第2話 暮吉最中はゲームを持ちかける
「僕さあ、僕より賢いガキが嫌いなんだよね」
ブラックコーヒーを不味そうにすすりながら堂々と言い放った教師を、彼の隣に腰掛ける少年はきょとんと見返した。
ここは生徒指導室。時刻は11時過ぎ。ソファの上で行儀悪くあぐらをかくその少年――2年B組出席番号7番、暮吉最中は、本来であれば4時限目の授業を受けているはずの時間である。
並の女子よりも長い金髪にだらしなく着崩した制服という、ある意味では生徒指導室にふさわしい見た目をしている彼であったが、彼は別に呼び出されてここにいるわけではない。好き好んで居座っているのだ。
対する最中の隣に腰掛けて、うんざりとした被害者のような顔をしている男。教師としてどうとかいう以前に、人間としてかなり破綻した人格を表明するような発言をした彼の名前は裳末杏太郎。立場としてはこの学園の生徒指導担当である。
しかしこの裳末という男は、あらゆる人物からの評判が著しく悪いことで有名だった。
生徒からの人望は皆無で、保護者からの心証も極めて悪い。
人格がカス。指導者のゴミ。教育に関わるべきでないクズ。この世の全てが気に入らない偏屈者で、一呼吸ごとに文句を垂れて皮肉を言う。
そんな不毛と八つ当たりを人の形に固めたような男に、紙パックのミルクティーを片手に最中は尋ねた。
「え、じゃあ和菓子せんせは俺のこと大好きってこと?」
「君のことが大嫌いってことだよ。この賢いだけの不良少年が」
不機嫌そうに吐き捨てる裳末に対し、最中は終始、愉快そうに笑んでいる。
「そんなに照れないでよ、オッサンのツンデレなんて流行らないぞ、このこのー!」
「顔をつつくな微妙に痛い。これが照れてるように見えるのなら、君は脳みそごと交換したほうがいいよ。クソくだらない青春を謳歌する恋愛脳のクソガキどもの方がまだマシだから、ちょっと頼んで取り替えてもらいなよ」
「和菓子せんせ、本当に青春ってやつが嫌いだよね。どんな悲惨な学生生活送ったらそうなんの? 教えてよ」
「はあ……。悲惨も何も、なんにもないよ。知ってる? 《《青春》》と書いて、時間とリソースの浪費って読むんだよ。ほら、君もさっさとこの部屋を出て馬鹿馬鹿しい《《青春》》を謳歌してきなよ。友達ならいくらでもいるでしょ」
「いねーもん。友達はせんせだけだよ」
しれっと言われた言葉に裳末は面食らうと、気まずそうに目をそらした。
「あー、それはごめん。元気出しなよ」
「……ん」
二人の間になんとも言えない沈黙が流れること数秒。不意に最中はぷっと噴き出した。
「なーんてね。いるに決まってんじゃん! 俺、これでも人気者だよ? せんせと違ってねー」
「はあ?」
謀られていたことを悟り、裳末はおおよそ教育者が生徒に向けるべきではない威圧の目を彼に向ける。だが最中にはまるで効いていない。
「でさ、せんせより賢いガキがどうとか言ってたけど一体どうしたの?」
「……自覚がおありでないなんて本当に救いようがないね。君が毎回、施錠してあるはずの生徒指導室のドアをハッキングして侵入してくる件に決まってるだろ」
「あーそんなこと」
最中は興味なさそうな声を上げると、手元のミルクティーをすすった。
「一介の生徒である俺に開けられるほど雑魚な電子錠なのが悪くね?」
「その論理が文明的な人間社会で通用するわけないでしょ。社会不適合者の君には分かんないかもだけど」
「生徒の自主的な学びのための尊い犠牲ってことにしようよ。大体、最初にこの部屋に招き入れてくれたのは和菓子せんせでしょ。責任を取るべきだと思うんだよね」
「君は何? 自分のこと、餌付けされた可哀想で可愛い野良猫だとでも思ってるの? 自己評価が高すぎない?」
うだうだと屁理屈をこねる最中に、つらつらと皮肉を並べ立てる裳末。端から見ればどっちもどっちの会話だったが、本人たちは自分こそが正論だと信じて疑っていない。
「というか、その《《和菓子せんせ》》って何さ、僕の名前にみじんも掛かってないよね?」
「え? 掛かってんじゃん」
最中はきょとんと目を丸くした。
「せんせの名前って《《あんたろう》》でしょ。あんこみたいな響きだから、《《和菓子せんせ》》。どう? ウィットに富んだ気の利いたニックネームだと思わね?」
裳末の首からかけられた教員名札を指さしながら最中は言う。裳末は頭痛を堪えるように眉間を揉んだ。
「あのねえ、これは杏太郎って読むんだよ。裳末杏太郎。まあ、君みたいな思い込みの激しい頭空っぽのクソガキなら間違えるのも無理ないかもだけどさ」
「オッケー。じゃあ俺クソガキだし、和菓子せんせ呼び許してくれるんだ。ありがと!」
「許してない」
「えー。だったら世も末せんせなんてどう? 裳末だし。いっそ世紀末せんせでもいいよ?」
「……その中ならまだ和菓子がマシに見えてくるほどネーミングセンスがお亡くなりになってるね。畏怖すら覚えるよ」
「お褒めいただき恐縮でーす」
「褒めてない」
不機嫌そのものの眼差しを裳末は向けているのだが、最中にへこたれる気配はない。
それどころかどうやら裳末が自分に対して好意的に接していると思っているらしく、無邪気に懐く小動物のような仕草で裳末をからかい続けている。
「もー和菓子せんせってば、文句言ってばっか。せんせ、どうせ学生時代にあだ名つけられたことないでしょ。友達いなさそうだもんね」
「はあ? そんな経験ない方がいいでしょ。僕は賢明だから、周囲の低レベルなガキどもからは距離を置いてたからね」
最中は少し沈黙すると、慈母のような同情の眼差しを裳末に向けて、ぽんと彼の肩を叩いた。
「大丈夫だよ、せんせ。俺がせんせの友達になったげるからね」
「なに急に……気持ち悪いからその目で見ないでくれる?」
ぞわぞわと鳥肌を立てながら、裳末は体を引いて最中から距離を取る。
「大体君、何の目的でここにいるのさ。学生の本分である勉学に励んでおいでよ。今、授業中だよ?」
「えーやだ。数学の中戸先生好きじゃねーもん」
ストローの端をがじがじと噛みながら、最中はそっぽを向く。おおよそ男子高校生には許されないぶりっこ仕草だったが、最中は低身長の女顔であるのでギリギリ不快感はない。
ただしそれは一般的な感性の視点であって、今目の前にいる裳末は、本当に嫌そうに顔をしかめるばかりだ。
「それよりさ! 俺とゲームしようよ、せんせ!」
「ゲーム? 仮にも生徒指導担当の僕の前でゲーム機を取り出そうなんていい度胸だね。没収するから早く出しなよ」
「しみじみ思うけど、本当に《《仮にも》》だよね」
「うるさい」
「あと、ゲームっていってもさ、ゲーム機使うようなやつじゃないよ」
「……だったらどんなゲームだって言うのさ」
警戒の目を向けてくる裳末に、最中は妙にニヒルな笑みを浮かべた。
「せんせ、俺が卒業するまでに、《《吸血鬼の不在》》を証明してみせてよ」