廃墟探索
「来ちゃったな。」森家光は右隣に立つ男に言った。
「来ちゃったよ。」森阪英大は左隣に返答した。
二人は暗闇の中にそびえ立つ薄汚れた建物を見上げている。
「まさかこんなところに受かっちゃうなんてな。」森家が建物を見上げたまま言う。
「運が良いんだか悪いんだか」森阪が真顔で言った。
ことの始まりは一ヶ月前、とあるオーディションに参加するところから始まった。
お笑いコンビ「ハイエース」として活動する森家と森阪は、芸人としてなかなか芽が出ない日々を送っていた。
そんなある日、事務所の一室で女性マネージャーの本崎からとあるテレビ番組のオーディションを受けることを提案された。
「こういうの受けてみる?」本崎が革のカバンの中から二冊の資料を取り出し、二人に一冊ずつ差し出した。
「心霊番組?」資料の表紙に書かれたタイトルを見てそう察した森阪。
「廃墟探索?」森家は資料の一ページ目を見て呟く。
「簡単に言うとそんな感じ。心霊番組の一環として廃墟探索の企画をやるらしくて、探索する人を若手芸人の中からオーディションで決めるらしいの。」
「僕らみたいな無名でも良いんですか?」森家が本崎に目を向ける。
「若手にチャンスを、という感じみたい。」
二人は資料を見ながら考えを巡らせた。
「芸人にチャンスを与えるのに普通、心霊番組出すか?」
森阪が遠くで撮影の準備のために慌ただしく動くスタッフたちを見つめながら言う。
「まあまあ、テレビに出れるだけ良いじゃん。」
森家もスタッフたちの様子を眺めながら撮影の開始を待っている。
「テレビに出れるのは嬉しいけど、まさか初出演が心霊番組になるとは思ってもみなかったぞ?」
「俺もだよ。まずは深夜のネタ番組かと思ってたけど、予想を大きく外れたよ。」
オーディション当日、会場に来たハイエースの二人は廊下の端に横一列に並べられたパイプ椅子に座りながら刻々と迫る自分たちの番を待った。
オーディションが行われている部屋のドアが徐々に迫って来る。正確には自分たちから迫ってきているのだが、そう感じたのだ。何せ受けるのは心霊番組のオーディション。無名のお笑い芸人であるハイエースの二人にとっては未知なる領域なのだ。
「失礼しました。」
そう言いながら先にオーディションを終えた芸人が部屋から出て来た。
いよいよ次はハイエースの番だ。「いくぞ。」森阪がそう言うと森家は「おう。」と応え、二人は席から立ち上がった。
「「失礼します。」」ドアを開ける二人。
長机には心霊番組の関係者と思われるスーツを着た人物やパーカーを着た人物など複数人が並んで座っている。ハイエースはいつもの立ち位置でその目の前に立つ。観客から見て森家が右、森阪が左だ。
コンビ名と芸歴を聞かれ答えた後、簡単なコントを披露する。「心霊番組なのにコント?」と思っていたが、今は気にしない。
「コント『風呂上がり』」森家の合図でコントを始める。
「風呂上がり」のコントは森家が男女五人でルームシェアをしながら暮らしている自宅の風呂場での出来事を基にしたコントだ。もしこのコントでオーディションに受かればあの出来事はブレイクした時にトーク番組での語り草にできるかもしれない。そんな期待も膨らませながら作ったコントだ。
「あっ、ごめん!」風呂場から出て来た体の森家。
「いいよ、お前、女じゃないから。」
「変態かっ!」
コントを見ている審査員は無表情だ。焦りを隠しながら二人はコントを続けた。
「それではオーディションは以上となります。」
オーディションはコントを披露し終えるとあっさり終わった。
「失礼しました。」礼をして出ていく二人。
オーディションを終えた二人は荷物を持って会場の建物の階段を下りていく。
「あんま受けてなかったな~」森阪が足元を見ながら呟く。
「道のりは長いな。」ため息をつく森家。
入口のある一階に到着する。
ガッシャーン!
二人が一階に辿り着いたその瞬間、廊下の奥から何かが倒れたような大きな音が響き渡った。
「えっ! 何!」
森阪は飛び跳ねて持っていたカバンを音の聞こえた方に向けて盾のように持った。
「何か倒れた?」森家は一瞬ビクッとしながら音の聞こえた方を向く。
パーン! パーン! パーン! パーン!
今度は破裂音が絶え間なく響き渡る。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ!」森阪はカバンを盾にしながら廊下の隅に縮こまる。
「おーえっ、なになになに⁉」森家は飛び跳ねて、さっき下ってきた階段を駆け上がる。
距離の離れてしまった二人がしばらく戦慄していると、廊下の奥から番組スタッフらしき人物がやってきた。
「すいません! 番組で使う火薬が破裂しちゃって…」
「えっ、大丈夫なんですかそれ?」階段の上の踊り場にいた森家が心配そうに言う。
「ええ。そこまで威力は無いので。」
「すげぇ音だった…」森阪は安心して盾にしていたカバンを下げた。
その様子を別室で、ある男が観察していた。
「ハイエースさん、そろそろ始まりますので準備お願いします。」女性スタッフが声を掛けてきた。
「よし、始まるぞ~。」森家が肩を回す。
スタッフに誘導され、森家と森阪は廃墟の入口まで移動する。二段ある段差の奥にガラス張りの入口があり、奥は真っ暗闇で何も見えない。入口付近に椅子が乱雑に積まれているのがわずかに確認できるくらいだ。見上げると、所々黒ずんだコンクリートの壁がそびえ立つ。壁にはいくつか窓があるが、どれも黒い紙を貼っただけのようにしか見えない。
「うわー、マジか。」森阪が肩を縮める。「本当に入るのかよ…」
「もう戻れないよ。」森家は苦笑した。
「というかさ、心霊番組のオーディションが何でコント披露なんだ?」森阪が長らく抱いていた疑問を呟く。
「せっかくだから面白い人を出そうと思ったんじゃないの?」
「審査員見る限りはウケてなかった気がするけどな~」
「真剣に見ててくれたんだよ。」
