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「ちょっとブスーー!!どこにいんの?!」


 いつもの金切り声に頭が痛い。

 今日は夜勤明けなのに本当に勘弁してほしい。


 ドスドスドス!!

 ガラッ!!


 彼女はノックも何もなしに部屋に入ると、布団で眠っている目当ての人を見つけ『チッ』と大きな舌打ちをした。


「何昼間から寝てんのよ!!良いご身分じゃない!!」

「……夜勤明けなの……勘弁して……」

「はぁ?!そんなの私には関係ないじゃない!!早く車だしてよ!!待ち合わせに遅れちゃう!!」


 それこそ私には関係ない話だと布団の中の女性は思った。


「夜勤明けで今布団に入ったばかりなのよ。運転したら危険すぎるよ」

「行きだけ注意すればいいわ。帰りにあんたが事故しよーが死のうが関係ないし」

「…………最低……」

「あ?なんか言った?!てか早くしてよ!!」


 金切り声の主は無理やり布団から彼女を乱暴に引き起こした。


「痛っ」

「看護師なんだから痛みくらい我慢しなよブス」


 意味がわからない理論は何時ものことだ。


「早くして!!」


 夜勤明けにその超音波のような声はキツいなと思いながら、渋々と寝間着にしている高校時代のジャージの上に上着を羽織る。


 行く行かないの問答で睡眠時間と精神を削られるのは得策ではない。


 外に出ると、空は青くて綺麗だった。

 確かにお出かけ日和ではある。


「……あれ?」


 しかし、車の近くに先程の迷惑女の姿はない。


「……またか……」


 仕方無しにとりあえず運転席に乗り込んで少しでも仮眠しようと目を閉じる。

 あの女はいつもそうだ。

 相手を急がす割に何故か自分は悠々と人を待たせる。


 ︙

 ︙


 バンッ!!


「何寝てんの!!早く出して!」

「?!」


 いつの間にか寝ていたらしい。時計を見ると30分経っている。

 

(あんたが待たせるから寝てたんですけどね……)


「てかさ。あんたのボロ車恥ずかしいから、ちょっと手前で下ろしてよね。全く買い替えてよこんな車恥ずかしい」

「……そんなお金ないし」

「看護師なのに?何に無駄遣いしてんのよ」

「家にお金入れて……保険とか色々払ったら残らないよ」

「ふーん。仕事もできなさそーだしね。薄給なんだー。あはは」


 給料の3分の2は叔母に強奪されている。

 高校も何故か教育ローンか何かを組んで行かせたらしく、その支払いもさせられ、車のローンに自動車保険、スマホ代と『生命保険』も自分で支払いをさせられており満足に服や靴も買えない。

 

 生命保険の受取人はもちろん叔母で、ちょくちょく長生きする必要はないというような言動を見受ける。


 恐ろしい。


 ちなみにこの車も叔母が知り合いの中古自動車販売店から割高で買わされたものだ。

 当時は車に関する知識はなくて10年落ち12万キロ走行の量産型軽自動車に『100万円』。5年ローンで払わされている。


 あぁ私の人生は、何処でこんなことになってしまったのだろうか。

 

志貴島(しきじま)芽依花(めいか)』19歳。


 11歳のときに事故で両親を亡くした彼女は『母』の遺産を目当てにした親戚の元に身を寄せている。


 ちなみに名字は父方の姓のままだ。


 両親は再婚同士のようなもので、互いに連れ子がいたが特別養子縁組はしておらず『母』の財産は芽依花が一人で受け取ることになった。


 母は医者。結婚相手の父は放射線技師。

 血の繋がった父親は知らない。

 海外の精子バンクとやらで未婚のまま妊娠出産したとだけ聞いた。


 母は本来結婚する気はなかったらしい。


『再婚のようなもの』といったのはこのためだ。

 未婚で芽依花を産んだ母は初婚で父は再婚。


 母の両親は母が結婚してから亡くなった。芽依花にも少しだけ優しかった祖父母の記憶が残っている。


 ただ、母の妹である叔母はとんでもない人物で母は絶縁していたのだが、両親の死を切欠に公的機関が連絡を取り芽依花を引き取った。

 ただの金蔓として。


「ここで下ろして」


 昔を回想しながら運転していると、後部座席でふんぞり返る『従姉妹』がそういった。


「っ?!いやここ片側3車線の真ん中!!急には無理だって!!」

「はぁ?!困るんだけど!!」


 困るのはこっちである。

 行き先は知らず、そこを曲がれやら急げやら言われながらに来たのだ。急に曲がれとかのたまうので、右左折しやすいように真ん中を走っていたのだか、ここにきてまさかの止まれ。


