勇者と剣士、そして俺は?
静かな河原で、川の音だけが流れていた。風が通り過ぎて木々が揺れ、ざわめき、また静まる。それからようやく、俺たちは聞き返した。
「『今、なんて言った?』」
ネルルなど、チュウには分かるはずもない言葉で聞いている。それほど衝撃的だったのだろう。
『竜を倒すのですわ!』
『竜って、ドラゴンだよな?』
『そうですわ』
魂術という現実離れしたものがあるからまさかとは思っていたが、本当に竜が存在する世界だとはな。さらにそれを倒そうと意気込むリスがいるなんて、予想外もいいとこだ。
『竜を倒す、ね……ふ、ふふっ』
ネルルは小さく噴き出した。
『信じないのならいいですわ。チュウはそれでも、竜を倒しますの』
『うん、それでいいんじゃないかな。確かに私はチュウが竜を倒せるとは思ってないよ。でも、だからといってチュウの夢を笑ったわけじゃない。だって、夢は自分だけにしか信じられないほど、高くに持つべきだと思うからね』
空を見上げながら、ネルルは爽やかに笑った。
『そんなこと言われたの、初めてですわ』
チュウは少しうれしそうだ。照れ隠しなのか、頬から一粒のどんぐりを出し、そっぽを向きながらかじっている。
『先の見えない旅に出るなんてよ、途方もない夢を持っちまったからに決まってんだろうが。俺たちは似た者同士なんだよ』
当然のことだ。そしてチュウの夢を知った以上、俺たちの次にやることは決まった。
『竜がどこにいるか、当てはあるんだよね?』
ネルルも俺と同じことを考えているようだ。
『この森を抜けた先の渓谷に住んでいるらしいですわ。でもそんなことを聞いてどうするんですの?』
察しの悪いリスだ。言ってやらなきゃ分からないとはな。
『竜を倒すってのは面白そうだからね。私たちも協力するよ』
『ああ、何しろドラゴンスレイヤーの称号を独り占めなんて、ちと欲張りすぎってもんだぜ』
チュウは持っていたどんぐりをポトリと落とした。
『……本当ですの?』
『『もちろん』』
チュウの珍しく小動物らしい声に、俺たちは力強く返事をする。しかしそれに対して、俺が思っていたような芳しい反応は返ってこなかった。チュウは俯いて、小さく首を振るのみだ。
『やっぱり遠慮しておきますわ。お二人には自分の夢に向かって行って欲しいんですの。それに、チュウは勇者ですのよ? 一匹で十分ですわ』
そういえば、チュウの夢は聞いたが俺たちの夢は言っていなかったな。
『この世界でできる面白そうなことをすべてやる。この上なく曖昧だけどよ、それが俺たちの夢なんだ。だから竜とはどんな存在で、俺とネルルとチュウが集まれば倒せるものなのか。試してみてえんだよ』
『それにさ、勇者は一人で何でもできる超人のことじゃないと思うよ。助け合う仲間がいてこその勇者だよ』
ネルルは珍しく優し気な声で諭すように言うと、しゃがんでチュウに手を差し伸べた。
『……そ、そうですわね。ネルルとクルル。お二人がチュウのパーティーに入ることを、認めてあげますの』
チュウはそっぽを向きながら、ネルルの手のひらにその小さな手を乗せた。その少しの油断が、ネルル相手では命取りだ。
『隙ありー』
ネルルはすくい上げるようにチュウを持ち上げると、ふさふさの毛に頬ずりをする。
『な、何をするんですの!』
『チュウがさわり心地よさそうなのがいけないんだよ』
『横暴ですわ!』
チュウが騒ぎ立てるが、ネルルはまだ離す気はないようだ。
『それじゃあ行くか。いざ渓谷へ』
『そうだね。お魚も食べ終わったことだし』
『その前に離すですの!』
『しょうがないなぁ』
そう言うとネルルは、チュウを肩に乗せる。
『チュウはそこにいてね、間違って踏んじゃったら大変だから』
『見晴らしもいいですし、分かりましたわ』
こうしてただのリス好きの少女にしか見えない勇者パーティーが完成したのだった。これは、俺がしっかりしないとな!
