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第4話 裳末杏太郎は吸血鬼のアリバイを証明する

 にんまりと笑って最中(さなか)は促す。その顔に浮かんでいるのは、してやったりという優越だ。


 裳末(もすえ)はしかめっ面のままそれを見返した後、臓腑まで吐き出してしまいそうなほど大きなため息をついた。


「僕さあ、人の言葉の揚げ足を取って悦に浸る奴、大嫌いなんだよね」


「それって自己紹介?」


「うるさい」


 即座に返された皮肉を、裳末(もすえ)はぴしゃりとはねつける。それでもその条件が自分にも当てはまるということを否定しないあたり、彼には自身がクズである自覚が一応あるのであった。


「で、何? 僕はあの人影の正体を探ればいいってわけ?」


「より正確に言えば、どうやってあの人影を出現させたのかまで当ててほしいかなー?」


「ふーん、まあできるけどね。所詮学生のお遊びだし」


 裳末(もすえ)は再びモニターへと視線を向ける。モニターの中では、未だに黒いローブ姿の人影が揺らめいていた。


 教室の隅――ちょうど黒板の隣に寄り添うように存在しているそれに、生徒は全員気づいているようだが、授業を行っている教師だけは気づいていないようだ。黒板に数式を書く手を止め、ざわめく生徒たちに振り向いて怪訝な顔をしている。


