台無しの気分
壁にもたれかかる人々を見て、自分のせいだと呟いたナリナに、ネルルは問いかける。
「ナリナのせいってどういうこと?」
その質問に答えたのは、ナリナではなかった。
「その疑問には、わしが答えよう」
前方から、低くしゃがれた声が聞こえてきた。ネルルは剣に手をかけて、声の出所をにらみつける。すると壁から背の低い爺さんともう一人、ネルルより年上だろう色黒の少年が現れた。
「横道があったんだね。気づかなかったよ」
「そんなものではない。入り口を見張るための、ただの狭い部屋じゃ」
「お前らみてえなよそ者が入ってこねえようにな。それにナリナ。お前もここにいていい人間じゃねえ」
少年が手に持った槍を俺たちに向ける。よそ者が歓迎されないのは分かるが、ナリナにも敵意を持っているのはどういうことだ? ナリナが森に一人でいたことと関係があるのかもしれない。
「グリード、客人に槍を向けるでない」
老人が少年をたしなめる。グリードと呼ばれた彼は素直に槍を降ろしたが、敵意のこもった眼はいまだに俺たちを捉えていた。
「場所を変えて話そう。ついてきてくれるか?」
老人はそう言うと、背を向けて歩き出した。
『ついていくしかないみたいだな。警戒は怠るなよ?』
『当たり前でしょ』
ネルルはうつむいたままのナリナの手を取って、前へと引っ張る。
「早く行くよ」
ナリナは小さく頷くだけだったが、とりあえずついてくる気にはなったようだ。
爺さんと少年の後を追いながら、辺りを観察する。集落に荒らされた様子はなく、生気のない人々にもこれといった外傷はない。魔物の襲撃に遭ったとかではなさそうだ。他に考えられるのは、病気とかか? ナリナと違って羽が黒いのもそのせいかもしれない。ただ、それだとあの爺さんと少年も病にかかっていることになるな。
『クルルは気づいた? この人たち、羽にお札が貼られてる』
気づかなかった。よく見るとたしかに黒色の札が貼られている。その札にはあみだくじのような模様が白い線で描かれていた。
『この札、ネルルは知ってるか?』
『知らない。でも、お札は魔物と密接な関りがある魂術に使われるの。たとえば強力な魔物を封印したり、魔物の力から対象を守ったりね』
『それならこの人たちが倒れているのは魔物が発生させた病のせいで、それをどうにか弱めて生き永らえさせるためのものがこの札ってのはどうだ?』
完璧な推理だ。今日の俺は冴えている。
『その可能性もあるね。ついていけば、あのお爺さんが教えてくれるんじゃない?』
『そうだな』
あの爺さんが信用できるかは置いておいて、その話す内容は判断材料にはなるだろう。
『クルルはこの人たちを助けたいの?』
『当然だろ』
『そう。それなら私も協力するよ。チュウはどうする?』
『チュウはもう、眠いですの』
もう太陽が半分隠れて、崖側から差す日光もわずかになっている。あと十分もすれば、辺りは暗くなるだろう。
『それは私もだよ。寝るところくらい貸してくれるといいんだけど』
ネルルは大して期待していなさそうな口ぶりで呟いた。
爺さんに案内された場所は、壁に穴をあけて作られた洞窟のような部屋だった。簡素な机と椅子が置かれており、爺さんと少年は奥に腰掛ける。ネルルもそれに続いて手前に座り、ナリナは爺さんに促されてようやく、ネルルの隣の席についた。
「さて、ここに来るまでに、この集落の状況は大体分かったかの?」
「排他的だってことくらいは分かったよ」
ネルルは何も気にしていなさそうな様子で言う。
俺たちが道中で見たのは、ぐったりしている人だけではなかった。どうやらこの集落の入口付近に生気がない人が集められていたようで、集落の奥に進めば普通に生活している人々がいたのだ。ただ、一人として例外はなく全員が俺たちをにらみつけてきた。よほど外の人間を信用していないのだろうな。
「それはすまなかった。すべての外の者がわしらに偏見を持っているわけではないとは分かっておるのじゃがな。今は病が蔓延しておるゆえ、みなひりついてしまっておる」
その声色は、心痛を押し殺しているように感じられた。
「ふーん。それで改めて聞くけど、ナリナのせいってどういうこと?」
「それを説明するには、まずこの集落の成り立ちを知ってもらう必要がある」
それから爺さんに聞いた話は、ナリナに教えてもらったこととほとんど同じだった。この集落は竜によって守られており、竜がいるからこそ、この集落の周りには魔物が寄り付かないそうだ。そして数年に一度はやる病も、竜の力によって鎮められるらしい。