「とりあえず行き先だけは教えてよ。迂回するかどうにかするから」

「嫌。ついてこられたら困るし」

「行かんわ!!」

「あんたみたいな辛気臭いの彼に会わせたくなんてないし。色目でも使われたら彼も私もメーワクだもん」


 何となくわかってはいたがやはりデートらしい。

 彼氏は迎えに来てくれないのだろうか。


「興味ないから……私、帰って寝たいだけだから。てか、彼氏は車ないの?」

「無いよー。キョークンは夢のために頑張ってる人だからぁ。今は車にかけるお金ないの」

「今は、ね……」


 これ以上は聞かないほうが良いと芽依花は判断した。


「彼さー。今歌い手で頑張っててぇ」

「聞いてないし言わなくていいから。あ、そこ左折してUターンしてさっきんとこ戻るからね」

「???あー任せる」


 従姉妹の『夢綿果子(ぷわりん)』は、超のつくアホだ。右左折の意味も理解しているか不明。


 名前からしてもヤバさが滲み出ている。


 自動車免許は5回落ちてもう取るのをやめたと聞いた。

 曰く筆記の授業中はずっとスマホ触っていた上に問題集は真っ白。テストは問題文を読むのがダルかったとかで運まかせだったとのこと。


 それなのに、落ちたときは泣いて悔しがっていた。いや、駄々をこねていた。受かるわけなかろうに。


 本当にこんなヤツが免許を手にしなくてよかった。


 まぁそのせいで芽依花が運転手扱いされているのだが。


 というか娘に『夢綿果子(ぷわりん)』と名付ける叔母。

 お気づきだろうか。叔母は『綿菓子』の『菓』の字を『果』と間違えている。この人は本当に従姉妹以上にヤバいという事実。


「……えーと……余計なお世話だけど……看護師の従姉妹として……避妊だけはちゃんとしなよ」

「プーッ!処女の癖に何いってんの!!余計なお世話」


 処女は全く関係ない。望まない妊娠はするなと言っているだけなのだが、通じなくてしんどい。


「てかさ、赤ちゃん授かったら結婚するし!」


 その彼氏、絶対責任取らないと思うの。と芽依花は思ったが余計なお世話なので口には出さなかった。

 

 夢綿果子(ぷわりん)は28歳。叔母が16歳のときの子供だ。

 母と叔母は10歳差。

 芽依花を産んだ時の母の年齢は35歳、生きていれば54歳なので叔母は現在元気ハツラツ44歳である。


「ところで彼氏さんは何歳?」

「39」


 母親の年齢に近い彼氏?!


「……あ、そうですか。はい。到着です」

「んー」


 バタン。


 お礼もなにもないのもいつも通りである。


「39歳で歌い手……」


 一昔前でいえば売れないミュージシャンといったところだろうか。男の夢も時代とともにアップデートされているのだろう。

 9歳上の従姉妹には何の情もないが、本当に迷惑だけはかけないでほしいと切に願わずにはいられない芽依花であった。


 さて、帰宅後。

 嵐も去り、ようやく寝付けると布団に潜り込んで1時間後の事だった。


 ドスドスドス!!

 ガラッ!!


