第9話 暴れ熊・エンキ
ニーヤンの姿を認めた熊たちは、一斉になにやら話し合い始めた。
「ブルブルブル!? 」
「ブルブル!? ブル!? 」
「……なんだ? あいつら……仲間が殺されたってのに……」
「何だろうね? メア、口開けて」
なんでもないかのように言うと、ニーヤンは、素直に従った俺の口に、丸くて小さいものをコロッと放り込んだ。
「ん? 飴か? 」
それをコロコロ口の中で転がすと、熊のざわめきがはっきりと聞き取れるようになる。
「あの男、強いぞ! 」「もしかして、俺たちも助かるんじゃないか!? 」「あいつを何とかしてくれるなら、この際誰でも……! 」
俺は、飴を舌で転がしながら、魔王の胸元を肘でつついた。
「ニーヤン、これってマジックアイテムじゃねえか。大方、『翻訳飴』だろ? 」
「まあね。俺は魔界人だから、ああいう動物の声も聞こえるけど、君はこの飴がないと聞き取れないだろうからね」
俺は、ふん! と鼻を鳴らして、熊たちに向き直った。
そして、熊たちは、俺ら2人の方をくるりと向くと、一斉に頭を下げる。
『俺たちを、仲間を、助けてください!! 』
――
どうやら、熊の中でも長老熊のほら穴に、俺たちは通された。
しかし、俺には、熊の年齢や個体差などわからないし、仕方がないので、目の前にあるどんぐりのクッキーを手に取り、かじる。
……渋い。
アク抜きしてあるのかどうかすらわからない。
「我ら蚊遣り熊族が、一番最後に食べたものに執着するのはおわかりですね? 」
「ああ……聞いたことはあるな。だから、熊が一旦魔界人や人間のものを食べると、そればかり付け狙うようになるとか」
魔王は、まるで一般人のようにうなずいた。
どうやら、自分が魔王であるということは、伏せておくようだ。
「そう。そこで、我々の『勇者』であるエンキが、年老いた私の代わりに熊たちを率いていました」
「ということは、そのエンキが、何か……? 」
ニーヤンの言葉に、長老はうなずいた。
俺は、出されたクッキーの横にあるお茶を口にする。見たことのない葉っぱで淹れられたお茶は、それでもどんぐりクッキーよりかは、美味かった。
「魔王軍の地上界遠征に参加したエンキは、そこで、襲った人間界の村で、よくない協定を結びました。村を襲わない代わりに、人間の女を生け贄として要求したのです」
「なるほどねえ」
ニーヤンは、ちらりと俺の方を見た。
俺はまださっぱりわからないけど、ニーヤンにはもう既に全貌がわかっているかのようだ。
「生け贄にされた女の味を覚えてしまったエンキは、もう、山のどんぐりや柿などの果物には全く興味を示さなくなりました。挙げ句の果てに、女なら何でも良いと、最近では我ら蚊遣り熊一族のメスにまでその牙と爪を……」
「だから、君たちの中にはメスがいなかったのか」
そこで、長老熊は、両手で顔を覆う。
……深刻な話をしてるんだろうけど、ちょっと可愛いと思ってしまう。
「我ら熊一族は、魔界人や人間と出会ったら、自分から逃げるようにしていました。それは、無駄な殺生を避けるためです。しかし、エンキは違う。相手が魔界人であっても、女ならば……」
「ち、ちょっと待てよ! じゃあ、車の中で、一人で残ったリーチェが危ないじゃん!! 」
俺は、がたりと丸太を削った椅子から立ち上がった。
しかし、ニーヤンに背中をさすられ、ゆっくりと座り直す。
「大丈夫。この山は彼ら蚊遣り熊の聖地だけど、熊たちは滅多に縄張りから出ようとしない。山の外にいるリーチェは安全だ」
「な、ならいいけど」
「むしろ、今、一番危険なのは、そこのお嬢さんでしょうね」
「いーっ!? 」
俺は、はっと辺りを見回した。
昼間、熊に襲われた恐怖を、急に思い出したのだ。
「エンキは、生け贄で口にした、人間の若い女の肉に執着しています。今は、仕方なく同族のメス熊を食べていますが、人間の女の匂いがバレてしまったら」
「何も守るものもない、メアが危ない、ってことか。メアが最初に出会ったのが、君たち穏健派で良かった。しかし、君たちもメアを生け贄にするつもりだったな? 」
ニーヤンが、じろりと長老を睨む。
黙っていれば、ニーヤンはただの戦闘狂に見えなくもない。
長老熊は、慌ててぱたぱたと手を振った。
「す、すみません! お嬢さんを襲ったのは、我々としてもギリギリだったからです! 今は、メス熊たちも少なくなり、このままでは、我ら蚊遣り熊の血が絶えてしまいます! お願いです! そちらの強いお方の力を、お貸しください! エンキを、討ってください! 」
「……うーん」
ニーヤンは、ぽりぽりと頭を掻いた。
全くやる気がないようだが、俺は、言う。
「……でも、蚊遣り熊が絶滅したら、他の生態系にも影響出るんじゃねーか? 協力してやろうよ、ニーヤン」
「うん、まあ、このまま山を登っていれば、そのエンキにもどうせ出会ったことだろうしね。……で、報酬は? 」
『えっ!? 』
俺と、長老の声が重なる。
ニーヤンは面倒そうに、首をポキポキと鳴らした。
「報酬がなければ、この話はおしまい! 残念ながら、俺らも暇してるわけじゃないんだからね」
「そんな……! 」
俺は、ニーヤンの言葉に、絶句した。