「そうかもしれないけど、俺はあの人が何かたくらんでるんじゃないかと思うんだよね。」
「あーそれはあるかも…」
ハイエースの二人が会話しているとミディアムヘアの女性が歩み寄ってきた。
「ディレクターさんが来るよ。」マネージャーの本崎だった。
二人は姿勢を正す。
(さあ、来るぞ。)
(あの男の降臨だ。)
二人は心の中で呟く。
「やぁ、ハイエースだったね。今回はよろしくね~」
「「よろしくお願いします! (熱尾だぁ~)」」
この心霊番組のディレクターは熱尾トクタカ。この男はテレビディレクターという本来、裏方の存在であるが、度々メディアにも出演し、世間からの知名度も高い。
「じゃ~今回はこの廃墟を回ってもらうから。」
「はい、よろしくお願いします。」
「どう? この廃墟は?」
「絶対、何か漂ってますね。」
「ヒヒヒ、別に事故物件とかではないから安心して。」
熱尾はそう言うと二人の前から去って行った。
「どうだった? 熱尾さんは。」本崎がハイエースの二人に聞く。
「なんか、心霊番組のテンションではないですよね~」
「場違いだなぁ、って感じです。」
これから心霊番組をやるというのにあの明るさとは…ハイエースは早くも違和感を感じてしまう。
「何かありそうだな~」森阪が廃墟の入口を見つめる。「何か仕掛けられてたりとかして。」
「仕掛けられてる?」本崎が真顔で森阪を見る。
「だって熱尾さん、この前ドッキリ番組やってたじゃないすか。」
熱尾トクタカは数ヶ月前、とあるドッキリ番組で人気MC芸人にテレビ局や街中で様々なトラップを仕掛けるという企画を行った。この大きな廃墟であれば似たようなことが出来るのではないかと森阪は睨んだ。
「熱尾さんならあり得そうだね。」森家も同意する。
「ハイエースさん、今回使うカメラと懐中電灯です。」
番組スタッフが小道具を持ってハイエースのもとへ駆け寄ってきた。
「じゃ、それじゃ、頑張ってね。」本崎は二人のもとから去って行った。
ハイエースのもとから去ってきた本崎は廃墟の敷地の中に張られたテントの中にいた。
「熱尾さん、二人、何か勘づいているみたいですよ。」
テントの中には長机が置かれ、机上にはモニターが数台、設置されている。それらに向かって熱尾がパイプ椅子に座っていた。
「え? もう気付かれた?」
「んー、ディレクターが熱尾さんだったり、最近やったドッキリ番組のことを鑑みて、かなり怪しんでるみたいです。」
それを聞いた熱尾は頭を抱えて苦笑した。考えてみれば普段、お笑いのバラエティを作っている自分がいきなり心霊番組を作るというのは、確かに不自然にも思える。
今回企画したバラエティ番組「最恐廃墟」は心霊番組に見せかけたドッキリ番組だ。若手芸人を心霊番組と称して呼び出し、廃墟を探索させる。実は廃墟の中には昼間に事前に準備しておいた仕掛けが複数あり、ターゲットの芸人が仕掛けに近づく度に発動する。
前回制作したドッキリ番組「ノゾキ見!」の好評を受けて、ドッキリの形式はそのままに、趣向を変えて新たに制作に挑戦したドッキリ番組だ。
「ノゾキ見!」では、知り合いの芸人でMCとしても売れっ子である広安祐吉をターゲットにしたドッキリが、なんやかんやあったが良い結果を残せたので、浮足立って少し調子に乗ってしまったのかもしれない。若手芸人にドッキリを勘づかれるという凡ミスを犯してしまった。
「まあでも…やるっきゃない。」
熱尾は気持ちを切り替え、ドッキリを遂行する決意をした。オーディションではネタ見せを終えて帰ろうとする芸人たちに掃除用具を倒した音と火薬を破裂させた音を聞かせるという、驚いたリアクションを取らせて合格者を見極めるという手のかかることまでしたのだ。この努力を無駄にするわけにはいかない。
鋭い目でモニターを見つめる熱尾の横で、本崎も自分が近くで見守る二人の活躍を目に焼き付けようとしていた。
廃墟の入口を背景に並び立つハイエースにテレビカメラが向けられ、照明の明かりが照らされた。
「それでは本番五秒前、四、三、二…」
「どうも、森家光です。」
「森阪英大です。」
「「二人合わせて『ハイエース』です、よろしくお願いします。」」
次に森家がセリフを言う。
「今回は、『最恐廃墟』ということで我々はこちらの廃墟を探索しようと思います。」
まだまだテレビ出演に慣れていないせいか、カンペの文字を目で追うために、カメラに目を向けることを忘れてしまっている。
「どう? この廃墟?」森阪に振る森家。
「最悪だよ。見てよあれ、入口。なんにも見えないじゃん。」ガラス張りの扉を指差す森阪。
「まあまあ、でも、行かないと帰れないから。」
「素直か、お前。」
「マネージャーとしてどうですか二人のトーク。」
テント内でモニタリングをしていた熱尾が隣に座る本崎に聞いた。
「森阪くんが一歩リードしている感じですかね。森家くんはセリフの先手を取ったせいもあるかもしれないですが、不慣れさがにじみ出ているように見えます。」
本崎は二人の実力を冷静に分析していた。熱尾はなんとなく聞いてみただけだったが、本崎の熱心な目つきに思わず感服することになった。
「おっ、入ってくぞ~。」
モニターに映るハイエースの二人は、オープニングを取り終え、廃墟の正面の入口に向かって立っている。二人の手にはそれぞれ小型カメラと懐中電灯が握られている。
「良いリアクションしてもらわないと。」本崎は二人の姿を期待を込めて見守る。
徐々に入口に近づいていくハイエース。
「あぁ~ちょっと待って。」森家が立ち止まる。「なんか怖い。」
「何を今さら…」
「森阪、怖くない?」
「もう、ここまで来たら仕方ないなって感じ。」
「さっきまで『本当に入るのかよ~』とか言ってたのに?」
「だって、目の前まで来ちゃったら…もう言ってらんないじゃん。」森阪は森家の腕を引く。「早く行って、早く終わらせよう。」
「うん…わかった…」森家は観念して森阪と共に歩を進める。「も~怖ぇ~」
