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その羽は飾りか

 崖の淵で轟音を立てながら落ちていく水流を見ていると、ふいに俺たちの横にナリナが現れた。


「やっと追いついた。ネルルちゃん、速すぎるよ」


「意外と速かったね。ナリナ」


 ネルルはナリナのことを見もせずに、そっけなく返す。


 ナリナは疲労困憊といった様子だ。座り込んで膝を抱えている。そんなナリナに、ネルルは息をつく暇すら与えず尋ねた。


「それでナリナ。ここからどうやって降りるの?」


「道があるの。でも、ちょっと休ませて」


「うん。三分待つよ」


 短すぎだろ! ナリナは絶望の表情でネルルを見ているぞ。さすがにかわいそうだと、俺ですら思う。


『もうちょっと景色を見て行こうぜ。こんな壮大なもの、目に焼き付けねえともったいねえよ』


「そうだね。じゃあ十分」


 ナリナはもう少し休みたそうだったが、ネルルの様子を見て無理だと悟ったらしい。ネルルの視線はずっと、渓谷の底にある闇から離れていない。この好奇心が暴走した行動力の化身を止めるのは、俺でも不可能だ。


『もっと早く出発したいですの!』


 ここにも行動力の化身がいた。ネルルとチュウは似た者同士なのかもな。


『そう慌てるなよ。強大な竜が逃げると思うか? 少しはゆっくりしようぜ』


『それもそうですわね』


『だろ? それとよ、チュウに聞きたいことがあったんだ』


 チュウは首をかしげ、それを見たナリナは微笑んでいる。


『もしかしてよ、チュウも魔物なのか?』


 俺の言葉を聞いたチュウは、鳴き声を荒げる。といっても怖くもなんともなく、むしろかわいらしいのだが。


『チュウは魔物なんかじゃないですの!』


『でも魂術を使うじゃねえか』


『魔物の定義は魂術を使えるかどうかじゃありませんの。魔物は魂を喰らう生物の総称ですわ』


『魂を喰らう……あのゴブリンたちもか』


『ゴブリンのような低級の魔物は、獲物の肉体を余さずすべて喰らうことによって、魂をその体に取り込むのですわ。上級の魔物になると、頭や心臓などの肉体の一部を喰らうだけで良くなるらしいですの』


 そうだったのか。どうりであいつらには俺の存在が分かったわけだ。ネルルは魔物にとって、俺とネルルの両方の魂が食えるご馳走なのだろう。


『悪かったな、チュウ。化け物扱いして』


『分かったのならいいですの』


 チュウは満足げに鳴く。そんなことを話していたら、すぐに十分は過ぎた。


「じゃあナリナ。案内してくれる」


「うん。こっち」


 ナリナの後を追って、来た道を引き返していく。すると草葉の陰に隠れて、地下へと続いている道があった。


「暗いし急だから、気をつけて」


「ありがと、でも大丈夫だよ」


 ネルルはそう言うと、小さな火を手のひらに灯して、それを頼りに暗い道を進む。


『火の魂術、いつのまに覚えたんだ……』


『チュウのを見たからね。それに実は私、常に魂術の練習をしてるんだよ』


『どういうことだ?』


『私の体に流れる血液に、意識を向けてみて』


 そんなのどうやってだよ。そう思ったが、簡単だった。ネルルの体と俺の魂は、結びついているのだ。全身に血が巡っていく想像をすれば、ネルルの体の中で脈打つ血流が、まるで自分のもののように感じられる。そしてそれを見ることすらできた。その血流の中には、白く輝くものがある。もしかしてこれが、魂なのか?


