12 星夜のごほうび
――――ふと、真夜中に目を覚ました。
何も聞こえない。木々のざわめきすら眠る、静かな夜。
ベッドに横たわったまま時計を見ると、ちょうど日付が変わったぐらいの時間。喉の渇きを感じて、水でも飲もうと起き上がった。
「……二人とも、きっともう寝てますよね」
音を立てないよう静かに部屋を出る。当然真っ暗なので、魔術で指先に明かりを灯した。
ゆっくりと一階の台所へと歩き出して……足を止める。
「……?」
……今、何か。音がしたような。
廊下の端の、バルコニーへ出る扉に視線を向ける。
本当に微かな音。こんな静かな夜でないと聞こえないくらいの。でも確かに音はそちらの方から……いえ、音じゃ、ないですね。
夜の静寂に揺蕩う、優しい旋律。波紋のようにソラを渡るそれは、たぶん。
「――――歌?」
誰かが歌っている。
大きな声じゃない。きっと、ぽつりぽつりと口ずさむくらいの歌声。
踵を返しバルコニーへと向かう。誰が歌っているかなんて、もうわかっている。ちょっと驚かせちゃいましょう。
イタズラを思いついた子供のようにドキドキしながら、音を立てないよう慎重に扉を押し開き――そして。
「――――――」
呼吸を忘れてしまう。
バルコニーではなく、屋根の上に座り歌う人影――ルミナ様。
結んでいた髪は解いていて、今まさに吹き抜けた風にふわりと揺らされている。
夜色の髪は、だけど夜空に溶けることなく、不思議ときらきら瞬いているように見えた。
「――!」
……ああ、不思議でもなんでもなかった。
あの髪が夜を象るものなら当然、この空をも宿しているのだから。
「…………きれい」
そう、この――――満天の星空を。
すごい。こんなの初めて見た。
幽かな光。冷たい灯火。色鮮やかに廻る、星々の舞台がそこにある。
白く、青く、赤く。数え切れないくらいのそれらは、なんの熱も感じないのに私の心を焼き、同時に、なぜか切ない気持ちも運んでくる。
その舞台を見守るのは白銀の真円。収まりきらない光が零れ落ち、夜の底を満たしていた。
真夜中なのに明るく、寒くもないのはきっとそのおかげ。もしあの場所に住まう人がいるなら、それはとても優しい人なんでしょう――なんて、益体のないことを考えた。
このあたりってこんなに星が見えましたっけ……と、歌うルミナ様と星空を見上げていると。
キィ……とバルコニーの床板が軋み、
「…………っ!?」
歌が止まる。夜空に溶けて消える。
ルミナ様がバルコニーに立つ私に気づいてしまった。驚いた様子で私を見下ろしている。
……うう、私の馬鹿。でも仕方がありません。
星空の下の独唱会は、今日はここまで――またの公演をお楽しみに、ということで。
「あ……えっと……こ、こんばんはルミナ様」
驚かせようとしていたことになんだかばつが悪くなり、曖昧に笑いつつ挨拶をした。
「…………(ぱくぱく)」
おお、ルミナ様どうしたのでしょう。お魚さんみたいに口をパクパクしてます。いえ、理由はわかってるんですけど、ね。
「……あの?」
「…………はっ!? こ、こほん! ……うん、こんばんはフィオレ」
咳払いを一つ、まるで何事もなかったように振る舞うルミナ様。……どうやら、ルミナ様の中ではそういうことになったらしい。
「どうしたんだ、こんな夜更けに。なにか……」
「あ、ちょっと待ってください」
屋根の上にいるルミナ様とは距離が空いている。このままだと話しづらいので、私も……でも梯子なんて……あ、そうです。
どうやって自分も屋根の上に上がるか思案し、魔術を使えばいいことに気づいた。さっそく『身体強化』を起動する。
「よっ……と」
屋根の縁の下でぴょんと跳躍、すかさず縁を掴み一気に体を引き上げる。……やった、思いの外簡単に上がれました。
そのまま転げ落ちないように気をつけつつ、ルミナ様のそばへ。私を心配しているのか、両手を泳がせているルミナ様の姿がなんだか可愛くて笑ってしまった。
「お、お隣、失礼しますね」
「……お隣は失礼していいけど……行動力ありすぎだろ。見ててこっちが不安になるわ」
ぼやく魔術師様。えへへ……ごめんなさい。これが私、なんです。
隣に座り、私も同じように空を見上げる。……やっぱり、本当に、綺麗。
今日はいったいどうしちゃったんでしょう。こんな星空が見られるなんて。
無茶でしかなかったけど頑張って、ルーリィさんの命を救えた。そのご褒美なのかな。それに……
「あの、ルミナ様」
「ん? なんだ?」
「――さっきの歌、なんて歌なんですか?」
「ぶふーーーー!?」
おや、ルミナ様ってば。もしかして、聞かれていないとでも思っていたのでしょうか。
盛大に吹き出したルミナ様に追撃を掛ける。
「とっても綺麗な歌声でした……それで、その」
「ナンノコトカナ、フィオレクン」
おや、ルミナ様ってば。もしかして、それでごまかせるとでも思っているのでしょうか。
カタコトのおかしな口調のルミナ様を迎撃する。
「私、言葉の意味がわからなくて。どこの地方の歌なんでしょう?」
「サア。オレニモワカラナイナ」
もう! ルミナ様ったら! ちゃんと答えてほしいです!