「早く入れって~」
入口前で立ち往生しているハイエースの様子を見て熱尾が画面に向かって急かすような目を向ける。
「でも、怖がってる様子は充分撮れましたよね。」
本崎は入口前で怖気づく森家のリアクションに釘付けになっていた。
「ええ。でも片方はやけに余裕だよなぁ。」
「もしかしたらハイエースは森阪くんがリードするかもしれないですね。」
「それって、森家くんが所謂“じゃない方”になるかもしれないと…」
「そうかもしれないですが、私の目が完璧というわけではないので。」
本崎は二人の未来像について断言はしなかった。
熱尾は二人のリアクションの差を観察しながらお笑いコンビ「ハイエース」の未来の姿を想像するのだった。
森阪が入口のレバーに手をかける。森家は森阪の肩を掴む。
ーグィィィィィ……
ドアのきしむ音だけが響く。
森阪が前に出て、森家が後ろにつくという立ち位置で二人は初めて廃墟に足を踏み入れた。廃墟の中はやはり暗闇に包まれている。正面から見て右側には受付か警備員が常駐していたであろう窓付きの受付カウンターのようなスペースがある。その奥を森阪が懐中電灯で照らすと窓の奥に椅子や机が積まれているのが見えた。
廃墟の入口から見て正面奥には壁が広がっている。こちらも暗闇に大幅に隠れており、光が無ければ僅かに確認できる程度だ。森阪が壁に向かって懐中電灯の光を照らすと、壁の真ん中あたりに何かが見えた。
「えっ? 何か貼ってあるぞ。」
「え、何?」
森阪が壁に向かってゆっくり歩を進める。森家もその背中に態勢を低くしながらついて行く。
「は?」足を止める森阪。
「えぇ…なになになに?」森家が森阪の背中から顔を出す。
「お札じゃん。」
壁の中心には数枚のお札が貼られていた。
「んも~何であるんだよ…」情けない声を出す森家。
一方で森阪はぐいぐいと壁のお札に近づいていく。その時、壁に貼られていたお札の一枚が突然、はらりと剥がれて床に落ちた。
「おおっ!」後ずさる森阪。
「うわー! 何?」森阪の声に驚く森家。
「剥がれたんだよ。」
「何で⁉」
「知らねーよ。」
「もう…なんかいる…」
「自然と剥がれたんじゃないの?」
「大きな声出すからじゃぁん…」
二人は突然起きた不気味な事態にああ言えばこう言う状態となった。
「パニクってるな…」正面入り口の内部を映したモニターを見ながら熱尾が言った。
「あれ仕込みですか?」本崎が剥がれ落ちたお札について聞いた。
「いや、指示はしてない。」
「じゃあ…偶然?」
「ということになるね。いやぁ~序盤であんなガチで怖がらせるつもりは無かったんだけど…」
熱尾は苦笑しながらも、満足そうだった。
モニターに映るハイエースの二人は、壁に突き当たって右に進み始めた。
「あ、進んじゃった…」モニターを見て熱尾が言う。
「どうかしたんですか?」
「いやぁ~床に落ちてるお札のなかに一枚だけお札を混ぜといたんだけど…気づかなかったみたい…」熱尾は残念そうに言った。「いやー、茶番として良いかなーと思ったんだけどなー」
「なるほど…」
残念がる熱尾を横目に本崎は苦笑した。
お札が剥がれ落ちた場所を後にした二人は、左へと進む。右へと伸びる廊下もあったが、あまりにも暗くて不気味なので後回しにすることにした。
左に行くと、広い場所に出た。ソファーや机が乱雑に置かれており、中心には上階に続く幅の広い階段がそびえ立っていた。
「本当にここ何だったんだ?」森家が呟く。
「ホテルっぽいし、学校にも見えるけどな…」森阪が階段の方を懐中電灯で照らす。
二人は歩を進め、階段の正面の壁に沿って行く。
森阪はふと、あるものが置かれているのに気づいた。
「あれ?」
「どうした?」
「本がある。」
森阪が階段脇の壁際のスペースを照らすと、高さが二メートルほどで幅が腕を広げたくらいの大き目の本棚が二つ置かれているのが見えた。本棚の下の床には大量の本が崩れ落ちたかのように山のように乱雑に散らばっていた。
「やっぱり学校?」森家は大量の本が置かれているのを見て言った。
「見てみる?」
森阪がそう言うと、二人は徐々に階段横の本棚へと進んでいった。
「何これ? 雑誌?」森阪が床に落ちている本に明かりを照らす。
「え? これって…」
森家の目にはビキニやら下着やらを着た若い女性が大量に飛び込んできた。
「学校ではないみたいだね…」
散らばっていたのは小説でも図鑑でも参考書でもなく全て成人向けの雑誌、所謂“エロ本”だった。
「もうなんだよ白けるな~」
大量の成人向け雑誌が散らばっているのを見て先程まで廃墟の不気味さに恐怖していた森家はなぜか安心していた。
「へぇ~」森阪は急にその場にしゃがみ込んだ。
「おいおいおいおい、何やってんだよ。」
森家は、しゃがみ込んで一つ一つの雑誌を開いて目を通している森阪に言った。
「いや…なんか…」森阪は雑誌の中に見つけた袋とじに手をつける。
「『なんか』じゃねぇだろ。」
こんな時にいやらしいものにうつつを抜かしている相方に森家は思わずツッコんだ。
「これは…」
「廃墟にエロ本が大量に落ちているという茶番。」
困惑する本崎に熱尾が解説した。
「よくここまで集めましたね。」
「古本屋とかフリマサイトとか巡ってなんとか。」
「しかし、森阪くんがこうなるとは…」
モニターには雑誌の袋とじを開けて鑑賞している森阪が映っている。
「もはや放送事故だね…」熱尾は思わず笑った。
「でも、テレビ的には…」
「全然OK。きっと、ネットでも話題になるしね。いや~良かったよ。」
「そうであればマネージャーとしては光栄です。」
「いやいや。僕としては家にあるエロ本、何冊か処分したかったというのもあるから、それに利用させてもらった感じで…」
本崎ほ熱尾からゆっくり身を引いた。
「ちょっと、行こ行こ。」森家は袋とじに夢中になっていた森阪の腕を引いた。
二人は本棚から離れ、階段の前に来たところで立ち止まった。
