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第6話 山仲美世は見分けられない

 聖母子学園附属水族館。略して「せぼすい」。


 それは、この学園の立地が海沿いであり、大学部に海洋生物学部が存在していることから実現した、大学によって運営されている水族館という奇妙な施設である。


 無論、水族館と名のついている通り、この施設は一般開放されており、ちゃっかりミュージアムショップや食堂も併設しているごくごく普通の水族館の一面も持っている。


 普通ではない部分を上げるとしたら、聖母子学園の高校生たちが『準』校外学習として利用することぐらいだろう。


 そんな「せぼすい」に、私――山仲美世はやってきていた。


 現在地は水族館の正門付近。入場口へと続く道は洒落た石畳で舗装され、施設の壁沿いにはよく整えられた花壇が並んでいる。


 入場口のすぐ近くにはポールが立っており、そこには「せぼすい」のロゴが書かれた旗が掲げられていた。


 今日、ここにやってきたのは二年生全員参加の『準』校外学習のためだ。


 現地集合の約束をした同じ班の面々を待ちながら、私は手帳サイズのタブレットをいじる。検索窓をタップすると、最近の検索履歴がずらりと表示された。


「……学園の吸血鬼? 何これ?」


「うわっ」


 突然画面をのぞき込まれて顔を上げると、そこには同じ班で友人の畑里(はたざと)奈月(なつき)が立っていた。


「びっくりさせないでよもうー」


「ゴメンゴメン。で、何それ? 学園の吸血鬼って、何かの漫画?」


 奈月が指さしているのは、タブレットの検索履歴。そこに躍っているのは、つい先日課されたばかりの「命題」に関するワードたちだ。


「え、あー……なんか、この学校に昔、吸血鬼がいたって話を聞いてね」


 言葉を濁したのは、ひとえに和菓子先生の立場を案じてのことだった。


 何しろ先生には、私の向こう見ずな行動を庇ってもらった恩がある。そんな恩人の過去を言いふらすほど私は恩知らずではなかった。


「フーン、聖母子学園の吸血鬼? 聞いたことないわね」


「だよねえ。もし何か情報があったら教えてくれる?」


「わかった、覚えとく。……ところで他の奴らはもう中にいるの?」


「え?」


 よくわからないことを尋ねられ、私はきょとんとする。奈月は深々とため息をついた。


「アンタねえ。集合場所はここじゃなくて、入場口の『中の』入口付近ってあれほど言ったでしょうが!」


「えっ、そうだっけ?」


 なおも首をかしげる私に、奈月は再び嘆息した。


「アンタさあ、もしアンタが物語の主人公だったら読者を苛立たせるタイプの人間よね」


「へ? なんで?」


「想像を絶する間抜けだから」


「ええっ!?」


 私たちは雑談をしながら水族館の中に入る。聖母子学園の学生証はこの「せぼすい」のフリーパスも兼ねているので、タッチ一つで楽々入場だ。


「でも私、物語の主人公ではないけど、探偵役っぽいのをこの先やることになりそうなんだよね」


「はあ? 無理無理、アンタには無理よ」


「そんなあ」


「どうしてもって言うなら優秀なワトソンでも雇いなさい。アンタに選ばれたワトソンには可哀想だけど」


「ワトソンって何? 人の名前?」


 私の問いに奈月は何もないところでコケた。館内が薄暗いからだろうか。


「大丈夫? 足下暗いから気をつけてね」


「今のはそういうのじゃ……まあいいわ。アンタに言ってもわからないでしょうし」


「え?」


 私は目をしばたかせると、少し考えて奈月をにらみつけた。


「なんか今、馬鹿にした?」


「してないしてない。ほら、班の皆がいたわよ」


 正しい集合場所で、他の班員たちはついたてに貼られた何かのポスターを眺めているようだった。遠目で見る限り、どうやら『音声解説』のポスターらしい。


「お待たせー。何見てんの?」


「あっ、見て見て! 声優コラボの音声解説を貸し出してるらしくてー!」


 熱っぽく語ったのは楽田(らくだ)佐夜(さや)。同じ班の友人で、自他共に認めるオタク女子だ。彼女が指し示すポスターを、私と奈月ものぞき込んでみたが、正直ピンと来なかった。


「フーン、知らない声優ね。有名なの?」


「有名なんてもんじゃないよ! つい十年ぐらい前まではオタクで知らない人はいないと言われた超人気の伝説的アイドル声優よ! 海外に活動拠点を移してからは人気も下火になってるけど、根強いファンは多くて――」