ネルルいわく、渓谷には川に沿って進めば着くはずらしい。俺たちはのんびりと水音を聞きながら歩いていく。
『そういえばよ、俺たちは勇者パーティなわけだろ。仮にチュウが勇者だとして、俺とネルルの役職はなんだろうな』
『ネルルは剣士ですわね。あの巨大魚を真っ二つにしたときは驚きましたわ!』
『ああ、あれで剣を振ったのは二回目なんだぜ。信じられるか?』
『すごいですわね! さすがはチュウの仲間ですわ!』
チュウはキューキューと鳴きながら素直にネルルを称賛している。本当はすごいどころではないのだが、おそらく剣術というものがどれだけ難しいかが分かっていないのだろう。
『私なんてまだまだだよ。お父さんなら真っ二つどころか一瞬で刺身を作るくらいやりそうだし』
ダリルはそんな化け物だったのか。あのだらしない寝姿からは想像できないな。
『それじゃあ、俺は魂術士ってところか』
いわゆる魔法使いってやつだ。強大な攻撃魔法で敵を殲滅! 俺に相応しいカッコいい役職だ。
『クルル、お母さんが言ってたけど、この世界では魂術を使えるのが戦いを生業とする人の最低条件らしいよ。だから魂術士って役職はないかな』
『それならよ、戦うのに魂術しか使わないやつらはなんて呼ばれてるんだ?』
『得意な術の系統で違うよ。例えば私のお母さんだったら、雷撃術士だね』
それだと、俺はなんだ? 俺が使ったあの魂術は、どんな系統に属するものなのだろうか。
『そもそもクルルって魂術使えるの?』
『クックックッ、天才はネルルだけじゃないのだよ』
俺は意味深に笑うと、足元の雑草に魂術を放った。
『黒い霧みたいなのが、草を灰色にしてしまいましたの……』
『まるで雑草の魂が抜けたみたい。私やチュウの魂術とは違って、直接的な攻撃ではなさそうだね』
チュウは唖然として固まってしまった。一方ネルルはというと、立ち止まって興味深げに雑草の状態を確認している。静かでなんだか気まずい雰囲気だ。
俺自身もこの術をおぞましいと感じてしまっている。軽率に使うべきではなかったかもしれない。
『この術、やっぱり封印した方がいいよな。明らかに良いものではなさそうだしよ』
『私はクルルが使える術がこれで良かったって思ってるよ』
『慰めならいらねえよ。俺だって他の術を覚えられないと決まったわけじゃねえからな』
たった一回しか試していないのだから、むしろできたらおかしいよな。何百何千と試行錯誤すれば、きっと俺もネルルやチュウのような魂術が使えるはずだ。
そう俺は自らを奮い立たせるが、そんな俺の考えはネルルによってぶった切られた。
『他の術なんていらないから。クルルはこれだけを極めて』
『なんでだよ。俺だってお前らみたいな魂術を使えるようになるかもしれないじゃねえか。……いや、違うな。俺はできるようになるぞ!』
『うん。分かってる。でも、普通の魂術は私がマスターするつもりだから。クルルは私が想像もつかないような術を覚えてよ』
自信満々に笑うネルルの表情は、川に反射する日光よりも、俺の目には眩しく映った。
『そうですわね。結局のところ、焼き殺しても、痺れさせて殺しても、どんな殺し方でも結果は同じですの。大切なのは術そのものではなく、術を扱う者の方ですわ』
かわいらしい見た目とは裏腹に、チュウの言うことは物騒だ。ただ、的をついているのは確かか。
『そうだな。よく考えたらよ、闇を司るような魔法なんて俺にぴったりじゃねえか』
『その意気だよ、クルル。さっそく活躍のときがきたみたい』
どういうことだと聞き返すより早く、誰かの叫び声が俺たちに届く。
「誰か、助けて……!」
川辺の砂利を蹴飛ばして、ネルルがスタートを切る。ネルルの肩に乗っていたチュウは、飛ばされないようにネルルの首にしがみついた。
向かい風を切り裂いて進んでいくと、その声の主らしき少女が見えた。そして、その少女を囲む化け物どもの姿も……。