「こっち行くか?」
森阪の視線の先には廊下へ続く、幅にメートルほどの入口がある。階段から見て正面左に森阪らが入ってきた廃墟の入口があり、その反対の階段から見て正面右に廊下の入口がある。
「ええ…あち行くの…」森家が難色を示す。
「だって、一階の方まだ全然回れてないじゃん。」
「マジか…」森家はしぶしぶ了承した。
因みに階段の正面の壁には暗闇に包まれた何かの部屋に入れる、扉の無い大き目の入口がポッカリと開いていたが、ハイエースの二人はひとまずスルーした。
ハイエースが進む廊下はさほど長くはなく、すぐ先に扉が見えた。左側には窓がついており、右側にはいくつか扉があった。
「じゃ、いくよ。」
入口から廃墟内へ入ってきた時と同じように森阪が扉に手をかける。森家はそれを後ろから見る。ドアは両開きになっており、右側の扉の取っ手を手前に引くと、ギギィ…という音とともにドアが開く。そして左側の扉も同じように開いた。
中に向けて懐中電灯を照らしながら部屋に入ると銀色の鉄板のようなものがいくつか見えた。よく見ると、飲食店の調理場に置いてありそうな大きめの冷蔵庫やオーブンであるのがわかった。流し台やコンロのようなものも見える。
「給食室?」森家は率直にそう予想した。
「さっき学校じゃないって言ってたじゃん。」階段脇での森家の発言を掘り返す。
「ほんとにこの廃墟なんなの?」
「わかんねぇな~」
二人は会話を交えながら広い調理場の中へと入っていく。
さすがに刃物類は回収されているのか、全面ステンレス製の流し台の上にはまな板や包丁、ピーラーといった調理器具は一切置かれておらず、水垢だけが各所に残っている。
窓際の長い流し台に沿って進んでいくと、行き止まりに業務用の大きな冷蔵庫がどっしりと置かれていた。
「開ける?」森阪が言った。
「まあ、開けるしかないっしょ。」
「何だよ、自分で開けないくせに。」
「ごめん。」
こうしてまたしても森阪が扉を開くことになった。
冷蔵庫の扉は二段になっており、まず上の方の扉を開けることにする。金属製の冷たいレバーに手を掛けた森阪は一気にそれを手前に引いた。
ーガサッ、バサッ
冷蔵庫から何かが落ちた。
「おおっ!」「わぁっ!」驚き、後ずさる二人。
「これって…」
床に落ちたものに目を向けると、またしても本だった。
「また本?」
森阪が冷蔵庫の中を照らすと、冷蔵庫の棚の中には本がびっしりと詰められていた。
「何これ…」森家が呆れ気味に言った。
「もう訳わかんねぇよ。何これ?」
森阪が光りに照らされた本のタイトルをいくつか読み上げる。
「『人生はカンタンゲーム』、『これでバッチリモテ男』、『話を盛り上げる7のポイント』、『あなたはいつでも輝ける』……」
「「………」」二人のいる調理場に静寂が走る。
「啓発本ですか?」
「そう。啓発本が冷蔵庫に詰まっているという茶番。」
熱尾と本崎の目の前のモニターの中には調理場の冷蔵庫の中に大量の啓発本が詰め込まれているという異様な光景を見て固まっているハイエースが居た。
「本ネタが多いですね。」
「何か詰め込める物ないかな~と思って、さっきのエロ本から引っ張られて啓発本を詰めようとなった。」
本崎は熱尾が成人向け雑誌からどう引っ張られて啓発本に辿り着いたのかが、いささかわからなかった。
「まあ、とはいっても本だけじゃないから。詰められてるのは。次は強いのが来るぞ~」
熱尾はワクワクしながら言った。本崎はハイエースの次なるリアクションに期待する。
「自信ねぇのかよこの廃墟の主。」
森阪は冷蔵庫のもう片方の扉を開けながら言った。冷蔵庫の上の段の中は更に二段に分かれており、その中にびっしりと厚さも大きさも様々な啓発本が大量に乱雑に詰め込まれていた。
「何で冷蔵庫にしまってあんの?」森家は当然の疑問を抱く。
「何か胡散臭いなこの廃墟。」
成人向け雑誌が大量に置いてあったり、啓発本が大量に調理場の冷蔵庫に詰め込まれていたりと、この廃墟は何から何まで意味不明である。
「仕込んでんじゃないの? 誰かが。」森阪が啓発本たちを懐中電灯で照らしながら言う。
「あ、二人気づき始めたな。」熱尾が手を組みながら言った。
「良いんですか? 気づかれて。」
「もうこの際、リアクションさえ取れればいい。ドッキリがバレても面白ければ…」
本崎が真顔で熱尾の横顔を見る。これがあの名ディレクター・熱尾トクタカなのか…
「広安にドッキリを仕掛けた時も途中で気付かれてたみたいで…まあ、広安が察しの良い奴だってこともあったけど。でも、最終的に俺たちの仕掛けで取れた広安のリアクションが話題になった。だから今回の仕掛けはかなり力を入れた。後はハイエースのリアクションにかかっている。」
熱尾は熱心な目線をモニター画面に向け、次なる仕掛けの発動を待つ。
「……はい。」本崎は廃墟にいる二人の健闘を祈る。
冷蔵庫の上の段には大量の啓発本が、下の段には何もない事を確認した森阪と森家は歩を進め始める。次に彼らの目の前に現れたのは、パン屋にも置いてありそうな大きなオーブンだ。オーブンは同じものが三段重なっており、手前に引いて開ける扉の一つ一つには中を覗くための窓が付いている。しかし、窓は三枚とも内側の面が汚れており、開けなければ中の様子を確認することが出来ない。
「なぁなぁ森家、次はお前開けない?」
「え~もう…マジで?」
「だって、入って来るのも冷蔵庫も俺だったじゃん。交代だよ交代。」
森家は渋々、交代を受け入れた。思えば探索開始からずっと森阪がリードしており、自分はまだ見せ場をほどんど作れていない。オーディションに合格して勝ち取った初めてのテレビ出演。無名から脱却するチャンスを逃すわけにはいかない。
三段中、一番上の段のオーブンの横向きの取っ手に手をかける森家。取っ手を握りしめた拳をゆっくりと手前に引いていく。
ーガチャン…
扉が少し開く。
少し開いた扉を更にゆっくりと開いていく。