不満よ届け、とばかりにルミナ様を視線で射抜いた。
「~~~~っ! ああ、くそ……聞こえてたのか。……はっず。……まあ、なんていうか。――遠いどこかの、遠い昔の、遠い誰かが、いつか聞いていたかもしれない――そんな歌だよ。曲名は――”星を空に…”だったかな。どこの歌なのかは…………それはオレには答えられない」
ぐももーっと見つめていたら観念したのか答えてくれた。
そしてそれ以上は話す気はないみたい。もう一度歌ってくれたりも……してくれないでしょうね。残念。
結局、よくわからないままだけれど、仕方ない。そう思いつつそのまま一緒に星を見ていると、
「それで? どうしてフィオレはこんな時間に起きてきたんだ?」
今度はルミナ様が質問をしてきた。
「嫌な夢でも見たか?」
「……いえ、そういうわけでは……。ただなんとなく、目が覚めてしまって」
「そっか。まあ、今日は……いや、もう昨日か。とにかく、いろいろあったしな」
本当に……いろいろなことがあった。
魔術を教わったり。協会に行ったり。お使いの途中でひったくり現場に出くわしたりもした。
かと思えばとんでもない岩の巨人を目撃したり……魔獣に食い殺されそうになって、それを自分の体で食い止める、なんて、少し前までは想像もできない経験もした。
「ルミナ様のおかげで、何とかなりました。本当にありがとうございます」
「どういたしまして。……だけどまあ正直どうなることかとヒヤヒヤしてた――ってこれ、前にも言ったな。ヒヤヒヤさせ過ぎだろ風邪引きそう。……とにかく、今後はもうちょい落ち着いて行動してもらえると助かるよっていうかそうしろ」
「う……気をつけます」
うーん、私としては深く考えて行動してるつもりなんですけど。
そういえばシルヴィア様にも、”貴女は考えが足りません”と叱られたことがあったような。
「……この街に来る前は、そんなことなかったはずなんですけど……」
「この街に……ってことはフィオレ、以前は別の街に住んでたんだ?」
「あ、はい、そうなんです」
私の独り言が聞こえたらしい。
……そうでした、ルミナ様にはちゃんと話していませんでした。いい機会だから、話しておこうかな。
「私、以前は王都にあるシルヴィア様の家に住んでいたんです。この街に来たのは八年くらい前のことで……」
「――王都。シルヴィアさんに引き取られた、ってのは聞いたけど。出身も王都なのか?」
「い、いえそういうわけでも……」
「……む。もしかして、割と込み入ってる感じ?」
不躾な質問だったか、と申し訳なさそうにするルミナ様。……ふふ、ごめんなさい。気を遣わせてしまって。
「いえ、そんな大した話ではないので。……せっかくなので私の話、聞いてもらえますか?」
「まあ……いいよ。オレもちょっと眠れなくてね。寝物語にはちょうどいい」
むむ、ハードルが上がってしまいました。緊張しちゃいます。
「……えっと」
何から話そう。……ってそんなの決まってる。私自身の、欠落から。
「――――私。自分が誰だかわからないんです」
「……え?」
「シルヴィア様に拾われる以前のこと。……なんにも覚えていないんです。いわゆる記憶喪失、というやつで」
口下手なりに頑張って言葉を紡いでみる。
一つ一つ、手に入れたものを。そして、失ったものを確かめるように。
「今から十年くらい前、どこかの街道で倒れていた私をシルヴィア様が見つけてくれたんです。シルヴィア様、王都での仕事を辞めて、実家があるこの街に帰る途中だったそうで。偶然……本当に偶然、奇跡的に」
その時のことを私は覚えていない。気がついた時には近くの街の病院、そのベッドの上だった。
「いったいどこをどう歩いてきたんでしょうね……。シルヴィア様に見つかるのがもう少し遅かったら。……私、餓死していたみたいです」
「――――」
「シルヴィア様が命の恩人、というのはそういうことです。拾ってくれた、というのも言葉通り。なのでどこの生まれかと聞かれると……ちょっと困っちゃうんです」
まあ、もうコルトスが故郷と言っても差し支えはありませんけどね。
「誕生日とかもわからないので……」
「十五歳くらい、ってのはやっぱり、そういう意味か」
「はい、そうです」
協会で年齢を聞かれた時に曖昧な回答をしたので、ルミナ様はある程度察していたんでしょう。
