第3話 無職への誘い
俺が珠の枝の話を持ち出した時、ニーヤンは固まっていた。
なんでだ? と不思議に思っていたのだが、やがてニーヤンは息を吐く。
「んー……うん……『珠の枝』ね……わかってるわかってる」
「? 何が? 」
俺がそう尋ねると、ニーヤンは俺の唇の端を指で撫でて、それからその指をぺろりと舐めた。
「シロップ付いてたよ」
「ありがとう。……って、珠の枝の話だろ!? 前から思ってたけど、ニーヤンって急にそういうロマンチックなことする時って、何かを誤魔化してる時だよな!? 」
「…………」
ニーヤンは、一瞬そっぽを向いて、それから渋々というように、肩をすくめた。
「あのね、メア。そもそも『珠の枝』っていうマジックアイテムは、どういう物だと認識してる? 」
「どういうって……いわゆる、『付いている宝石の珠の数だけ、願いを叶えてくれるアイテム』だよな? それが何か? 」
「そう。天界の女神ジルバの加護が付いたアイテムだ。これはね、天界にしか咲かない花の実が、そのまま珠の枝になるんだ。つまり、天界に行くしか、新しい珠の枝を持ってくることはできない。そしてオレは魔王だ。魔界に生えている……っていうのは誤解だね」
「…………」
俺は、黙ってゆっくりと頭の中で、今言われたことを反芻する。
元々、頭の出来はよろしくないのが俺である。
「……わかった! つまり、神と魔王のショバ抗争ってヤツか! 」
「……抗争……うん、うんまあね。そういう理解の仕方があっても悪くないだろう」
ニーヤンがそう言うので、俺は少しむくれた。
なんだよその、あからさまに馬鹿にした感じ。
「さらに、メアの持っていた珠の枝の珠の数は4個。通常の珠の枝の数は2個。3個あれば上物だと言われている」
「そんなにすげー物なの!? 俺らってすげーんだな!! 」
「まあ、お金ではとても買えないほどの超上物だよね。つまり、新しく天界まで珠の枝を取りに行くことはあまりお勧めはしない」
「むう……」
俺は、ポンコツの頭でなんとか考えた。
つまり、ニーヤンは抗争相手である神々のショバにわざわざ出向いて火種を撒くようなことはできないってことだ。
「じゃ、じゃあ……俺って、もう女として生きていくしかないわけ……? 一生、女のままなのかよ!? 」
「まあ、それもいいじゃない。オレのお嫁さんとして……そ、その、ずうっと一緒に暮らせば……フヒヒ」
「うわキモッ」
「辛辣ぅ! 」
なんだか、ニーヤンはいじけているようだ。
でも、今のはニーヤンが100%悪いと思う。
俺は悪くない。悪くないったら悪くない。
「……俺、どうすれば良いんだろう……」
これは、結構本気で落ち込む。
別に、俺も俺の今の美少女の姿は、気に入らないわけじゃない。
でも、こんな細い腕では、武器を取ることもできないし、今まで苦労してコツコツ積み上げてきた、勇者としての努力が全部崩れ去ったような気がしたのだ。
「だーかーら、ね、魔王のオレと、慎ましい暮らしをして、過ごせば良いじゃない? 仕事は全部オレがやるし、不自由はさせないから、ね? ね? 」
ニーヤンが慌てて、落ち込む俺をフォローする。
でも、そんな暮らし……そんな、暮らし……あれ?
「意外とそれもアリかもしれねーな」
「でしょでしょ? もう、地上のこととか全部放り捨てちゃってさ? 一緒に暮らしてくれるなら、オレも地上侵攻とかしないし? 約束したでしょ? 」
そうなのだ。
俺が素直にこいつについて来て、魔界のこの屋敷にいるのは、「一緒に来てくれるのなら、地上侵攻はしない」という甘い言葉に釣られたからなのだが。
「……うん。ちょっと、考える」
「うふふ、そうだよね。珠の枝が機能しなくても、何の不自由もないってことじゃん」
また、ニーヤンが気色悪い笑い方をするが、俺は今度は黙っていた。
――
「このまま、ニーヤンに養われて、ずーっと一緒にいるって、それって要するに無職だよな……」
俺は、上等な薄い桃色のドレスに着替えて、館の中を歩いていた。
窓から外を眺めようにも、霧が濃くて、何も見えない。
この霧は一週間前から晴れることがなく、ずーっと館の外を覆っていた。
ニーヤン曰く、
「絶対に外に出ちゃだめだよ!! 人間には、魔界の瘴気は良くないからね」
だそうだが、半ば自暴自棄になりつつある俺にとっては、どうでも良いことのように思えた。
「外、出てみようかな……ん? 」
そこで、俺の裸足の足に、何かが触れた。
見ると、それはスチール製の空き缶である。
魔物が缶を引っかいたようなプリントがしてあるが、どうやらそれはデザイン画であるらしい。
「これって……エナジードリンクじゃねえか!? 地上の飲み物だ!! 」
そう、俺は小さく叫んだが、慌ててきょろきょろと辺りを見回す。
もしかして、地上人が俺以外にもいるのではないか、と思ったのだ。
すると、一つの部屋のドアが、半分ほど開いている。
そして、そこから、じいっと視線を感じて、俺はそっちに視線をやった。
「……君は……? 」
そこにいたのは、くるくるとした巻き毛の、異様に目の大きい、まるで人形のような少女であった。