「えっ?」何かが見えた森家。
すかさず森阪が中を光で照らす。
「あぁぁぁぁぁーーーーーっ‼」
「おぉーーーーぃっ‼」
森家が叫びながら後ろに退くと、それに驚いた森阪も森家と共にオーブンから全力で遠ざかった。
「なになになになに!」冷蔵庫があったところで止まる森阪。
「ひ、人いた!」
「人⁉」
「ひひ人じゃない!」
「人⁉ どっち⁉」
「人じゃない! 首!」
「え! なにそれなにそれ!」
焦る二人は出そうとする言葉が滅茶苦茶になっていた。
二人は引っ付きながらオーブンの前へと戻る。森家が開けたオーブンの中を照らすと、そこには人の生首のようなものがこちらを向きながら横たわっていた。
「ハハハハハハ! 良いの撮れた!」
廃墟外のテントでは熱尾が大はしゃぎしていた。
「びっくりした~」
ハイエースのあまりの焦り様に思わず本崎も一瞬、動揺してしまっていた。
「いや~おもしろい。」熱尾の隣では番組スタッフの一人である男が座っていた。
「上津は良いの作るね~」
熱尾の隣に座っていた男性スタッフは美術スタッフの上津。
「前の広安の時にマジックミラーで冷や冷やさせられたから、今回は気合いを入れて万全ですよ。」
上津はかつて、「ノゾキ見!」でも美術スタッフとして熱尾と共に広安祐吉にドッキリを仕掛けた仲である。
「でもまだ、気づいてもらわなきゃいけないことがある。」
「何に気づくんですか?」本崎が聞いた。
「ああ、あの生首は…」
オーブンの中にあったのはリアルな人の生首を模したマネキンだった。
「んだよもう!」森家が廃墟に来て初めて乱暴な口調になる。
「ぜってぇ仕込みだろこれ。」森阪はもう何かに気づいている。「もう、何これ?」
森阪が再びオーブンの中を照らす。
「気持ち悪ぃな~」
「ムカつくわ~この顔!」
「誰だよマジで。」
「も~クソ野郎~」
マネキンの首に向かって悪口雑言を繰り返す二人を見ていた熱尾はまたしても爆笑していた。
「うわ~先輩の顔に悪口言ってる…」腹を抱える熱尾。
実はあのマネキンの首は、広安祐吉のお笑いコンビ「狛犬刀」としての相方で作家としても活躍する西塚則史の顔を模したもの。ハイエースの二人は売れっ子の先輩芸人の顔だとは知らずに汚い言葉を向けてしまっていた。
「これは…後で知ったら大変ですね。」本崎も思わず笑みがこぼれる。
「ん~でも結構似せたつもりだったんだけどな~」
マネキンの制作に携わった上津はこの様子を楽しみながらも、西塚の顔だとハイエースに気づかれなかったことが不覚だった。
「しかもあの二人、西塚の小説にも気付いてなかったぞ。」
「西塚さんの小説?」本崎が熱尾の方を向く。
「さっきの冷蔵庫の中にあった啓発本たちの中に一冊だけ西塚の最新作の小説を紛れ込ませてたの。」
冷蔵庫の中に詰め込まれていた山積みの啓発本たちの中の一つに本の背の部分に《酒場 西塚則史》と書かれた単行本が置かれていた。
「そうなんですか?」
「前に広安へのドッキリの時に活躍してもらったから、少しひどい目にも遭ってたし…そのお礼というかお詫びというか、宣伝してあげようかな~と。」
しかし、ハイエースは西塚の小説にも、マネキンの顔が西塚であることにも気付かずに次へと進んで行ってしまった。
「まあでも、ネタバラシや編集で紹介するからそれは大丈夫。さあ、これからが本番だ。」
熱尾はモニターに顔を近づける。これからハイエースの前には更なる戦慄の瞬間が待ち構えている。
調理場を一回りしたハイエースの二人は入ってきた出入口に向かっていた。マネキンの入っていたオーブンの下の二つのオーブンも森家が開けたが、中には本もマネキンも何も入っていなかった。
「次どこ行く?」森阪が聞く。
「二階行く?」後ろから森家が言った。
「でもまだ向こう側にも通路あるしな~」
「二階に行ってからまた降りて行けばいいじゃん。」
開きっぱなしになっていた調理場の扉が目の前に来る。廊下に一歩出たその瞬間、二人は再び絶叫することになった。
「うおっ!」
「なになに!」
いきなり叫んだ森阪に叫ぶ森家。
「誰かいる! 誰かいる!」森家に身を寄せる森阪。
「どこどこどこ!」
「行っちゃった! 行っちゃった!」
再び調理場の中に入る二人。お互いの腕を掴んで身を寄せ合う。
「なになになになになに!」森家には状況がわからない。
「だからだから!」森阪は慌ただしく説明した。
森阪によるとさっき自分たちが成人向け雑誌を見つけた場所にあった上階に続く幅の広い大階段の真正面の壁にポッカリとあいていた何かの部屋の入口から影が歩いて出ていくのを見たという。その影は階段のある方に向かって歩いていったとのこと。
「マジでヤバい。」森阪は体を屈める。
「どうするどうする?」
二人が感じている恐怖はさっきの生首を見た時とは比にならない。
「もう…どっちにしろ出なきゃいけないだろ…」
「え、行く?」
「あ~も~」
二人とも、尻込みしてなかなか先に進めない。しかし、どちらにしろここに留まるわけにはいかない。外ではスタッフたちが待っているが、一階フロアだけ少し回って戻っても、どうせ二階に行くためにまた行かされるはずだ。
「行くよ、ゆっくり行くよ…」
「先に行くなよ…」
二人は意を決してゆっくりと調理場を出る。お互いの身を寄せ合いながら先程通ってきた廊下をゆっくりと戻る。大階段が見えてきたところで立ち止まる。またあの影が視界に入ることを考えるだけで身震いがする。
「ちょっと待って…」森家が森阪を止める。「あそこ近づきたくないよ~」
森家は先程、森阪が「影が出て来た」と言う階段正面の入口に恐れおののいている。また影が出てくるのではないかと想像してしまう。
二人はその入口に目線を向けながら、入口から離れたところを歩く。中を懐中電灯で照らすが、特に変わったところはなく、椅子や机が乱雑に置かれていた。
大階段の真正面に来ると、二人の足が階段の一段目当たる。
「何も出てこないよね。」
