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勇者、魚に食われる

 わずかにまぶたが開かれて、その隙間から光が入り込んでくる。


「おはよう。……いるよね?」


『ああ、いるぞ』


「夢じゃなかったかぁ」


『夢の方が良かったか?』


「さあね。でも、一つだけ確かなことがあるよ」


『そりゃあなんだ?』


 ネルルはゆっくりと起き上がって、首を押さえながら言う。


「石の上で寝るのは良くない」


『ふっ、くはははっ! 少し考えれば分かることじゃねえか』


 ネルルにもこんなマヌケな一面があったとは、驚きだ。


「もう先のことを考えるのはやめたんだよ。今を楽しまなきゃってね。そうしたら、あの太陽光でホカホカに温められた石の上で寝たら、どれだけ気持ちいいんだろうって気になっちゃってさ」


 ネルルは首をさすりながら、楽しそうに笑う。


『くくっ、そりゃあしょうがねえか。こんなにもいい天気なのがわりぃな』


 空を見上げると、真っ青な海に白くてふわふわのボートがいくつも浮かんでいるように見えた。一体どんな巨大生物があのボートを漕いでいるのだろう。ゆっくりと、しかし確実に動いている。太陽がそれに遮られると、一気に辺りが暗くなったりして、ほんの少し時間が経つだけで景色が変わっていく。


 横を向けば、揺れる水面が反転した世界を映し出していて、これもまた面白い。その世界では、頬袋を一杯に膨らませたリスが木の上を走り回っていた。


「かわいいね。あのリス」


『ああ、けどよ、あんなに詰め込んだら……』


 バランスを崩して木から落ちそうだな。そう言おうとしたら、本当に落ちてしまって、水面に映らなくなってしまった。


「大丈夫かな」


 リスを探して、辺りを見回す。すると俺たちのすぐ足元を、さらに頬を膨らませたリスが横切っていった。


『野生なんだ。心配無用だったらしいな』


 リスは喉が渇いたようで、おいしそうに川の水を飲んでいる。そこに水中から近づく影があった。リスはのんきに毛づくろいをしていて、気づいた様子はない。


 それは一瞬の出来事だった。水しぶきが上がったかと思えば、欲張りなリスは大きな魚に丸のみにされてしまったのだ。


『弱肉強食だな』


「そうだね」


 ネルルは立ち上がりざまに剣を振りぬき、一閃。すると大魚は上下に分かたれて、切り裂かれた腹からリスが飛び出てきた。


「昼は焼き魚で決まりかな」


『おまえ、すげえな……。剣は素人じゃなかったのか?』


「おとーさんが使ってるところを見たことあるからね。それに、薪割りに少し似てるし」


 薪を割ってたら剣が使えるようになった? 意味が分からねえ。驚きを通り越して呆れるほどに、とんでもない天才だ。単純な筋力が足りていないのか、多少は剣に振り回されていたが、旅をしてれば嫌でも筋肉は身につく。そうなったらもう剣士を名乗れるんじゃないだろうか。


