エピローグ
船が去っていくのを、新は窓から見送った。
あの若者達は無謀な事をしたが、これまでの人生はそれなりに励んで生きて来たのだ。
それを、酒に酔った一度の事で、死ぬも生きるも地獄という状況に陥ってしまった。
もしかしたら、海の中に放置した方が楽だったのかもしれない。
だが、目の前で死に行こうとしている人々を放置などできなかったのだ。
知らなかったのならいざ知らず、あの時は母の具合が悪くなって起きていた。
それも縁だとあれらの世話をすることにしたのも、回復した母が、彼らによって誰も死んでいないなら立ち直る手助けをしてやりたいと言ったからだ。
たった一度の酒での愚行だったからだ。
譲ったクルーザーは、かなり昔に父が金に困っていた知り合いから買ってやった物らしく、里の会社の従業員の慰安や、母と一度出掛けた時に使うぐらいで、後はメンテナンスをしながら係留しているだけだったので、逆に助かった。
費用がバカにならないからだ。
とりあえず、そうやっていろいろな方向に手を回して、後はあれらが罪を償うしかなかった。
あの中の一人の叔父が被害者であり、すぐに代わりの船も準備できたのもあって、被害届は出さなかったようなので、そのうちに騒ぎは沈静化するだろう。
こちらでの救助費用などは一切請求しなかったので、あれらの負担は精神的なものとクルーザー費用ぐらいだ。
きっと、立ち直ってくれるだろうと新は思っていた。
「新。」後ろから呼ばれて振り返ると、父の彰が立っていた。「そろそろ帰ろうかと思う。紫貴も楽しかったと言っていたし、着いた時はやめておいたら良かったと思ったが、結果的に良かったな。」
新は、振り返って頷いた。
「はい、お父さん。お母さんは旅の疲れであられただけのようでしたから。それよりいろいろお手を煩わせてしまいました。クルーザーは、良かったのですか?」
彰は、手を振った。
「滅多に使わないのに。紫貴は船に酔うし、一度乗ったきりだったしな。始末できてむしろ良かったと思っている。また乗りたければ、借りれば良いだけだ。」
新は、頷いた。
「では、ヘリへ移りましょうか。お母さんはヘリで良いと?」
彰は、苦笑した。
「行きが船酔いで苦しんだからな。そのせいで体調を崩して皆に迷惑を掛けたと気にしていたし、ごねる事もない。とはいえ、今回はそのお陰であれらが沈んで行くのに気付かないなどという事がなかったのだから、それでホッとしたようだった。紫貴のお陰であれらが助かったようなものだからな。それにしても、立派な経歴の者も居たのに、もったいない。もう一度頑張って欲しいものだな。」
新は、頷いた。
「はい。」と、彰と並んで歩き出した。「では、帰りましょう。やはり陸地が一番です。」
二人は、屋上のヘリポートへと向かった。
もう一度、彼らが己の生を謳歌できることを祈っていた。
千隼達は、健康状態をチェックされてから全員並んで記者会見を行い、皆に迷惑を掛けた事を謝罪した。
その後、眞耶の叔父が被害届を出さなかった事もあり、事はすぐに落ち着いて、忘れられて行った。
クルーザーの代金は、皆で割る事になってそれぞれの親から一時的に眞耶の両親へと返還し、彼らは親に返済することになった。
思った通り、学生だった者達は全て退学処分となっていた。
会社員だった者達も、事情は聞いてくれたが全面的に彼らが悪いのは確かで、雇用を続ける事に難色を示し、会社に迷惑を掛けたので自主的に退職した。
後に近所の話題となるのを恐れて、それぞれが家を出て、紹介された職場へと散り、そこで働きながら親に借金を返済しつつ、それぞれの夢に向かって金を貯める毎日となった。
ちなみに千隼達が振り分けられたアルバイトは、大きな屋敷の住み込みの侍従のような仕事だった。
家の管理なのでメイド達の洗濯を手伝ったり、掃除をしたり、庭を整えたり買い出しに駆り出されたりと、家政婦のような事もやる仕事で、関西に点々とある大きな屋敷に配属されている。
千隼は由弥と同じ屋敷で、祐吏と大都、太月が同じ屋敷に居た。
夜には自室でオンラインゲームに興じるので、それぞれの近況はそれで分かった。
涼太郎は、同じ関西にある大きな会社の営業として配属されていて、そこで毎日頑張っているようだ。
全員が関西に居るので、休みが合えば待ち合わせて会う事もあった。
それぞれが、楽しそうで新しい生活に馴染んで来ているようだった。
庭の落ち葉掃除を終えて木陰で休憩している時に、由弥が言った。
「そういえば太月がね、行ってる屋敷の会計管理の手伝いしてるみたいなんだけど、優秀だからって奨学金を旦那様から出してもらえる事になったんだって。向こうの大学の、試験を受けるために今猛勉強中だって言ってた。」
千隼は、お茶を飲みながら言った。
「マジか。あいつは最初から事務仕事に振り分けられたもんな。頭が切れるからなあ。ゲームも参加しないと思ってたら、そんなことになってたのか。」
由弥は、頷く。
「そう。英語も難なく話せるようになったみたいだしね。単語は知ってるから、コツを覚えたら簡単だったらしいよ。」
千隼は、顔をしかめた。
ここでは全員日本人なのだが、旦那様から指示を受けたのでと英語を話す。
どうやら、本来募集要項に英語必須の職場らしかった。
なぜなら、主人の友や仕事関係の来客は、外国人が多いからだそうだ。
千隼達は、特別に英語を学ばせるためにと主人が言ったらしく、執事は徹底して英語しか話さない。
本当は休憩時間も英語で話すように言われていたが、まだ拙いのでとてもじゃないが無理だった。
今も、見つかったら執事に叱られるだろう。
とはいえ、千隼達が来る前は普通に日本語で話していたらしいので、皆に不便を強いているのかもしれなかった。
早く話せるようにならねばと思うのだが、元々苦手な分野だったので苦しいところだ。
そこへ、メイドの一人が来た。
『お二人さん!細川さんが呼んでいるわよ。』
英語だ。
細川とはここの執事だった。
「げ。バレたのかな。」
由弥が、小声で言う。
「バレてないって。」
千隼が言うと、メイドが腰に手を当てて言った。
『今バレたけどね。』
ヤバい。
二人は、掃除道具を抱えて駆け出した。
『こら!ちゃんと細川さんの所に行ってよ!?』
メイドが長いスカートと格闘しながら追いかけて来る。
こんな毎日も、長い人生の中では良いのではないかと千隼は笑いながら由弥と共に走っていたのだった。
今回も最後までありがとうございました。次はまだ考えていませんが、できたら早めに書きたいと思っています。段々に前の世代の彰と紫貴の年齢が厳しくなって来て、紫貴が体調を崩しがちになって来ています。新も30代半ばを迎えて、こういう実験はなかなかしなくなって来ている感じです。なので、もうすぐこのシリーズも終わりなのかなあとか考えて来ております。ただ、登場人物のその後などをスピンオフでまた書こうとは思っています。今回もありがとうございました。10/28