「わしらは竜神様に生かされておるのじゃ。それに感謝するため。そして病を鎮めるため。病がはやったときには、選ばれた者が竜神様に捧げものを届けるのが習わしなのだ」
「それなのに、そいつは役目を放棄した! 竜神様はそれに怒ったんだ! だからいつまでたっても病が鎮まらない!」
少年は声を荒げ、ナリナに指を突き付ける。ナリナはここにきてからずっと、口を閉じてうつむいたままだ。
「そんなに病が大変なら、あなたが行けばいいんじゃないかな? どうしてナリナにその役目を押しつけようとするの?」
ネルルは少年と真逆の様子で、冷ややかに言い放つ。
「それは……選ばれたからって言ってるだろ!」
「そうなんだ。くじ引きでもしたのかな。それともまさか、多数決で決めたんじゃないよね?」
ネルルの冷たいまなざしを受けた少年は、言葉につまってそっぽを向く。……本当に多数決で決めたのか? もしそうなら、俺はこいつらを許せそうにない。
『ネルル、前言撤回だ。こいつらを助けようなんて考え、俺はもう消え失せたぜ』
『私も同じだよ、クルル。こんな場所に来るんじゃなかった。せっかくの楽しい気分が台無しになっただけだったよ』
『そうだな。ナリナを連れてとっとと出ようぜ』
俺たちが念話でそんなことを話していると、ナリナが顔を上げて口を開く。
「ありがとね、ネルルちゃん。わたしのために怒ってくれて。でももう大丈夫。わたしも覚悟を決めたから。それにわたしが行くのは決まりだからね」
ナリナは儚げな笑顔でそう話す。俺の目には一瞬だけ、彼女が輝いて見えたような気がした。……気のせいか?
「よく言ったの、ナリナよ。その通りじゃ。白き翼を持つ者が、捧げものを届けに地下の奥深く、竜神様のおわす場所に行く。それが集落の者の総意であり、決まりごとなのじゃ」
「白い翼に意味があるの?」
「白き翼は天龍の血を色濃く受け継いだ証なのじゃ。黒の翼が滑空しかできないのとは違い、白き翼は風を自在に操り、空を自由に飛ぶことができる。行けば戻ってこられぬような大穴の底からも、その翼があれば帰ることができるであろうよ」
理由もなく危険な役目をナリナに押しつけたわけではなかったらしい。だがこの爺さんの言うことには、一つ問題がある。
「でも、ナリナは飛ぶどころか滑空も少ししかできないよね」
ネルルの言う通りだ。白い翼を持っていたとしても、それじゃあ帰ってくるどころか竜のところに辿り着けるかすら怪しい。
「それはそいつの問題だろ。俺たちの知ったことじゃねえよ」
少年が吐き捨てるように言う。こいつ、さっきから本当にイラつかせてくれるな。
『相手にするだけ無駄だよ、クルル。これと私たちじゃ思考回路の質が違いすぎるからね』
これ呼ばわりとは、ネルルはこいつを人とも思わなくなったようだ。
「グリード、余計な口を挟むでない。客人よ、それがお主たちをここに招き入れた理由じゃよ。一つ依頼を引き受けてくれぬか?」
「さあ、内容次第かな」
「依頼内容はナリナとともに竜神様のところまで行き、捧げものをすることじゃ。もちろん無事に戻ってきたときには相応の報酬を払おう」
ようするにナリナの護衛をしろってことか。どのみち竜には会いに行く予定だった俺たちには、損のない取引だ。
「ナリナ一人だとたどり着けないかもしれないけど、自分たちが行くのは嫌だ。だから死んでも構わないよそ者に任せようってことね」
「そこまでわしらは非道ではない。たった一人でこんな辺境の地にいるのだ。お主はよほど腕が立つのであろう? 報酬にはそれなりの金になる装備品をいくつか用意する」
一人ではないし、辺境の地で生まれただけでほんの数日前までは剣も振ったことのない少女だったなど、分かるはずもないか。
「いいよ、受けてあげる。出発は明日でいいかな?」
「感謝する。そこまで質の良いものではないが、寝床を貸そう」
話を終え、ネルルは貸し与えられた部屋で、ベッドの上に寝転んだ。両隣には、チュウとナリナが同じ布団を被っている。
『朝になって隣でチュウがつぶれてたらどうしよう』
『どうしようじゃありませんの! 気をつけてくださいまし!』
さっきまでネルルの肩で寝ていたからか、まだチュウは元気そうだ。
『冗談だよ。私は寝相良いからね』
ネルルはチュウの毛並みを撫でながら、優しげな声で言った。