『何をするんですの!』


 突然、頭の中で甲高い声が響いた。


『ネルル?』


「私じゃないよ」


 嘘をついている風ではない。となると、答えは……一つだ。


『ゆ、幽霊……』


『違いますわよ! 下をみるですの! このおバカッ!』


 足元を見ると、ずぶぬれのリスがつぶらな瞳で俺たちを見ていた。


『驚いたぜ。まさかリスが喋るとはな』


『チュウも驚きましたわ。人間が魂話を使えるなんて……近づかなかったら分かりませんでしたわ』


『私もリスと話せるなんて思いもしなかったよ』


 ネルルが興味深げに会話の輪に入ってくる。


『……どういうことですの? 声が二つ。もう一人どこかに隠れていらっしゃるのかしら』


『その通りだ。俺はクルル。どこにいるか当ててみるがいいぜ』


 俺がそう言うと、リスはちょろちょろと動き回って俺を探す。石をひっくり返したりしていて、なんだかとても愉快だ。


『いないですわねぇ。もしかして、クルルは石とか、無機物だったりしますの?』


『俺は生物だ!』


 失礼なリスだ。俺にもちゃんと命がある。……たぶん。


『クルルが生物かどうかは怪しいところじゃないかな。体ないし』


『あら、植物かと思ったのですが、違いますのね』


『俺は光合成なんてしねえっての』


 まったくひどい言われようだ。このリス、発想も言葉遣いもイカれてやがるぜ。


『クルルは私の体に住み着いてるただの居候だから、幽霊が一番近いんじゃないかな』


『納得ですわ。だからチュウの声を聞いたとき、仲間が見つかったと思って嬉しそうでしたのね』


『誰が幽霊だコラ。嬉しそうにもしてねえよ』


 どうやら俺は厄介なやつに遭遇してしまったみたいだ。このリス、思い込みが激しすぎる。


『クルルの正体談義は一旦やめにして、私はネルル。旅人だよ。リスさんの名前は?』


『チュウはチュウですわ。枯れ葉の森の勇者をしておりますの』


『なんだそりゃ。自称か?』


『いずれは他称ですの!』


 やっぱり自称じゃねえか! 木から落ちたり魚ごときに食われかけたり、勇者の行動じゃねえもんな。


『クルル! あなた今、さっき食われかけてたしなとか思いましたわね?』


『思ったな』


『そこは誤魔化すところですの! ふん、あの程度の窮地、チュウ一匹で切り抜けられましたわ。それなのに危うく両断されるところでしたの。チュウは怒っているんですのよ』


『へえ~。切り抜けるって、どうやってかな?』


 ネルルはチュウに興味津々だ。初めて会話ができる動物とあって、未知を求めるその心に火がついたのかもしれない。かくいう俺もそうだ。


『ふふん。こんな言葉を知っていまして? 能ある鷹は爪を隠す。そう簡単にチュウの魂術を拝めると思わないでくださいまし』


 チュウは魂術を使えるのか。


『見てみたいな、チュウの魂術』


『イヤですわ』


『どうしてもダメ?』


『どうしてもというなら、それ相応の態度でお願いしてくれたら、チュウもその気になるかもしれませんことよ?』


『ふーん。ならいいや。それよりお腹すいたし、さっさとお昼にしよっと』


 ネルルはそっけなく、チュウから視線を外す。演技だと分かっていても、そうは見えないほどに興味なさげだ。


『見せたくないというわけではないですのに……』


 チュウはなんだか寂しげだ。本当は見せて、自慢したかったのかもな。


『俺は見たいぞ。下げる頭はねえが、お願いだ。カッコいい魂術を見せてくれよ』


『そ、そうですの。そこまで言うなら仕方ないですわね。見せてあげますわ』


 だんだんとチュウの表情が分かるようになってきた。今は心なしか目が輝いて見える。


『行きますわよ。ボワッと燃え盛るのですわ!』


 チュウが仁王立ちして両手を広げると、その手の間からちっぽけな火が噴き出た。それは石の上に落ちていた魚の切り身にゆらゆらと近づいていき、触れたと同時に燃え上がる。そしてパチパチと焚火の音を数秒鳴らして、すぐにふつっと消えてしまった。


『やるな、チュウ。これができれば火を起こすのも簡単ってことか』


『そうでしょう。ネルルはどうお思いでして?』


 得意げな声色でチュウが訊く。小さな胸を張って、勇者というより高慢なお姫様のようだ。


『うん、すっごくおいしそうだよ。ありがとね』


『魚じゃなくてチュウの魔法のことを聞いたんですのよ!』


 もともと膨らんでいたチュウのほっぺたが、さらに膨らんだ。このリス、からかい甲斐がありすぎるぜ。


『すごかったよ。勇者って感じ』


 湯気が立っている焼き魚にかぶりつきながら、ネルルはいかにも適当な返事をする。それでもチュウは嬉しそうだ。


『勇者ですから、当たり前ですの!』


 チュウは本当に一人でやっていけるのか? チョロすぎて悪いやつに騙されそうだ。人間じゃないのが救いだが、チュウとこうして会話できる悪人がいたらと思うと、やはり心配だ。


『なあ、チュウはどうして旅に出たんだ?』


『勇者だからですの!』


 チュウは自信満々にそう答える。確かにずっと故郷から出ない勇者など聞いたことはないな。ただ、俺の聞きたかったことはそういうことじゃないのだが。


『私とクルルはね、チュウみたいな面白いリスとか、見たことのない色々を見つけるために旅してるんだ。チュウは何をしたくて旅に出たのかな?』


 さすがはネルルだ。まさしく俺の聞きたいことを聞いてくれる。そしてそんな問いに対するチュウの答えは、俺の想像を遥かに超える大きなものだった。


『もちろん、竜を倒して伝説になるためですわ!』


 



 


 

 


 



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