「……君は、事件の犯人が吸血鬼だって言ったね? あの人影が吸血鬼って認識でいい?」


「《《はい》》」


 はっきりとした発音で最中(さなか)は答える。


 そして、裳末(もすえ)の眉間にしわが寄ったことを確認して、にまにまと笑い出した。


「おっかしいよねえ。俺が仮に吸血鬼であるとしたら、ああしてあそこに立つことはできないもんねえ?」


 最中(さなか)は底意地の悪い本性がにじみ出ているような悪い笑みを浮かべながら、裳末(もすえ)の手を取って、自分の胸に当てさせた。


「だって、俺の体はこうして、せんせの目の前にあるし?」


「……ああ、なるほど。君は最初っから、僕に《《吸血鬼のアリバイ》》を証明させるつもりでこの状況を作ったんだね?」


 最中(さなか)は目をにぃーっと細めて答えた。


「《《はい》》」


 そこまで来ればさすがの裳末(もすえ)も、この部屋に入ってきた瞬間から自分が、目の前のクソ生意気な生徒に踊らされていたことぐらい察しがつく。


 しかしそこで大人な対応として適当にあしらって負けを認めたり、不平不満を口にしてゲームから降りなかったのは、ひとえに裳末(もすえ)の大人げなさのなせるわざだった。


 一度乗った勝負を投げ出したくないだなんて殊勝なスポーツマンシップはそこにはない。


 あるのは、シンプルな性根の悪さ。


 馬鹿にされたのなら馬鹿にし返さないと収まりがつかない。殴られたのならなんとかして相手を同じ目に遭わせないと夜も眠れない。


 その蛇のような執念深さをもっと建設的なことに使ったほうがいいというのは、後々になって、彼の数少ない理解者が彼にかけた言葉であるが、今はどうでもいい。


 相互理解による和平という言葉から最も遠い男である裳末(もすえ)は、最中(さなか)に掴まれた手首をそのままに、据わった目で彼を見た。


「君には共犯者はいる?」


「《《いいえ》》。共犯者にコスプレさせてあそこに立たせているわけじゃないよ」


 最中(さなか)はひらりと手を動かし、モニターの中を指し示す。教室の隅には、未だに不審な影が棒立ちになっていた。


 自然と掴まれていた手を解放された裳末(もすえ)は、細くて骨張った自分の手首を大げさにさすりながらモニターを見た。


「というか、そもそもこの授業、誰の授業だっけ」


「え、それマジで言ってる? 和菓子せんせの同僚でしょ?」


 前提条件にあたることを言い出され、最中(さなか)はあきれた目を裳末(もすえ)に向ける。裳末(もすえ)は悪びれずに言い放った。


「僕は上司の顔しか覚えないことにしてるんだよ。ゴマを擦る時に便利だからね」


「え、じゃあ俺は?」


「ただのカボチャに見える」


「嘘! 俺、こんなに可愛いのに!?」


 言いながら最中(さなか)は、古典的なぶりっこポーズをして、器用にもきゅるんと目を潤ませて裳末(もすえ)を上目遣いに見上げた。


「こんなに可愛いというのに!?」


「あーはいはい、カワイイカワイイ」


 うんざりとした顔で裳末(もすえ)は適当に最中(さなか)をあしらう。ここで否定すると最中(さなか)という少年は大層拗ねるということが、経験として身にしみていたので。


「まーねっ、俺、可愛いもん」


「はいはいはい……。で、あの教師誰だっけ?」


「ホントに覚えてないんだ……。社会人としてどうなのそれ?」


 どう見ても社会不適合者なのに社会人をしている目の前の男のことが純粋に心配になってしまいながら、一応最中(さなか)は説明する。


「数学の中戸先生だよ。今年入った新任の。熱血系のくせに文明に対する理解がない時代遅れのアナログ人間っていうのが俺の認識かな」


「……期せずしてホワイダニットが分かったよ。君、さてはこの中戸とかいう若造が嫌いだね?」


 さらりと指摘されたそれに、最中(さなか)はにんまりと笑うばかりで答えない。


「……ま、説明ご苦労様。質問に戻っていい?」


「《《はい》》。もちろんだよ、せんせっ」


 語尾にハートでも付けているかのような軽やかな声色で最中(さなか)は同意する。相当、この中戸という男が気に入らないのだろうと裳末(もすえ)は勝手に脳内で処理し、さっさと話を先に進めた。


「じゃあ、次。あの人影は実在してる?」


 裳末(もすえ)の問いに最中(さなか)は一瞬固まると、すぐに両手の人差し指で小さなバツを作った。


「だーめ。吸血鬼の実在についての質問は禁止でしょ?」


 最中(さなか)に指摘され、裳末(もすえ)は少し押し黙った後に言い直した。


「質問を変えるよ。あの人影に《《実体》》はある?」


 今度は最中(さなか)が押し黙る番だった。最中(さなか)は数秒言葉に詰まると、しぶしぶといった様子で答える。


「《《いいえ》》」


 途端に裳末(もすえ)は、《《馬鹿馬鹿しい》》という感情を顔全体を使って表現した。


「だったら答えは簡単だ。あの黒い人影は、ただのホログラム。授業用の眼鏡(グラス)をかけている生徒たちには見えているが、アナログ至上主義の教師には見えていない」


 最中(さなか)はすぐには返事をしなかった。


 この聖母子学園では、高度なIT技術を授業に取り入れており、その取り組みのうちの一つが全校生徒に配布されている授業用の眼鏡(グラス)だった。


 眼鏡(グラス)には授業中、様々な補足事項が視界に投影され、黒板への板書もアナログではなく投影で行う教師が多数派だ。


 しかしこの中戸という数学教師は、実際に手で書かないと学問は身につかないというアナログ至上主義派であり、しかもそう言う彼自身の文字が汚いこともあって、一部の生徒には評判が悪い存在だった。