「もう出ないだろ。というかどうせ仕込みだろ。」
暗い部屋の中に置かれた人の背丈くらいの棚。その中にいる一人の男が部屋の中に何度か照らされる光を見ていた。
〈どうだった?〉
男が耳に付けていたイヤホンから声が聞こえてきた。
「大丈夫です。ハイエースの二人、かなり叫んでました。」男は薄笑いを浮かべる。
〈ヘヘヘ、完璧だ。〉
熱尾特有の笑いがイヤホンから耳に響く。棚に隠れているのは番組ADの水町。「ノゾキ見!」の広安へのドッキリにも参加した男だ。
「ほんとによく協力してくれましたね“あの人”。」
〈まあ、あの人も今、だんだんと知られてきてるし、これでハイエースも売れればwin-winだからな。〉
「ええ。それにハイエースがたまたま“あの人”と繋がりがあったのも、今となっては奇跡ですよ。」
その時、水町のいる部屋の外から二人の叫び声が聞こえてきた。
「ちょ~~~っ‼」「あ~もう‼ 何!」「なんだ※&#$!」「&☆%$#×!」
パニック状態の二人。
「いたよな⁉」「いた!」
二人が階段正面の部屋の入口から階段の上の方に顔を向けた時に“何か”が階段の隅にいた。その“何か”は、二人が自分の方に目線を向けたと同時に二階へと消えていった。
「やばい…女だよな?」
その影はボサボサの長髪で顔が隠れていたが、小柄であることからなんとなく女性であることはわかる。
「さっきのではないな。」森阪が言う。
森阪によると先程、調理場から見えた影は長髪でも小柄でもなかったという。
「さっきの影は男だもん確実に多分。」焦り過ぎて言葉が少し変になっている。
得体の知れない存在と二度も遭遇し、精神が徐々に疲弊していっている二人。熱尾による仕込みだろうとは勘付いているものの、ここまで恐怖に陥れられるとは思ってもみない。この前、広安祐吉に仕掛けられていたドッキリの数々など、これと比べれば可愛いものだ。
「どうする? 行く?」森阪が背後で怯える森家に聞く。
「えっ、待って心の準備。」心臓の辺りを撫でる森家。
ゆっくりと階段の一段目に片足を乗せる森阪。一段一段ゆっくりと足を持ち上げては段に足を乗せる。その後に森家が続く。緊張を感じているからなのか、疲労が溜まっているからなのか、一歩一歩が異様に重く感じる。体が行くことを本当は拒否しているのかもしれない。
そうして忍者のようにゆっくりと進んでいくとようやく広い踊り場についた。踊り場は左右対称で、右に行っても左に行っても上に続く階段がある。今、昇ってきた幅の広い階段の三分の一くらいの幅の階段が二つ、二階に向かって伸びている。
二人は踊り場に足がついた後、ゆっくりと踊り場の中央へと近づく。そして恐る恐る後ろを振り返る。目に映る場所全てを懐中電灯で照らしていき、何もないことを確認すると、向かって右側の階段を昇っていく。
「あ~もう、急に来そうで怖い…」怖気づく森家。
先に二階の床に足が付いた森阪が左右に伸びる廊下の先を恐る恐る確認する。何もない。ようやく二人揃って二階に到着するとまず、目の前にトイレがある。右に男子トイレ、左に女子トイレだ。
「入る?」森阪が聞く。
「入るの?」
「いや、俺が聞いてんだよ。」
「んーじゃぁ…入ろう。」
「せっかくだから女子トイレの方入るか?」
森阪の場違いな発言に困惑する森家。
「倉里、そろそろだ。」熱尾は通信マイクに話しかける。
〈了解です。〉
熱尾の耳のイヤホンから女性の声が聞こえてきた。声の主は番組ADの倉里。彼女も水町同様、「ノゾキ見!」のドッキリに参加していたスタッフの一人だ。倉里は今、廃墟の二階のとある部屋に身を隠している。
「それではお願いします。」
倉里は一緒にいた人物に部屋の外に出るよう促した。その人物は頷くと、長いボサボサの髪を揺らしながら、ゆっくりと廊下へと出た。
「それじゃ行くぞ。」
女子トイレに向かって歩を進める二人。その時左の廊下の奥から物音が聞こえた。
「ヒャッ!」「へ⁉」
二人は左の廊下の奥を懐中電灯で照らす。すると部屋の中から“何か”がゆっくりと出てくる。その場で固まる二人。“何か”が部屋から完全に姿を現すと、二人の方にゆっくりと体を向けた。
「ちょっと待って…」「もう…なになに…」
その“何か”の姿に二人は見覚えがあった。さっき、階段の踊り場で見かけたあのボサボサ髪の女にそっくりだった。
「さあそろそろクライマックスだ。」手の平をこすり合わせる熱尾。
「二人、きっとパニックになりますね。」
本崎も二人が見せるリアクションに期待を膨らませる。
「それにしても、よく“あの人たち”協力してくれましたよね。」と上津。
「きっと、仲良いんだろうな~」
「しかも一人除いて本当に一般の人ですからね。」本崎もそのことには驚いている。
「あの二人、特に森家、驚くぞ~」
「きっと、ドッキリ史に盛大に残るドッキリになりますね。」
熱尾、本崎、上津の三人はモニター画面に釘付けになりながらこれから起きる衝撃の展開を待ち続ける。
廊下では果てしない沈黙が続いていた。果てしなく感じていたのはハイエースの二人だけかもしれない。突如として部屋の中から姿を現した女と思しき影は二人の方に向かって黙って仁王立ちを続けている。二人は状況が理解できないのか恐怖に押し殺されているのか、その場で固まりながら女の方を見つめ続けている。
その時、森家が左足を一歩、後ろへ下げた。
「「!」」
二人は驚き、後ずさりを始める。森家の動きを合図にするかのように女がゆっくりとこちらに向かって歩を進め始めたのだ。
「……っ!」「あ…あ…」二人は戦慄して声が上手く出ない。
二人は後ずさるスピードを徐々に上げていく。女の方も徐々に速度を上げてきているのだ。
「ひぃ~ちょちょちょ!」
情けないとも思える声を上げながら走り出す。しかし、その足はまた得体の知れないものによって引き止められてしまった。逃げる先に三つの影が突如として現れた。
「うっそ⁉」
もう訳が分からない二人。