『今は足に私の魂が集まっているでしょ。そうしているのには理由があって、力を入れるのと同じように、魂を体の一部に込めるとそこが強化できるからなんだよ』


『どうりでそんな細い腕で剣を振れるわけだ』


 いくら天才でも筋力が足りてないはずなのにどうしてとは思っていたが、そんな絡繰りがあったのか。


『お父さんから教わったんだよね。魂術はまだ早いけど、魂術の練習ならこれでできるって』


 ネルルがあっさりと魂術を習得できたのは、魂の扱いに長けていたからなんだな。それにしても早すぎだが。


『魂をもっと一点に集中すれば、限界を超えた力が発揮できたりするのか?』


『理論上はね。でもそれはあんま良くないみたい。体の部位には魂の許容量があって、それを超えると溢れた魂がどこかに行っちゃうらしいから』


 それは恐ろしいな。そんなことをしてうっかり死んだら、目も当てられない。


 鼻歌を歌いながらネルルはどんどん進んでいく。土というより岩でできたゴツゴツしている道で、歩きにくいはずだ。それなのに、まるで普通の道を行くように歩いている。


 一方ナリナはというと、壁に手をつきながら慎重に進んでいた。ネルルは度々立ち止まって、面倒くさそうにナリナを待っている。


「ナリナは飛べたりしないの?」


 ネルルは早く進むのを諦めたらしい。ナリナの歩みに合わせながら、そう問いかける。


 一見すると普通の少女に見えるナリナの、唯一目を引くところがその腕に生えた白い羽だ。羽毛と言った方が正しいかもしれないが、それが何のためについているのか俺も気になっていた。


「……木の上から滑空するくらいなら」


 自信なさげに言うナリナだったが、俺は驚愕せずにはいられなかった。うちわ二枚分ほどの面積しかないあの羽で、飛べはせずとも滑空はできるのか。羨ましい……。高所からグライダーのように飛び立ったら、とても楽しそうだ。


「滑空はできるんだ。すごいじゃん。私も飛んでみたいな」


 ネルルが素直な感想を漏らすと、ナリナは照れくさそうに笑う。


「私なんて、まだまだだよ。みんなだったらこんな暗い道使わなくても、あの滝から飛んで帰れるから」


「ナリナはできないの?」


 そうネルルが訊くと、ナリナは目を伏せながら、か細い声でつぶやく。


「もし飛べなかったら、落ちて死んじゃうんだよ。そんなの……怖すぎるよ」


「そっか。私はせっかく羽があるのにもったいないって思うけどなぁ」


 ネルルはそれを聞いて興味をなくしたのか、再びナリナの前を行く。


 暗い道で会話がないと、なんだか重苦しい空気がまとわりついてくるようで気持ちが悪い。ネルルは気にしていなさそうだが。


『何か聞かなくていいのか? たとえば渓谷ではどんな生活をしてるのとか、なんで渓谷に住んでるのとかよ』


 俺の言葉を受けて初めて、ネルルはナリナが気まずそうにしていることに気づいたらしい。


「渓谷って景色はいいけど、住むのは大変だよね。他の場所に行こうとは思ったりしないの? たとえば街とかさ」


 ネルルはそれとなく話を振ることで、変な空気を解消しようとする。しかしそれは失敗に終わった。


 ナリナは一瞬だけ硬直すると、それから少し悩む素振りを見せた後、口を開く。


「私たちが街で生活するのは……無理なんだ。この羽があるせいで……私たちはみんなから疎まれてるから」


 差別か……。悪いことを聞いたみたいだ。


「そうなんだ。でも、お母さんは街にはいろんな種族の人がいるって言ってたけど」


「この羽は天龍の眷属だった証だって言われてるの」


「天龍……。なるほどね。確かにそれじゃあ、受け入れられないのも無理ないか」


 ネルルは納得したようだが、俺にはさっぱり分からない。


『どういうことだ? 天龍ってなんだよ。悪いやつなのか?』


『昔、五翼の竜とその民が、天空を支配する巨大な龍に立ち向かった。その戦いは苛烈なもので、数えきれないほどの犠牲があったという。しかし我らのご先祖様たちは、とうとうその強大な龍を打ち倒し、五翼の竜を頂点とした新たな文明を立ち上げた。それが今の我らの礎となっている。

