴィア様はそこに所属し、日々、戦いに明け暮れていたというのです。
……私は、そんなこと知らなかった。私が拾われたのは、シルヴィア様が魔機技研を辞めたあとだったし、私自身シルヴィア様が昔何をしていたのか気にすることもなかった。この今が、幸せだったから。
"ある日。正体不明の魔人の出現が確認され、討伐も視野に仲間とそこへ向かった日のこと。――私は、終わってしまった"
シルヴィア様の静かな、だけど苦々しいものが混じる声。仲間は誰一人欠けることなく、シルヴィア様だけが、その魔術を刻まれてしまった。
――――シルヴィア様の魔力を吸い上げ寿命を削り続ける、その魔術を。
"本来、魔術は永遠に起動するわけではない。元は心の力ですからね。眠ったり意識を失うと保てなくなる。……ですが、例外もある"
それがシルヴィア様に刻まれた魔術。宿主の魔力を強制的に徴収し起動し続ける、もはや呪いと呼ぶべきモノ。
"何もかもに絶望し、魔機技研を辞め、自分の最期は故郷で――と、後輩に護衛してもらい帰省する旅の途中。――私は、奇跡に出会った。貴女ですよフィオレ。貴女が、今日まで私の命を繋いでくれたのです"
それからのことは私もよく知っていること。私はシルヴィア様に命を救われ、『フィオレ』となり、今日まで幸せに暮らしてきた。……だけど。
"この街に帰ってきて、マイクと一緒に貴女を育てる日々は本当に――満ち足りたものとなりました。……だけど……永遠に続くものなどありはしない。終わりは唐突に訪れ、私は再び……"
マイクおじさんが死んだと聞かされた時。私はずっと泣いていた。ずっとずっと、涙が溢れて止まらなかった。
シルヴィア様は私の前では気丈に振る舞っていたけれど。……一人、部屋の片隅で泣いていたのを見てしまった。それ以来私は、悲しくても頑張ろう、シルヴィア様に負担をかけないようにしよう、と涙を堪えることが出来た。
でも……シルヴィア様は私が思っているよりずっと、悲しかったんですね。突然、今までにないくらい体調を崩してしまうくらいに。……絶望してしまったんですね。
"ですが……ふふ。頑張って生きてみるものですね。貴女があの日連れてきた、可愛らしい人。――ルミナ様。まさかあんなお方に巡り会えるなんて"
ルミナ様は一目でシルヴィア様の状態を理解したらしい。あの時、急にシルヴィア様の体調が回復したのは、ルミナ様がその魔力を分け与えたからなのだそう。あまりにも膨大な魔力の譲渡によって、刻まれた呪いは一時的に機能不全を起こし、シルヴィア様は元気になった――ように見えていた、とのこと。
ルミナ様はそれを毎晩行ってくれていたらしい。……夜になったら二人で内緒話をしていると思ったら、そんなことをしていたんですね……
"とはいえそれも応急処置。私の衰えきった体を戻すことは出来ない。だから――だから本当に、ごめんねフィオレ。貴女を一人にしてしまう私を許してね……っ"
私はまた泣いた。シルヴィア様も泣いた。二人で抱き合って、お互いの温もりを忘れないよう、ずっとわんわん泣いていた。
そうしてしばらくの間、落ち着くまで抱き締めあっていると、
"……フィオレ。一つだけお願いがあります"
シルヴィア様が私に一つの道を指し示した。
"お願いというのは他でもない、ルミナ様のこと。あの方は――いえ、あの子はね。ただの、迷子なのです。帰り道がわからず独りきりで世界を彷徨っている、寂しい子。そしてその旅の終わりはきっと――悲しいものとなる"
正直、シルヴィア様の話はよくわからなかったけど。
"貴女がこの先どんな行動を取るかなど、私にはわかっています。それならばどうか、ルミナ様のそばにいてあげてください。きっと、辛いこともあるでしょう。ですが大丈夫。貴女たちならば必ず、幸せになれますよ"
私たちのことを心から考えてくれている。それだけわかれば十分です。
"それでは、ルミナ様を呼んできてください。せっかくですから三人で、お買い物でもしましょう。きっと、楽しいですよ"
そして現在。私はシルヴィア様の小さな願いを叶えるべく街を歩いている。
頭の中はぐちゃぐちゃで、目の奥が熱く視界が歪んでいる。でも歩く。聖教会で私たちが来るのを、シルヴィア様が待っているから。早くルミナ様を連れて戻らないと。
「…………」
だけど思い詰めるのは止められない。私はそう遠くない未来、耐え難い喪失を経験することになる。その時私は、どうすればいいのか。絹を裂くような悲鳴。
まったくわからない。シルヴィア様には感謝してもしきれないくらい、たくさんの愛情をもらった。その愛に、私は何をすれば報いることができるんでしょう。逃げ惑う人々の足音。
考えながら歩く。人にぶつからないように気をつけないと――って。
「…………?」
――――――あれ?
今なにか……おかしくなかったですか?
周囲を見渡す。いつの間にか大通りに出ていた。南側に目を向ければ大広場があり、たくさんの人が平和な日常を謳歌――せずに蜘蛛の子を散らすように走っていた。何かから、逃げるように。
「――――!?」
何人かはこちらに走ってくる。その全員が、有り得てはいけないモノを見たかのように、恐怖に引きつっていた。私の横を駆け抜けていく。誰も私のことなんて気にしない。
すぐに逃げる人は見えなくなる。だけど悲鳴とも怒号ともつかない声はあちらこちらから。大広場にはまだ誰かが残っていた。見覚えのある姿。
「…………」
私のちょうど正面、大広場と大通りの境あたりに立つ人物の背中。あの金髪は団長さんです。何か、あったんでしょうか……?