 本日二度目の睡眠妨害である。


「芽依花!!何寝てんのよ!!」


 うるさい。本当にうるさい。こっちは夜勤明けだ。そして明日は早番なんだいい加減にしてほしい。


「……マリンさん……今日は夜勤明け」

「そんなんカンケーないわよ!!」


 無山(なしやま)夕海(ゆうみ)。そう、叔母である。自身のことを『マリン』(名前に海が入っているかららしい)と呼ぶ若作りおばさんである。


 初対面のとき、叔母さんと呼んでぶん殴られた事は一生忘れない。


「早く起きな!」

「いや……本当に夜勤明けでキツくて」

「オールの1つ2つでガタガタ言うな!!」


 遊びのオールと一緒くたにするな。


「……ご飯は作ってますんで、冷蔵庫から……」

「酢豚なら食ったわ」

「えぇ……なら一体……」

「アンタに男を紹介すんのよ!てか、これ結婚だから」

「は?」


 何を言い出すんだこの女は。

 

「ヒデのさ知り合いがさ結婚テキレーキ?ってやつで若い女がいいんだって、結婚したらゆいのー金もくれるんだって」

「は?」


 結婚適齢期の男で若い女を求めてるとか事故案件でしかない。

 ちなみに『ヒデ』とは今の彼氏と思われる。


「いや、それはちょっと……」

「今からうちに来るから!すぐ準備しな!」

「今から?!見合いしろってことですか?!」

「見合い?もう結婚するって決めたけど、見合いになんの?」


 そんなことは知らないが、親族が決めた見たこともない相手と結婚などいつの時代の話だ。


「や、無理です。流石に無理無理」

「はぁ?!もう決めたことだし我儘言ってんじゃねーよ居候が!それともひん剥いて全裸で連れてこーか?そのほーが結婚すんだし相手も喜ぶかもね」

「ひっ……」


 ヤバい。この叔母は本当にやる。


 小学生の頃にはもうタバコを吸っていたと本人が自慢げに話すような人だ。

 この人が武勇伝の様に話す過去話はシャレにならないものが多い。


 中学の頃ムカついた同級生女子のスカートをカッターでズタズタにした話も聞いた。

 芽依花を全裸で客人の前に連れ出すことなど、笑いながらするだろう。


 更にキレやすい彼女から芽依花は何度も殴られている為、植え付けられた恐怖心もある。


(助けて……お兄ちゃん……)


 こんな場面で思い出すのは、両親の死を切欠に生き別れになってしまった義理の兄。

 6歳上の義理の兄の事が芽依花は大好きだった。

 

 両親が亡くなったとき、17歳だった彼は最後まで芽依花と別れたくないと戦ってくれた。

 だが、未成年の二人にはどうしようもなく泣く泣く離れ離れになってしまった。

 彼は『必ず迎えに行く』と芽依花に言い残し、それを支えに芽依花は辛い日々を耐えてきた。


「……あっ!そしたらさー。会ったらすぐにこの部屋に連れ込んで子作りすれば?一石二鳥じゃない?ケタケタケタ」

「きっ着替えます。ちゃんとして行きますから……」

「…………あっそ、なら早くしてよ」


 バタン。


 それだけ言って叔母は部屋を出ていった。


 このままではマズい。

 

「うぅ……お母さん、お父さん、お兄ちゃん……」


 最近はすっかり枯れていた涙が、久しぶりに頬を伝う。

 いっその事この家を飛び出してしまうのも手かもしれない。 

 貯金はないが准看護師の資格はある、兄が迎えに来てくれることを信じ続けてこの家にしがみついていたら人生が滅茶苦茶にされてしまう。


(お母さん達が亡くなって8年……諦める頃合いかも)


 兄は芽依花の事など『過去』にしてしまったのだろう。


 芽依花は、貴重品だけを身に着けて叔母の元へと向かった。


「芽依花ちゃん。待ってたよ〜」

 

 もうすでに客人は来ているらしく、叔母が気持ち悪い猫なで声で芽依花を呼んだ。


 人前では叔母は芽依花を『ちゃん』付けで呼ぶ。

 服装も気をつけているのか、地味目で良叔母を演じている。

 

 滅茶苦茶な女なのに、こういうことには頭が回るので本当に厄介なのだ。

 昔から虐待をしていても虐待をしている雰囲気は一切出さない。そんな女。


「お待たせしてすみません……」

「あぁあなたが紹介させて頂ける『芽依花』さんですか」

「えっ?」


 見れば、初老と呼べる年齢の男性がそこに座っていた。

 この人が結婚相手なのだろうか。どう考えても適齢期とは言い難いように見える。


 介護要因としての結婚相手を探しているのだろうか。


「ほらぁ、早く座って芽依花ちゃん」

「あっ……はい……」


 理解が追いつかず呆けてしまっていた。

 いけないいけない。

 しっかりとこの場は対応して、その後ダッシュでこの家から脱出すると決めているのだ。


(しっかりしろ自分!)


