9 おとぎ話の魔法使いさま
この街の北東部には、一際大きな石造りの建物がある。
広い敷地。高い尖塔。その外観はどこか、救いを求めて空に伸ばす手に似ている――なんてことを、ここに訪れるたび私は思ったりします。
重厚感あふれる木製の扉は、見た目とは裏腹に小柄な私でもあっさり押し開ける。規律を重んじながらも、誰であれ受け入れる、という精神性を表しているのでしょうか。よく知りませんけど。そうして中に入れば。
――――厳粛な気配。神聖を宿さんとする柱梁の意匠。光綾なすステンドグラス。並べられた木製の長椅子は、ソラに至る階を思わせる。
重苦しくも清らかな空気に、不思議と心が凪いでいく。天窓から降り注ぐ光はまるで、いと高き場所からの祝福のようで――その奇跡を象徴するのは最奥に鎮座する、二つの像。
そう、ここは天上を仰ぐ最先端。救いを信ずる伽藍堂。ディアテイカ聖教会と呼ばれる、この世界の信仰を司る場所です。
◇
「さて、フィオレくん? ――懺悔のお時間です」
「大変、申し訳ありませんでした……」
そして、私の罪を告白する場所でもあります――って! そこまで悪いこと、してません!
先生のところへ忘れ物を届けたあと。予想外のドタバタで疲れてしまった私たちは、この聖教会に休憩がてら訪れていた。
「……まさかひったくりに突っ込んで行くとは思わなかった。もし刃物とか持ってたらどうするつもりだったんだ? いや実際は向こうが死にかけてたけど」
「……うう……」
「まあ……今のフィオレなら、大丈夫だろうけどさ。とにかく、無鉄砲はこれまでだ。今後はもう少し考えて行動するように」
「……はい、ごめんなさい」
お説教、終了。ふう……良かった。あのひったくりさんも、大事がないようでほっとしました。ルミナ様の治癒魔術のおかげですね。今は牢屋の中でしょうけど。魔獣の大量発生で心が荒んでたのかもしれませんが、自業自得です。
「……しかしまあ。ここはいつ来ても静かだな。どの街でもそうだ」
ふう、と息をついたルミナ様は、背もたれに体を預けポツリと呟いた。
私たちは聖教会の一番後ろの長椅子に座っている。私たち以外にも長椅子に座っている人が、ちらほら。たぶん、敬虔な信者の方々でしょう。静かに祈りを捧げている。……私たち、ちょっと場違いですね。ただ休憩に来ただけですし。
周りを見渡すと、隣の長椅子に十二、三才くらいの女の子が座っている。腰まで届く長い黒髪の可愛い女の子は――な、なんと! ルミナ様に熱っぽい視線を向けているではないですか!
両手を朱色に染まる頬にあて、うっとりとした表情でルミナ様のことを熱心に見つめている。こ、これはもう、間違いないです! わ、悪い人、悪い人ですルミナ様! あんな、私より年下の女の子をその美貌でたぶらかすなんて!
でもルミナ様は、そんな視線なんてどこ吹く風で、私に話しかけてきた。もしかして、いつものことなんでしょうか……?
「ところでさ、気になったんだけど。――この街に"猛獣"なんていんの?」
「はい?」
「や、なんかさっき通行人の一人が、"あの何考えてるかわからん澄まし顔……! またしても猛獣が解き放たれてしまうのか……!"――って。あとなんか"アルベド君トラウマ製造機"とか。……アルベド君ってなに?」
むむ、なんですかそれ。初めて聞きました。
「アルベド君というのは、街の住人が飼っている大っきなワンちゃんです。真っ白でモフモフの、すっごく大きい子で。大人しくて賢い犬なんです」
そして私の唯一の友だちでもある。最近はご無沙汰ですけど、小さな頃はよく追いかけっこをして遊んでいた。アルベド君は優しい子なので、路地の行き止まりまで追い詰めたらその背中に乗せてくれるんです! 決して、猛獣なんかじゃないですし、トラウマってなんのことでしょう……そう、ルミナ様に伝えてみると。
「……おおう。これは予想以上……いや予想不可能だろこれ。こんな見た目で、とんでもないやんちゃ娘だな……」
「? え、えっと?」
「いやなんでもない」
そうしてルミナ様は、視線を聖教会の奥にある二つの像に向けたまま、黙ってしまった。そういえば、ここに来たときからずっとあの像を見ていたような。
どこの聖教会にもあるというあの二つの像は、別に神さまや天の使いというわけではない。でも、人々にとっては神よりもよほど身近な存在なのです。
あの二つ……いえ、二人の像は。
大昔、世界を救ったとされる『勇者』と『魔法使い』を讃えるため作られたもの、とのことです。
よくあるおとぎ話。大昔にこの世界を襲った災厄から、勇者と魔法使いの二人が守った、そんなお話。
少し違うのは、それが実際にあったこととして広く知られていること。だからこそ、こうして各地の聖教会に像が置かれ、人々の祈りを受けている。でも……
「……私。あのお話、あんまり好きじゃないんです」
お話、というか結末が、ですけど。いわゆる悲恋ものなんです。
勇者は男性で、魔法使いは女性。恋仲であった二人は災厄を退けはしたけれど……その代償として、勇者は死んでしまう。そして魔法使いも、愛する人の死を嘆き悲しみ……世界から姿を消してしまうのです。
