【短編】婚約破棄を待ち望む女装王子は、初恋の令嬢と結ばれたい
「お慕いしています」
午前の講義が終わったお昼の時間。
食事を終え、いつもの様に木陰で時折吹く風に心地良さを覚えながらゆっくりと時間を過ごしていると、潤んだ瞳で友人からそう告げられた。
その友人の名はルカ・エーヴィヒ。
山を越えた隣国ダーファンの王女で、ここラフトゥ国にあるジャルダン学園に学びにきている。
すらりと伸びた身長に、艶やかに真っ直ぐ伸びる金色の髪の毛は僅かな風が吹いただけでも、ふんわり舞い上がってしまう程に手入れされている。
成績優秀、学友会の書記を勤め、温厚な人柄故皆から慕われているというのに、それを鼻にかける仕草は微塵もない。
数多くの御子爵たちから好意の目を向けられているという事を本人は知っているのか。それとも知りながら受け流しているのか。恋愛にうつつをぬかすでもなく、こうして友人と過ごす時間を大切にしてくれている。
「メリッサ?」
名前を呼ばれた彼女メリッサ・ブリーズは、名を呼ばれハッと我に返った。彼女の立場上、気軽に名を呼ぶ事は許されはしないが、この学園の中で唯一、ルカと二人きりの時にだけそれを受け入れている。
目を丸くルカを認めたメリッサの様子からして、友人からの告白めいた言葉は恐らく耳に入っていなかったのだろう。
今まで向いていた彼女の視線を追った先には、学友会長のルチア・ジルエットと副会長のエトーレ・リーゼの姿がある。
会長の方はラフトゥ国の王太子であり、メリッサの婚約相手だ。深い黒色の髪は清潔に整えられ、キリリとした眉はとても男らしい。意思の強そうな顔立ちと、学友たちに分け隔てなく接する姿勢も相まって人望も厚く、兄弟は幾人かいるものの、次期国王としての立場はほぼ安泰である。
メリッサはそんな彼の妃となる令嬢であり、幼い頃に彼との婚約が決まってから今も、お妃教育を受け続けている。
「メリッサ。どうかしたの?」
ルカの位置から彼らの姿は見えていないのだろうか。笑顔の消えたメリッサの瞳に映る二人の姿は、それぞれの立場を抜きにしても、とても親密そうにみえる。
同じ学友会に所属しているルカが、こうして昼休みに友人とゆっくり時間を過ごしているというのに、あの二人は休み時間を返上してまで、終わらせなければならない仕事が突然出来てしまったという事なのだろうか。
なら、自分にも声を掛けるべきだと思うが、そんな話は聞いてもいない。といっても、唯一二人で過ごせるこの時間を袖にするつもりなど、はなからないのだが。
皮肉を言いたくなる口を固く結び、罵る言葉が飛び出さぬよう嚥下する。
メリッサの意識が飛んだ方へ一瞬目を向けたルカ。
彼らに全く興味はないのだが、自分を友人だと信じて疑わないメリッサに対してだけは、自分の見た目を偽ってまで側に居たいと行動に移してしまう程、執心している。
「いえ。なんでもないわ」
せっかくの二人きりで過ごせる時間だというのに、大切なメリッサの心を自分以外の人間が強引に揺さぶる瞬間ができてしまった事は、非常に不愉快であり、ルカは密かに眉を寄せる。
今日もまた、自分でも予期せぬ内に感情が溢れてしまい、素直に気持ちを伝えてしまった。
彼らの出現で無かった事にされてしまったが、悲しい事に、彼女自身ルカの言葉をそういう意味で受け取ってくれてはいない。
それをどんな気持ちで受けとればいいのかは、ルカにはまだ分からない。
だが、彼女の心を揺さぶる存在が自分だけであればいいのに、とは、常々思っている。
あそこにいる二人ではなく。
そうするには、しっかりと偽りの姿ではなく、本来の格好で伝えるべきだ。とは、痛いくらいに分かっている。そうすれば、彼女の意識は一時的には自分へ向けられるだろう。
だが、あの頃のルカが彼女の側に居続ける為には、性別を偽らなくてはいけないと思い込んでいたし、本来の姿で想いを伝えたところで拒まれてしまう結末が目に見えている。
それは、二人が出会った時既に、メリッサはルチアの婚約者候補だったから。
このまま友人の一人として隣に居る選択肢ももちろんあった。
だが幸か不幸か、ある日突然、気持ちが言葉として吐き出されてしまったことをきっかけに、彼は今の立場を利用して自分の気持ちを彼女に伝える事に決めた。
あわよくばなどという希望は一握りもない事を知りながら。
でも、心の何処かでそれを望んでしまうのが、人の欲というものなのだろう。
ルカはひとつ、小さく息を吐いた。
人気の来ない場所を探して、探して、探し出して、ようやく自分たちの秘密の場所として定着した場所だというのに。
白くて小さな花を咲かせる空木の低木を背に、二人が座れる広さのシートを広げ、二人だけの時間を過ごす。
座っていると校舎からは死角となり、今まで邪魔が入った事はなかった。
この午後の講義が始まるまでの時間が、唯一二人きりで過ごせる時間にまでなったのは、信頼関係構築の証。
真面目で真っ直ぐなメリッサは、その背筋の伸びた佇まいから強い令嬢と思われがちだが、それは周りをよく観察し、ルチアと釣り合っていると思われる為に行動しているからであって、本来は、周りをよく見てしまうあまり、様々な人の声を自らの心の内に留めすぎてしまい、がんじがらめになってしまっている。
そんな風に寂しい顔をさせる為に連れ出している訳ではないというのに。
二人きりで居られる時だけは肩の力を抜いて、柔らかく笑うメリッサ自身を見せて欲しい。
ルカは婚約者を視線で追い掛けるメリッサを見つめる。
どんな関係でもいいから近くに居たいと望んだのはルカ自身だった。
だから、友人という肩書きを盾にして幾度も自分の思いを彼女に告げる。
そしていずれ解毒できぬ程の量をその身に溜め込み、溺れてしまえばいい。
その時メリッサを救えるのは言葉を伝え続けた自分しかいない。
気付いてしまえば、甘くとろけて、時々棘を刺す愛の毒。
そうして彼女が真実を知った時に、考えて、迷って、悩んで、彼女の全てが自分で満たされていればいい。
ルカはメリッサを後ろから抱き締めた。
「お慕い申してますわ。メリッサ」
そう伝える度に、彼女の耳はほのかに赤く染まる。
その告白にいつも言葉は返ってこない。
この腕の中で上がる熱を感じられるだけで今はまだ満たされる。
今はまだその反応だけでいい。
だけどいつかはーー
などと、不埒な事を考えてしまうのは「もしかしたら」という淡い希望が捨てきれていないからかもしれない。
ルカは友人という立場を利用して、抱き締める腕に少しだけ力を込める。
ーー僕のこと好きになればいいのにーー
お読みいただきありがとうございます。
短編という形ではありますが、少しでも楽しんで頂けたのなら嬉しいです。