 芽依花は自身を鼓舞してその場に座った。


「初めまして私は加藤と申します。今回、私の子供に縁談を頂けると伺いまして、こちらへ参らせていただきました」


(思ってたんと違う感じのまともな人来た……)


 もっと叔母系統のヤバめの人物を想像していたのだが、全く違う普通のジェントルマンである。


「初めまして……志貴島芽依花です」

「ほっほっほっ。こんな可愛らしいお嬢さんが家に嫁入りしてくれるとは息子も喜びます」

「はぁ……ところでその息子さんは……」

「あぁ…………今日は留守番しております」

「留守番?」


 留守番ならばここに連れてきたほうが良かったのではないだろうか。自分の結婚話ではないか。


「あっ、家には家内がおりますので息子の世話は心配ありませんよ」


(ん?息子の……成人した結婚適齢期の息子の世話?)


「えーと……つかぬことを伺いますが……お、し、ごとは……?」

「私はもう定年退職をして、今は細々とスーパーマーケットの早朝品出しと、土日のみショッピングモールのカート集めのアルバイトを」


 お前の話ではない。


「あー……いや……息子さんは……」

「息子は…………まぁそんなことは良いではないですか」

「……」

「……」


 良くない。全くもって良くない。重要な項目だろうそこは。

 これあれだね。働いたら負け系のあれじゃないかな?


「ちなみに……息子さんはお幾つでして?」

「今年で40……5…6…7……位ですかね」


 つまり50歳くらいだと。


「あら、私よりもちょっとだけ歳上なのね。いいじゃないの落ち着いた男性で」


 全然落ち着かない44歳が何を言っているんだ。

 というか叔母はそこまでのアホではないので、相手のことを知っていての紹介に違いない。

 知っていて芽依花が一番苦しむような相手と結婚させようとしているのだろう。


(マリンさんは母のことを目の敵にしているからな……)


 叔母はしょっちゅう母のことを『ズルい』やら『陰険』やらと芽依花に言っている。

 そんな母の娘だからだろう。芽依花が幸せになることなんて許さないと言うばかりの態度を毎日取られているのだ。


 この結婚も苦しませるために嫁がせる気だ。


「だったらマリンさんが結婚すれば良いんじゃないですか?年齢も近いですし」

「あぁ?何で私がヒキニー……っと失礼。私には大切な人がいるから残念だけど無理ね」


 完全にヒキニートと言おうとしましたね。はい。

 客人の前なのでどうにか怒鳴り散らすのを抑え込んだようだが、叔母の米噛みには血管が浮き出ている。

 

「ほっほっほっ。すみませんが、芽依花さんでないと、息子が嫌がりますのでね。年増は嫌いなんですよあの子」

「はぁっ?!としっ……いえ……ほほほ……ほほほ……」


 50歳位の息子が44歳を年増と言い、嫌だとは何のジョークですか。


「とりあえず……今日から芽依花さんはうちに来ていただくでよろしいですかね?」

「はっ?」

「もちろんです。……で、そのお約束の……」

「えぇえぇ勿論結納金もご用意しております」


 ドンッ。


「?!」


 加藤はそう言って分厚い茶封筒をテーブルの上に置いた。


「20万入っております」

「まぁぁぁ!!」


 叔母の目はキラキラと輝いている。そしてサッと茶封筒に手を伸ばすが、それは加藤に阻まれてしまった。


「お受け取りになる前に……こちらの書類にサインをお願いします」

「えっ?……なんですかこれ?」

「このお金を受け取るかわりに、今後一切芽依花さんに関わりを持たないようにしていただきたいのですよ」


 加藤が出したA4の紙には『念書』と書かれている。


「連絡を取るなってことですか?」

「えぇ芽依花さんは家の嫁になるのですから、そちらと連絡を取られるのは当家としては不本意なので」

「へー……まぁ良いですよ」


 そう答えた叔母の口元は醜く歪み、チラッと芽依花をみると蔑んだ目線を送った。


『あんたはもう一生逃げられないんだよ』


 とでも言われているようだ。


 その表情にゾワッと悪寒が走る。


 念書にサインをした叔母は、茶封筒を受け取るとニマニマと卑しい笑い方をしていた。


(奴隷として売られていくようだわ……)