 これが今の通説だよ。五竜教っていって、最も信者が多い宗教なの。そいつらの信仰対象が竜で、天龍の眷属は敵としてみなされることが多いってこと』


『……分からん。もっと簡潔に頼む』


『竜は神で信仰対象、天龍とその一派は敵。これが五竜教。それが今の世の中で幅を利かせてるから、天竜の眷属であるナリナたちは生きづらいってこと』


『竜が神で信仰対象? それだと、俺たちが竜を倒したらまずいことにならねえか?』


『そうだよ。五竜教にバレたら、命を狙われるかもね』


 ネルルは実に楽しそうな声色で話す。その反面、俺は冷や汗が滲んできそうだ。そんなことありえないんだが。体ないしな。


『ネルルとメランヌたちは、五竜教を信仰していないのか』


『私はいわずもがな。お母さんは信仰を理由に寄付金やら税金やらせびってくる宗教は大嫌いだし、お父さんなんか、信じられるのは自分の能力だけ、神頼みも竜頼みもごめんだって感じだから』


 ネルルの両親って感じがするな。それに、森の中の他人の助けなどない環境で育てきたのだ。ネルルに信仰心が芽生えるわけもないか。


「渓谷の暮らしはどんな感じなの? 人里じゃない場所の中では、住みやすい場所なんだよね?」


「それは分からないけど、安全ではあるよ。竜神様が守ってくれるから」


 竜とは敵対関係にあるのだと思っていたが、そうではないのか。


「竜神様は優しいんだよ。もともとは敵だったはずの私たちを、受け入れてくれたの。竜神様の縄張りには、魔物は入ってこない。お供え物をすれば……災いからも救ってくれる」


 ナリナの声はどこか切なさを帯びていた。それがなぜなのかは分からない。けれどその竜の神を本当に尊敬しているのは伝わってきた。


『チュウ、探している竜はいいやつみたいだぞ』


『そうなんですの? それならまた別の竜を探しますわ。悪竜でないと意味がありませんもの』


『チュウが竜に会う理由はなくなったけど、もう少し私たちに付き合ってよ。私は竜そのものに興味があるんだ。倒すことはしなくても、会ってみたいの』


 チュウは一度だけ鳴いた。多分いいよってことだろう。


「ナリナは竜神様が好きなんだね。私もその竜神様に会ってみたい。どこに行ったら会えるかな?」


「……それはちょっと、難しいかもしれない」


 ナリナは困り顔でそう告げる。


「集落の者じゃないと会っちゃいけなかったりするの?」


「そうじゃないよ。ただ、竜神様に会うには地の底に行く必要があるの。道のない崖を下りてね」


「それは大変そうだね」


 ナリナのような羽があって滑空できるならまだしも、それができない俺たちには厳しい道のりってことか。


『どうするネルル。諦めるか?』


『行くに決まってるじゃん。わざわざ聞かないでよね』


『そうだよな。楽しみになってきた』


 暗く長い坂道を、ネルルの火を頼りに下っていく。随分と下りてきたはずだが、ナリナの言う集落はまだだろうか。そう考えて何度目かのとき、ようやく前方に、白い光が差した。


「あそこがわたしたちの集落の入口だよ。でも、おかしいな。いつも一人は必ず入り口に立ってるはずなのに」


 嫌な予感がして、俺たちは駆け足で集落に向かった。暗い道を抜けた先にあったのは、俺が想像していたような、広場のような形の集落ではなかった。


 これは、とても長く横幅のある道だ。崖を掘って作られた場所なのだろう。左側は断崖絶壁で、上は土の天井、右側が壁になっている。


 そしてその壁沿いには、様々なものが置かれていた。丁寧に畳まれた衣服だったり、木の実がそのまま並べられていたり。天井から伸びている木の根っこには、干し肉がぶら下がっていたりもする。しかし、何よりも目を引くものはやはり……。


『ひどいね』


『……そうだな』


 とても長い道の壁に、点々と人がもたれかかっている。生きてはいるようだが、みな一様にぐったりとしていて、生気がない。また、その人々にはナリナとは少し違う点があった。ナリナは純白の羽をもっているが、彼らの羽はみな一様に漆黒なのだ。


『何があったんですの?』


 チュウは悲しげに鳴く。そしてナリナは……。


「わたしのせいだ……」


 目を伏せながら、そう呟いた。




 








 

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