「あ、"フィオレ"という名前はシルヴィア様がつけてくれました。当時は名無しさんだったもので。……えっと、自分では気に入っているんですけど……どうでしょうか」
「……いい名前だと思うよ。シルヴィアさんの想いが伝わってくる」
「えへへ、良かったです」
すごく嬉しいです。シルヴィア様が私にくれた愛情は素晴らしいものだ、って言ってくれたみたいで。
「シルヴィア様は私のために帰省を先延ばしにしてくれて。王都で休養して体力を戻してから、私たちはコルトスに引っ越して来たんです」
「それが八年前?」
「はい」
確か王都には一年半くらい住んでいたはず。そこから半年かけて街から街へ馬車を乗り継いでここまで来た。
その頃はシルヴィア様も今ほど病弱ではなかったし、シルヴィア様の前職の同僚だという女性が一緒に来てくれてもいた。
その人は私たちをここまで送り届けてから、王都に帰ってしまったけれど……いつかまた会えるといいですね。
「……なるほど……シルヴィアさんが言いかけたのは……」
「はい?」
「……いやなんでも。そっか、そういう経緯だったのか。ありがとうフィオレ。そんな大事なことを話してくれて」
――!? なぜかルミナ様にお礼を言われてしまった!
「い、いえそんなっ。私自身、覚えていない昔のことなんて気にしていませんし! むしろシルヴィア様と出会えて幸せ、といいますかっ」
「――出会えて幸せ、か。シルヴィアさんのこと、大好きなんだな、フィオレは」
慌てふためく私を微笑みながら見つめるルミナ様。うう……確かにシルヴィア様のことは大好きですけど……ちょっと気恥ずかしいです。
――――でも。
そうやって優しく微笑むルミナ様の声が、少しだけ悲しみの色を帯びていたのはなぜでしょう……?
「え、えっと……そうです。今度はルミナ様のお話も聞きたいな、なんて」
「え? 話さないけど」
「え?」
えーーーーー!? 話してくれないんですか!?
お、おかしいです! この雰囲気! 話の流れ! 絶対、"フィオレが話してくれたから今度はオレが"――ってなるはずなのに!
「いや話すなんて言ってないだろ……。ていうかさっきフィオレ、オレが歌ってるの聞いてたんだろ? その代金、まだ貰ってない」
「お、お金を取るんですか!?」
「当然。オレの歌は神サマですら聞きたいとせがむものだからな。とても高い。……だからさっきの話でチャラということにしてあげよう。有り難く思うように」
そ、そんなぁ……はっ!
いえ待ってください。ということは……お金を払えば歌ってくれる、ということ……!?
「――それではルミナ様。お金をお支払いしますので歌を――――」
「え? 歌わないけど」
「え?」
えーーーーー!? 歌ってくれないんですか以下略!?
「いや歌うなんて言ってないだろ……はあ。もう眠くなってきたから寝るぞ。先に部屋に戻るから」
「あっ、ルミナ様!」
ぴょん、と軽やかに屋根からバルコニーへと飛び降りるルミナ様。私を抱っこして一緒に降りてほしかったな……なんて。恥ずかしいことを妄想する私。……ホントに恥ずかしい。
私はもうちょっと星を見ていようかと思い、屋根から降りずにいたら。
「ああ、すぐに寒くなるから。フィオレも早く部屋に戻ったほうがいいぞ。――おやすみ」
下からルミナ様の忠告。
……寒くなる? 今は全然寒くないのに……と首を捻っていたら。
「――――ひゃう!?」
びゅう、と冷たい風が首筋を撫でた。
びっくりして首を引っ込めつつ、えいっ、と屋根から飛び降りる。危なげなく着地、そのまま家の中へと避難する。
な、何でいきなり? ルミナ様、気温の変化もわかるんでしょうか?
本当に不思議な人、と狐につままれたような心地で部屋に戻り、ベッドに入る。
ふう、と一息。最後の最後までいろんなことがあったけれど、それも一段落。もう眠るとしましょう。
「――おやすみなさい。シルヴィア様。ルミナ様」
また明日……ではなくて。
――――夜が明けたら、また、たくさんお話ししましょうね。
◇
「――――――――あ」
眠りに落ちる寸前、唐突に思い出した。
あの時。魔獣に押し倒されそうになった時、ルミナ様が放ったと思しき光。ずっと見覚えがあるような気がしてモヤモヤしていたけれど、やっとわかった。
――――ほんの一瞬、視界をよぎる一条の軌跡。
あれはまるで――――流れ星に似ていたな、と思いながら、夢の中へと落ちていった。