その三つの影はゆっくりとこちらへ近づいてくる。後ろからも不気味な女が近づいてくる。
「だぁ~」「ひぇ~」二人はその場で足が崩れ落ちてしまった。
「まだ…わからない…?」どこからか男の声がした。
その言葉の意味を理解できないハイエースは何も言葉を返さない。
「おーーーい」別の男の声が鳴り響く。
「お、お、お…」
森家が恐る恐る顔を上げ、横並びになっている三つの影を見る。三つの影の内、二つは男、一つは女であることはわかった。
「ンクッ…」女が笑いがはみ出るような声を出した。
「は…? はぁつ⁉」森家は真ん中に立つ男の顔を見て驚愕した。「はーっ!はっ⁉えっ⁉」
「なんだよ!」叫ぶ森家に森阪が叫ぶ。
「タツマくん…?」
森家にそう呼ばれた男は照れくさそうに笑みを浮かべながら答えた。
「フフフ……びっくりした?」
それを聞いた森家はその場に体を倒して仰向けになった。
「え…まさか…」
森阪がそう答えたところで廊下の奥の部屋の扉が開き、照明とカメラを持ったスタッフたちが駆け寄ってきた。カメラマンは「ノゾキ見!」にも参加していた板塚だ。
「「うわ~~~」」
森家はスタッフたちが集まってきたことや暗闇から解放されたことで一気に安堵に包まれた。森阪は熱尾に騙されていたことを確信し、どこか悔しさを感じる。
「てことは…」
「ドッキリです。」
森家が仰向けで呟くと、スタッフがすかさず答える。
「わかってたよ…」森阪が呟く。
森家が「タツマくん」と呼んでいた男は、森家がルームシェアで共に暮らしている同居人の伊塚辰真。
「いや~なんか番組の人から連絡入って、みんなで出ませんか? って言われちゃって。」
よほど嬉しいのか、辰真は終始ニコニコしている。
「なんか、一般人だけど呼ばれた。」
辰真の左隣に立つ男は同じく同居人の東井作人。
「ゴメンネー」
そうお茶目に言った辰真の右側に立っている女が顔を覆う長髪をかき上げると、やはり森家にとって見覚えのある顔だった。同居人の一人である沢瀬海広だ。長髪はカツラで、本来の髪の長さは肩までだ。
「お前の同居人か…」森阪が森家に顔を向ける。
「そう…。てことは、最後の一人は…」森家は真後ろの女の方に振り向く。
小汚い長髪のカツラを被っていた女は、やはり森家の同居人の一人である原井和奈。
「あ~! この子か!」森阪が一発、手を叩く。「玉里の彼女!」
森阪がそう言うと和奈は「そうで~す。」と照れくさそうに言った。森家はその様子を見てなんだか微笑ましくなった。
廃墟の外へ出た一行は、入口前でエンディングの収録を始める。
今回のドッキリのターゲットであったハイエースの森家と森阪を中心に、森家の同居人たちがその周りに並ぶ。スタッフの中には熱尾や本崎もいた。
「それでは本番行きまーす。」水町の合図と共にエンディングの収録が始まった。
「いやー言ってくれたね~」
そう言うのはお笑いコンビ・狛犬刀の西塚則史。先程、ハイエースの二人を恐怖のドン底に陥れたマネキンの生首の顔のモデルになった人物だ。
「いやだって…そんなに似てた?」森家が言う。
「言われてみれば、なんとなく…」森阪はマネキンの顔を思い浮かべるが、しっくりこない。
二人の微妙な反応を熱尾と共に見る上津は、悔しそうな表情を浮かべていた。
「しかも冷蔵庫の中に俺の小説も入ってたんだよ?」
「それはさすがに気づかないですよ!」
あれだけ沢山の、しかも大きさも様々な啓発本の中に混ぜられては気づきようがない。
「そして、森家くんの同居人の皆さん、この度はご協力ありがとうございました。」
辰真、作人、海広、和奈の四人は森家と共に勢揃いでテレビに出れた事や、有名人の西塚と直接共演出来たことで気分は盛り上がっている。
「どうでしたか?」
「いやぁ、もう最高です。」「モリヤくんの活躍を間近で見れて良かったです。」「放送楽しみですよ。」「仕掛け人って楽しいんですね。」
西塚の問いかけに、森家の同居人たちは楽しそうに答えていく。
「そしてね、森家くんの同居人はすごい人ばかりだと。」西塚が森家に次を振る。
森家は苦笑しながら「そうです。」と答えた。それと同時に「片方は良いけど、もう片方ここで言っちゃいます⁇」とバラエティっぽいコメントも残した。周囲は笑いに包まれる。
「まあ一応、彼は…」森家は辰真を示す。「“マツダリュウシン”です。」
「きっと見たことある人もいますよね。」西塚がカメラに向かって言う。
「どうも、ネットに小説載せてるマツダリュウシンと申します。」
実は辰真、以前からインターネットに小説を投稿しており、それが話題となって名が知れ渡っていた。当初は顔出しをしていなかったが、最近は取材などで徐々に顔を出すようになってきていた。
「同居開始してからしばらく知らされてなかったからね。」海広が言う。
「えーっ! そうなの⁉」驚く西塚。
「同居始めた後にバズってしまって、それで言いにくくなって…」申し訳なさそうに言う辰真。
「みんな、よく信じたね。同居人がバズってるって。」
「一応、アカウントとかの証拠は見せてもらったんで。」
「びっくりしたけど、すぐに『へぇ~そうなんで』って感じにはなったよね。」
「まあ、僕は気づいてたんですけどね。」辰真とは高校時代からの付き合いである作人が言う。
「あ、気づいてた人いたんだ!」西塚は爆笑する。「そして、もう一人すごい人というのは…」
「あ、私です。」和奈が手を上げる。
「マジで言うの? ここで?」森家が苦笑する。
「え? そんなにすごいの?」
「マブメートの玉里くんと…付き合ってます。」デレデレの和奈。
「えぇ~~~っ!」絶叫する西塚。
「マブメート」とはハイエースと同期で、今まさにブレイク中のお笑いコンビだ。同居人に話題の作家と話題の芸人の恋人がいるという衝撃の事実がここで明らかになる。
「森家くんの同居人すごいね…」
「しかもその事、ほぼ同時に知りましたからね。」
森家のまさかの告白にまたしても西塚は驚く。