「では、芽依花さん。今後ともよろしくお願いいたしますね」

「……は、はは」


 絶対にどこかで振り切って逃げようと芽依花は固く心に誓った。


「じゃね芽依花ちゃん!(不)幸せにね〜」


 声には聞こえなかったが送り出す叔母の表情は芽依花の不幸を願ってやまない顔であった。


 そうしてわけもわからぬまま芽依花は、叔母の家から出ていくことになった。


 叔母に見送られながら家の前に停められていたタクシーに乗り込み、どこに行くのか分からないまま出発する。

 少し走るとあっという間に家も叔母も見えなくなった。


 すると。


「電話してもいいですか?」

「え?あぁどうぞ」


 隣に座っていた加藤がそう言った。何故だろうか、先程の好々爺な雰囲気とは違う気がする。


 Rururu……。


「あっ、山井です。任務完了しました」

「?!」


(あれ?この人……今、名前……)


「はい……はい。問題ありません。それではこのまま芽依花さんをお連れします」


 ブッ。


「「…………」」


 一瞬、謎の沈黙がその場に満ちた。


「いやいや、加藤……さん?今の……何ですか?!」

「すみません。私は加藤ではなく本当は山井と言いまして、普段は舞台俳優をしております」

「えっ?」

「見た目もメイクで80前後にしてますが、本当は50歳くらいでして」

「はい?」

「今回は『理都(りつ)』さんの依頼で芽依花さんをあの家から連れ出させていただきました」


 出てきた名前に芽依花は『ヒュッ』と息を飲んだ。


「り……つ……?」

「はい。『志貴島 理都』さんです」


 それは義理の兄の名前であった。

 

「………お兄ちゃん……あの、じゃあ今から行くところって……」

「はい。志貴島理都さんのところですよ」

「………っ」


 ほろりほろりと自然と涙がこぼれる。他の人からその名前を聞くのも随分と久しぶりで、二度と会えないかもしれないかとも思っていたのだ。

 聞きたいことは山ほどあったが、とめどなく流れる涙に話すことは不可能だった。


 しばらく走ると、有名な高級ホテルに到着。


 案内されるがままついていくと、最上階のスイートルームという異界の様な部屋の前に来た。

 まさかと思いつつも、加藤改め山井がノックをすると『ハイ』という随分と懐かしい声が中から聞こえた。


 その声に胸がキュッとなる。


 そして、カチャっとドアが開かれて……。


「芽依花?」

「!!」


 懐かしい姿に声など出なかった。

 ただ自然と体が動き兄に抱きついた。


 それに答えるように理都もギュッと芽依花を抱きしめる。


「うっ……あぁぁ……うぁぁぁぁん。お兄ちゃん!お兄ちゃぁぁぁん……」


 幼子のように咽び泣きながら夢にまで見た兄にしがみつく。

 理都はそんな芽依花が落ち着くまで、優しく抱きしめ続けた。


   ︙

   ︙

   ︙


「はい。それではこれで依頼は終了ということで」

「はい。お世話になりました」


 山井と理都が握手を交わしているそのそばで、ボーッとその光景を芽依花は眺めていた。


(私、夢を見ているのかな……)


 ふと、これは夜勤明けの布団の中で見ている都合の良い夢のような気がして現実感がないなと芽依花は思った。


「……花……芽依花?」

「えっ?」

「山井さん帰ったよ」

「あっ、うん」

「大丈夫?」

「えっ……うん」


 夢にまで見た兄ではあるが、感動の再開を経てから、少し間をおいて実際に目の前にするとよくわからない緊張があった。


 だって、記憶以上に格好いい。


 記憶の中の高校生の兄とは違い、25歳になった大人の兄は何というか……大人なのだ。


 ピシッとしたスーツにセットされた髪型、身長は当時よりも近づいたはずなのに、それでもまだ少し見上げなければいけなくて、スラッとしていて何か動きもスマートで……つまり……ときめきが止まらない。


「はい。お茶で良かったかな?」

「あっ……ありがとう」

「じゃあ、今回の経緯について少し話そうか?」


 そう言って、理都は芽依花の横に座った。


(ソ、ソファでこの距離……近いよ。あれ?でも一緒に暮らしていたときってこんなだったような……あれ?)