 最中(さなか)は上目遣いでちょっと裳末(もすえ)をにらみつけながら、肯定した。


「……《《はい》》」


 その途端に、裳末(もすえ)は大げさに息を吐いて勝ち誇り始めた。


「大口叩いてくるからどんなものかと思えば他愛もなかったね。こんなので自信満々とか恥ずかしくないの?」


「……ふふーん。まだ終わりじゃないよ、せーんせっ」


 一瞬で調子を取り戻し、最中(さなか)はソファにふんぞり返る。


「和菓子せんせは今、単純な仕組みを言い当てただけ。どうやって吸血鬼を出現させたかまで推理するって約束でしょ?」


 それを言われてしまうと言い返せない裳末(もすえ)は、まるで自分がだまし討ちの被害者であるかのようにうんざりとした顔になった。


「まったく仕方ないな……。あのホログラムは君が仕込んだプログラム?」


「ノーコメントって言っとくよ」


「あっそ。肯定として受け取っておくよ」


 状況としてはほぼ確定的なことを一応裳末(もすえ)は確定させる。そしてそこから、彼は質問を重ねていった。


「あのホログラムは時限式で発動した?」


「《《いいえ》》」


「ランダムなタイミングで発動するようになっていた?」


「《《いいえ》》」


「君が遠隔でなんらかのスイッチを入れてホログラムを出した?」


「《《いいえ》》」


 一つ一つ丹念に可能性を潰して、裳末(もすえ)最中(さなか)を追い詰めていく。


 裳末(もすえ)杏太郎(きようたろう)という男は、平凡だが決して馬鹿ではない。名門私立であるこの学園で教鞭を執れるぐらいには頭は切れるし、天才的な悪童である最中(さなか)と舌戦ができる程度には口も達者だ。


 惜しむらくは、その能力の大半を他者への嫌がらせにつぎ込んでしまっていることだが――こと、この「うみがめのスープ」のルールにおいて、それは大きなアドバンテージとして機能していた。


「誰かにホログラムを発動させるスイッチを押させた?」


 その質問を投げかけられた時、最中(さなか)の返答はわずかに遅れた。


「……《《部分的にはい》》」


 最終的に口にされたのも曖昧な答えだ。裳末(もすえ)最中(さなか)の目を見ながら続けた。


「教室にいる何者かが、ホログラムが発動するなんらかのスイッチを入れた?」


「《《部分的にはい》》」


「……教室内で何らかの発動条件が満たされたから、ホログラムは発動した?」


「《《はい》》」


 着実に正答への距離を詰めてくる裳末(もすえ)に冷や汗をかきながら、最中(さなか)は彼の目を正面から見つめ返す。


 こういうときがあるから、和菓子せんせとの会話はやめられないのだ。


 裳末(もすえ)はまるで警戒心の強い野生動物を前にしているようにじっくりと最中(さなか)の様子をうかがった後、ふと視線をモニターへと向けた。


 モニターの中では、ようやく事態を把握した教師が生徒たちに犯人は誰かと問い詰めているところだった。


 しかし、一向に犯人は名乗り出ない。当然だ。犯人は生徒指導室にいるのだから。


 教師は苛立った足取りで教卓の周囲をうろうろと歩き始めた。その動物園の動物のような滑稽な姿を眺めていると、ふと教室の隅の吸血鬼の姿が、定期的に《《ブレて》》いることに裳末(もすえ)は気がついた。


「ねえ」


「なーに?」


「この授業以外に発動条件が満たされることはある?」


「限りなくありえないけど、一応、《《はい》》」


 裳末(もすえ)はモニターから目を離さないまま最中(さなか)に問う。その視線は黒い影に釘付けだ。《《教師の動きに合わせて》》ブレる、黒い影に。


「発動条件は生徒によるもの?」


「《《いいえ》》」


「教師によるもの?」


「《《はい》》」


「教師の何らかの行動によって発動条件は満たされた?」


「《《はい》》」


 モニターの中の教師がある位置でぴたりと立ち止まる。その途端、吸血鬼は不規則に明滅しはじめた。まるで教師の立つその位置が、吸血鬼にとっての何かを邪魔しているかのように。


「なるほどね」


 裳末(もすえ)はため息交じりに言うと、その視線を最中(さなか)へと向けた。正答にたどりついたその瞳に見据えられ、最中(さなか)の肩がびくりと震える。


「最後の質問だ。あの吸血鬼は黒板の文字を消したら消える?」

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