私はそういうお話も嫌いではないですけれど……やっぱり、最後はハッピーエンドがいいので。世界を救ったのにあんまりです、と思う次第なのです。
「――――奇遇だな。オレも嫌いなんだ、それ」
「……そうなんですか?」
意外な反応。”ふーん、そうなんだ”くらいの軽い相槌が返ってくると思ったのに。
「うん。ああ、なんなら二つとも、壊してしまいたいくらいだな。特に勇者の方」
「え……い、いえ、それはやめていただけると……」
「……冗談だぞ?」
急に怖いことを言うので驚いてしまった。……なんだ、冗談ですか。もう、ルミナ様ったら。私、会話が苦手なんですから手加減してください。
まあよく考えたら今のルミナ様の声色は、本当に壊したいと思っているそれではなかったし。むしろどこか……
「…………」
静かに英雄たちの像を見つめている、何の感情も見えない金色の瞳。だけど少し……ほんの少し、揺らいでいるような気がして。見ようとしているものが見えなくて、もどかしく思っているような……
「え、えっと、ルミナ様」
なんとなく話題を変えたくなって声を出す。何も考えてないのに。――はっ! し、しまった!
ルミナ様は視線をこちらに向け、私の言葉を待っている。なのに私には何の話題もない。このままでは、特に用もないのに呼びかけた変な女の子になってしまう……! それだけは避けなければ……!
えーと、えーと……! うーん…………あ! そ、そうです!
「あ、あの。ま、魔法……ってなんですか?」
「……魔法?」
とっさの思い付きではあるけれど、以前から疑問に思っていたこと。
おとぎ話の魔法使いは、『魔法』を使っていたのでそう呼ばれている。……魔術ではなく。
実は現代のこの国においても、魔法使いと呼ばれている人はいる。それもおそらく、ほとんどの人が知っているだろう有名人。なので魔法という、魔術とは違う力があるのは間違いないのだけれど……
でも、どんな本を読んでも魔法について詳細に書かれているものがない。もしかしたら、魔術関連の書物に記述があるかもしれないと思いつつも、魔術に関心を持てなかった私は積極的に調べたりしなかった。
だけど、ルミナ様ならご存じなのでは? とっさではあったけれど、なかなかいい判断だと自画自賛する私。
「あー……魔法かぁ……。確かにあの話、いろんな作者が本にしてたけど。……魔法を使うシーン、”なんかすごい力を使った!”みたいにしか書かれてなかったな。……うーん、何かと聞かれたら答えられるけれど……多分、がっかりするぞ」
「え? がっかり?」
どういうことでしょう。ルミナ様も知らないならがっかりするでしょうけど……答えられるのに、がっかりとは?
「ああ。なぜなら魔法自体はフィオレも使ってるし。……ほら、心象だよ。心象。あれが魔法なんだ。そんな、大層な秘密とかなくてがっかりだろう?」
「……はい?」
思いもしなかった返答に、私はたぶん目が点になってしまっているでしょう。いけない、そんな間の抜けた顔、ルミナ様に見られたら恥ずかしくて死んでしまう。いえ、死にはしませんけど。でもキリっとしないと、キリっと!
「え……っと。心象が魔法……なんですか? でも何も出来ない力って……」
ルミナ様に魔術の基礎について話してもらった時も、そう言っていたはず。だから変異式を使って、魔術という現象を引き起こしているのだと。
「普通の人は、な。だけど魔法使いは違う。彼らの心象は、それ単体で常軌を逸した力を持つ。別に変異式を用いなくても、不思議な現象を引き起こせるのさ」
「変異式を使わなくても……?」
いまいちイメージがしづらいけれど、たぶん式を刻むという工程そのものがいらない……ってことでしょうか。でもそれって……
「魔術とあまり変わらないのでは?」
確かに変異式を覚えたり、心象に刻んだりしなくていいのは便利ですけど。けっこう疲れるので、あれ。
だけど結局、起きる現象が魔術と一緒なら……
「魔術も魔法も同じだって? そりゃあ、超常現象という意味では同じだけどさ。それなら、わざわざ”魔法使い”なんて括りで語られないだろ」
「た、確かに……」
そういえばそうだった。実際にこの国の魔法使い様も大層な名前で呼ばれ、親しまれているのだし。
「……そもそも魔法使いの心象は名称から違うし。彼らのそれは――って、お?」
魔法の核心と思われることをルミナ様が説明しようとした時。
ドオォォォォン……と、遠くから、重苦しい音が響いてきた。
「……なんか音したな……なんだ?」
「は、はい……なんでしょう?」
見れば祈りを捧げていた人たちも、何事かときょろきょろしている。聞き間違いではないみたい。
「うーん……フィオレ。ちょっと外に出てみるか」
「あ、はい」
もう休憩は十分。椅子から立ち上がり、二人で聖教会を後にする。
街に出てみるとやはり、多くの人が立ち止まって空を見上げていた。街の北東方面を。
「……あっちの方から……」
「……もしかして……」
「大丈夫かしら……」
みんな、不安そう。それもそのはず、街の北東方面と言えば魔獣が大量発生していると言われる場所で。……おそらく、代行者さんたちが戦っている最中なのだと推測できた。
『ドオォォォォン……』
また聞こえた。遠雷のような重低音。いったい何をしたらこんな音が響き渡るんでしょう?