 辛かった伯母の家での生活の中で培った兄への想いは、しっかりと熟成されて若干こじらせている状態の芽依花の内心は穏やかではいられない。


「はぁ……ようやく見つかった」


 ギュッ。


「!!!!!」


 理都はそう言うと、優しく芽依花を抱きしめた。


(ふぁぁぁぁぁ?!夢?!これ、やっぱ夢?!……あ、お兄ちゃん滅茶苦茶良い匂いする)


 心臓が人生で一番バクバクと脈打っている。鼓動が理都に聞こえてしまいそうで恥ずかしい。


「聞いてほしいんだ。母さんの……あっ、芽依花の母親の実家なんだけど……芽依花が今さっきまで住んでた家じゃなかったんだよ」

「え?叔母さんの家ってお母さんの実家なんじゃないの?あれ?」


 叔母は16歳で夢綿里子(ぷわりん)を出産後、一応彼氏と入籍はしたものの、一度も夫婦で一緒に住むことなく離婚したらしい。

 その間もずっと叔母は実家に住んでおり、娘の世話は殆ど両親に任せて遊びほろけていたと聞いた(叔母がベラベラと話す話す)。


「今の家は借家。元の実家は割と良い立地に建っていたから、両親が亡くなったあとで即換金したみたいなんだ」

「えぇぇ……あっ、だから仏壇なかったんだ!」


 叔母の家には色々と疑問はあった。そこそこ裕福だと聞いていた祖父母なのに、家は割とボロッとしていたり、母や祖父母の物が何一つなかったり、それこそ仏壇も遺影もない。だがそんな事をなぜかと聞ける状態ではなかった。


 ちなみに母の遺影(小さな写真立て)と位牌に関しては芽依花が管理しており、今もちゃんと持ってきている。


「あぁ、しかも微妙に遠くに引っ越していて……探すのに手間取ったんだ」

「そうだったんだ……私も、お兄ちゃんに会いに行きたかったんだけど……場所も連絡先もわからないし、お金も時間もなくて……」

「そうか。ありがとう。だけど、俺が来るの待ってくれてたんだよね?」


 芽依花は、理都の腕の中でコクリと頷いた。


 芽依花は祖父母宅に行ったことは一度も無く、祖父母に会うときはいつもこちらに来てもらっていた。

 あの叔母がそこに住んでいたので、母は行きたくなかったのだろう。

 だから実際の祖父母宅を2人は知らない。

  

 しかし、叔母宅の事情など知らなかった芽依花は、そこを実家と信じて理都の迎えをひたすらに待っていた。


「遅くなってごめん。これからはずっと一緒に暮らそうな」

「うん」


 ………………うん?


『ずっと一緒に暮らそうな』

『暮らそうな』

『そうな』

  ︙

  ︙

  ︙   ※脳内エコー


 ………………。


「ふぁーーー?!」

「芽依花?!」


(いやまぁそうだよね!そうなるよね!!……え?マジで?)


 パッと顔を上げれば、軽く抱きしめられた状態だったため、至近距離に整った顔。

 瞬間に顔が爆発でもしたかのように一気に血液が沸騰し、茹でダコになってしまった。


 そして、夜勤明けから色んなことが起こりすぎて疲れがピークに達していた体は、キャパオーバーになり……そのまま芽依花はキュウっと意識を失った。


 意識が遠のく瞬間、焦ったような理都の声が聞こえたが、それもまた安心感を与えれくれたので芽依花は睡眠欲の中へと逆らうことなくダイブした。


(お兄ちゃん……イケ……メン……♡)

拙い文章を読んでいただきまして、ありがとうございました。

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