「はいはいはい。つまり『いにしえのオタク』しか知らない存在ってことでしょう?」


「な、何をぉ! 私もリアル世代じゃないけど本当に伝説的存在で」


「はいはい」


 話をなんとなく聞きながら、私はポスターを見上げる。


 誰彼(たそかれ)モカ。


 一切見覚えのない名前だ。アイドルというぐらいだからきっと可愛い女の子なのだろう。いや、十年前に女の子だったなら今は――


 ほわほわとしたアニメ調の美少女だったイメージが、綺麗なお姉さんに置き換わる。海外に拠点を移したということは英語もできるのだろうか。すごいなあ。


「美世ー? ぼんやりしてないで行くわよー?」


 ハッと正気に戻ると、班員たちはもう歩き始めていた。ぼんやりと意識を飛ばしていた私は置き去りになる形だ。


「ま、待ってよー!」


 大声を上げて走り出すと、ちょうど通りがかった職員さんにぎろりとにらみつけられた。


「館内ではお静かに」


「す、すみません……」


 恐縮しながら早歩きで皆に追いつくと、班員たちは口々に私を慰めてきた。


「ドンマイドンマイ」


「一応学内だから先生に直通で話がいきそうで怖いよねー」


「気をつけまーす……」


 がっくりと肩を落として私は班員たちと歩き出す。


 今日の課題は、水族館の展示水槽で発生している生態系と、人為的に阻害されている生態系についてのレポートだ。


 そのため、自然と私たちの目的地はこの水族館の目玉である大水槽になる。


 色とりどりなよく分からない小さい生き物たちが展示されている小魚ゾーンを抜け、大水槽エリアに入る。途端に広がっていたのは、水族館というよりも遊園地のアトラクションといったほうがふさわしい広大な水槽だった。


 私たちがいるのは半径10メートルはありそうな球体の水槽の中に通っている一本の通路だった。まるで芯を抜いたりんごのように球体を貫通しているトンネルは天井・壁・床が全てガラスであり、まるで自分たちが海の中にいるかのような錯覚すら覚える。


 班員全員がちゃんとはぐれずにここにいることを確認すると、私たちは各々に分かれて眼鏡(グラス)をかけた。


 眼鏡(グラス)ごしに大水槽を見ると、そこに広がっていたのは情報の海だった。


 一匹一匹の魚の形を眼鏡(グラス)が判別し、その姿の隣にちょっとした解説を表示する。そこをさらにタップするように指を動かすと、さらに詳しい解説が表示された。


 VR技術をふんだんに使った展示の方法だが、そもそもそういった分野に強いのがこの学園だ。授業で常日頃から使われているIT技術は、附属水族館であるこの場所でも大いに活用されていた。


 魚の姿を目で追いながら、私は考える。


 さて、どの魚でレポートを書こうか。眼鏡(グラス)ごしに見える解説はかなり詳しく、今見えている視界を『スクリーンショット』するだけでもかなりの成果になりそうだ。


「美世、アンタはどの魚をやる?」


「うーん……」


 奈月に声をかけられ、私は水槽を見上げてうなる。


 「せぼすい」の大水槽は、本当に広大だ。一口サイズの魚から、サメのような大物まで縦横無尽に泳ぎ回っていて目移りしてしまう。


 残念ながら私という人間は、魚をすべて食用としてしか見ることができないので、どの魚を見ても『美味しそう』か『美味しくなさそう』という見方しかできない。


 となると、どうしたものか……。


「――、――――」


 ふと、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、私は振り向いた。


 跳ねるような抑揚を持った、甘いテノールボイス。一度聞いたら耳から離れないその声の持ち主は――


「……和菓子先生?」


 思い至った声の主の名前を呼び、私はきょろきょろとあたりを見回す。しかしそこには学友と平日の昼間からやってきている熱心な客、それから自由に泳ぎ回る魚しかいない。


 どこかに隠れているのかとも思ったが、上下前後左右すべてが水槽に囲まれているのでそんな物陰もない。


「おっかしいなあ……」


 首をひねりながら私は水槽に目を戻す。すると、水槽の奥からゆっくりと巨大な魚影が泳いでくるのが目に入った。その巨体が悠然と進むごとに、周囲の魚たちは慌ててちりぢりになっていく。


 その魚影の正体は、いくら魚に疎い私でも当然知っていた。


「わあ、鯨だあ……」


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