「因みに残りの二人は…」
「あ、特に無いです。」即答する作人。
「まあ一つ言うなら和奈とは高校の同級生ってことぐらいです。」和奈の肩に手を置く海広。
「あ、それじゃぁ二人はマジの一般人という…」
ここでまた笑いが起きた。
「なんか、みんなだいぶテレビ慣れしてない?」森家が同居人たちを見て言った。
「俺、全然触れられてない…」森阪が呟いた。
エンディング撮影終了後、スタッフ達が撤収作業を行っている。森家の同居人たちは西塚と楽しそうに談笑している。
「お疲れ様。どうだった?」本崎がハイエースの元へやって来た。
「熱尾さんがディレクターの時点で読めますよ…」森阪が呆れ気味に言う。
普段、お笑い要素の強いバラエティしかやらない熱尾が心霊番組をやるということからどこか不自然だ。
「でも廃墟探索自体はマジで怖かったっす。」森家が疲れ気味に言った。
「生首見つけた時の顔。」本崎が微笑みながら言った。
「も~本崎さ~ん。」「先輩の顔に滅茶苦茶に言っちゃったんですよ~」
森家と森阪は長らくの恐怖から解放されたこともあってか、本崎への接し方がややフランクになっている。
「やぁ、お疲れ様。」熱尾がやって来る。
「「お疲れ様です。」」森家と森阪が同時に礼をする。
「どうだった? 廃墟は?」
「怖かったです。」「生首はヤバいっすよ~」
「ハハハハハ、そのおかげで良いリアクションが撮れたから。それじゃ、また会ったら頼むよ。」
熱尾が満足気に去ろうとする。
「ところで…」森阪が引き止める。「あの大量のエロ本、どこで手に入れたんですか?」
森家と本崎は「そんな質問?」と目を丸くする。
「あーあれは、古本屋と自分のやつを…」
「あ、なるほどそうだったんですか。それだけ気になってたんで聞いちゃいました。」
熱尾が去ると、森家が森阪に聞く。
「何であんな質問したの?」
「え、なんとなく。」
「そういえばエロ本見つけた時、あの状況で読み漁ってたよね…」
本崎がそう言うと、森阪は表情を変えずに「確認です。」とだけ言った。
「袋とじ開けようとしてたよな?」
森家にそう言われると「気にしなくていいよ。」と言って森阪は逃げるように森家と本崎のもとを離れ、廃墟の入口を見に行った。
「あいつ、将来、熱尾さんみたいになるのかな…」森家が森阪の背中を見ながら言う。
「素質はあると思うよ。」
本崎の言葉に森家はなぜか真実味を感じた。
ロケ車でテレビ局まで戻り、今日の番組収録は終了となる。スタッフや西塚への挨拶を終え、身支度を済ませたハイエースの二人は帰路につこうとしていた。テレビ局の入口付近を通りがかると、ソファーにあの四人が座っていた。
「あれ? まだいたの?」森家が同居人たちを見て少し驚いた表情を見せる。
「一緒に帰ろうかな~と。」辰真が言う。
「じゃぁ、一緒に帰ろうか。」
四人が立ち上がる。
「あ、せっかくなら森阪くんもどう?」
辰真にそう言われた森阪はきょとんとする。
「え? いいの?」
「まあ、明日は日曜だし。」
「“夜更かし”もできるし。」
「夜更かし?」森阪が怪訝な顔をする。
「別に嫌らしい意味じゃないから。ただ静かに飲み食いしたり会話したりするだけだから。」森家が森阪に説明する。
「じゃぁ、行こう。」森阪がバッグを持ち直した。
それを合図にするかのように森家たちも動き出す。
「俺たち、あれで売れるかな。」歩きながら森家が言う。
「ネタじゃなくてリアクションだもんなあれは。」森阪が答える。
「すごい良いリアクションだったと思うよ。」海広がスタンバイ中にモニターで見た生首マネキンと遭遇した時の二人の絶叫を思い出す。
「そう?」
「顔は覚えてもらえるだろ。」作人が言った。
「顔は覚えてもらってもネタがなぁ~」森家が頭を抱える。
「売れ方なんて色々あるよ。」辰真が励ますように言う。
「また、一緒に出れると良いね。」森阪が呟いた。
「そうだな。この六人で。」
森家がそう言うと同居人たちが一斉に振り向く。
「え? 俺たちも?」作人が驚いた表情で言った。
「確かにみんなで一緒に売れるのも良いかもね。」辰真が笑いながら言った。
同居人たちとその一人の相方は身を寄せ合いながら自分たちの集う場所へと向かっていった。
テレビ局の一室ではドッキリで使われた道具が一時的に置かれていた。
「ちょっと何やってるんですか~」
倉里が部屋に入って来ると熱尾、水町、板塚、西塚がダンボールの中に詰められていた成人向け雑誌や啓発本を取り出して読んでいた。
「どうせ、誰のものでもないんだから。」熱尾がページをめくりながら言う。
板塚が本の中に何かが挟まっているのに気づく。
「これ、誰の髪の毛?」板塚の指先には髪の毛が掴まれていた。
「髪の毛の一本や二本は挟まってますよ。」水町が袋とじの中身を覗きながら言う。
「いやいや、一本や二本じゃなくて…結構挟まってるよ。」板塚の手には次々と髪の毛が握られていく。
「これって…」水町が本を傾けると袋とじの中身から黒い髪の毛の塊が出て来た。「倉里の…じゃないよね。」
「なわけないですよ…」
女性ADの倉里は確かに髪が長いが茶髪なので黒い髪の毛とは明らかに違う。そもそも本に挟まっている髪の毛が全て倉里のものであるなら既に倉里の頭は禿げ上がっているはずだ。
「あの廃墟って…なんかあったのか?」熱尾が手に乗った髪の毛を見つめながら言う。
「「「知らないですよ!」」」水町、倉里、板塚が一斉に返した。
上津は自信作の西塚を模した生首マネキンを抱えていた。
「似てると思ったけどなぁ…」その時、生首マネキンの黒目が動いたような気がした。「ひっ!」西塚の生首マネキンが手の中から滑り落ち、床にぶつかる。
「あ痛っ!」
西塚が突然声を上げると、周囲にいた熱尾たちはビクりとした。
今回は、「夜更かし」(2022年4月7日投稿)と「ドッキリ」(2022年5月29日投稿)のクロスオーバーでした!
読んで頂きありがとうございました!