――――その時。
私は、完全に判断を間違えてしまった。
みんながいるから。何かあっても強化魔術を使って逃げればいいから。
そんな、張り倒したくなる楽観と、野次馬根性でその場所まで歩いていってしまった。
私はその時、一も二もなく逃げ出しルミナ様を呼びに行くべきだった。そうすれば、何かが変わっていたはずだったのに。
すでに。
もう取り返しのつかないものがあったとしても。
◇
「……………………」
恐る恐る大広場に近づいて行く。みんなは何かを囲うように立っている。紛れもない臨戦態勢。だけど武器を抜くべきかどうか迷っている……いえ、恐れている? 凍り付いたように動かない。だけど何か叫んでる。
私の位置からだと、団長さんたちの大きな背中がその奥にあるものを隠してしまっている。もう少し近づいて、皆の体の隙間からその向こう側を覗く――そして。
「――――ふン。相変わラずやかマシいナ、子羊どモ」
ぴちゃりと、粘ついた水音を聞いて。
「――――――――――――え」
大広場の南側の、大通り付近に立つ、ソレを、見た。
そこにいたのはヒトだった。
ズタボロの神父服に身を包んだ、長身の男性。ぼさぼさの長い灰色の髪。瘦せすぎなくらいの、細い体。三十代半ばと思しきその顔の目元には、ペイントのような――いえ、ペイントしているのかと疑うくらいの、濃い隈が刻まれている。
今にも崩れ落ちそうな、といった風だけれど、その立ち姿は直立不動。細身で長身の男性を形容する際の、針金のようなという言葉がよく似合う。
だけれど私はそうは思わなかった。
私はその男性の姿はまるで――――巌のようだ、と確信した。
明らかに弱々しい印象なのに、その存在感は全くの真逆。巨大な岩石を人の形に押し込めたような異物感。そこにいるだけで世界が歪み狂っていくような嫌悪感。墓送りの巨人を見た時ですら、ここまでの圧迫感ではなかった。
まさしく人の形をした異常。世界に染み出した誤謬。間違いだらけなそのヒト擬きを見て、私は思わず後ずさりし、
「………………………………あ、れ」
その男性の右手に、糸のようなものが絡みついていることに気づいた。
……なんだろう、あれ。あの人、なんであんなものを?
あんな――青い、糸のような。
「――な!? フィオレ!? 馬鹿、今すぐ逃げろ!」
呻くような私の声が聞こえたのでしょう。団長は少しだけ首を回し、視界の端に私の姿を捉えて目を見開いた。それでも、南側に立つ異常からは視線を外さない。
そして私も、神父服姿のナニカが手にするそれから目が離せない。
よく見れば青い糸の先には、丸っこい大きなボールのようなものが繋がっていた。……いえたぶん、果物ですね。
なんか赤い、果汁が、ぽたぽた落ちているし。きっとそう。
でも私、あんな果物見たことない。
「て、テメェ……! よくも……!!」
見たことない見たことない。
「動くなハインツ!! 全員、絶対に動くんじゃない!!!」
見たことない見たことない見たことない見たことない。
「動クナ、か。賢イな子羊。ソの頭蓋ノ中にハチャんと知性ガ宿っテイるよウで、安心しタ」
「ふざけんじゃねェ!!! テメェ……いったいなにモンだ!!!」
見たこと、な、
「――――――――――、ぁ」
ある。あった。見たことあった。よく見なくても絶望的なまでに一目瞭然だった。
さっきからおかしいと思っていた。ずっと違和感が拭い去れなかった。よくわからない匂いがしていた。ずっと吐き気を堪えていた。その理由は、単純なこと。
――――なーんだ。あれ、果物じゃなかった。だからおかしいと思っていたんですね、私。
あの親父服の男を間違いだらけと評したけれど、どうやら間違えていたのは私もだったみたい。
「ぁ、あぁぁ」
そうです。あんな果物、ある訳ない。
あんな、いびつで、不格好で、目みたいなものとか鼻みたいなものとか口みたいなものとか耳みたいなものとか呆気にとられたような末期の表情とかこの辺りの空気を汚染する肉の香りとか穴という穴から流れる呪いみたいな赤い液体とかそれでも見覚えのある青い髪とかそんな果物ある訳なかった。
あの男と同じく私も。なにもかも、間違いだらけ。
「あああああああ」
そうです――こんなの、なにかの間違いでしょう?
だって私、頑張りましたよね? 無鉄砲を叱られたけど、でもすごく感謝されて…………なのに。
――――その結末が、これなんですか?
「ああああああああああああああ!!!!」
「!? しまっ……! 見るなフィオレ!」
団長が私の視界を塞ごうとするけれどもう遅い。もう見た。認識した。知覚した。なにもかも手遅れだと理解し尽くした。
その場に力無くへたり込む。それを合図としたかのように、異物感を撒き散らすナニカが、こちらに向かってゆっくり歩いてくる。
「何者、ダと? スデに理解シてイることヲ聞くナ猿。キイキイキイキイと……コこハ牧場ではナく、見世物小屋だっタか?」
一歩。世界が軋み歪んでゆく。
ソレから溢れ出す魔力が、幻想を形作る。
「ダがまあ、問イを投げるモノに応エてやルのも慈悲カ。イイだろウ」
二歩。常識が悉く死に絶える。
その背中に出現するのは、水晶で出来たような、七枚の羽根。
「小生の名ハ――――アイオーン。いワユる、お前たチが言うトころノ――」
三歩。日常が、脆く崩れ去る。
そしてハインツさんの誰何に、まるで何十年、何百年と言葉を用いることがなかったかのような、掠れきった声で名乗りを挙げたバケモノが手にしていたものは。
「―――――――――――――魔人だ」
捻り切られたルーリィさんの生首だった。