「あー、これ……大物、出たかな……」
「ルミナ様?」
ぽつりと零れ落ちた、ぞっとする言葉。
……大物? それって……まさか魔獣の、ということ?
昨日、魔獣に殺されかけた恐怖はまだ、体に染み着いている。つい、脚が震えそうになってしまった。
「ママ……こわい……」
「大丈夫よ……強い人たちが守ってくれるからね」
周囲を見ると、小さな男の子がおかあさんと思われる女性に抱きついている。女性は優しく抱きしめているけど……やっぱり、不安は拭い去れないんでしょう。その表情は固い。
「旅団の人たち、大丈夫でしょうか……」
私は別の意味で不安だった。もしも魔獣が、結界を越えて街にやってきたとしても、ここにはとっても強いルミナ様がいる。だけど……
「死んじゃったり、しないでしょうか」
今まさに命がけで戦っているだろうあの人たちは、死と隣り合わせの場所にいる。もし死んでしまったら……もう、昨日わがままを言って困らせたこと、謝れないんでしょうか。
マイクおじさんと同じように、二度と話せなくなるんでしょうか。そんなの……
「――――――――っ」
目の奥が熱い。一ヶ月経っても消え去らない感情が、溢れそうになった時。
「あっ! いたいた! ルミナさーん!」
ルミナ様を呼ぶ声が聞こえ、誰かが駆け寄って来た。あれは……ウェンディさん?
「ふぅ……良かった、近くにいてくれて」
「どうしたんですかウェンディさん。……まあ、予想できますけど」
「さっすが、話早い! 実は街の北東方面に"ドール"が出たらしくて」
「……あー」
二人は、私にはよくわからない会話をしている。……ドール? ってなんでしょう?
「だからごめーん! みんなの加勢、お願い出来る? 他の代行者にも声をかけるから!」
「ああ、それなら加勢はオレ一人でいいですよ。ただ、ドールに追いやられた魔獣が結界を越えるかもしれないので。街の周囲の警戒をしてもらえれば」
「……え、マジ? わ、わかったわ! それならお願いね……あっ、ちゃんと報酬は用意するから!」
「りょーかいです」
あれよあれよという間に話はまとまり、ルミナ様は私に背を向ける。なにがなんだかわからない私は、慌ててルミナ様を呼び止めようとしたけど、
「あ、あの! ルミナ様……」
「あ、フィオレは先に家に帰ってていいぞ。たぶんすぐ終わるから」
「え? ちょっと待っ……」
私が言い終わるよりも早く、ルミナ様は走り出し……たりはせず。なんと――ぴょん! と、近くの建物の屋根に跳び上がってしまった。そのまま屋根の上を跳んで北東方面へ向かう。
「お、おー……すごいわね。北門から出るよりは早いだろうけど……」
力業なショートカットに面食らった様子のウェンディさんと、置いてけぼりにされた私。少しの間、呆然として……はっ! と我に返る。
わ、私、どうしましょう。いえ、このまま家に帰ってルミナ様を待てばいいんですけど……でも。
もしかしたら動揺のあまり、おかしな精神状態だったのかもしれない。なぜか私は、『ルミナ様を追いかけなくては』と考えてしまって。
「ウェンディさん。私も行ってきますね」
「は? ちょ、ちょっとフィオレさん!?」
考えた時にはもう、覚えたばかりの強化魔術を使い駆けだしていた。
「あなたが行っても――って速ぁ!?」
引き止めようとするウェンディさんの声を置き去りにし、街の北門を目指す。そんな私の耳に――
「あれが”狂い咲きお姫様”……! やっぱりウワサは本当だったのね……!」
ウェンディさんのよくわからない言葉が届いたけれど、聞こえなかったことにした。――だって私、お姫様じゃありませんもの! きっと別の人のことなんです! そのはずなんですぅ……!




